雑記

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 あっ、アラビアのロレンスの感想に書きそびれたけど、ペレス推しとしても、見てよかった。

 なるほど、そのオールバックの金髪(ツヤツヤかっこい……)
 なるほど、その見開かれた碧眼の眼力(めぢから)
 なるほど、鼻筋のしっかりした存在感。

 1469ペレの立ち絵で特徴的だな~と思った部分に、オトゥールの顔パーツ要素がかなり成分として含まれていることを実感した。なるほど、なるほどねえ~!ってなった。
 対して2ペレのデザインは、どっちかいえばもう一人の顔造形のモデルとして名が上げられたらしい、デビッド・ボウイの要素のほうを感じるなと(特に顎の尖り感と髪型)

 キャラクタ自体は、『アラビアのロレンス』のロレンスとはほとんど印象が重ならないとは思うけど、学者キャラで知性溢れるところと、たまに取り乱すところとかがそうといえばそう、なの、か???
 あと、2=1469では、ペレスにはシナリオ上、中東地域がらみのイベントと、中東の謎めいた男性(アブトゥのことだ)との接触と反発と惹かれ合い(?)がある、ってなあたりで、『アラビアのロレンス』のイメージが載せられたりしたんだろうか。よくわからん。
 私が勝手に妄想するペレスは、学問一辺倒過ぎてコミュ障気味とはいえ、精神的にはめちゃくちゃ図太くて揺らがない感じだし、他人の意を汲んで英雄をやるという気質はなさそう(合理性があることしか納得しないし、理屈に合わん無茶をする意味を理解しない)という感じなので、あまり、映画のロレンスの印象とは重ならないではある。

ネオアトラス 編集

『アラビアのロレンス』を見た。

 めちゃくちゃ感想書きたいが、アホみたいな長い駄文を書き綴りそうなので、なるたけ端的に書くよう、がんばる。
 なお、もはや古典と化した名作と思うので、以下、ネタバレを避けようとかそういうのは全く考えずに書くことにする。

 見て良かった。ほんと揺るぎない偉大な作品で、今見てもめちゃくちゃ面白い。
 名作ゆえ、いつか見たほうが良いと思ってはきたが、3時間半以上もある(完全版)というのに怯んでいた。が、実際見て見ると、見ている時間がまったく苦にならない面白さ、すばらしさだった。
 なにがって風景が……なんだあのロングショット。砂漠の風景。人とラクダが点みたいに見える幅広スケールで、すごい長回しで捉える荒涼としたアラビアの風景。一気にその場に自分の眼がいるような気になる。すげー撮り方だ……。
 現在のところ、CGではあの感じを出すことは多分まだできない。おそらくどこかでほんのちょっと作りものめいてしまう。アラビアのロレンスは1960年代の映画なので、セットやちょっとした合成(夜空とかはそうだったね)はあるとしても、映されているのは実際にそこにある(あった)風景である。とはいえ、どうやったらあんなふうに撮れるんだろうという……。
 撮影された砂漠の風景だけでも、もはや文化財、人類の資産のひとつだ……と序盤からクラクラした。
 それでも、そんな映像のすばらしさと圧倒にもぜんぜん負けない、物語の骨太さ、語り口の強さ。俳優たちの演技の巧みさも、物語を強力に推し進める力になっている。
 なんといってもピーター・オトゥールが演じるロレンスの存在が発するオーラ。堂々とした体躯で、輝く金髪に、印象的な薄い青色の瞳。エネルギーに満ちていて、活発に動き回る。それなのに、いつもどこか居所の無いような、身を縮めたような不思議なたたずまい。
 この作品を見るときにいろいろな切り口はあろうけれども、私としては、オトゥールが演じるロレンスのこの居所のなさ、なにかを渇望し漂泊を続け、でも渇望するものをずっと掴みとることのできないさみしさがいちばん胸に残った。
 そもそもこの物語の中でのロレンスはなにを渇望しているのか。そんなことを見ている間もずっと考えたし、作品を思い出すと今も考えてしまう。答えはわからない。ともあれ物語のなかで、イギリスの男たちも、アラブの男たちも、誰も彼がまことに望むものを与えることができなかったし、ロレンス自身も、焦りながら闇雲になにかを求めて疾駆していた。彼は自身がなにを渇望しているのか、自分にも見いだせていなかったのかもしれない。言葉にするなら、居るべき場所だの、安息できる場所だの、ゆるぎない愛と信頼だの、もしかしたら父の愛と守りと絶対の救済、とかだったのか……などとといろいろ考えたが、考えつく言葉のすべてはどうも軽々しいように私自身にも思えた。ロレンスが狂乱しながら求めたものがなんなのか、それ自体が蜃気楼のようだった。ただ、砂漠の清潔に望むものがあると直感したロレンスは、自分自身がその風景に同一に溶けていこうとがんばったけれども、最終的に彼の魂は満たされることなく飢えたまま、命の一滴までも干からびさせ、砂漠にはただ血が落ち、それも乾いて、やがて消えていったように見えた。

 舞台となったアラビアは古い文明の地でもあって、聖書の世界という、クリスチャンにとってのある種の物語的な原風景の一つではあるかろうと思う。作中のイギリス人にとっても、またこの作品の作り手たちである人びとの大半にとっても、アラビアというのは遠く、伝説と物語の中にある砂の国なのだろう。その物語の砂の国を、考古学を学び、イギリスの人びとのあいだに居所を見いだせないロレンスは放浪した。いつか旧約聖書の人びとがそうしたように。あるいはギリシャ神話の英雄たちがそうしたように、ロレンスは、厳しい旅と試練を踏んで進んでいった。伝説めいた幸運と、人びとの期待と助けを得ながら。しかし、ロレンスには、聖書物語の人びとのように神に嘉されることもなく、ギリシャ神話の放浪の英雄のようにどこかに帰り着くか、あるいはたどり着いた場所で王国を興す運命、物語、はなかった。挫かれ、砕かれ、どこにも居場所を見いだせないまま、放浪いのただ人としてまたどこかへ消えていくしかなかった。そのさみしさが心に刺さる。人間の誰もが、そのさみしさを潜在のものとして抱えているような気がする。
 遠く、日本人の私にとっては馴染みもない、ひたすら雄大で圧倒的な砂漠の風景が、どうも自分にとっても、心のどこかで深く求め、けれどもその求めに厳しく応える場所であるように感得されるのは、撮り方のすばらしさだけでもなく、物語が示すこのさみしさと、荒涼とした地の風景が響き合っているからでもあるように思えた。

 ……感想、まとめようがないまま、結局、長くなっちゃった。
 いい映画だった。映画館で見たい映画、映画でしかあらわせない物語だ。そういう物語、たまらなく良いと思う。

 それにしてもロレンス、めちゃくちゃさみしいのに、ときどきカワイイ。キャラクターに含められた子供としての属性がそうさせるのかもしれないけど、めっちゃカワイイ瞬間がある。白い衣装をもらって着替えた後、一人で悦に入ってポーズ取ったり、ビシュトをひらひらさせて駆け回るシーンとか、なんだこれ……ショタじゃなくてもはや幼女。ロリかわだった。
 ググってちょこちょこいろいろ情報入れてて知ったけど、このシーン、脚本にそう細かいことが指示なくて、オトゥールのアドリブだったらしい。マジで! 天才すぎる。

 ロレンス以外の各キャラも、どいつもこいつもたまらん感想書きたい!がいろいろあるが、キリがないのでここまでにしとく。でもこれだけは言う、アリさんかっこいい。かっこいいのにあんなに甲斐甲斐しい。スパダリ? おかん?? そのアリさんが、まさかその場面で泣いてるなんてさあ!! ほんとこの映画、エモがいちいち内蔵ど真ん中をえぐってくるよ。すげー映画だよ。

日記 編集

 ブレイバーン今さら最終回見た。
 おもしろかったけど、11話と最終話まとめて怒涛すぎてすごかったな……

 ボーンファイアのノリが謎すぎてすごかった。
 イサミがいつのまにかブレイバーンとすっかりとっても仲良くなっててなんだこの……ほんとなに?
 突然にミスター味っ子が始まるのもまあ、なんかわかるけど、いややっぱわからんだった。
 勢いが謎。謎だけどミスター味っ子っぽい画面造りがあまりにもそれっぽくて、再現度の高さにビビったね。イサルルで手繋いで空飛んでくるとことか、食べやすく割られたエビのカットが、あまりにもミスター味っ子だった。
 とりあえずセグニティスはかわいかったね、声が小西さんだし……関西訛りであんなに満足そうに死なれたら好きになるしかないでしょ。

