雑記

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 目が覚めたときから雨音がしている。しとしとというにはもう少し強く、ざあざあというにはもう少し密やかな雨音だ。
 そんな雨音のせいか、起きてからずっとなんだかもの悲しい。
 たまにそういう気分になる。実際にはこれという悲しいことも辛いこともないのに、やけにさみしいような悲しいような気分になる。どういう機序なんだかはわからないが、こういうのも人生、みたいな気持ちになって、さみしさにくるまれてなにかを納得する。
 ますむらひろしの、アタゴオルシリーズのどっかの話に、しとしと雨が降り、それがスクリーンのように世界を半透明に覆う街にさまよう話があった、となんとなく思い出す。霧のように降る雨は過去に死んでいった人の思いやなにかの残影で、しとしとと雨が降り胸に沁み入ると、しんと寂しさと、その他さまざまの思いが、一緒に胸に沁みとおっていく。そんな話だったような。
 これもそういう雨なのか、そうなのかもしれない。
 そういうふうに思わせるような雨が、そして物語が、どちらも私のそばにあるこの朝はまあ悪いもんじゃないなと、なんとなくそう思う。

日記 編集

 ニコ動がランサムウェア食らってストップしてる件で、2007年頃までの動画は復旧公開できたってんで、インターネット老人会が開かれているという話。
 それ以前の、テキストサイトだのhtml手打ちの個人サイトだのの時代(はてなやブログ、2chすらまだ現れてない!)を知る人々は、我々は老人どころか死体だ化石だ即身仏だと言い合っている。
 そうだよねえ、私もその世代だからねえ、わかるよ隔世の感だね……と言いたいが、本当はうっすらとパソ通の時代を知る者なので……もう少し前の世代だな……なんと名乗るべきか、そしてどうすれば良い……いやべつになにもしない……

 パソ通を経験はしてるが、さすがに草の根とかは経験してない。大手のNIFTY-Serveに加入して、パソゲやコンシューマゲームのファンが集うあたりのフォーラムに出入りして遊んでいた程度だ。確か親がパソ通始めたので、自分も使えるようにしてもらったはず。パソ通始めた当初はまだギリギリ高校生で、大学受験が終わるくらいにはじめたんだったような(実家を離れて遠隔地の大学に行くことがだいたい固まってたので、パソコン好きな父が電話以外の通信手段を持たせようとしたのだったはず。そう、まだ携帯電話も普及しておらず、ポケベル大流行期よりも少し前だった)。
 当時も今も、私はあまりパソコンに詳しいわけではないが、そんなんでも自前でPC持っててパソコン通信までやってるような学生は学科に数人しかいなかったので、希少なパソコン詳しいんちゅ扱いされてた。まあド文系学部だったしね……
 卒業までの数年でこの環境は劇的に変わり、私が卒論書く頃には大方の学生が自前のノートPCを持つようにはなった。しかし私が一年の頃の先輩たちが出した卒論は半分以上がワープロ打ちだったように思う。提出原稿には感熱紙は間違っても使うなとか注意されてたはず。というか、手書きの人すらいたと思う。なんなら別学部のどこぞのゼミでは未だに手書き原稿しか提出受け付けてない、とかいう噂すら聞いた気がする。(レポートじゃなくて卒論だよ!3部提出しなきゃいけないのに全部手書きとか、今だと信じられないし、当時でも嘘やろと思った。PC持ちは珍しくてもワープロならわりと普及してたからね)

 そういえばニフティでパソ通してた頃って、最初は確かまだPC9821のノートとか使ってた記憶があるな。まだOSはMS-DOSだったから、コマンド打ってモデム立ち上げて、そうすると今のFAXを間違って普通の電話にかけちゃったときみたいなピーギョロギョロ言う接続音が鳴って……みたいな感じだったような。
 パソコン買い替え時期の関係でwin3.1は通らずにいきなりwin95機に移行したんだけど、win95環境になってインターネットにアクセスしやすくなった。そのころもまだNIFTY-Serveで遊んでたものの(FF7の特設掲示板を見てた記憶がある)、ニフティでできた友人がどんどんインターネットに移行し始めて、自分もサイトとか作るようになったんだったと思う。
 ああ、でも、昔過ぎてさすがに細かいこともうよく覚えてないな……

メモ 編集

 4時間と少しばかり寝ると目が覚めちゃって、二度寝にも入れん。そこそこ早寝はしてるし、リズム自体は一定してるけど、明らかに睡眠時間は足りてないのでもう少し眠りたいが。鍛えるのをおろそかにし続けて生きてきた中年の肉体と精神ときたら……休息さえまともに取れないヘボさ……
(なおポケスリの都合により、二度寝できないままベッドで寝たふりしてごろごろしてるので、せっかく早起きしてもなにもしないでただ時間を浪費してるという、この…)

 それはともかく未明と言える時間に目が覚めてもだもだしてる今、外からはどちゃどちゃざあざあと大きな雨音が続いている。稲光と雷も一時間あまり断続的にあって、なかなかの荒れ模様だ。
 冬の終わりに雷を伴う雨に逢うと、もうすぐ春が来るのかなと季節変わりを意識するが、梅雨の終わりもやっぱり激しく雷が鳴る気がする。もうすぐ梅雨が明けて夏が来るのかもしれない。
 もしほんとに梅雨明けが近いなら、例年より少し早めの梅雨明けで、そして今年は梅雨入りがだいぶ遅かったので、短めの梅雨となる。とはいえ1ヶ月はたっぷり梅雨ってたので、来週辺りにすっきり明けていただけるのもやぶさかではない。

 それにしても春雷に比べると、夏の始めの雷はもっとごうごうと猛り狂う嵐の様相で、気合い入ってんな~感ある。

日記 編集

 一気に二つ記事を書くというムーヴ(オフ会おそらせをトップに固定しているので、いつも以上に気ままに書くことにためらいがなくなっている)

 なんとなく、ペレスのオールバックのことが気になって、リアルオールバックの画像を検索してた。
 「オールバック」で画像検索すると当然ながら日本の人のオールバック画像がいっぱい出てくるんだが、最近の日本の流行的には、オールバックはツーブロックと組み合わせるものらしく、まあかっこいいではあるけど、ペレスの立ち絵とは全然違う印象の画像ばかり出てきてしまうので参考にならない。
 英語で検索するかと思って検索してみたら、combed back hairとか、sweptback hairとか、slickedback hairとか言うらしい。撫でつけて後ろに流した髪型、てニュアンスなのねふむふむ。
 英語で検索すると当然に英語圏の画像が拾われてきて、日本人の今のトレンドよりもやはりもう少しペレスの髪型に近いイメージのものが出てきて、おっ参考になるなあと思ったのだが、今度は髭率が高い。今時の海外オシャレだと、男性はとにかく顎に髭を生やす。そして、顎までラフに髭を生やすとなると、もみあげが結構目立つのだ。
 ペレスの立ち絵見てたときはあんまりもみあげを意識してなかったので、あれ、もみあげどうなってたっけ?!私、描きにくいからって無意識にもみあげオミットしてたかな?!となり、慌ててペレス立ち絵を見返す。
 ないわけじゃないけど、やっぱペレ立ち絵だと、もみあげそんなに目立つ描かれ方ではない。そもそもネオアトラス1469の男性キャラは皆オールバックなのだが、顎髭あるゴメスやソリスはもみあげしっかりだし、逆に顎には髭がないバルディもペレス同様、あんまりもみあげは描かれてないのだった。
 ラフ髭と組み合わされてないオールバックで後ろ髪長め、てなると結構参照できる画像が減ってしまった。後ろ髪長めのヘアスタイルは、現在だとワイルドさや崩し感の演出になるので、どうしてもラフ髭と組み合わされがちなのだ。
 まあ、無人島に漂着して数日とか、アマゾネスに監禁されたとかで、無精髭が生えて、現代的にシャープなワイルドイケメンになっちゃったペレス、を描きたいときには参考として良いかもしれない。ちょっとまだ、今時風のペレスの絵面が、脳内でピント合ってこないけども(ついペレスに、そこはかとないもっさり感を求めてしまう)

メモ,ネオアトラス 編集

 ダンジョン飯のアニメがセンシ過去回に到達して、ううセンシ……!!てなったんだけど、アニメは漫画での2話分くらいで1話になる作りをしていて、後半がチェンジリング回という。感情の高低差がすごい(楽しい)
 どちらにしろセンシ回だ。前半のセンシに泣かされ、後半のセンシからは目が離せない。画面に出てくるたびずっと笑ってた。「善処する」の言い方最高だった。普段のときからセンシの声イケボで好きなんだけど、チェンジリング後は別種のイケボにちゃんとなってて声優さんすごい。チルチャックの声優さんもすごい。ちゃんとおっさん声してた。

日記 編集

【ネオアトラスオフ会企画】
「ネオアトワールドを体で感じるためにポルトガルランチを食べ、船と海に無理気味にでも親しみたい!」
 というわけで、東京銀座のポルトガル料理店でランチを食べ、お台場行ってうろうろする感じのオフ会やります。

【参加したい方は】
以下のgoogleフォームにて参加表明おねがいします!
締め切りは6月24日です。
https://forms.gle/PpyS1Xx3o2UM2pd78

【オフ会概要】
開催日 :2024年8月25日(日曜日) 11:30~
集合場所:JR有楽町駅(or地下鉄銀座駅)
お店  :ヴィラモウラ 銀座本店 (東京都中央区銀座6-2-3 ダイワ銀座アネックス B1F)
参加費用:事前徴収とかはしません。ランチセットだと一人2000円ほどです。
ランチ後は、お台場に移動して、船関係の資料館とか見学みたいな感じ。

【ランチメニューと会計について】
開催が日曜日なので、土日メニューになります。
ランチセットが結構お得です。(サラダ、パン、デザート、カフェ付きで2000円前後)
詳細や写真は、下記URLの「~土日ランチメニュー~」というところをご参照ください。
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/...