 ……からの大ピンチ、で11話が終わってこのヒキ。
 最終話12話は、大挫折からのスタート。テンポが早い。イサミがいさぎよく情けない。
 それから大逆転、さらに転、ラスボス戦、さらに転。疾走する展開(そして隙あらば差し挟まれるいろんなパロディ、前回が味っ子なら今回は美味しんぼかあ)
 最後、ラスボス打破の絵はめちゃくちゃかっこ良かった。ラスボス戦はこうでなくちゃ!
(クライマックスはかっこいいんだけど、そこまで存外、雑に殴られ砲撃され放り投げられるヴェルムヴィータCVくぎゅ、の絵も面白かった)

 基本的に主役も敵も味方も全体にひとの話を聞かない、という枠を組んだうえで、その枠を横押しして物語のまだるっこしさをぶっちぎって怒涛の勢いで突っ走ってのワンクールの物語だった。
 そこに勢いも良さも正解もある気はするけど、あえて、全50話、一年かけたスーパーロボアニメとして見てみたかった気がする。
 日常回とか、振り返り回とか、各キャラ掘り下げ回とか、ホラー回とか、いつにも増して謎展開の謎不条理話があるようなやつ。なんかよくわからんが町に出てスミイサでクレープ食う的な、キャワワデートするシーンとか見たいじゃん
(ボーンファイアは35話らへんに来そう。遅めの夏休み水着回枠)

 特に終盤の……いや、終盤だけでもないか、勢いと会話のやりとりで話をぐんぐん転がす、の感覚はキルラキルとちょっと似てて好き。やたら登場人物が全裸になるあたりとかもなんだか似てる。
 ただ、キルラキルはわりと理論的に構築されてる話で、毎回、盛り上がりと勢いとヒキをがっつり作るんだけど、なんだかんだかなり王道の積み上げで、最終回の怒涛に向けてぐんぐんピークを持ってってる感じなので、終始オフビートな感じもするブレイバーンはまた、味わい違うな~っても思った。
 あとブレイバーンは明白に性的な笑いが多いとかも、まあ普通に大人層向けを感じる点。キルラキルはむやみと全裸だし乳も尻もぷりんぷりんに画面に出まくるけど、ストーリーや笑いのネタはそんなにセクシャル方向ではないので……どちらが良い悪いということではないが、なんだか似たとこもあるけど結構違う、と思ったので。
 ああ、似たとこと言えば、ラスボス打破後の、物語のシメの雰囲気も、似てるというか、ああそうそう、これ!!というしっくり感だた。
 突然にロボに選ばれふりまわされる主人公が、個性的な無機物の相棒に振り回されながらも絆を結んで、唯一無二の友となって、そして最後になんらかの別離というか、卒業がある、ところ。
 キルラキルでは鮮血が。以前に、鮮血は、魔神英雄伝ワタルでいう龍神丸なんだと思ったことがあって(自分で思い付いたというより、Twitterかどこかでそういう指摘を見かけたんだったような記憶)、冒険が終わると主人公はロボとお別れする。なんかそういう、様式美というか伝統を踏まえての展開のような気がして、だから最終回の締めの部分は美しかったなと思った。
 まあ、エンディングにOPが流されて、ああ熱いシメが来たねと思いきや、突然のカラオケ字幕モードに戸惑ったりして、やっぱいつものブレイバーンだなあという、そこもらしくて良かった。

 イサ虐は毎回なんだかんだ面白かったけど、最終的に好きなキャラといえばルルちゃんとおじさま。
 ルルちゃんいい子やん。おじさまもいいロボやん。不満があるとすればルルとスペルビアの別れについてもちゃんとした描写が欲しかったなあとは思うので、12話ではやはり足りんのじゃないのですか、せめて13話があっても良いんじゃないんですかという気分にはなった。
 なお、イサスミはもう公式にそういう感じっぽい(ボーンファイアー回が濃すぎた)から、ほんと二人、末永く幸せに暮らしてくれたらそれでいい。

日記 編集

 週末、食パンを切らしたので他の買い物と一緒に買って帰ろうと思っていたが、スーパーのパン売り場では、私が買いたいやつがもう品切れしていた。普段はあんまり積極的に買わないもっちり系しか残っていない。もっちり系でもまあいいっちゃいいんだが、と思いつつ、しかし私はあんまりパンにもっちもちを求めていない。なんかこう、求めている味があるときにそれがなくて、代わりに求めてないタイプの味のやつで我慢するってのは、なんだかあまり嬉しくない。
 それで、前日売れ残りの値引き品も見つめてみたら、いつもは全然選択肢に入ってこない黄金なんとかとか名前がついてる食パンがひとつ、売れ残っていた。値引き前の値段だと400円くらいする高級なパンなので買ったことがない。これが20%オフで、ふーん、320円くらいか。
 味を知っていて、そうまで好みでもない(嫌いでもないが……)もっちり系食パンにするくらいなら、お値段とかの理由で視野にも入ってなかった未知の味を試してみる方が楽しい。
 一回くらい買ってみるか、と思って、それを買い、家に帰ってからきづいたが、デニッシュタイプの食パンだった。
 デニッシュ……デニッシュかあ。
 確かにデニッシュのパンはうまいし、単独でデニッシュとして食べるのは好きなんだが、私は、私は、食パンは小麦の風味が強いめの皮が固めのごわっとしたやつが好きなんだよなあ……
 食パンはトーストにして、そのときどきジャム載せたりチーズ載せたりでお好みの味変しつつ、いやあ炙った小麦粉製品ほんとうめーな……と思いながら食べるのが好きなんだよ。
 いや、黄金なんちゃらは、そら美味かったよ、ほんと。甘いし、バター的な風味もどっしり来るし。
 でも私はやっぱり、もっと小麦味がガツンとくる食パンを求めている。
 食パンには、砂糖や油脂でこってりした旨味は求めていない。
(そういうわけで、ちょっと前に流行ってた1000円とかする高級食パンはそんなに好きではない)

 自分の失敗なので誰かを責めるつもりはないが、このかなり甘いタイプの食パン、もうちょっと食パンぽくない見た目で売ってくれててほしいな……というわがまま心を、もてあましてしまった。
 とりあえず次回は、もっちり系しかなくても、甘くなさそうなほうのパンを選択しようと思った。

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 昼少し前辺りから雷が鳴り始めて、断続的に落雷と雨が続く。
 雷が近くで鳴ってるときは、落雷での故障を警戒してPC類はコンセントから抜いている。おかげで、今日やろうと思っていたPC内のデータの整頓がまるで進まない。
 ついさっきも、大人しくなってきたな、そろそろ電源挿してPC起こすかぁ、と思った途端にゴロゴロ……と遠雷が聞こえてきた。
 しょうがない、本読むか昼寝でもするか。

追記:
そうだね、ひるねでもね……と思いながら実際うとうとしてたら、ただいま結構近場にドピシャャャーーーーン!!と高音パリパリのフレッシュな雷が落ち、ピェハァッ!?て飛び起きて目が覚めちゃった(停電とかはしてないけど)

日記 編集

 ところで、二次創作書くときに参照した古楽の歌詞(13世紀のイタリアの世俗歌謡で、古いイタリア語なのでそのまま翻訳通すとだいぶ怪しいことになり、ネット検索では英訳は見つけたが和訳は見つからなかった)の日本語訳をひねり出すためにちょこちょこと検索してたんだけど、参考に、原語の逐語訳も欲しいなあと思ってChatGPTを使ってみたら、逐語訳出させるの結構使えるね!てことに気づいた。

 14世紀のイタリア語、って指示出してみたけど、今のイタリア語とは違う単語をそれなりに違う意味で訳してきて、それがネットで検索してみつけた英訳(多分イタリア人の人が英訳してくれたっぽい)と照らすと、まあまあ合ってそうだった。

 そんでふと、もしかして似たような感じで、書いた文章を古文っぽくできたりもする???と思ったので、試しにこの雑記の一部をCHatGPTに放り込んで、古日本語訳をやってみた。
 なんとなく鎌倉に近いくらいの時期がいいかな、よし12世紀の日本語と指示してやってもらおか、と試した結果が、こちら。

続く文章を、12世紀の日本語に訳してください。
 (元の文章)
  仕事、ひとだんらく!!
  やったーー!! 今年ものりきったーー!!
  (中略)
  まあでもとにかく無事に次工程に送り出せたからね、私はがんばった。えらい。

  ChatGPT
  仕事、人だんらく!!
  やり終えたーー!! 今年ものりきったーー!!
  いや、また完了せず。しかし、自身の責務における作業範囲は大方終えたのじゃ。
  今年は前年や前々年に比べてずっと楽じゃったが、それでも2月後半からの2週間は
  ずーーーっとこの作業をしてないと終わらぬことがあった。諸事情あり、
  家で作業せざるを得ず、結局、締め切りギリギリまであくせくせざるを得ぬ状況だった。
  まあ、ともかく次の工程に無事送り出せたからな、私はがんばった。立派じゃ。

 おい!!!
 のじゃロリ爆誕させてんじゃねーですわ!!!

 というふうで、全然古文にはならなかった(12世紀、とかじゃなくて古文、と指示すべきだったのか?)
 が、のじゃロリ文体にしたかったら12世紀日本語、とか指示してやれば、かなりいい塩梅にのじゃロリを吐き出してくれることがわかった。収穫である。

日記 編集

 二次創作物をさっさと生産する能力をもう少し身につけたくて、予定になかった短編を書いてみたけど、結局書きあげるまでには二日ばかりかかったし、なんか、こう、こうありたいと思ったんと違う感じになって終わったな……
 ページメーカー使ったのは、そういう、二次創作っぽいスピード感でやってみたかったからだけど、なんかいろいろ、うまくかみ合わせられなかった感じがする。むずかしーなあ。
 思いついた萌えを爆速で具現化する二次物書きになりてえんだ、私は。でもやっぱ筆が遅いというか、なんか……なんもかんも、愚図でもっさりもっさりしているんだよね……うううん!!!
 こなれたい! だが、こなれられる気がしない!!

 話の内容自体はまあまあ、好きというか、自分が読む分には楽しいよ。私のヘキと萌えを叩きこんだんだから当たり前だ。
 恋心をはっきり自覚していて、両思い直前まで踏み込んだペレスは始めて書いたかもしれない。恋愛自覚しててそれでいっぱいいっぱいなペレス書くのは楽しかった。
 今回は、それに対してちょっとだけアブトゥ視点も書いたけど、アブトゥは、今まで書いてきた作品でもわりと自覚持ってるし戸惑ってもいない設定で書いてたから、今回もわりといつも通りな感じになった。でもやっぱアブトゥ好きィ、素直にペレスの行動に喜ぶアブトゥかわいすぎんか(自画自賛)
 しかし設定上、どう考えてもペレス30才そこそこ、アブトゥももう20代後半くらいの年齢のはずだけど、めっちゃ若者の恋愛している。しょうがないよね、そこが萌えだと私が思ってるからね。恋愛バブちゃんでおろおろしてるペレスがヘキなんだよ。同じく恋愛バブちゃんなのに、妙に堂に入ってる気配出してくるアブトゥがヘキなんだよ。

 ここ二三日くらいかな、ツイッタで、二次創作者の、解釈と性癖どっちを優先するかの葛藤、みたいな話題が盛り上がっててさ。私がちょうどこの話を思いついて、よしヘキ全開でやってみよ!と思ったのとタイミングが合ってて、書いた話の内容に直接は反映はしていないけど、解釈優先じゃなく、というのを意識はして書いた。
 いつもわりとヘキ全開で書いてる気がするけど、そう言っても基本的には私自身が書く二次創作については、解釈の提示が主として書いている(と思う)。もちろん、自分の解釈が正解とかそういうことではなく、ただ、「この場面の推しのこんな言動については、こういうふうに捉えてて、そういうとこ、なんつうかもう萌えで! ふわーー!! 好き! 良きですわ! 最の高なわけですわ!! これがこうでこうと思うと!!!(ド早口)」という感想を書くようなつもりで二次創作を書いている。
 でもより欲望ドストレートに「推しのこういう感じの場面、見たいんですわ!! そら原作とはちょーっとかけ離れてるかもしんねっですけど、まあ見たいんですわ!!!」てな具合に欲望最優先で書いてみたいという気持ちもある。
 しかしどうも、私は自分内の推しや作品への解釈を無意識に優先させてて、原作の推しからはあんまし出てこなさそうな言動は書かないように、原作からあんまりかけはなれないように、結構セーブしちゃってるのかなあ、と思ったりもする。そこをぶち破って書いてもみたかって。二次創作だもの。
 そういう筋力もつけたいなあ。でも結構、難しい。
 まあ、解釈優先だろうがヘキ優先だろうが、とにかくそもそも書き慣れてないんだという、根本的な作文能力の低さがある。短い時間にいっぱい書くのと、質を意識して書くのと、両方を意識して、とにかくたくさん書いてかないと、うまくはならないんだろうなあ。

日記,ネオアトラス 編集

 らくがき ページを更新しようとしてたら日付が変わってしまった。
 昨日でなんとか作業おわりってことにした提督集合絵は、同人誌 のところに置いてある。

お知らせ,日記,ネオアトラス 編集

 提督集合絵、日曜で塗り終わった……はずが、ミゲルの大事なあごヒゲを描き忘れていたことに気付いて今日は延長戦。
 これは元絵、つまり『四方の風』の人物紹介絵の時点で描き忘れていたもので、つまりあごヒゲ喪失ミゲルを堂々と10部も印刷してしまったわけである。つらい。
 だがいまさら後悔してもどうしようもないので、色塗り版で修正できたのだから良いじゃないかと自分を慰めている(気付くまえにツイッタに上げてしまった痛恨については忘れることにした)

 それはさておき、ミゲルのあごヒゲだけでなくちょっと目に付いたとこ直したくなっちゃうし、またぞろアブトゥの唇に延々手をいれはじめてしまった。いかん。諦めろ。絵の稚拙はいまさらどうにもならない。もっとアブトゥを静謐で整っていてかつセクシーな美形に描きたいが、私の画力ではどうにもならないことなのだ。
 パースもえらいカオスで、最後に背景入れようと思ったときにとても苦労した。私にはパースのちゃんとした絵が描けるほどの技術がないのだからしょうがないのだが、そもそもパースがどうとかじゃなく絵の全てが全部おかしい。事物がかなり歪んでしか描けない。それはどうにもならなかった。へろへろになりながら、なんかとりあえずこう、空間を少しだけ埋めて、そして日曜の夜が更けていってタイムアウトだった。

 その空間埋めにつかった、壁に打ち付けられた木のバーに手紙とかがざくざく差してあるのは、ホルバインの『ゲオルク・ギーゼの肖像』という絵を参考にした。参考というかほぼほぼ丸パクリだけど。
 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%...

製作は1532年、描かれているのはドイツのハンザ同盟の商人だから文化圏も違う。同じような光景が15世紀後半のリスボンにあったかはわからん。
 が、まあなんか、この絵を見かけて、これはいい感じに商人のオフィスっぽい!ルネサンス頃の商人は手紙とか書類こういうふうに整理してんのね~!とテンションがあがり、勝手に、リスボンでも似たようなもんだろと思い込むことにして、提督達の後ろに、手紙とかたぶん地図とか、もしかしたら提督達の提出したレポートかもしれない紙切れをいっぱいぶらさげといた。
 ちなみにネオアトラス2には、やはり地図を囲んでの提督集合絵がある。その絵も商館の一室といった風情で、後ろには棚や道具があれこれ描かれてあるっぽく、とっても参考にしたかったのだが、私の手元にはごく小さい画像しかないので詳細がよくわからなくて参考にするのは断念した。

 実を言えば、ネオアト2のこの集合絵や、他の方が描かれていた同人絵で1469提督たちが地図を囲む絵を見ていて、その構図とかシチュエーションに憧れていた。提督達が全員いる絵! やりたいよ!!
 しかし大人数の絵に手をつけるのは、筆が遅い自分にはそびえ立つ高峰で、とうてい描けそうにないという構えがあった。それが、稚拙ではあれ『四方の風』の人物紹介としてなんとか全員出てくる絵を描きあげられたので、まあまあ嬉しかったのだ(ミゲルのヒゲは忘れていたが……)。
 調子こいた話だが、どうせならこの絵に色も着けたかった。とかいっても本編文章および絵の線画までを描くのが精一杯で、全くその余裕はなかったが、ほんとはカラー口絵にしたかったのだ。そういうわけで、今更、下手なりの全力で塗り絵してみた次第。
 まあ色塗りだけとはいえ、疲れた。絵を描くのはほんとに体力と精神力が要る。すぐ諦めたいしすぐ雑になるし、塗っていると嫌でも自分の描くものがなんもかんもアホほど歪んでいるのも見えてほとほとうんざりする。それでもまあ、楽しいには楽しい。推したちをやりたいだけ時間かけて描けるってのは、なかなか楽しい。できあがった絵には不足も不満もいろいろあるが、なんとか塗り終わったという満足はある。
 とはいえ、ちょっとこの絵に時間掛けすぎたので、ここで終わりにして、次の推し作業に移るつもりだ。
 絵は近いうちサイトのらくがきにアップしとく。
 その他、サイトのコンテンツもいろいろ追加しなきゃいけない。『四方の風』のPDF版はBOOTHでダウンロードして読めるけど、サイトの方にテキストでもあげておきたいのだ。しばらくは去年のデータの整理とアップロードを当面の作業にしよかな。