 ランチメニューにはコースもあって、4000円でお得にがっつりポル飯ランチがフルコースで楽しめますが、たぶん結構量が多いのではないかと思います(以前にディナーで食べたときの印象より)ので、個々に好みのメニューを注文して、もし他に食べたいものがあれば単品で注文追加するようなかたちで行こうかなと思います。
 唐草がまとめ会計後、それぞれの注文したメニューに応じて徴収するような感じで行こうと思います。追加で単品注文した場合はその分を割り勘。

【ランチ後】
 ランチ後はお暇があったら、唐草がお台場の先っちょらへんで船とか海とかにキャッキャしに行くのでつきあってやってくださると嬉しいです!という感じです。
 銀座-お台場間の移動が往復1000円くらいです。
 なお、お台場で唐草が行こうと思っているところは入場料無料の場所ばっかです(とはいえ、メンバーとその場のノリ次第で、行き先は変わるかもです)。

 ・とりあえずお台場に移動→
 ・(もし居れば)Amerigo Vespucci号を見にいく→
 ・海上保安庁の海洋情報資料館に行く→
 ・時間があれば東京ミナトリエにも行く
 ・夕方(18:00)前には解散くらいのスケジュール感。

 もし8月25日にお台場にイタリア海軍練習帆船Amerigo Vespucci号が入港してて見に行けるようであれば見に行きたいのですが、これはかなり不確実です。
 去年来日したチリ海軍の帆船Union号が東京国際クルーズターミナル係留だったため、もし同じ場所ならランチ場所の銀座からすぐだってことで、帆船見学をワンチャン狙ってますが、入港のタイミングや係留箇所は2,3日くらい前のかなり直前にならないとはっきりはしないです。25日だとおそらく高い確率でタイミングあわずになるかなとは思います。ほんとにワンチャンあれば……という感じです。
 でも、帆船が見られなくても、お台場のはじっこには港や船に関する資料館の類いがあるので、そこ行ってみたいなあと思っています。

Amerigo Vespucci ワールドツアー(イタリア防衛省のページ) https://www.marina.difesa.it/cosa-faccia...
東京ミナトリエ   https://www.tokyoport.or.jp/minatorie/
海上保安庁海洋情報資料館   https://www1.kaiho.mlit.go.jp/info/kokai...

上記、行きたい場所のマップ表示
https://maps.app.goo.gl/RBYtrqGY3LypZM1H...

【緊急連絡、キャンセルなど】
開催日が近づいてきたら追って参加者の緊急連絡先(電話番号など)をお伺いします。
また、その際に唐草の緊急連絡先などもお伝えします。
予定の変更等があれば、ご回答いただいた連絡先にご連絡いたします。
一度参加表明はしたが諸事情でキャンセルしたい、という場合もお気軽にご連絡くださって大丈夫です。

【その他】
 このオフ会合わせで、のぐちさんと唐草でのいつもの合同誌を出します。出そうと思ってます。きっと出る。オフ会にいらしてくださった方には直接お渡しできると思います。オフ会ついでに、いつもどおりのネオアトオタク二人の狂気に触れてやってください。

 ご参加、お待ちしております!

お知らせ 編集

 そういえば、私が幼かった昭和の末頃、大人の女の人たちだけで外でお金払って飯やおやつ食べる、今で言う女子会みたいなことをできるような外食先ってあったろうか。全くなかったわけでもないだろうとは思うけど、思えば自分の親世代の人で、特に子育て中くらいの女性はそもそも気軽に外食をするということがあまり想定されてない(世間にも、本人にも)、むしろマイナスなイメージあったかもしらんという気がちょっとする。お友達とおしゃべりするにはもっぱら自宅で持ち寄り、手作り、みたいな……自分はその頃にはまだ子供だったのと、自分の親は共働きで母もフルタイムで働いてた人なので、あんまりそのへんどういう感覚だったかわからない、はっきり覚えてもいないことではあるんだが……

 それにしても思いついたことを何でもホイホイ自サイトにメモるなし。

メモ 編集

ぼんやりとめざめたら、なんだかぽんぽん痛かばい…
というわけで、変な時間に目が覚めてしまった。トイレにこもってた間に目も冴えてしまった。
しょうがないのでメモでも。

 ChatGPTの使い方が未だに掴めていないが、インターネットやらが普及し始めたときと同じく、その技術がインフラとして当たり前に生活に存在することには慣れていったほうがよいだろう、という気はしている。
 とはいえ、AIは、今のところ私の生活に必須の技術とはなっていない。界隈を見てる感じ、プログラミング分野ではかなり必須のツールとなりつつあるようだが、私自身の生活についていえばプログラムを組むということがほとんどないので、頻繁にAIを使って時短、みたいな場面がない。

 創作物そのものをAIに作らせる、つまりAIに絵や小説を生成させることは、面白い遊びではあるが、私自身はその使い方にはあまり価値を見いだせていない。絵画であれ文学であれ音楽であれ、AIは自身のうちから吐き出される言葉を持たない(現状では)から生成物を見てそこに表出された表現を楽しむということにならない。また、AIに、私が構想し表出したいものを生成させようとスクリプトを叩き込んでも、AIはスクリプトから私自身の内にあるものを完璧に汲み取って完璧な表現として取り出してくれるわけでもない。そもそも私自身、創作の過程を楽しみたいのであって、なんとなくそれらしい完成品を手早く手にいれたいというわけではない。
 情報収集や整理については、おそらく現在のAI技術の仕組みそのものが、それらしいでたらめを吐かずに情報を収集・集約・伝達する作りにはなっていないので、今のところ調べものには向いていないなと思う。合ってるかどうかの裏取りが結構な程度で必要になるので、普通に自分で調べたほうが安心もできる。
 一方、放り込まれたデータの解析や類例や案の提示については、AIは得意そう。
 というわけで、私自身がAIを使うなら、校正支援の路線があるかなあと思っている。
 もともと類語からいくつかの案を提示、なんかはAI技術が得意とするところだろう。あと、以前に古いイタリア語歌詞の翻訳に使ったときに、品詞単位に切り分けして単語後との意味を並べていく、ということはできたから、自分で書いた文章を放り込んで、品詞単位に分解してどの品詞がいくつあるか計数させるとか、不要な単語を炙り出す支援とかに使えるかもしれない。ただし、もちろんAIの出してくる提案や統計がほんとに適切かどうかを自分でも確認する必要は常にあるが、それでも一人で校正するよりはだいぶマシだと思う。

 AIは、どうも、今なんとなく世間が期待しているほど汎用性のある技術ではなくて、使用場面が限定されるようだ。AIに、今まで人間がこなしてきた情報操作の仕事をまるっと代替させるイメージよりも、人間の作業の支援として使える場面で使う、というものだと思っておくほうがいいように思う。
 あと、チャットスタイルでAIにスクリプトを与えるという今のUIも多分、そのうち変わっていく。もう少し使いやすいUIが出るまで、ぼちぼち様子見しておく、でもいいのかなあという気がしている。

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 自分の書く小説は「ふと」をさしたる意図もなく使いすぎだということに気づいたので改めてまいりたい

メモ 編集

 梅雨に入ってしまった。
 梅雨入りが発表された一昨日21日は、潔いほど朝から夜までどしゃどしゃのどしゃに雨が降っていて、季節の移ろいは感じられたが、正直、梅雨は憂鬱。沖縄でいちばん不快な季節だと思っている。
 いや、この時期に雨が降ってくれないと万事、困るのはわかってるんだけど、しかしこの湿度、蒸し感、そして降れば土砂降り、歩いて5分のスーパーに買い物に出ただけで着替えがいるほどの、傘の意味が感じられない強力豪雨。乾かない洗濯物。干せない布団。生活のあらゆる局面が雨によって縛られていく季節が来ちゃったなっていうことにシオシオしているのだ。早く梅雨明けないかな〜(梅雨明けは平年なら6月下旬。おそらくあと1ヶ月半は梅雨)

 ところで急に話が変わるようだが一応、前段に引き続きこれも前フリである。
 最近、ツイッタとか同人界隈で、○○んちゅ、という言い方を結構な割合で見かけるようになった。○○な人、の沖縄語由来の表現だ(海ん人、と書いてウミンチュと読み、漁師を指すアレである。伝統的な沖縄語においても、〇〇な人、〇〇に属する人、という意味で汎用的に使えるし、今もよく使われる言い回しだ)。
 一時の流行りなんだろうけど、もしこれがなんとなく日本語に定着したら、琉球語由来の表現が日本語に加わることになる。ちょっと面白いなと思っている。

 ……で、本題というのは、私が真に日本語に導入したい沖縄語は○○んちゅではなく、「むちゃむちゃ」という擬態語である、という話をしたいのだ。
 沖縄に住むようになってこの語を知って二十年余、ずっと思っている。日本語は「むちゃむちゃ」を取り入れるべきだと。

 むちゃむちゃは、日本語だとべたべたと言う語が一番近い。触るとくっついてきて、ぺったりぺったりし、なかなか取れない、ひっつき続ける感じ。けども、べたべたという語ではあらわせない、独特のむちゃむちゃ感があるのだ。
 「むちゃむちゃ」はおそらく餅(もち)と関係がある語である。琉球諸語の特徴の一つとして、日本語で母音がオの段になる語に対応する語がウ段で見られる。そのため餅はムチ、蕎麦はスバと呼ぶ。だからむちゃむちゃも、日本語服の発音なら「もちもち」に当たるのかもしれないが、意味としてはむちゃむちゃは、日本語のもちもちとはかなり違う。
 そもそも沖縄の餅は搗き餅ではない。
 沖縄の伝統食であるムーチーというのがあるが、これは米粉に水を足して混ぜたものを平たく月桃の葉に伸ばしつけ、そのまま葉で包んで紐で括って蒸した食べ物だ。蒸し上がると米粉はむっちりとし、大福の皮にいくらか似た感じの柔らかな餅になるのだが、この餅は包み皮となる月桃の葉にとにかくぺったりくっついて、なかなかきれいには剥がれない。
 ムーチーを食べるときは、包み皮を手で剥ぎつつ歯や唇も総動員してうまいこと餅を葉から剥がすテクニックがいるのだが、ある程度食べ慣れてもやはり、口元や指先には餅のぺたつきがまといつくことになるのである。
 そういう、延々とぺたつく様を「むちゃむちゃ」と言うのだ。
 しかし、むちゃむちゃはただムーチーを食べたときだけに使うのではない。
 もっとも使用頻度が高いのは、たぶん梅雨。
 湿度が高くて、肌がベタつくときだ。
 梅雨の時期は、とにかく肌がむちゃむちゃする、のだ。湿度はやたらに高い、でも気温はまだそこまで高くないから汗をかいてもいない、それなのにずっと、ずうっと、果てしなく肌がむちゃむちゃする。あの、「べた」というほどではないが「ぺた」よりはもうちょっとしつこいつきまとい感は、むちゃむちゃでしか言い表せない感じなのだ。