メモ,日記,ネオアトラス 編集

 ふと、中島敦の『弟子』を思い出し、読み返して、やっぱり泣いてしまった。
 子路。乱暴で真っ直ぐで子供っぽくもあれば父性的でもある、中島敦の描いた子路。その大きすぎる敬愛が、孔子には届いたのか届いてなかったのか。最後の段落では、物語中再々書かれる孔子の肩透かしな弁舌の感じを食らったような感じがなんだか、今回読んでもやっぱりある。その反応かよ〜、みたいな。しかし、それでも、他人から見たらそうであってもやっぱり孔子に変わらず愛を向けただろう子路、と思うとこれまた泣いてしまう。
 こう、肉体という地面から足を離さない感じの子路がすごく良いんだよね。自分の体と生活から生まれる感情の中で、孔子に敬意と愛情を抱くにいたり、それを死ぬまでずっと変わらずまっすぐ抱き続けていて、作中でそれは愚かともまっすぐとも書かれるけど、ただそうであった、そう生きる以外を選びもしなかった子路がなんだか心に食い入って離れない。子路という人物をこのように描いた中島敦の筆にも、いつも打たれてしまう。
 最初に読んだの、もしかしたら高校の時の模試だったような気がしてるんだけど、一部分しかなかったはずだけど妙に心に残ったような(どの箇所だったかは忘れた。最後の方だったかもしれない。いや、ほんとは記憶が曖昧過ぎて、そもそも模試の問題文だったかも怪しい。幻の記憶かもしれない)
 大学入ったあとで古本屋でなんとなく『李陵・山月記』(多分新潮文庫)を買って、そこでやっと「弟子」を通して読んだんじゃなかったかな。そのときも、めちゃくちゃ切ないような、感服したような、すんっと外されたような、不思議な感じを覚えた記憶がある。
 ほんとは文庫本かなんかで、紙で、縦書きで読むのが一番だと思うけど、とりあえず青空文庫貼っておく。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/fi...

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 今日も家に帰って1時間ほどは色塗り作業するかと思っていたが、思いがけず職場で終業したとたん、近場のシャレオツイタリアンの美味ピザ食べに行こうぜ企画が突然立ち上がり、気になるなと思ってた店だったので便乗した。実際美味かった。
 飲みはしてないがまったり食べて帰りが遅くなったので、絵の作業は進まなかったが、あの味のためならいたしかたない。誘いに乗っといて良かったわ。

日記 編集

 今日は一日、絵の色塗りをしていた。
 疲れた。休み休み塗ってたけど、20時で集中力が限界で作業終了。
 まだ塗り終わらない。予定になかった服の模様とか描き始めるのが悪い。
 背景も描いたほうがいいか……???とか思い始めているが、多分無理だな。
 今週の土日で塗れた範囲でやめることにする。他にやりたいことも全然あるんだ。

 とりあえずちょっと一杯飲むことにした。
 ほんとは塗り終わったときにひとり打ち上げとして飲もうかと思ってたけど、なんかもうそこまで撓めておけない。
 こないだの土曜日のドライブのとき、最後にショッピングモールなどに寄り、贈答品のコーナーなどを覗いていたらポルトガル産のワインを見つけたので二本ほど買ってしまった。ごく安いやつ。
 ヴィーニョヴェルデとロゼ。今日はロゼを一杯ひっかける。
 開けたらすぐ飲まなきゃなので、多分、しばらくはちょいちょい飲む。

日記 編集

昨日は友人の車に乗せてもらい、北向けに長めのドライブに行ってきた。
写真はスマホに入ってるのであとで追加でうぷる
コンクリ建築とか花とかイノシシとかヒカゲヘゴとかサキシマスオウなどを見てきた

 行きに高速乗ったとき、途中で寄ったSAで自分用のおみやげで大東羊羹というのを買ったが、美味しかった。
 私が買ったのはえんどう豆の羊羹。うぐいす色で柔らかいあっさりめの甘さだった。他に黒糖塩餡とか種類があるらしい。黒糖塩餡食べたいな~。
 いつか大東島に旅行行こう。

メモ,日記 編集

 なんとなく今日も飲み物がらみの話。
 私はいつも、Twiningsの5種類のティーバッグがはいったアソートのパックを買っている。紅茶に詳しくもないしこだわりもないが、飲もうと思ったときに気分や場面に合わせて選んだという気になれるとなんか嬉しいからだ。
 紅茶に詳しくはないので、茶のちゃんとした入れ方は知らない。ありがたいことにティーバッグの個包装の裏面には、ティーバッグを湯に漬けてから待つべき時間がそれぞれの茶葉に応じて印刷してある。
 たとえばついさきほども茶を淹れたとこだが、それは青色の包装のレディグレイというやつで、パッケージの裏には「1.5minutes」と書いてあった。これが紫の包装のダージリンだと2minutesで、ちゃんと葉の種類によって違う。
 たいてい他のことをしながら茶を淹れているので、ここに書いてある時間をちゃんと守れないことのほうが多いが、いちおうは毎度キッチンタイマーをセットし、できるだけパッケージの指示に沿うようにと心がけている。
 カレールーなんかも、あれこれ小細工を弄するよりもパッケージ裏に記載されている量と手順に従うのがいちばん美味いのだと聞いたことがある。その商品を開発し売っている人びとこそが、その商品の良さを最大限に引き出すやりかたを最も知っているはずだというわけで、これは物作りのプロや技術屋に対する信頼みたいなものだと思う。
 そういうわけで私はハウスのバーモントカレーも、S&Bのゴールデンカレーも、それぞれの箱に従って作る。これらの会社はきっと物作りにプライドのある会社だとどこかで信じている。トワイニングスも、きっとそうだろうと信じて、ティーバッグに熱湯注いだらなんとなく袋に書かれた時間を待つ。
 こういうのは、いまどき大企業であるメーカーの都合で出された情報に安易に盲従する愚かな消費者なのかもしれないとも思うが、一方で、これはいままで激戦の食品業界で鍛えられてきた物作りのプロに対する信頼なのだと思っている。これらの企業にはきっと、何十年と、安く美味く家庭の味をよくすることを目当てとし、律してきたところがあるはずだと。理念があるはずだと。

 けども最近、というかここ十年、二十年の長いスパンで日本の経済が停滞し衰退していっているといわれるなかで、なんとなく自分の中の、大企業の物作りのプライドへの信頼は揺らぎつつあると、ふと思うこともある。
 今のところ食べ物ではあんまりそう感じたことはないけど、日常用品、鍋とかトイレットペーパーとか急須とか、そういうモノを買い換えてしばらく使っていると、設計に甘さがあって使いにくかったり、造りが雑で部分的に破損したり、みたいなことがちょいちょいあるような気がしているのだ。
 百均の商品なんかはその最たるモノだが、まあ百均てのはもともとそういうもので、安さ手軽さと引き換えに最低限の用途に足りるか足らんかみたいなモノを寄越してくる商売だからしょうがない。しかし、この百均的な安さ至上の感覚が市場を席巻した結果、小売りで買える日用品の全体、値段のなかでもしっかりを保持していた最低限の底が抜け、まあコスト的にこんな感じでいいっしょ、多少の不具合もまあスルーされるっしょ、みたいになってるような、ような。
 まあ、なんとなくである。もちろんなんかの資料を確認をしたわけでもないし自分で統計を取ったわけでもない。だからこれはなんとなくのお気持ちだ。
 ただ、造作がしっかりキマってて使い勝手の良い、長らく使えるような道具をそこらの小売りでぽんと買えるってことは実際、少なくなったなあと思う。そもそもまず選択肢が百均しかない、みたいなことが増えた。洗濯ネットとか、百均のやつはすぐ壊れるしラインナップがコロコロ変わって、前使ってたちょうど良いサイズのやつとかが手に入らなくなったりするんで好きじゃないんだけど、他の場所にあんまりこういうちょっとしたものって、売ってなくなっちゃったので、しょうがなく百均のものを買ってはすぐ壊して買い換えている。

 そう。
 ボーイングが作る飛行機がズタボロらしいって話を聞いていると、なんだろうなあ、ものづくりとは……みたいな気になる。飛行機という、絶対的な安全と信頼を求められる製品の業界ですらこういうことになるのだから、日用品の製造現場なんてもうとっくにズタボロなんだろう。
 それでもなお、私は、食べ物のメーカーが市場に送り出してくる商品を、そこに書いてある最善手を、信じることにしている。まだそこに、ギリギリなのかもしれないが、なにがしかのプライドが、倫理観が、理念が、そういう金にならないコスパの悪いやっかいものが、生き残って顔を覗かせているような気がしている。それが正しいんだか、得なんだかはよくわからない。多分間違っているし、はき違えているんだろうという気持ちもあるが、せっかく、どこかで誰かが、わざわざ1.5minutesと、パッケージに書き置いてくれたのだから、その言葉を受け取りたいなあという気持ちがどうにも捨てられない。