 ちなみにむちゃむちゃは、しばらく貼ってあった布ガムテープを剥がしたときにそれが窓ガラスなんかにくっついてて、それを指先でぺたくたしてみるときも、むちゃむちゃしている、というふうに使える。ガムテ触ってたら粘着が指先自体にひっついて、指先でしつこくぺたついているのもむちゃむちゃだ。
 「むちゃむちゃ」は、とにかくしつこく、ぺたぺたがつきまとってなかなか離れない、あっちにひっつきこっちにひっつき、どうあってもつきまとう、去りやらないぺた感を表すのだ。

 日本本土は温帯に属すとはいえもともと熱帯的な様相もある高湿度の気候ではある。しかしここ十数年ばかりは、夏場はさらに東南アジアに寄った暑さと湿度に見舞われるようになっている。つまり沖縄の気候風土に近づいている、ような気がする。
 そこできっと、べたべたとかそういうのとも少し違うぺたつき感を言い表したい瞬間が、日本本土に生きる民にもすでに存在しているかもしれない。そんなときのための語が「むちゃむちゃ」である。今後、日本語でこの語が普通に使われるようになったらとても便利に思う。
 広まれ、むちゃむちゃワールド。

 ちなみに、これまた梅雨時期というか、雨や水にまつわってよく使う「じゃかじゃか」という擬態語もあって、これもなかなかに便利だなと思うが、いい加減長いのでこのへんにする。
(大雨のあと、道路とか校庭とかが薄く水に覆われてるようなのが、シャワー使ったあとのお風呂の床とかが水びたしになってるようなのがじゃかじゃかしている、なのだが、むちゃむちゃに比べるとじゃかじゃかは、なんとなくちょっと新しい言い回しのような気がする。琉球各地で編まれている方言辞書に出てこないし、年寄りが使っているのもあまり耳にした覚えがない。比較的若い世代がつかう方言かもしれない。それに比べるとむちゃむちゃは、年寄りがフルのウチナーグチで喋ってるときにも使ってる気がするので、より由緒正しいというか、沖縄らしさを感じる語意と語感である)

メモ 編集

 昨日寝る前に書いたメモ、だいぶ寝落ち寸前で朦朧としながら書いてたのでほんと何言ってんだかわかんねー文章になってる、けどまあ、自分用のメモで書いたからいっか。あのへん気になったのね、がいつか後で思い出せたらそれで良し。

 昨日のメモに盛り込めなかったけど、10日夜、ヨーロッパ各地でオーロラ観測されていたときにはアフリカやNZからも報告があったりしてたが、ひっそりと南米最南端の地域(ウシュアイアとか)でもオーロラ観測できてたらしい。
 昨晩、思い立ってUshuaiaでツイッターを検索したら、10日夜のオーロラの写真がいっぱいアップロードされていた。その写真だと、どれも濃い赤色が空の下半分に燃え上がって見えるような感じで、11日夜に北海道で見えていた見え方に近い(おそらく北海道よりはもう少しよく見えてて、肉眼でも赤い色がはっきり見えてたのではないか)。
 ウシュアイアの緯度は南緯54度、ニュージーランドよりもさらに10度近く南だ。南米最南端はかなり極に近い陸地というイメージもあって、そういえばあのへんてオーロラ結構見れたりするのか?と思ったが、日本と同じようにオーロラ帯が遠めな地域であるので、オーロラが肉眼で確認できるのは珍しかったみたいだ。ウシュアイアの人たちもなんかキャッキャして観測してる感じで楽しそうだった。良い。

 それから、今回これだけのオーロラ爆発なら、北欧や北米の高緯度地域のオーロラ爆発はさぞかしだろうに、情報も画像も全然流れてこないな……???と思ってたら、そう、北半球では夏至に向かう時期なので太陽が出ている時間がだいぶ長くなっており、空が暗い時間がかなり短いのだ。明るいとオーロラ見えないもんな。
 地球は丸くて、傾きながら回ってて、遠い太陽からの光浴びながら宇宙を動いていくと連れて地表では季節は刻々と変わっていき、でも北と南ではその季節も逆になり……
 それと、年々刻々、世界中の人々が夜空も手軽に撮れる高性能なカメラを持つようになってて、それで撮った画像をインターネットに即座に載せて世界中に広める、てのが当たり前になっているんだなあも、しみじみ思った(同時にフェイク情報の作成もめちゃくちゃ容易なので、情報発信元を良く確認しないといけなくなってる)。
 物理的な意味でもソフト的な意味でも、ほんと世界はグローバルってやつなんだな、クソデカ丸い玉の上で、みんなわちゃわちゃごちゃごちゃやってんだな、ていうことを今回のオーロラ祭でやけに実感されたのも、なんと言えばいいか、まあ、面白かった。

日記,その他 編集

 うう、この時間まで、オーロラ情報とライブカメラおっかけてしまって、ポケモンスリープの眠りの約束を全然守れんかった。

 今日、2024年5月11日の夜は、本州のあちこちでオーロラの観測成功したそうで、何十年に一度レベルなので今もちょっと興奮冷めやらない。兵庫県での観測報告にはビビった。関東(那須高原)の報告でもびっくりしたのに、兵庫だって~!! 平安時代かよ!!(平安時代は地磁気の関係で今よりも日本で赤気=オーロラが見えやすい年代だったそうだ)

 今回のオーロラ関連の話題を追ってて、いろいろ書きとめておきたいあれこれあったが、とりあえずさすがに眠いので寝る。
 メモだけ書き留めとく。
 北半球のオーロラをAurora Borealis、南半球のオーロラをAurora Australis という言い方をするらしい。葡語のツイートでオーロラをAurora Borealと書かれていたので、この呼び方はラテン語の系統なのかなと思う。
 Borealisはボレアースと関係あるんだろう。ボレアースはギリシャ神話における風の神の一人で、北風、あるいは北方位を司るそうだ。wikipediaによれば、ギリシャ神話ではこの風と方位を表す神はまとめてアネモイと呼ぶらしい。
 南北東西の順でBoreas、Notus、Euros、Zephyrosという名だ。南風の神がノトスである。ならば南半球のオーロラを言うにはノトスっぽい名前が……来ない。Australisときた。
 ラテン語の南を意味する語はAustralisなので、南のオーロラ、という意味でそのままついたのかなという感じを受けるのだが、このAustralisという語も、由来を辿るとローマ神話における風と方位の神(総称してVenti)である南風の神Austerと係わりそうだ。
 ローマ神話の風の神々Ventiは、さきほどのギリシャ神話のアネモイに相当する神であるようだが、名前はずいぶん別系統で、Aquilo、Auster、Vulturnus、Favoniusである。
 それでラテン語では、南あるいは南風を司る神はAusterであり、南のオーロラを言うには、AustalisのAurora、という言い方になる。
 一方、北あるいは北風を司る神はちゃんとローマ神話にもいて、Aquiloと呼ぶらしい。さらに、単に方位としての北や北風を指す語としてもaquilonarisとかseptentrionalisという語がある。
 ちゃんと該当する語があるのに、ギリシャ語からの借用語だろうBoreasがわざわざ使われてるのは、なんでなんだろうな。
 ……これは多分だけど、地球には北半球と南半球があるということが分かってきたのも、オーロラという語が広がったのも、おそらく大航海時代のあとの話だ。つまりAurora Borealis/Australisという語は、ラテン語っぽいけどもローマ時代から使われていた語ではなく、近代に入って学術用語として造語?された言い方なのではないか。
 ちょっとだけ、そんなことに興味が湧いたというか、より細かいディテールが知りたくて、なんでなん???と思ったのだが、深掘りするほどの追究意欲があるわけではないので、ここまでにしておく。

日記,地図や地理,その他 編集

 つまりさ。
 おじさん、リーマン、社会人。
 こういうあたりをうまく突いたら、こう、いい感じに同人的な萌え的ななにかをさ、うまく醸し出せる可能性がさ、ワンチャン……と思ったりは、その、ちょっと、ちょっとだけね、ちょっとだけだよ、した。
(同人っぽい同人を描くのに延々と憧れ続けている、ド下手クソな同人者なので)

 そうなんだよ。
 うちの推しの作品、あんなに妙齢のオジキャラに溢れているんだよ。
 リーマン似合いそうだよ、もうゴメソリロハとか、バルディとか、スーツ着せたらさ、絶対似合うって。
 ……と思うが、といって提督たちにスーツを着せたところで女子にウケるおじさんかというと、まあその、そういうラインからはなんか少しズレてるかなってのは、なんとなく、こう、うすうすと……。多分、ひょうひょうとしてないからね、あんまり。あと表から見えない隠れた資質とかもそんなにない、だいたい見たまんまなキャラ(そこが好き)

 ただ、これはゲ謎見るちょっと前からたまたま思ってた、というかたぶんポケモンSVでオモダカさんやアオキのスーツとかなんか良きわね、と思ったせいなんだけど、提督全員のスーツ姿見たいんだよな~、とは思ってる。
 なら、同人の者なんだから、自分で描けばいいさ。そうさ。
 だけどさ、なんせミゲルも入れたら9人分ものスーツ姿だよ……えっ、それぞれの体格や着こなしや好みの出てるスーツ姿を……??? そら見たいんだけどさ、自分では描けないんよ……スーツ描けないしそもそも人体描けないんだから。そんで、ちょっと前に描いた集合絵ですらあんなに時間掛かったのにスーツで全員とか、どんだけ時間かかると思……でもスーツ似合うと思うんだよ……だけど私に描く技量なんか……おおおお