追記:
なんかいい話っぽくまとめたし、正義面が匂ってきそうなので自分で補足しておくが、別にものづくりにプライドとか倫理とかがあるべきだということではない。ただ、そういうものがなかった時代の悲惨ないくつもの大事故を超えて、二十世紀後半には、ものというのは使いやすく、安全で、なおかつ安くて手に入れやすい、多数の幸福を満たす大量生産、というのを目指す世界だったような気がしているという話だ。これは企業のものづくり現場の人びとの意識や努力だけでもなく、暮しの手帖のようなかたちで市民の意識が(※2024-03-17 11:25修正。当初、主婦の友と書いてたが単純なミス。ここでは暮しの手帖の商品テスト企画のことを言いたかった。https://www.kurashi-no-techo.co.jp/blog/...)企業の作るモノを問い詰めた、そういう社会の払った手間も含めて成り立った世界だったが、資本主義の発展とグローバリズムの中で、その世界はたぶん変容し、瓦解していっているのかもしれないなあと思う。そしてそれは悪であるとはいえない。善であるともいえないが。ただ人類のものづくりのスタイルが、今までの数千年と同様、着々と変わっていっているということなのだろう。
 その変化の隙間隙間で見える、より良くあれ、を望んでしまう、誰かの言葉の断片に、私が執着しているというだけだ。

日記 編集

 最近、コーヒーや紅茶をコーヒーサーバーに作って、カップに注ごうとすると脇にこぼしてしまうことがあった。なんでだと思ってたが、どうやら、サーバーの取っ手と注ぎ口の位置がいつのまにか微妙にズレていたらしい。


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 ズレてたの直したから、多分これからはあんまりこぼさないで済むと思う。
 原因がほんとにこのズレにあるのかはちょっと自信が無いので、ほんとにエラーを再現せずに済むのかもやや自信がないが、まあ、たぶん。大丈夫じゃないかな。
 それにしてもこういうことに全然気付かないで、だいぶ経ってからふと、ああそうかあ、と合点することが多い。
 だいたいぼんやりと生きている。

日記 編集

 仕事の繁忙極大期には日々呻くようにカラオケに行きたいと言っていたのだが、繁忙が過ぎるとそうでもなくなった。
 何時間も作業するとわかってるときはBGMかけてることが多くて、いろいろ歌いたいなあの気持ちが高まっていたというのもあるが、なにより、とにかく仕事の作業とはかけはなれたことをしたい、という気持ちだったのだろう。
 まあカラオケは行きたいんだけど、とりあえず今は、家でオタ趣味の絵の色塗りを存分に取り組めてることになかなか満たされている。無駄に時間かけてるなと思うけど、締切も他の作業との並行も工程組みも考えずに黙々とペンを動かしていればいいことは、深く癒やしと楽しみがあるわね(仕事には仕事のやりがいもあるけどもさ、やっぱ好きに推しの絵とか文書いてるときの満足感たらね)

日記 編集

 土日、そして今日も、色塗りをしている。
 冬コミで出した『四方の風』の頭に、人物紹介の絵を入れてたんだけど、これに色をつけたいのだ。
 しかし、ペン画が本当に気に食わなすぎて、やっぱ鉛筆で主線弾き直そうというわけで、主線トレースから作業が始まっている。これがまた全然進まない。実は1月初めくらいに手をつけてたんだけど、そのあと主線直しが終わらないまま仕事のほうでデスマーチが始まり、趣味のお絵描きは中途半端な段階でしばらく放置してたのだ。この土日でやっと主線あらあら終わらせたというところ。でも、今日はまだ色のイメージつかむためのラフのさらにラフみたいな色つけしただけで、全然塗りの作業に入れてない。し、ラフに色つけてとっくりみてたら、いやちょっと表情というか目線少し直したいとか、マリアちゃんの身長ちょっと高すぎたし位置も微妙だな少し直したいなとか、主線段階の修正をしたいとこがわらわら出てしまった。
 こんなに時間掛けてこの絵に色を塗ることにもはやたいして意味がない気もしてきたけど、これは意地だ。なんかとりあえずこの絵に色着けた状態を見たい。見たかったら自分で塗る以外にない。とりあえずがんばってみる。途中で心折れて諦めるかもしれんけど、できるだけ折れないようにがんばる。
20240311233608-karakusa.png

日記 編集

 まずおへんじが冗長で鬱陶しいのですけど!?
 自分にキレてもしょうがないけど、ほんとうにさ! 文章が! 長い!

 そういえば、文章の冗長さもだけど、そもそもこの雑記のページのUI自体があまりうまくいってないのは気になってるので、3月内でサイトの細かいUI調整もがんばっていきたいなあ。
 雑記も、小説置き場の小説も、自分の手持ちの古いスマホで見ると幅調整がうまく設定できてなくて、固定幅になってて端が見切れて読みにくかったりしてるんだよね。あとこの雑記のページの画像、サイズが原寸のままでしか載せれないのとかどうにかしたい。

メモ 編集

 ぼぉぁーー! 見られている!
 雑記読んでますとコメントくださった方、ありがとうございます!

 マジで誰にも読まれてないと思いつつも、誰かに読まれる前提で文章を書こうという気持ちは維持すっぞ!と思ってはいたものの、正直ここのところはだいぶ緩んでおり、めたくそ読みにくい文章を連ねていたところなので、引き締まりました。
 とはいえ雑記は、ツイッターの字数だとうるさくなりそうな長さの、そのときどき思いついたなにかをちょっと長めに書き留めとくスペース、として運用してる部分もあり、この先も、あんまり読み手フレンドリーではない、独りよがりなダラダラ駄文を書いていきそうなのですが、できるかぎりどなたか読み手がいらっしゃるかもしれない!ということは意識に置きながら書いていこうと思います。
 あ、いやその、しかし読み手を意識といっても、ウケ取りに行くとかなんかおもろい話しないととか、そういうレベルのことではなくですね、他者が読んでも文意を理解できる程度に崩壊してない文章を書く、その最低限のラインは維持しようね、というくらいの意味合いですね、志だいぶ低いですけども……
 そういう代物なので、お読みいただいてまことに恐縮の至りなのですが、今後も、もしお暇つぶしにでもなりますようなら、ご随意にご笑覧いただければ幸いです。

おへんじ・エアリプ 編集

 仕事、ひとだんらく!!
 やったーー!! 今年ものりきったーー!!
 いやまだ完了ではないんだけど、自分の責任でやる作業範囲はだいたい終わったので。
 今年は前年や前々年にくらべるとだいぶ楽だったが、それでも2月後半からの2週間はずーーーっとこの作業やってないと終わらなかった。いろいろ事情があり持ち帰りで作業してたので、家でもずっと仕事してる状態。そして結局、締め切りギリギリまであくせくするっていう。
 まあでもとにかく無事に次工程に送り出せたからね、私はがんばった。えらい。
 昨日は安心してよく寝た。そして今日は、仕事をしないでも良く、家で好きなだけ好きなことをしてて良い休日だ。ああ、なんて開放感。