 いつかは描いてみたいよね、リーマン転生提督たち。だけど道のりが、どう見ても果てしなく遠い。

追記
 そういえばこれは言っておかねばならないことなのだが、実のところネオアト同人の先駆者にして第一人者、つまり神であるのぐちさんの同人誌で、リーマンしてるロハソリゴメバルディは見ることができる。ありがたいの極みである。

https://www.pixiv.net/artworks/98638893

 最近その1ページをしゃぶるように味わい尽くしているのだが、キャラ萌えオタは強欲なので、ジャケット、ジャケット着用場面もほし、ジャケット腕にかけてるとこも見たし、あと靴と腕時計とカバンも〜、そいからもちろん女子組のスーツ(ボトムはパンツスタイル)も見たい!とかそういう。そういう強欲の話をしている。
 そんなに欲しきゃあ手前で描けよ!なんだが、自分に絵を描く能力が足りてなさすぎるので練習たくさんしなくてはスーツ書かれん、てので今ちょっと二の足を踏んでいる。あと、たまたまここ最近は、絵のらくがきより字をいっぱい書きな!というモードでという間の悪さもある。

日記 編集

 ゲゲゲの謎がアマプラ配信に来てたので見た。
 とりあえずの感想はブルースカイにざっくり書いたが、面白かったが私個人に関して言えば刺さるということはなく、いやよく出来てるし面白かったなあ、という通りいっぺん感想になる。これからちょっと長々とゲ謎について思ったあたりのことを書くが、こういうふうなので、非難ということはないのだが、大絶賛という感想でもない。とはいえ、あんまり自分のコアには刺さらなかったというだけであるし、なにより、作った人たちの努力や熱や愛が確かにある、と思えたので、良い作品だし気になった人はぜひ見てみるべきだよ!!!とは声を大にして言いたい。水木しげる作品や、妖怪やホラー、ミステリなどの全部、あるいはジャンルのどれか一つでも好きな人には確実に楽しめるし、それ以上になんか嬉しくなる作品だろうと思う。
 思う、というなんだか歯切れの悪い表現をしてしまうのは作品の質に疑義があるわけではなく、単純に私が、あまりにもこのあたりのジャンルに知見も感覚もなさ過ぎて、文脈つかめてないところがかなりあるせいだ。
 水木しげる作品については、鬼太郎のアニメ3期と、アニメ悪魔くん平成版、それからたまさか友達んちとかに転がってて読ませてもらったボンボンに載ってた鬼太郎の漫画(多分国盗り物語の飛び飛び数話)、あとなぜか墓場鬼太郎のガロ版の最初の方を、多分小学生のころに少しだけ読んでいる。そんな具合で、水木しげる作品についてそもそも語れるほどの知識がない人間の、ゲ謎へのぼんやりとまとまらない感想である。

 そういう感じで、こんなにド素人なのにもかかわらず、配信来たなら見るべし、と気合いを入れてゲ謎を見たのは、やっぱり、あれだけ熱狂的なファンを増やす作品というのはなんかすごい、ちゃんと履修しておこうと思ったからだ。冬コミC103にサークル参加したのだが、そのとき見かけたすげえ行列がゲ謎列で、こんなにぶわっと燃え上がってる熱いジャンルには、やっぱ熱いうちに触れておきたいな、と。
 結果として、なんでこんなにすごいこと沼が超高速拡大して盛り上がっているのか、正直ピンとは来てない。
 ゲ謎を見終わってからちょこちょことツイッタなどで感想を検索してて知ったが、映画公開前にキャラクターヴィジュアルが発表された時点で、すでに(おもに女性のファン層の)ボルテージが上がっていたらしい。確かに、水木もゲゲ郎もなんていうかセクシー。カオが良い。立ち姿が良い。たたずまいにすでにキャラがある。つまりまず絵が良い。だから、アニメで、映画で、この丁寧な絵作りで、というのがそもそもまず良かったのだろうと思う。
 私自身は、まず最初に、高度経済成長に向かう直前の日本の風景を描いた背景美術に見とれた。アニメーションとしても、細かな動きの描き方、その丁寧さが良いなと。ゲゲ郎が裏鬼道たちを相手に八面六臂で戦う場面の描線とか面白かった。あれ、なんでああいう主線だったんだろ? 意図はあまりよくわかってないが、でも、あの線にしたのなんとなく良い!かっこよ!!と思った。
 物語全体については、ヒキが上手くて面白かったが、テーマを突き詰めるという点ではちょっとだけ焦点が複数ありすぎて、ボケみが出てしまったような感じは受けた。親の愛なのか、因業にからめとられる人間の性なのか、おどろおどろしい惨劇なのか、モダンになって暗がりが消えていく現世の、その縁に現出する、恐ろしく美しい妖怪や幽冥の国の気配についてなのか、正義と悪についてなのか。最大限にフォーカスを絞られているのがどのポイントか、最終的には物語のなかでちょっと掴めなかったところがある。とはいえ、話おもしろ!グイグイ観ちゃうわ!!とはとても感じたので、語りがとても上手な、良い作品だと思う。

 この作品で一番、いいなと思ったのは、水木にしろ、ゲゲ郎にしろ、彼らがゆるぎなく善性を保ち続けるキャラだったことだ。二人ともとにかく良いヤツなのだ。ゲゲ郎の奥さんも、ゲゲ郎の回想として語られる彼女はとてもまっすぐで強くて、愛情の深い人である。これはすごくポイントで、どれだけ自分の目的があっても、そのために弱い者を見捨てたり看過することはない彼らという根っこが、この物語の魅力を根本で支えていたように思う。子供たちの味方である鬼太郎を産み育てた彼らは親として、鬼太郎の在り方のルーツとして、そういう存在であるべき登場人物だったのだ。
 彼らのその根っこを崩さないがために、悪側の芯のほうはやや平面に描かれてしまったのだろうか、とも思う部分はあるが、この物語において、悪の悪たることの理屈やその始末、人の悪性や因業にあまりに深く焦点を当てて描いてしまえば、それはおそらく、鬼太郎が人間のために力を振るいつづける根にあるもの、という物語からはズレてしまうのではないか。この物語は、ヒーローとして立つ鬼太郎が誕生するまでについての物語なのだから、鬼太郎をかくヒーローたらしめた、ルーツとしての親たちの物語であって良いのだろうと思う。

 まあ、それにしてもなんでこんな爆発的にウケたんだろ、って思って観てて、すごくピンときたわけじゃないけどなんとなくわかる、と思ったのは、壮年期ビジネスマンとか、会社組織に与しながらも自分の道をしっかり持ってるリーマン、てな属性や記号が放つ色気と魔力ってあるんだなとか。制服とかスーツとかちょっとかっちりめの服で、でもビシっと決まってるわけでもなく時にくたびれてたりもして、しかし不潔な印象はないっていう。そんでマイペース、そのマイペースを保てる精神や経験値というゆとり。五郎さんとか虎徹さんとか、ポケモンSVのアオキとか、あと古くからだとパトレイバーの後藤さんとか……てなことをぽわぽわと思った。
 単純なひとことでいえば、おじさんの魅力ってやつなのかな。ただしおじさんの魅力ってのは、マッチョさやセクシーさではないところにある。ちょい悪だのダンディだのイケオジというのは、男性としての性的魅力が思いっきり面に出てるかっこよさ評価軸だが、おじさんの魅力は、それとはだいぶ違う評価軸にあると思う。
 雄々しさや力強さではなく静けさや優しさ。女々しかったり泣き言いったりダメなとこもあるかわいげ。なおかつ決めるとこで決めれるプロフェッショナリズムという芯。そして世慣れしているからこそいろいろ見えていて、ときに冷厳なくらいにものごとをわきまえている冷静さ、とかそういう。
 雄々しく強いたくましさやかっこよさではなく、パッとしないのにしたたかに世間の波を乗りこなしてきたのがわかる、しぶとさや頼もしさが垣間見える、大人らしさのチラリズム、がおじさんの良さみの評価軸だと思う。
 組織の理屈や世間の低評価や心身の衰えなんかに、ヒーコラぶつくさいいながらも、肝心なとこではしっかりバッチリ決めれる働くおじさん、そういうキャラは魅力的だ。
 個人的にはゲ謎の水木は、表面的にはギラギラの野心あるし、おじさんというには見た目も言動もわりと若い人のほうに寄って見えているけども、作品世界の中では若者とは言えない中堅リーマンに差し掛かりつつあるだろうからなあ、と。また同時に、彼の魅力は、バリバリのやり手リーマンとしての如才のなさや野心のギラつきにあるわけではなく(ゼロでもないとは思うが)、田舎の奇習だの怪事件だの振り回され狼狽する姿だとか、駆けずり回らなきゃならない羽目になってぶつくさ言いながらも生真面目にできる限りのことを果たす誠実さだとか、彼が表面上抱く野心の底に記憶の傷の痛みを抱き続けているところとか、その故に屈折してたり世間全般に対して皮肉な気持ちも持っているにもかかわらず折れきりはしない心意気がどんどん現れてくるあたりにあるんだろうなあと思う。
 あとは、そう、背の高いヒョロが着流しをこなれた着こなしでアクションしてるのはやっぱいいよな、色気あるよね。とか。しかも奥さんラブで一途だったり、そうでありながら水木に対してなんだかんだ面倒見良かったり。ひょうひょうとしてるのに、見込んだ人間にはちゃんと親切丁寧なキャラ、魅力的でないはずもなく。
 そういうあたり、ぼんやり、ぼんやりだけども、なんとなくわかるような。
 あれだけの熱狂を生み出したゲ謎について、おそらく熱狂の渦を生んだその最大のポイントだろうあたりについて、こんなにすごくぼんやりしか感得できなくて、なんだか申し訳ないような、肩身の狭いような、自分の感性やセンスの乏しさにしょぼくれる気分もちょっとあるけども、なんにせよ同人界隈がうわーっと湧くような名作を同時代に享受できてるの、なんかすごく嬉しいような、わくわくするような気分もちょっとあるんだ。

日記 編集

 ポケモンSV、とりあえずクリア。
 3つのシナリオルート全部を終えると始まる最終シナリオ「ザ・ホームウェイ」は予想してたが泣けた。ペパーの今後に幸いあれ。

 ホームウェイ前の3シナリオの一つ、チャンピオンロードではトップチャンピオンであるオモダカさんとの対戦があるが、やっぱりオモダカさんのルックス、ド好みいいい!!ってなった。対戦時の相手トレーナー演出、コツコツ歩いてくる磨かれた靴先から入るところからして最高なんじゃ。テラスタルするときのオモダカさん最強にかっこええし。
 キャラクタも、エネルギッシュかつしなやかしたたか強火リーダーキャラでおもしろかった。セリフの端々で、バトルジャンキーかつワーカホリックで、きっと物心ついたときから尋常ではなく異常にポケモンバトルが好きな天才、というネモと共通するところが一貫していて良い。そんなオモダカさんも、裏設定では髪にキラーメ絡まってるときがあったり、ポピちゃんがオモダカちゃんの絵を描いてくれる、と聞くと額縁を誂えようとしたりするド天然であるらしいので、そのド天然なズレっぷりでいえばネモよりちょっとだけ隙があるのかもしれない(ネモもド天然なんだろうけど、それ以上にバトルジャンキーとしての研ぎ澄まされ具合が半端なくて、ド天然要素の陰が薄い)。
 オモダカさんが、ジムリーダーたちにさほど親しみを持たれてるわけでもなさそうなところもなんかいい描き方だった。自分がバッキバキのパワーファイターかつ人を上手いこと使うので、嫌われてるとまではいわないけど親しみは持てない、気を許す気にはなれないが合理性もカリスマもあるのはわかるので皆ついてく、そういうリーダーらしさの描き方が上手いなと思った。
 四天王は、チリちゃんがいないとマジでまとまらなくない!?という感じだったので、ほんとチリちゃん右腕役として有能だというのを知った。ていうか9歳児ポピーちゃんが四天王にいるのマジでなんなの。かわいいけど。ほんとかわいいけど。ハッサク先生は、ドラゴーン!の意味全然わかんないけど、授業の時の落ち着きが嘘のような感動屋さんぶり超良かった。好き。アオキはクセのあるキャラでおもしろい。「社会人お得意の技」とか、セリフがいちいち面白い。あとアオキにはポケモンバトルでも苦戦させられたので、目立たないフリしてなんだこのくせ者って感じだった。
 全体に、シナリオもキャラクタにも嫌みや陰りがあまりなく、ベタっとしたところがなくて、とにかくさっぱりドライな感じなのは面白かったし、好き。なにより、個人が個人として、それぞれの意志で人生を歩いていく、それが物語のなかで称揚されていたのは良いなあと思った。これから育っていく子供世代にとっても良いと思うけど、大人世代にとっても、何歳になったって夢中になれることがあるって良い、という語りがちょいちょい出てくるので、よっしゃそだながんばる!って気になれる。
 一方、ポケモンであれそれ以外のものであれ、とにかく前向きで、理想をめざす、高みを見てがんばりつづける、夢を目指し続ける、が基底の理念すぎて、遊んでて、この圧倒的な前向き姿勢にめげるタイプの人もいるだろうなあとも思った(私もそういう部分はあるが、光あれ!と理想を抱き続けること自体には基本、肯定的なのでなんとかついていけた感)
 教室には、バトルよりポケモン見てるほうが好き、とか言ってるモブもいるし、ゆるふわな生き方も否定はされていないのだろう。とはいえ、考えてみるとわりと強烈に「良く生きるべき」ことが押し出されてくるので、煤けた大人にはくたびれる部分もなくはないし、子供のなかにも、この概念だけを大きめに受け取って、押しつぶされるような気持ちになる子はいるかもしれない。とはいえ世の中実際に、良くかどうかはともかく「生きる」ためにがんばって、やっとどうにかついていけるというところはあるので、そのへん、リアリティあるっちゃあるなあ、とも思う。
(ちょうど、twitterで、このへんに近接しそうな連ツイ見かけたのでメモ代わりに貼っておく。
 これは、小学生女子向けの、人に好かれる自分になるためのハンドブック的な本について書かれたコメントなのだが、その論評を読む限り、この本というのは、良き人、練れた人になる手法について相当よく書かれた本らしい。大人にも参考になるらしいが、それはさておきこおのようによりよき自分へと、人格と能力を鍛え形成していくことには、人間社会が要請する「自己家畜化」という側面もあるのだということに触れている。なお、リプのなかで、そうはいってもこの本は、その自己家畜化に対してどう距離を置くかについても意識がありそうで、実に子供に対して誠実な作りなのではないか……という論評もついてて、おもしろかった。
https://twitter.com/OKtamajun/status/178...

 あ、書き忘れてたけど、ポケモンSVという作品のなにが一番って、パルデアという空間の風景がとにかく美しくて、オープンワールドであっちこっち駆け回るのが本当に楽しかったし、ピクニック機能とか天才かな!!ってなった。しょっちゅうピクニックしてた。音楽もよい。風景も音楽も、開放感と光に満ちている。
 オモダカさんが、パルデアに光あれ、と言うようなことをちょいちょい言うのは、わかる気がした。それくらい魅力的なワールドとして描かれているので、携帯ゲーム機でここまでの世界で遊べる世の中になっちゃってるんだなあ、ってことにまず感動してる。

日記 編集

 ポケモンSV、ぬしシリーズもジムリシリーズも完了して、いよいよエリアゼロ。とはいえエリアゼロは苦戦しそうだから、少し態勢ととのえてからかかろうかという感じ。
 チャンピオンロードでのオモダカさん戦、オモダカさんかっこよくて見惚れちゃった。あと自分の手持ちの構成が良くないせいではあるけど、ジムリ編でも四天王編でも、アオキになんかやたら苦労させられた気がする。
 チリちゃんの面接からのドオー隆起せい!かっこよかったし、ポピーちゃんはやっぱかわいかったし、ハッサク先生の号泣も見れたしチャンピオンロード楽しかったな。
 それにしてもポマスでチリちゃんがスカウト断るときに、パルデアリーグは自分がいないと……みたいなこと言ってたけど、SVで四天王戦クリアしてみて、ほんとにそう過ぎてびっくりしちゃったよ。チリちゃんがすべての人をがっつりフォローしてくれている。頼もしいよチリちゃんさん。

 エリアゼロでは、ペパー、ボタン、ネモちとの四人旅になる、と思うんだけど(この先についてはそれ以外、ほとんど情報を入れてない)この三名もそれぞれ思い入れあるから、一緒にエリアゼロに向かえることのワクワクドキドキ感はんぱないな。この感触、昔のファミコン時代のゲームの感覚思い出す感じある。
 終盤、きっとラスボスがいるだろう禁足地に入っていくこの独特の、緊張と冒険のワクワクと、そして寂しさのような。

日記 編集

 ちょっと前から、ポケモンSV遊んでる。
 世代的にポケモン世代ではないので、ポケモンは今までほとんど通ってこなかった。ポケGoとかポケスリ、そしてなぜかポケマスを遊んでるのだが、スピンオフとかじゃないポケモン本流は初めて遊んでいる。

 以前から、いつか遊ぼうというぼんやりとした気持ちはあったものの、唐突に購入に踏み切らせたのは、オモダカさんというキャラクターのヴィジュアルを知ったため。高身長スレンダー黒スーツ目鼻立ちくっきりの褐色ミステリアスイケメン美女、トップチャンピオンの圧と髪の毛の量がすごい人。好みど真ん中の見た目すぎて……(かっこよさで人気のチリちゃんは、確かにかっこいいと思うし良いキャラなんだけども、私のヘキのど真ん中ではなかった)

 それにしてもこのゲームはほんとによくできてて、楽しみながら感心しまくりながら遊んでる。

 他のシリーズ作品がみんなこんなに光属性なのかはわからないけど、シナリオがとにかく優しくて前向きで、信頼を前面に掲げている。
 ポケマス遊んでても、登場する歴代トレーナーたちがことごとくえらいポジティブなので、たぶんポケモンシリーズの基調がこうなのだろうとは推測するが、SVはとりわけ、人への信頼、あるいは信頼への祈りのようななにか、そんなものを感じる。

 今は、ヌシ、ボス、ジムリはクリアして、シナリオとしてはスターダストストリートを完了した段階にいる。あと、学校の授業も期末試験終わらせた。
 物語は、随所に泣かせるところがあって、ハッサク先生みたいにうボォおいオイ…!てなりながら進めてる。
 これは、単に泣かせの効いた話ということじゃなく(泣かせの効いた話ではあるんだが)、展開からセリフの細部まで、このゲームを遊ぶ子供たちに、できれば世の中と他者を信じたりしてほしい、そしてのびのび自分を発揮して生きてほしいという願いがあるように思えるからだ。
 特に個人的に一番グッときてるのは、生涯学習についての全面的肯定がはっきりあるところ。主人公は学校に通い始めた若い生徒という設定だが(中学生1年生くらいの設定かな?)、学校に通うにははどうやら年齢制限はないらしく、幼児くらいの子も、労働者も、高齢者もいて、それぞれが必要な学びを得ている。働いてる人は夜も学校が開いてるから助かる、的なことを言って夜間の図書室で本を探しているし、じいさんやばあさんも、主人公と同じように制服をつけて、宝探しのカリキュラムを楽しんでいる。
 もちろん男女差も特にない。性差に関しての表現はだいぶフラットで、男らしい、女らしい、みたいなものを感じる描写はほとんどない。
 社会というのは、みんながそれぞれの人生をのびやかに生きるそのために形成されたものなんだ、これから社会に出て生きていく子たちにそういう社会よあれ、ということを訴えているようで、そこが涙腺にクる。

 まあまだ、物語の終わりまで達したわけじゃないのであまりあれこれ言えない段階だが、なんていうかこの、信頼、が基底にあるように思えて、それはこの物語や描かれる世界全体もそうだけど、作品の作り手から遊び手に向けてもなんだか厚い信頼が向けられてるような気がしてて、なんかそれがね、グッとね……

 とりあえず、学校の先生たちみんな良いキャラで好きだわ。
 今のとこ、先生たちで一番好きなのはクラベル校長かもしんない。ハッサク先生とサワロ先生も好きだな。うーんオッサンばかりだ……
 あ、ミモザ先生も好き。夢を諦めない。あと見た目もキュート。