日記 編集

 よし順調に仕事が切羽つまってるぞ!
 こういうときこそ、ふと思いついたことをメモしておきたいんだけど、そのうち(つまり仕事が一段落したら)最近追って読んでる好きな漫画とかどっかにメモと感想とおすすめ事項、書いておきたいな。たぶんツイッターで、ちょっと長くなるかなとは思うけど。
 ある程度の量だとここに書くのが良さそうだけど、ここ人に読まれないからな。他人におすすめもしたいし、感想というほどまとまってなくても作者さんに読んだよがうっすら伝わるといいなというのもあるから、多分ツイッター。
 アンナ・コムネナとブルターニュ花嫁異聞と騎士譚と騎士王の食卓は絶対に入る。欧州中世まみれすぎるけど。あとこう、なろう系というかネット漫画系でいくつか……悪役令嬢転生おじさんをちゃんと推し書いときたいかな。あと真面目系天然令嬢もめちゃくちゃ推したい。絵も話もだいぶ好き。あと死に戻り令嬢の仮初め結婚コミカライズとか悪し妻語りとか、なんかこう好きなやつ。
 悪し妻は、めちゃくちゃすごい作品だから読んで!みたいなノリではないんだけど、絵と雰囲気がとにかく好みの味わいで、知ってほしいなあ、と。しかし、どうも長期休載に入っちゃったらしいんだよなあ。そもそも作品自体、ハーレクインだし和風だしストーリーもジャンルによくある感じっちゃよくある感じだしで、ぶっちゃけ一般ウケするキャッチーさやマニアックウケするぶっとんだところや尖ったところもなく、人に薦めにくいのは正直ある。でも落ち着き感がすごく良いんだよね。ジャンルの他作品だと多分あまりない(このジャンルの作品あまり読まないから感覚で物言ってるけど)しんと空気感のある絵のたたずまいがまあとにかくなんか好みで、この作品のここんとこ無性に好きなんだよなあ、を言語化しておく意味が(私にとっては)ある作品な気がする。
 絵が好きといえば、ツイッターに最終巻の感想だけ書いた北欧貴族と猛禽妻コミカライズも、作品の物語全体もすきだけどなんといっても絵を推したい漫画。あと居酒屋のぶは、原作小説もコミカライズ両方も、ここ好き好き!ってのをまとめて書きたいなと思っている。他になろう系だと魔道具師ダリアのコミカライズもけっこう面白いなあと思ってて、新刊出たらすかさず読んでる。
 もうちょっとメジャーというか、ジャンル外にも妙に知名度ありそうなあたりだとヘテロゲニアリンギスティコも(そもそもヘテロゲニアリンギスティコのジャンルってなんだ)。ああ、あと、今更ながらダンジョン飯を、完結したことでますますオススメしたい。
 異種族レビュアーズはどうしようw 感想というか、五竜亭やクロちゃんのRPG千夜一夜とかの思い出なんかを合わせて、こういうとこ良きよねえを書いておきたいけど……しかし私もソードワールドリプレイとクロちゃんとかは読んではいたけど、TRPG遊んでる人ではないからなあ。中高生頃、TRPG遊べる仲間がいないままリプレイやルールブックだけ読み物として摂取してて、結局そのあともTRPG遊ぶ機会がないまま生きている。今、クトゥルフ周りとプレイ動画配信のおかげでTRPGがわりとメジャー趣味として楽しまれる環境になってきてるらしいんだけど、動画は全般に不得意のため配信見る元気はなく、しかも今人気のホラー系や人狼とかはそこまで積極的に好むジャンルじゃないので全然内容を把握してなくて、TRPGについて、って感じでは書きづらいんだよね。
 それにしてもここまでラインナップ見てても思うけど、ハイファンタジーに魂が引きこもりすぎているな。あとすでに推したい作品量が多すぎでは(ほんとにこんだけツイッターに書くの? どーしよ)

追記:速水螺旋人作品も推したいわねえ、大砲とスタンプもだけど、男爵も捨てがたい。大砲とスタンプも物語の締め方すごく良かったけど、男爵の締め方がほんともう好き!好っき!!でしょうがない。あと、ゆうきまさみ作品、今連載中の新九郎奔るも面白いけど、この3月からドラマ始まるらしい白暮のクロニクルをちょっと書きたいかも。悪に対する決着のつけかた、それがすごく、ずっと響いているので……でもネタバレになっちゃうからな(とあるドメジャー作品と比較したいんだけどどっちものネタバレになる)。

メモ 編集

 家で作業してると、なんだか妙に集中が切れる。
 作業BGMがちょっとエモみがあるとつい聴き込んで、なんか感極まると言うか、切なさで動揺する。なんでもかんでも過ぎてなくなってしまう、そんな無常への悲しさが湧く。
 なんだこれ、と思ってたけど、なんとなくこのしんどさにはぼんやりと覚えがある。あれだ、年度末進行と猫の看取りが重なってたので、この時期になると体がそれ思い出してるな、と気づく。
 一昨年か。
 そのときの具体的なしんどさはほとんど思い出せず、たいして辛かったという記憶もないが、同じ時期に似たシチュエーションで机に向かってるときだけ、確かにまあまあ(あくまで自分比較でだけど)心身ともにいっぱいいっぱいだったのかなと肌感覚で思い出す。
 2年前、締切までに間に合わせて仕事を仕上げなきゃというので、猫の寝床を背にしながら、背中にうっすら弱り行く猫の気配を気にしながら、徹夜でパソコンに向かい続けていた。張り詰めていていっそ淡々としてた日々だった、ような気がする。あまり思い出せないが。
 2月、そして3月、同じように締切に焦りながらパソコンに向かってるときだけ、感覚がそっと体に蘇ってくる。いろいろてんやわんやをギリギリ心に詰め込んで抱えていた日々を、頭は覚えていないが背中や手のひらやなんかが覚えている。
 猫の看取りについては元々あれこれと後悔がある。最後の一月や二月の話だけでもなく、慢性腎不全がわかった数年前、さらにその前、猫を拾って飼い始めた頃まで遡っての、あれで良かったのかなあ、という問い。生き物を飼うことにはなにがしかの罪悪感がつきまとうだろうということは、猫を飼い始めたときから死ぬまで、ずっと考え続けてきたことだ。生き物を飼って看取った経験のある人なら大小はあれ、そういう気持ちをどこか持っているかも知れない、などと考える。私は人と比べて格別に猫の喪失に苦しんでいるというわけではない。いつかそうなるだろうとはずっと予期しつづけていたのだから。
 私は、あの猫を飼うかと腹を括ったとき、こうした一切を確かに考え、確かに了承していた。とはいえ、生き物と暮らした記憶や感情が、頭の中に思い起こされるより、どちらかというと体の内で鳴るようなものとは、あまりわかっていなかったなと思う。
 この肌の感覚そのもの、猫が弱り死んでいくあの時間を体が覚えていること自体が、猫と暮らした日々が私の内に沈殿したことの仕上げになっている。その時間は誰にも共有され得ない。しかし私はただ自分にとってのみ、この沈殿を大事なものだと思っているのだ。

メモ 編集

 プラニスフェーリオ第二版の増刷が届いた!
 冬コミのときに売り切ってしまって、自分の手元になかったので増刷するときに1冊だけじゃなんとなくさみしいなということで、4冊刷ってしまった。
 BOOTHに置いておいたところで、これが売れるあてはまーーーったくないんだけど、それでも格好だけでいいから、ネオアトラスの同人誌(物理)が実在するし買えるんだ、という状況を置いときたい、そんな感じ。
 それで、BOOTHを更新ついでに前から気になっていた、このサイトトップのメッセージ欄を少し縮小しておいた。
 私自身がだらだらと冗長に文章を書く気質なのでこんくらいでいいかと思って据えてたんだけど、いや最大3000字で書き込み欄5行はちょっとサイトトップに置くにしては、なんだ、こう、ボリュームの圧が強いだろとはうすうす感じていたのだ。
 といってメッセージ欄をなくしちゃうと、サイト見た人が私に連絡したいときの手段がなくなっちゃう可能性があるので(ツイッターもいつまで運用するやら、ほんと迷ってるんだよね)念のため置いておく。

 それにしてもサイト、いろいろ手を入れたいが、3月後半までは手をつけられない。
 毎年のことだけど仕事の進捗関係で、やはり2月に入ってから3月半ばまでは家でも持ち帰り作業するペースじゃないと無理げで、今は趣味の活動をあれこれできない。のでいろいろ寝かせておく。ツイッターもちょっと静かになると思う。春までは仕事がんばる……きっと春になったら、土の温度と湿度が上がってイキイキしはじめたミミズみたいにがんばるね。

お知らせ,メモ,日記 編集

 つい先日、ハイキューコラボのクリアファイルほしい!という同僚に付き合って、同僚わやわや4名ほどでココスに行ってきた。
 結果、6枚ものクリアファイルがゲットでき、第一期配布の4種類全部揃ったのでめでたかった。もしかして2期目、3期目と付き合わされる可能性が出てきたが、先のことは考えない。
 言い出しっぺの者以外の全員、もちろん私も、ハイキューは作品名くらいしか知らないという有り様だったが、久々にがつっと肉を食えたし、おしゃべり楽しかったからナイスイベントだった。
 それにしても久々にまとまった肉塊を食べたからかそれはそれで肉への欲が刺激され、なんか塊になった感じの肉を食べたい気持ちがうっすら続いているが、現実として今日の晩飯はセブンのレトルトのナポリタンソースをぶっかけたパスタだった。
 おいしく食べたけど、ちょっとだけ、心のどこかに肉を噛み締めたい気持ちが残っている。これを私の脳内方言としてだけ、残心と呼びたい。一般的にそういう意味ではまったくないことはよくわかっている。

日記 編集

 なんとなく、冬コミで出した個人誌『四方の風』の感想ほしいなあという気持ちがある。とはいえ実際に読んだ方から反応や感想もっとほしいんだよクレクレよ~、という感想への強い飢えではなく、漠然とした、あれは読み物としてどうなんですかね、と顔のない誰かに聞きたいような感覚。
 いつもそうだが、私の文章は読み物として読めるものなのか自信がない。私はほとんど小説を読まないし、二次創作しか書いたことがない上にその量も多くない。物語文章のインプットもアウトプットも乏しい以上、私が書くものがだいぶ拙いのは間違いないが、そこを客観的に測れる自信すらない。締切に追われて慌てて書けばますますひどい。
 『四方の風』は、あまり書いたことのないタイプの短編を一気に八編、急いで書いてしまったので、これが二次創作としてですら読み物として成立してるのかどうも掴みきれないという感覚がある。
 これまでにいただいた感想や反応から判断するに、さすがに文意が汲めないレベルに崩壊しているということはなさそうなのでちょっと安堵はしてるが、ずいぶん急いで書いちゃったからな……と、漠然とした不安と罪悪感のような申し訳なさは消えない。読むのしんどいレベルの悪文だったらほんとごめん……自分ではよくわからないんだ。