 四天王はこれから本格的に対戦していくので、四天王戦超えたらまたいろいろ新しい感想出てくるだろうけど、とりあえずポピーちゃんかわいすぎる。
 四天王戦に臨むにはまだちょっと育成が心もとなくて、しばらくは手持ちたちのレベル上げ作業しなきゃな感じだけど、早く四天王の人たちのセリフ見たいな〜。四天王たちを束ねるボスであるオモダカさんの出番も増えるだろうから……

日記 編集

 あっ、アラビアのロレンスの感想に書きそびれたけど、ペレス推しとしても、見てよかった。

 なるほど、そのオールバックの金髪(ツヤツヤかっこい……)
 なるほど、その見開かれた碧眼の眼力(めぢから)
 なるほど、鼻筋のしっかりした存在感。

 1469ペレの立ち絵で特徴的だな~と思った部分に、オトゥールの顔パーツ要素がかなり成分として含まれていることを実感した。なるほど、なるほどねえ~!ってなった。
 対して2ペレのデザインは、どっちかいえばもう一人の顔造形のモデルとして名が上げられたらしい、デビッド・ボウイの要素のほうを感じるなと(特に顎の尖り感と髪型)

 キャラクタ自体は、『アラビアのロレンス』のロレンスとはほとんど印象が重ならないとは思うけど、学者キャラで知性溢れるところと、たまに取り乱すところとかがそうといえばそう、なの、か???
 あと、2=1469では、ペレスにはシナリオ上、中東地域がらみのイベントと、中東の謎めいた男性(アブトゥのことだ)との接触と反発と惹かれ合い(?)がある、ってなあたりで、『アラビアのロレンス』のイメージが載せられたりしたんだろうか。よくわからん。
 私が勝手に妄想するペレスは、学問一辺倒過ぎてコミュ障気味とはいえ、精神的にはめちゃくちゃ図太くて揺らがない感じだし、他人の意を汲んで英雄をやるという気質はなさそう(合理性があることしか納得しないし、理屈に合わん無茶をする意味を理解しない)という感じなので、あまり、映画のロレンスの印象とは重ならないではある。

ネオアトラス 編集

『アラビアのロレンス』を見た。

 めちゃくちゃ感想書きたいが、アホみたいな長い駄文を書き綴りそうなので、なるたけ端的に書くよう、がんばる。
 なお、もはや古典と化した名作と思うので、以下、ネタバレを避けようとかそういうのは全く考えずに書くことにする。

 見て良かった。ほんと揺るぎない偉大な作品で、今見てもめちゃくちゃ面白い。
 名作ゆえ、いつか見たほうが良いと思ってはきたが、3時間半以上もある(完全版)というのに怯んでいた。が、実際見て見ると、見ている時間がまったく苦にならない面白さ、すばらしさだった。
 なにがって風景が……なんだあのロングショット。砂漠の風景。人とラクダが点みたいに見える幅広スケールで、すごい長回しで捉える荒涼としたアラビアの風景。一気にその場に自分の眼がいるような気になる。すげー撮り方だ……。
 現在のところ、CGではあの感じを出すことは多分まだできない。おそらくどこかでほんのちょっと作りものめいてしまう。アラビアのロレンスは1960年代の映画なので、セットやちょっとした合成(夜空とかはそうだったね)はあるとしても、映されているのは実際にそこにある(あった)風景である。とはいえ、どうやったらあんなふうに撮れるんだろうという……。
 撮影された砂漠の風景だけでも、もはや文化財、人類の資産のひとつだ……と序盤からクラクラした。
 それでも、そんな映像のすばらしさと圧倒にもぜんぜん負けない、物語の骨太さ、語り口の強さ。俳優たちの演技の巧みさも、物語を強力に推し進める力になっている。
 なんといってもピーター・オトゥールが演じるロレンスの存在が発するオーラ。堂々とした体躯で、輝く金髪に、印象的な薄い青色の瞳。エネルギーに満ちていて、活発に動き回る。それなのに、いつもどこか居所の無いような、身を縮めたような不思議なたたずまい。
 この作品を見るときにいろいろな切り口はあろうけれども、私としては、オトゥールが演じるロレンスのこの居所のなさ、なにかを渇望し漂泊を続け、でも渇望するものをずっと掴みとることのできないさみしさがいちばん胸に残った。
 そもそもこの物語の中でのロレンスはなにを渇望しているのか。そんなことを見ている間もずっと考えたし、作品を思い出すと今も考えてしまう。答えはわからない。ともあれ物語のなかで、イギリスの男たちも、アラブの男たちも、誰も彼がまことに望むものを与えることができなかったし、ロレンス自身も、焦りながら闇雲になにかを求めて疾駆していた。彼は自身がなにを渇望しているのか、自分にも見いだせていなかったのかもしれない。言葉にするなら、居るべき場所だの、安息できる場所だの、ゆるぎない愛と信頼だの、もしかしたら父の愛と守りと絶対の救済、とかだったのか……などとといろいろ考えたが、考えつく言葉のすべてはどうも軽々しいように私自身にも思えた。ロレンスが狂乱しながら求めたものがなんなのか、それ自体が蜃気楼のようだった。ただ、砂漠の清潔に望むものがあると直感したロレンスは、自分自身がその風景に同一に溶けていこうとがんばったけれども、最終的に彼の魂は満たされることなく飢えたまま、命の一滴までも干からびさせ、砂漠にはただ血が落ち、それも乾いて、やがて消えていったように見えた。

 舞台となったアラビアは古い文明の地でもあって、聖書の世界という、クリスチャンにとってのある種の物語的な原風景の一つではあるかろうと思う。作中のイギリス人にとっても、またこの作品の作り手たちである人びとの大半にとっても、アラビアというのは遠く、伝説と物語の中にある砂の国なのだろう。その物語の砂の国を、考古学を学び、イギリスの人びとのあいだに居所を見いだせないロレンスは放浪した。いつか旧約聖書の人びとがそうしたように。あるいはギリシャ神話の英雄たちがそうしたように、ロレンスは、厳しい旅と試練を踏んで進んでいった。伝説めいた幸運と、人びとの期待と助けを得ながら。しかし、ロレンスには、聖書物語の人びとのように神に嘉されることもなく、ギリシャ神話の放浪の英雄のようにどこかに帰り着くか、あるいはたどり着いた場所で王国を興す運命、物語、はなかった。挫かれ、砕かれ、どこにも居場所を見いだせないまま、放浪いのただ人としてまたどこかへ消えていくしかなかった。そのさみしさが心に刺さる。人間の誰もが、そのさみしさを潜在のものとして抱えているような気がする。
 遠く、日本人の私にとっては馴染みもない、ひたすら雄大で圧倒的な砂漠の風景が、どうも自分にとっても、心のどこかで深く求め、けれどもその求めに厳しく応える場所であるように感得されるのは、撮り方のすばらしさだけでもなく、物語が示すこのさみしさと、荒涼とした地の風景が響き合っているからでもあるように思えた。

 ……感想、まとめようがないまま、結局、長くなっちゃった。
 いい映画だった。映画館で見たい映画、映画でしかあらわせない物語だ。そういう物語、たまらなく良いと思う。

 それにしてもロレンス、めちゃくちゃさみしいのに、ときどきカワイイ。キャラクターに含められた子供としての属性がそうさせるのかもしれないけど、めっちゃカワイイ瞬間がある。白い衣装をもらって着替えた後、一人で悦に入ってポーズ取ったり、ビシュトをひらひらさせて駆け回るシーンとか、なんだこれ……ショタじゃなくてもはや幼女。ロリかわだった。
 ググってちょこちょこいろいろ情報入れてて知ったけど、このシーン、脚本にそう細かいことが指示なくて、オトゥールのアドリブだったらしい。マジで! 天才すぎる。

 ロレンス以外の各キャラも、どいつもこいつもたまらん感想書きたい!がいろいろあるが、キリがないのでここまでにしとく。でもこれだけは言う、アリさんかっこいい。かっこいいのにあんなに甲斐甲斐しい。スパダリ? おかん?? そのアリさんが、まさかその場面で泣いてるなんてさあ!! ほんとこの映画、エモがいちいち内蔵ど真ん中をえぐってくるよ。すげー映画だよ。

日記 編集

 ブレイバーン今さら最終回見た。
 おもしろかったけど、11話と最終話まとめて怒涛すぎてすごかったな……

 ボーンファイアのノリが謎すぎてすごかった。
 イサミがいつのまにかブレイバーンとすっかりとっても仲良くなっててなんだこの……ほんとなに?
 突然にミスター味っ子が始まるのもまあ、なんかわかるけど、いややっぱわからんだった。
 勢いが謎。謎だけどミスター味っ子っぽい画面造りがあまりにもそれっぽくて、再現度の高さにビビったね。イサルルで手繋いで空飛んでくるとことか、食べやすく割られたエビのカットが、あまりにもミスター味っ子だった。
 とりあえずセグニティスはかわいかったね、声が小西さんだし……関西訛りであんなに満足そうに死なれたら好きになるしかないでしょ。

 ……からの大ピンチ、で11話が終わってこのヒキ。
 最終話12話は、大挫折からのスタート。テンポが早い。イサミがいさぎよく情けない。
 それから大逆転、さらに転、ラスボス戦、さらに転。疾走する展開(そして隙あらば差し挟まれるいろんなパロディ、前回が味っ子なら今回は美味しんぼかあ)
 最後、ラスボス打破の絵はめちゃくちゃかっこ良かった。ラスボス戦はこうでなくちゃ!
(クライマックスはかっこいいんだけど、そこまで存外、雑に殴られ砲撃され放り投げられるヴェルムヴィータCVくぎゅ、の絵も面白かった)

 基本的に主役も敵も味方も全体にひとの話を聞かない、という枠を組んだうえで、その枠を横押しして物語のまだるっこしさをぶっちぎって怒涛の勢いで突っ走ってのワンクールの物語だった。
 そこに勢いも良さも正解もある気はするけど、あえて、全50話、一年かけたスーパーロボアニメとして見てみたかった気がする。
 日常回とか、振り返り回とか、各キャラ掘り下げ回とか、ホラー回とか、いつにも増して謎展開の謎不条理話があるようなやつ。なんかよくわからんが町に出てスミイサでクレープ食う的な、キャワワデートするシーンとか見たいじゃん
(ボーンファイアは35話らへんに来そう。遅めの夏休み水着回枠)