 それで、有料で、作品読んで添削とかアドバイスとか感想なんかをくれるサービスがあるというので、そんなの使ってみるのはどうか、などとしばし考えていた。
 しかし、やっぱりやめにした。
 突き詰めれば、たとえ分析的に読むにしてもやはりネオアトラス知ってる人に読んでもらいたい。二次創作は、書き手にはもちろん読み手にとっても、やはり作品やキャラへの愛着とその共有感が中心にあるのであり、文章や物語としての出来不出来は副次的なものだ。
 そりゃ読みにくいよりは読みやすい方がいいに決まってるし、研鑽を怠らないのは立派な振る舞いなのだが、私自身については、立派さとかあれこれ要求するとすーぐやる気なくす怠け者なのわかってるので、あまり気張らないことにする。
 まあ、あとはぶっちゃけ金が。
 今回は『四方の風』全体に眼を通して構成とかも含めた上での、物語としての受け取りやすさ/にくさとか、読み口の良し悪しを尋ねたいんだけど、となるとそれなりに文字数があるので、料金設定安めの人に依頼しても5000円くらいしちゃいそうだった。どうせ同じ金をかけるなら既刊作品の感想ではなく、次に本にまとめるときの校正に金をぶっこむべきだ。
 そう、ココナラとかつらつら眺めてて、金払ってぜひお願いしたいな!と思ったのは、感想とか添削・アドバイスよりも、校正のほうだった。もちろんプロット出しから構想練り、添削、校正、フィードバックまで諸々見てくれる人、すなわち編集さんが一人いてくれたらめちゃくちゃありがたいが、趣味の同人誌でそれ全部に金を費やすことはできない。もしひとつだけ選ぶなら絶対に校正だ。自分で書いたものを自分一人だけで校正するのは正直無理だ。どんだけ読んでも見落とすもんね。
 もし、次回本を出すことがあれば、校正サービスマジで使ってみたいな。

メモ 編集

 大航海時代オンラインでは、港で交易品を売買して儲ける他に、交易品を材料として、縫製だの工芸だの調理だのといったスキルを使って別の交易品に加工したり、装備品や造船素材や消費アイテムを製造できたりする。
 例えば、家畜の「ヒツジ」を購入すると、船倉にヒツジのアイコンと数量が表示される。
 調理スキルで羊肉を生産するレシピ(アイテムとしてレシピ本がある。原料だけでなくレシピ持ってないと生産はできない)を実行すると、船倉には交易品「羊肉」が新たに増え、生産量に応じて原料の「ヒツジ」の数は減る、という具合だ。
 ところで、縫製スキル持ちであれば「ヒツジ」から「羊毛」を得る選択肢もある。縫製スキルで「羊毛」生産のレシピを実行する。すると船倉には「羊毛」が増え、代わりに「ヒツジ」が減り……あれ?

 誰もが思うだろう、毛を剥がれた丸裸の羊ちゃんはどこへ消えてしまったのかと。
 毛刈りには遭っても肥育された肉体は無事なままであるはずのヒツジから、さらに羊肉も生産できるはずではないかと。

 大航海時代オンラインには初心者のチュートリアルとして航海者養成学校というシステムがあった(その後、さらなるアップデートでチュートリアルは別のシステムに代わり、養成学校はなくなってしまった)
 クエストを請けるという形で座学&実践のカリキュラムが進む造りなのだが、この座学パートで交易担当の教官が、消える羊の謎を明かしてくれていた。
「毛を刈られたヒツジちゃんは、恥ずかしさのあまり、逃げていなくなっちゃうんです!」
(※航海者養成学校がなくなってしまったので正確なセリフは確かめられないが、記憶ではこんなノリ)

 というわけで、大航海時代オンラインの世界では、羊毛を得るとヒツジは消えるルールになっている。ヒツジ1頭から毛も肉も両方ゲット、とはならないさだめである。

 ところでネオアトラス1469ではふかふかの毛を持つまんまるのモフモフたちが交易品として出てくる。交易路を設定すると相手港の産物次第で、二次交易品のモフモフ帽やモフモフカーペットやモフモフギターが発生したりする。
 モフモフ製品はわりとコスパの良い交易品なので、モフモフ使った交易路はよく設定している。
 しかし、同じく生物&発見物でありながら交易品となるドードーの場合、あんまり取引すると絶滅してしまう設定になっている。
 史実ではドードーは飛ぶことができず動きも素早くなかったので、人類にとっては捕獲が容易で、食肉として乱獲されたらしい。
 ネオアトラス1469では二次加工品としてドードーの羽をあしらったドードー帽が登場しており、食肉となったという話は出てこないのだが、ともあれ交易を続けていればドードーは減っていき、やがて生産されなくなる。彼らは人間に捕まえられたらなんらかの形で生命を奪われ、子孫を残せはしないようだ……
 モフモフたちはどうやら北の地で大量に繁殖してるようで、どれだけ取引をしても絶滅はしない。しかし、やっぱり毛を取るために大量に屠殺されたりしてんのかな〜……と暗い想像をしてしまう。そんなわけで毎度うっすら後ろめたい気持ちでモフモフ交易路を設定してたのだが、大航海時代オンラインの世界ルールをネオアトラスにも適用していいのなら、もしかしたら交易品として扱われたモフモフたちは、毛を刈られてしまってるだけかもしれない。あのもっふりとした毛を刈られ、モフモフにあるべきもふもふ感を喪失したことでアイデンティティの危機を感じ、一時的に逃げちゃってるだけなのかもしれない。そう思うことにした。
 ところで毛を刈られたモフモフの姿、あまり想像がつかない。どんなんだろ。わりとミステリーだなあ。

ネオアトラス,海や船 編集

 今日は仕事帰りに同僚とおしゃべりしてたら、たこ焼きかお好み焼き食べてえって話になり、彼女の車で急遽たこ焼き屋の屋台を探しにドライブした。
 私も彼女もあまりマヨネーズや味の濃いソースが好きなほうではないのだが、中身とろとろなたこ焼きは好きだ。近所にたまにたこ焼き屋の屋台が出てるスーパーがあったのだが、ここ最近、そのたこ焼き屋は回ってきてくれない。案の定そのスーパーにたこ焼き屋台はおらず、別でたこ焼き屋台を見かけたことがある、と同僚がちょっと遠方まで車を走らせてくれたが、やはりそこにもたこ焼き屋台は見当たらない。
 銀だこが入ってるイオンとかは途中にあったが、我々が求めていたのは銀だこのたこ焼きではない。揚がってない、しなっと湿気でへちょってるやつがいいのだ。
 そこで同僚がふいに、そういえば近くに明石焼きのテイクアウトのお店ができてたはず、と思い出した。行ってみたら、ちゃんとお店があったし、開いてた! 我々はとろふわの丸い粉もんに無事にたどり着いたのだ。
 というわけで、寒い中のまあまあのドライブで手に入れた明石焼きは実に最適解だった。とろとろでふわふわで優しい味。だし汁も飲める。だし汁ほっかほか。沁みた。
 すげー満足しつつ、帰りにちょっと飲み物買おうよ!とコンビニに寄ったとき、駐車場で空を見上げたら、星がよく見えた。雲はいくらかあったが、切れ切れの雲の隙間に冬の星がたくさん瞬いていた。
 空のもう高いところにはオリオンの全身が見え、そこから右手側、少しはなれたところのもう少し高くに明るい星が見えた。惑星なんだろうけどなにかな、とまではわからない。あとで調べたら木星だった。明るい眩しい星見ると地味にテンション上がる。
 思えば、たこ焼き屋を探して走っている途中、まだ陽が落ちてなかった時間に、太陽はかなり傾いてもうまもなく地平線にかかるだろうという位置なのに、白っぽく明るく、レモン色に空に光線を放っていて眩しかった。その光線から離れた場所は勿忘草の色、明るくよく澄んだ青だった。今日は赤い夕焼けにならないね、などと同僚と話していたのだった。今日の空はかなり空気が澄んでいたんだろう。