 特に終盤の……いや、終盤だけでもないか、勢いと会話のやりとりで話をぐんぐん転がす、の感覚はキルラキルとちょっと似てて好き。やたら登場人物が全裸になるあたりとかもなんだか似てる。
 ただ、キルラキルはわりと理論的に構築されてる話で、毎回、盛り上がりと勢いとヒキをがっつり作るんだけど、なんだかんだかなり王道の積み上げで、最終回の怒涛に向けてぐんぐんピークを持ってってる感じなので、終始オフビートな感じもするブレイバーンはまた、味わい違うな~っても思った。
 あとブレイバーンは明白に性的な笑いが多いとかも、まあ普通に大人層向けを感じる点。キルラキルはむやみと全裸だし乳も尻もぷりんぷりんに画面に出まくるけど、ストーリーや笑いのネタはそんなにセクシャル方向ではないので……どちらが良い悪いということではないが、なんだか似たとこもあるけど結構違う、と思ったので。
 ああ、似たとこと言えば、ラスボス打破後の、物語のシメの雰囲気も、似てるというか、ああそうそう、これ!!というしっくり感だた。
 突然にロボに選ばれふりまわされる主人公が、個性的な無機物の相棒に振り回されながらも絆を結んで、唯一無二の友となって、そして最後になんらかの別離というか、卒業がある、ところ。
 キルラキルでは鮮血が。以前に、鮮血は、魔神英雄伝ワタルでいう龍神丸なんだと思ったことがあって(自分で思い付いたというより、Twitterかどこかでそういう指摘を見かけたんだったような記憶)、冒険が終わると主人公はロボとお別れする。なんかそういう、様式美というか伝統を踏まえての展開のような気がして、だから最終回の締めの部分は美しかったなと思った。
 まあ、エンディングにOPが流されて、ああ熱いシメが来たねと思いきや、突然のカラオケ字幕モードに戸惑ったりして、やっぱいつものブレイバーンだなあという、そこもらしくて良かった。

 イサ虐は毎回なんだかんだ面白かったけど、最終的に好きなキャラといえばルルちゃんとおじさま。
 ルルちゃんいい子やん。おじさまもいいロボやん。不満があるとすればルルとスペルビアの別れについてもちゃんとした描写が欲しかったなあとは思うので、12話ではやはり足りんのじゃないのですか、せめて13話があっても良いんじゃないんですかという気分にはなった。
 なお、イサスミはもう公式にそういう感じっぽい(ボーンファイアー回が濃すぎた)から、ほんと二人、末永く幸せに暮らしてくれたらそれでいい。

日記 編集

 週末、食パンを切らしたので他の買い物と一緒に買って帰ろうと思っていたが、スーパーのパン売り場では、私が買いたいやつがもう品切れしていた。普段はあんまり積極的に買わないもっちり系しか残っていない。もっちり系でもまあいいっちゃいいんだが、と思いつつ、しかし私はあんまりパンにもっちもちを求めていない。なんかこう、求めている味があるときにそれがなくて、代わりに求めてないタイプの味のやつで我慢するってのは、なんだかあまり嬉しくない。
 それで、前日売れ残りの値引き品も見つめてみたら、いつもは全然選択肢に入ってこない黄金なんとかとか名前がついてる食パンがひとつ、売れ残っていた。値引き前の値段だと400円くらいする高級なパンなので買ったことがない。これが20%オフで、ふーん、320円くらいか。
 味を知っていて、そうまで好みでもない(嫌いでもないが……)もっちり系食パンにするくらいなら、お値段とかの理由で視野にも入ってなかった未知の味を試してみる方が楽しい。
 一回くらい買ってみるか、と思って、それを買い、家に帰ってからきづいたが、デニッシュタイプの食パンだった。
 デニッシュ……デニッシュかあ。
 確かにデニッシュのパンはうまいし、単独でデニッシュとして食べるのは好きなんだが、私は、私は、食パンは小麦の風味が強いめの皮が固めのごわっとしたやつが好きなんだよなあ……
 食パンはトーストにして、そのときどきジャム載せたりチーズ載せたりでお好みの味変しつつ、いやあ炙った小麦粉製品ほんとうめーな……と思いながら食べるのが好きなんだよ。
 いや、黄金なんちゃらは、そら美味かったよ、ほんと。甘いし、バター的な風味もどっしり来るし。
 でも私はやっぱり、もっと小麦味がガツンとくる食パンを求めている。
 食パンには、砂糖や油脂でこってりした旨味は求めていない。
(そういうわけで、ちょっと前に流行ってた1000円とかする高級食パンはそんなに好きではない)

 自分の失敗なので誰かを責めるつもりはないが、このかなり甘いタイプの食パン、もうちょっと食パンぽくない見た目で売ってくれててほしいな……というわがまま心を、もてあましてしまった。
 とりあえず次回は、もっちり系しかなくても、甘くなさそうなほうのパンを選択しようと思った。

日記 編集

 昼少し前辺りから雷が鳴り始めて、断続的に落雷と雨が続く。
 雷が近くで鳴ってるときは、落雷での故障を警戒してPC類はコンセントから抜いている。おかげで、今日やろうと思っていたPC内のデータの整頓がまるで進まない。
 ついさっきも、大人しくなってきたな、そろそろ電源挿してPC起こすかぁ、と思った途端にゴロゴロ……と遠雷が聞こえてきた。
 しょうがない、本読むか昼寝でもするか。

追記:
そうだね、ひるねでもね……と思いながら実際うとうとしてたら、ただいま結構近場にドピシャャャーーーーン!!と高音パリパリのフレッシュな雷が落ち、ピェハァッ!?て飛び起きて目が覚めちゃった(停電とかはしてないけど)

日記 編集

 ところで、二次創作書くときに参照した古楽の歌詞(13世紀のイタリアの世俗歌謡で、古いイタリア語なのでそのまま翻訳通すとだいぶ怪しいことになり、ネット検索では英訳は見つけたが和訳は見つからなかった)の日本語訳をひねり出すためにちょこちょこと検索してたんだけど、参考に、原語の逐語訳も欲しいなあと思ってChatGPTを使ってみたら、逐語訳出させるの結構使えるね!てことに気づいた。

 14世紀のイタリア語、って指示出してみたけど、今のイタリア語とは違う単語をそれなりに違う意味で訳してきて、それがネットで検索してみつけた英訳(多分イタリア人の人が英訳してくれたっぽい)と照らすと、まあまあ合ってそうだった。

 そんでふと、もしかして似たような感じで、書いた文章を古文っぽくできたりもする???と思ったので、試しにこの雑記の一部をCHatGPTに放り込んで、古日本語訳をやってみた。
 なんとなく鎌倉に近いくらいの時期がいいかな、よし12世紀の日本語と指示してやってもらおか、と試した結果が、こちら。

続く文章を、12世紀の日本語に訳してください。
 (元の文章)
  仕事、ひとだんらく!!
  やったーー!! 今年ものりきったーー!!
  (中略)
  まあでもとにかく無事に次工程に送り出せたからね、私はがんばった。えらい。

  ChatGPT
  仕事、人だんらく!!
  やり終えたーー!! 今年ものりきったーー!!
  いや、また完了せず。しかし、自身の責務における作業範囲は大方終えたのじゃ。
  今年は前年や前々年に比べてずっと楽じゃったが、それでも2月後半からの2週間は
  ずーーーっとこの作業をしてないと終わらぬことがあった。諸事情あり、
  家で作業せざるを得ず、結局、締め切りギリギリまであくせくせざるを得ぬ状況だった。
  まあ、ともかく次の工程に無事送り出せたからな、私はがんばった。立派じゃ。

 おい!!!
 のじゃロリ爆誕させてんじゃねーですわ!!!

 というふうで、全然古文にはならなかった(12世紀、とかじゃなくて古文、と指示すべきだったのか?)
 が、のじゃロリ文体にしたかったら12世紀日本語、とか指示してやれば、かなりいい塩梅にのじゃロリを吐き出してくれることがわかった。収穫である。

日記 編集

 二次創作物をさっさと生産する能力をもう少し身につけたくて、予定になかった短編を書いてみたけど、結局書きあげるまでには二日ばかりかかったし、なんか、こう、こうありたいと思ったんと違う感じになって終わったな……
 ページメーカー使ったのは、そういう、二次創作っぽいスピード感でやってみたかったからだけど、なんかいろいろ、うまくかみ合わせられなかった感じがする。むずかしーなあ。
 思いついた萌えを爆速で具現化する二次物書きになりてえんだ、私は。でもやっぱ筆が遅いというか、なんか……なんもかんも、愚図でもっさりもっさりしているんだよね……うううん!!!
 こなれたい! だが、こなれられる気がしない!!