日記 編集

 なんでネオアトラス"1469"なんだろうとずっとぼんやり気になってて、これだからか、というほどの理由は未だに見つけてないけど、たまたま読んでた本でヴァスコ・ダ・ガマの生まれ年が1469年とされてて、おやなんかすごい見たことある数字ぞ???となった。
 そうだったっけと思ってwikipediaさんに尋ねると、1460年生まれと挙げてあるが1469年説もあり、的に書かれていた。
 他に1469年というと国王マヌエル1世も誕生している。とはいえマヌエル1世は生まれた時点では王位からは遠かった。当時の国王アフォンソ5世の弟の子、つまり甥であるが、兄弟の中では下の方で、上に兄も多くいたのだ。アフォンソ5世の子で次代の王であったジョアン2世が王太子を若くして失い、またその頃にはマヌエルの兄たちもすでに没していて、王位を継ぐことになった。ヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ大陸南端周りでインド到達を成し遂げたのはマヌエル1世の治世のことで、大航海時代初期のポルトガル王国黄金期の王である。
 とはいえ、ヴァスコ・ダ・ガマにしろマヌエル1世にしろ、その生まれ年がネオアトラスが1469年からはじまることとはっきりした関連があるとも言えず、なんか他にもあるのかなあ、という気分は抜けない。
 調べてて他に出てきたのは、カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世の結婚が1469年だった。結婚によってカスティーリャとアラゴンは統合され、スペイン王国と呼ばれるようになる。大航海時代に海洋に覇を唱えたスペイン王国の発端がそこにある。そしてスペインの君主としてのイサベル1世は、後にコロンブスの西周り航路チャレンジを支援することに……が、イサベル1世とフェルナンド2世の結婚自体が、直接的にネオアトラスの世界にフックするというわけでもない。
 要するに、やっぱりよくわからん、なのだが、とにかくこの時期というのは大航海時代のほんとに初っ端だというのは改めて認識した。なにせアフォンソ5世の時代にはヴェルデ到達がやっと。まさに、ネオアトラス開始時にかろうじて雲がかかっていない範囲が現実として当時のヨーロッパ人の認識が届く最大の範囲であり、そこを越えた先は何もわからなかった時代がこの頃なのだ。

ネオアトラス 編集

 で、ブレイバーン見たんだよお、一気に二話も。
 いやほんと気持ち悪い地球外ロボが来たな。
 1話の前半の真面目部分を除いて、あとずーーーーーーっと、
「なにこのロボ気持ち悪い」
「イサミかわいそう」
「我々はなにを見せられているんだ?」
をぐるぐるしていた。
 脚本アホほどキレキレのギャグテンポなので、ずっと笑ってた。

 好きなセリフは「さっきからなんなんだこの歌はァァァ!!」と「すまない、産卵中に……」です。

 怯える細マッチョ軍人青年(顔も良い)の滋養すごかったな……あんまりないよね、こういう転がされ方する主人公も。しかしほんとイサミかわいそう(と言いながら、かわいそうなイサミ見たさに視聴を続ける意向)。
 イサ虐の件だけでなく、今のところ物語全体を通してもほっこりとか安心できる要素がほぼない。あんなに信頼も信用も出来ない、油断ならない正義のロボット初めて見たわ。言動こそ正義の味方してるけど、性根においてイサミ以外の人類も等しく優しく護ろうという理念やフェアネス精神を保持してそうな気が1ミリもしない。
 ルイス・スミスも、アメリカン臭さこそすごいが好青年でイサミの唯一の希望っぽいけど、なんか天然というか筋が一本ズレてるしなあ。そこ含めていいキャラだけど。

 ていうか2話で初出のエンディングなに? ほんとなに?
 あれ3話以降もずっとあれなの??? 本気???

追記
 ブレイバーンはイサミ以外の人類を護る気あんまなさそう、とか書いたけど、よく考えたらあのロボ、イサミだけは護りたい感もなかったな。一方的にイサミを乗せることに熱い執着を向けてるだけで、イサミ自身の心身を思いやるようなことはほとんどなにも言っていないし、してもいない。なんなんだあいつ。
(イサ虐、いまのとこギャグとして笑えてるし面白がってるけどスレスレなとこにはあるので、バランスがあとちょっと露悪やえげつないほうに振れたら、私は見れなくはなるなとは。多分大丈夫じゃないかなと思ってはいるが)
 あと、イサミのこと細マッチョって書いたけど、普通に屈強な筋肉野郎だしあちこちがっしりだね。私の細マッチョ概念がやや広すぎ。言い訳すると、スミスの筋肉の厚みと量に比べるとイサミはだいぶシュッとして見えたからさ……

日記 編集

 今朝、の続き。
 最近見てる人気のアニメとか漫画とか長文で感想書いてるやつ。
 自覚あるけど、わりと分析的に見てるんだよなあ。面白いしよく出来てるなと思って楽しんでるけど、メタ的なことを考えて見てるってのは、ずっぽりハマってるってのとはやっぱ違うんだよね。
 ちょっと前に一気読みしたベルセルクとかもそうだ……いや好きなんだけど、キャラにも思い入れもあるけど、物語読んでるときはそれなりにのめりこんでるけど。それでも、どこかで、これのどこがどう自分に響いてるのかな、世間ではどこが響いてるのかな、などと考える余裕がある。
 二次を書くほどのやつってのは、分析はできてないし、多分これからもできない。なんで自分はこれが良いと思って囚われてるのかわからない。でも私はすげー好き。作品全体、そこに描かれた世界まるごとが、どういうわけでか、自分にとって妙に特別なものになってしまっているんだろう。
 そういう作品はあまりたくさんはなくて、自分の場合は、それが指輪物語とアースシーシリーズとFF3に限定されてた。そこにネオアトラス1469が追加された。この4つの作品は、前近代的な世界が舞台という共通項はあるけど、自分がその作品それぞれに見ている良さみはそれぞれ、だいぶ違うところにあるとは思う。
 それと、二次を書きだすというのはまたなんかちょっといろいろ条件あって、指輪やアースシーは二次書くという感じじゃなかったりする。ただしFF3は二次をちょっと書いてたことがある。多分、もともと小説でがっつりストーリーの鉄筋がある指輪やアースシーシリーズと比べて、ゲームであるFF3やネオアトはもう少し物語の筋が端的だし、ふわらっとしているせいかもしれない。一次作品がゲームだと、その世界についてふんわりテキストやデジタル絵やBGMで総合的に顕されたもの、端的に説明されたストーリーのうちの、明白には語られていない部分を、自分なりに思い描いて、文字でとっくり表現してみる楽しさはある。
 そういえば、二次をいちおうは書いてたけど今はそれほどのめりこんでないという作品もいくつかある。シナリオや、絵とか、キャラのエピソードとか、いろいろものすごくぶっ刺さって、一定の期間わーっと二次創作したい欲は湧くんだけど、いくつか話を書いたら満足する。世界と物語自体に囚われるまではいかなかったのだ、おそらく。
 例えばマッドマックス怒りのデスロードとかすげーハマってるし今でも好きだし、そういえばモアナとかもすげーハマったし今でも好きなんだけど、MMFRは二次創作は1作だけ書き上げて満足した。何個か書きかけてた二次話もあったけど、完遂まで行く前に創作欲の熱は下がって、ただ視聴する一方での大好き作品の枠に落ち着いた。モアナも、なーんかちょっと話をひとつ書きたいなくらいのとこまで、喉元まで言葉がせりあがってくるみたいな感覚があったんだけど、結局書かないでそのまま、めっちゃ好き、くらいに落ち着いた。
 舞台になってる世界に対する思い入れ、なのかなあ。
 物語やキャラに気持ちががーっとのめりこんで、めっちゃいろいろ考えて、それで描かれた世界も印象的で……ってなると二次書きたくなるんだけど、それだけではまだ書き出さない。
 作品に描かれた世界自体がどうしようもないくらいの自分の内部にのめり込んできて、自分にとってはどこかに世界がまるごと存在し始めるような、世界の存在感や手触りがしっとり重みをもつような、そうなるとなんか、ずーっと残るし、二次を書き始めたりもする、のかな。
 よくわからないな。べつに考えるようなことでもないかもしれない。ただちょっと、こう、考えてみると不思議だけど、自分にとっては自明な感覚を、文字でメモしておきたかった。

 いずれ、二次創作を書く意欲は落ち着くのかもしれない。でもまあ、まだなんか、こう、まだまだ……推しの良さみを噛みしめたい。ネオアトラス、ああいうゲームだから余白がたいへんいっぱいある。そこに埋もれてありそうな(自分の主観ではもはや確実あるはずくらいに思っている)風景を、自分自身が手に取りたいんだろう。

 そして他人が書いた二次創作は、めちゃくちゃ尊い、ありがたい、そしていつでもウェルカム。読みたい! よそ様の愛好するいろんなネオアトラスも、味わいたいよ!

 そういえばゲ謎みたいな、爆発的に二次創作が生産されてる人気ジャンルをうっすら横目に見ていると、こ、この量が当たり前なのか……と圧倒される気持ちがあるよ。いいなあ。でも、もしそれほど二次創作がいっぱいあったら、多分自分では二次創作やってないだろうなあ、ってのもあるな。

ネオアトラス 編集

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