 話の内容自体はまあまあ、好きというか、自分が読む分には楽しいよ。私のヘキと萌えを叩きこんだんだから当たり前だ。
 恋心をはっきり自覚していて、両思い直前まで踏み込んだペレスは始めて書いたかもしれない。恋愛自覚しててそれでいっぱいいっぱいなペレス書くのは楽しかった。
 今回は、それに対してちょっとだけアブトゥ視点も書いたけど、アブトゥは、今まで書いてきた作品でもわりと自覚持ってるし戸惑ってもいない設定で書いてたから、今回もわりといつも通りな感じになった。でもやっぱアブトゥ好きィ、素直にペレスの行動に喜ぶアブトゥかわいすぎんか(自画自賛)
 しかし設定上、どう考えてもペレス30才そこそこ、アブトゥももう20代後半くらいの年齢のはずだけど、めっちゃ若者の恋愛している。しょうがないよね、そこが萌えだと私が思ってるからね。恋愛バブちゃんでおろおろしてるペレスがヘキなんだよ。同じく恋愛バブちゃんなのに、妙に堂に入ってる気配出してくるアブトゥがヘキなんだよ。

 ここ二三日くらいかな、ツイッタで、二次創作者の、解釈と性癖どっちを優先するかの葛藤、みたいな話題が盛り上がっててさ。私がちょうどこの話を思いついて、よしヘキ全開でやってみよ!と思ったのとタイミングが合ってて、書いた話の内容に直接は反映はしていないけど、解釈優先じゃなく、というのを意識はして書いた。
 いつもわりとヘキ全開で書いてる気がするけど、そう言っても基本的には私自身が書く二次創作については、解釈の提示が主として書いている(と思う)。もちろん、自分の解釈が正解とかそういうことではなく、ただ、「この場面の推しのこんな言動については、こういうふうに捉えてて、そういうとこ、なんつうかもう萌えで! ふわーー!! 好き! 良きですわ! 最の高なわけですわ!! これがこうでこうと思うと!!!(ド早口)」という感想を書くようなつもりで二次創作を書いている。
 でもより欲望ドストレートに「推しのこういう感じの場面、見たいんですわ!! そら原作とはちょーっとかけ離れてるかもしんねっですけど、まあ見たいんですわ!!!」てな具合に欲望最優先で書いてみたいという気持ちもある。
 しかしどうも、私は自分内の推しや作品への解釈を無意識に優先させてて、原作の推しからはあんまし出てこなさそうな言動は書かないように、原作からあんまりかけはなれないように、結構セーブしちゃってるのかなあ、と思ったりもする。そこをぶち破って書いてもみたかって。二次創作だもの。
 そういう筋力もつけたいなあ。でも結構、難しい。
 まあ、解釈優先だろうがヘキ優先だろうが、とにかくそもそも書き慣れてないんだという、根本的な作文能力の低さがある。短い時間にいっぱい書くのと、質を意識して書くのと、両方を意識して、とにかくたくさん書いてかないと、うまくはならないんだろうなあ。

日記,ネオアトラス 編集

 らくがき ページを更新しようとしてたら日付が変わってしまった。
 昨日でなんとか作業おわりってことにした提督集合絵は、同人誌 のところに置いてある。

お知らせ,日記,ネオアトラス 編集

 提督集合絵、日曜で塗り終わった……はずが、ミゲルの大事なあごヒゲを描き忘れていたことに気付いて今日は延長戦。
 これは元絵、つまり『四方の風』の人物紹介絵の時点で描き忘れていたもので、つまりあごヒゲ喪失ミゲルを堂々と10部も印刷してしまったわけである。つらい。
 だがいまさら後悔してもどうしようもないので、色塗り版で修正できたのだから良いじゃないかと自分を慰めている(気付くまえにツイッタに上げてしまった痛恨については忘れることにした)

 それはさておき、ミゲルのあごヒゲだけでなくちょっと目に付いたとこ直したくなっちゃうし、またぞろアブトゥの唇に延々手をいれはじめてしまった。いかん。諦めろ。絵の稚拙はいまさらどうにもならない。もっとアブトゥを静謐で整っていてかつセクシーな美形に描きたいが、私の画力ではどうにもならないことなのだ。
 パースもえらいカオスで、最後に背景入れようと思ったときにとても苦労した。私にはパースのちゃんとした絵が描けるほどの技術がないのだからしょうがないのだが、そもそもパースがどうとかじゃなく絵の全てが全部おかしい。事物がかなり歪んでしか描けない。それはどうにもならなかった。へろへろになりながら、なんかとりあえずこう、空間を少しだけ埋めて、そして日曜の夜が更けていってタイムアウトだった。

 その空間埋めにつかった、壁に打ち付けられた木のバーに手紙とかがざくざく差してあるのは、ホルバインの『ゲオルク・ギーゼの肖像』という絵を参考にした。参考というかほぼほぼ丸パクリだけど。
 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%...

製作は1532年、描かれているのはドイツのハンザ同盟の商人だから文化圏も違う。同じような光景が15世紀後半のリスボンにあったかはわからん。
 が、まあなんか、この絵を見かけて、これはいい感じに商人のオフィスっぽい!ルネサンス頃の商人は手紙とか書類こういうふうに整理してんのね~!とテンションがあがり、勝手に、リスボンでも似たようなもんだろと思い込むことにして、提督達の後ろに、手紙とかたぶん地図とか、もしかしたら提督達の提出したレポートかもしれない紙切れをいっぱいぶらさげといた。
 ちなみにネオアトラス2には、やはり地図を囲んでの提督集合絵がある。その絵も商館の一室といった風情で、後ろには棚や道具があれこれ描かれてあるっぽく、とっても参考にしたかったのだが、私の手元にはごく小さい画像しかないので詳細がよくわからなくて参考にするのは断念した。

 実を言えば、ネオアト2のこの集合絵や、他の方が描かれていた同人絵で1469提督たちが地図を囲む絵を見ていて、その構図とかシチュエーションに憧れていた。提督達が全員いる絵! やりたいよ!!
 しかし大人数の絵に手をつけるのは、筆が遅い自分にはそびえ立つ高峰で、とうてい描けそうにないという構えがあった。それが、稚拙ではあれ『四方の風』の人物紹介としてなんとか全員出てくる絵を描きあげられたので、まあまあ嬉しかったのだ(ミゲルのヒゲは忘れていたが……)。
 調子こいた話だが、どうせならこの絵に色も着けたかった。とかいっても本編文章および絵の線画までを描くのが精一杯で、全くその余裕はなかったが、ほんとはカラー口絵にしたかったのだ。そういうわけで、今更、下手なりの全力で塗り絵してみた次第。
 まあ色塗りだけとはいえ、疲れた。絵を描くのはほんとに体力と精神力が要る。すぐ諦めたいしすぐ雑になるし、塗っていると嫌でも自分の描くものがなんもかんもアホほど歪んでいるのも見えてほとほとうんざりする。それでもまあ、楽しいには楽しい。推したちをやりたいだけ時間かけて描けるってのは、なかなか楽しい。できあがった絵には不足も不満もいろいろあるが、なんとか塗り終わったという満足はある。
 とはいえ、ちょっとこの絵に時間掛けすぎたので、ここで終わりにして、次の推し作業に移るつもりだ。
 絵は近いうちサイトのらくがきにアップしとく。
 その他、サイトのコンテンツもいろいろ追加しなきゃいけない。『四方の風』のPDF版はBOOTHでダウンロードして読めるけど、サイトの方にテキストでもあげておきたいのだ。しばらくは去年のデータの整理とアップロードを当面の作業にしよかな。

メモ,日記,ネオアトラス 編集

 ふと、中島敦の『弟子』を思い出し、読み返して、やっぱり泣いてしまった。
 子路。乱暴で真っ直ぐで子供っぽくもあれば父性的でもある、中島敦の描いた子路。その大きすぎる敬愛が、孔子には届いたのか届いてなかったのか。最後の段落では、物語中再々書かれる孔子の肩透かしな弁舌の感じを食らったような感じがなんだか、今回読んでもやっぱりある。その反応かよ〜、みたいな。しかし、それでも、他人から見たらそうであってもやっぱり孔子に変わらず愛を向けただろう子路、と思うとこれまた泣いてしまう。
 こう、肉体という地面から足を離さない感じの子路がすごく良いんだよね。自分の体と生活から生まれる感情の中で、孔子に敬意と愛情を抱くにいたり、それを死ぬまでずっと変わらずまっすぐ抱き続けていて、作中でそれは愚かともまっすぐとも書かれるけど、ただそうであった、そう生きる以外を選びもしなかった子路がなんだか心に食い入って離れない。子路という人物をこのように描いた中島敦の筆にも、いつも打たれてしまう。
 最初に読んだの、もしかしたら高校の時の模試だったような気がしてるんだけど、一部分しかなかったはずだけど妙に心に残ったような(どの箇所だったかは忘れた。最後の方だったかもしれない。いや、ほんとは記憶が曖昧過ぎて、そもそも模試の問題文だったかも怪しい。幻の記憶かもしれない)
 大学入ったあとで古本屋でなんとなく『李陵・山月記』(多分新潮文庫)を買って、そこでやっと「弟子」を通して読んだんじゃなかったかな。そのときも、めちゃくちゃ切ないような、感服したような、すんっと外されたような、不思議な感じを覚えた記憶がある。
 ほんとは文庫本かなんかで、紙で、縦書きで読むのが一番だと思うけど、とりあえず青空文庫貼っておく。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/fi...

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 今日も家に帰って1時間ほどは色塗り作業するかと思っていたが、思いがけず職場で終業したとたん、近場のシャレオツイタリアンの美味ピザ食べに行こうぜ企画が突然立ち上がり、気になるなと思ってた店だったので便乗した。実際美味かった。
 飲みはしてないがまったり食べて帰りが遅くなったので、絵の作業は進まなかったが、あの味のためならいたしかたない。誘いに乗っといて良かったわ。

日記 編集

 今日は一日、絵の色塗りをしていた。
 疲れた。休み休み塗ってたけど、20時で集中力が限界で作業終了。
 まだ塗り終わらない。予定になかった服の模様とか描き始めるのが悪い。
 背景も描いたほうがいいか……???とか思い始めているが、多分無理だな。
 今週の土日で塗れた範囲でやめることにする。他にやりたいことも全然あるんだ。

 とりあえずちょっと一杯飲むことにした。
 ほんとは塗り終わったときにひとり打ち上げとして飲もうかと思ってたけど、なんかもうそこまで撓めておけない。
 こないだの土曜日のドライブのとき、最後にショッピングモールなどに寄り、贈答品のコーナーなどを覗いていたらポルトガル産のワインを見つけたので二本ほど買ってしまった。ごく安いやつ。
 ヴィーニョヴェルデとロゼ。今日はロゼを一杯ひっかける。
 開けたらすぐ飲まなきゃなので、多分、しばらくはちょいちょい飲む。

日記 編集

昨日は友人の車に乗せてもらい、北向けに長めのドライブに行ってきた。
写真はスマホに入ってるのであとで追加でうぷる
コンクリ建築とか花とかイノシシとかヒカゲヘゴとかサキシマスオウなどを見てきた

 行きに高速乗ったとき、途中で寄ったSAで自分用のおみやげで大東羊羹というのを買ったが、美味しかった。
 私が買ったのはえんどう豆の羊羹。うぐいす色で柔らかいあっさりめの甘さだった。他に黒糖塩餡とか種類があるらしい。黒糖塩餡食べたいな~。
 いつか大東島に旅行行こう。

メモ,日記 編集

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