雑記
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うう、この時間まで、オーロラ情報とライブカメラおっかけてしまって、ポケモンスリープの眠りの約束を全然守れんかった。
今日、2024年5月11日の夜は、本州のあちこちでオーロラの観測成功したそうで、何十年に一度レベルなので今もちょっと興奮冷めやらない。兵庫県での観測報告にはビビった。関東(那須高原)の報告でもびっくりしたのに、兵庫だって~!! 平安時代かよ!!(平安時代は地磁気の関係で今よりも日本で赤気=オーロラが見えやすい年代だったそうだ)
今回のオーロラ関連の話題を追ってて、いろいろ書きとめておきたいあれこれあったが、とりあえずさすがに眠いので寝る。
メモだけ書き留めとく。
北半球のオーロラをAurora Borealis、南半球のオーロラをAurora Australis という言い方をするらしい。葡語のツイートでオーロラをAurora Borealと書かれていたので、この呼び方はラテン語の系統なのかなと思う。
Borealisはボレアースと関係あるんだろう。ボレアースはギリシャ神話における風の神の一人で、北風、あるいは北方位を司るそうだ。wikipediaによれば、ギリシャ神話ではこの風と方位を表す神はまとめてアネモイと呼ぶらしい。
南北東西の順でBoreas、Notus、Euros、Zephyrosという名だ。南風の神がノトスである。ならば南半球のオーロラを言うにはノトスっぽい名前が……来ない。Australisときた。
ラテン語の南を意味する語はAustralisなので、南のオーロラ、という意味でそのままついたのかなという感じを受けるのだが、このAustralisという語も、由来を辿るとローマ神話における風と方位の神(総称してVenti)である南風の神Austerと係わりそうだ。
ローマ神話の風の神々Ventiは、さきほどのギリシャ神話のアネモイに相当する神であるようだが、名前はずいぶん別系統で、Aquilo、Auster、Vulturnus、Favoniusである。
それでラテン語では、南あるいは南風を司る神はAusterであり、南のオーロラを言うには、AustalisのAurora、という言い方になる。
一方、北あるいは北風を司る神はちゃんとローマ神話にもいて、Aquiloと呼ぶらしい。さらに、単に方位としての北や北風を指す語としてもaquilonarisとかseptentrionalisという語がある。
ちゃんと該当する語があるのに、ギリシャ語からの借用語だろうBoreasがわざわざ使われてるのは、なんでなんだろうな。
……これは多分だけど、地球には北半球と南半球があるということが分かってきたのも、オーロラという語が広がったのも、おそらく大航海時代のあとの話だ。つまりAurora Borealis/Australisという語は、ラテン語っぽいけどもローマ時代から使われていた語ではなく、近代に入って学術用語として造語?された言い方なのではないか。
ちょっとだけ、そんなことに興味が湧いたというか、より細かいディテールが知りたくて、なんでなん???と思ったのだが、深掘りするほどの追究意欲があるわけではないので、ここまでにしておく。
今日、2024年5月11日の夜は、本州のあちこちでオーロラの観測成功したそうで、何十年に一度レベルなので今もちょっと興奮冷めやらない。兵庫県での観測報告にはビビった。関東(那須高原)の報告でもびっくりしたのに、兵庫だって~!! 平安時代かよ!!(平安時代は地磁気の関係で今よりも日本で赤気=オーロラが見えやすい年代だったそうだ)
今回のオーロラ関連の話題を追ってて、いろいろ書きとめておきたいあれこれあったが、とりあえずさすがに眠いので寝る。
メモだけ書き留めとく。
北半球のオーロラをAurora Borealis、南半球のオーロラをAurora Australis という言い方をするらしい。葡語のツイートでオーロラをAurora Borealと書かれていたので、この呼び方はラテン語の系統なのかなと思う。
Borealisはボレアースと関係あるんだろう。ボレアースはギリシャ神話における風の神の一人で、北風、あるいは北方位を司るそうだ。wikipediaによれば、ギリシャ神話ではこの風と方位を表す神はまとめてアネモイと呼ぶらしい。
南北東西の順でBoreas、Notus、Euros、Zephyrosという名だ。南風の神がノトスである。ならば南半球のオーロラを言うにはノトスっぽい名前が……来ない。Australisときた。
ラテン語の南を意味する語はAustralisなので、南のオーロラ、という意味でそのままついたのかなという感じを受けるのだが、このAustralisという語も、由来を辿るとローマ神話における風と方位の神(総称してVenti)である南風の神Austerと係わりそうだ。
ローマ神話の風の神々Ventiは、さきほどのギリシャ神話のアネモイに相当する神であるようだが、名前はずいぶん別系統で、Aquilo、Auster、Vulturnus、Favoniusである。
それでラテン語では、南あるいは南風を司る神はAusterであり、南のオーロラを言うには、AustalisのAurora、という言い方になる。
一方、北あるいは北風を司る神はちゃんとローマ神話にもいて、Aquiloと呼ぶらしい。さらに、単に方位としての北や北風を指す語としてもaquilonarisとかseptentrionalisという語がある。
ちゃんと該当する語があるのに、ギリシャ語からの借用語だろうBoreasがわざわざ使われてるのは、なんでなんだろうな。
……これは多分だけど、地球には北半球と南半球があるということが分かってきたのも、オーロラという語が広がったのも、おそらく大航海時代のあとの話だ。つまりAurora Borealis/Australisという語は、ラテン語っぽいけどもローマ時代から使われていた語ではなく、近代に入って学術用語として造語?された言い方なのではないか。
ちょっとだけ、そんなことに興味が湧いたというか、より細かいディテールが知りたくて、なんでなん???と思ったのだが、深掘りするほどの追究意欲があるわけではないので、ここまでにしておく。
これは自分用の備忘。
少し真面目な話というか。
そのうちもうちょっとちゃんと書いておこうとは思っているが……
大航海時代を舞台とし、概ねヨーロッパ人を主人公としてヨーロッパを発して未知の新世界へ……というゲームのストーリーやフレーバーを楽しむにあたり、私自身は、そのあとに続く植民地主義についてまったく意識しないわけにいかないのが本当のところ。
これは、あくまで私個人の屈託で、大航海時代シリーズなり、ネオアトラスシリーズなりの作品そのものをその点において批判する気はないし、プレイヤーがその視点を持たなきゃと主張する気もない。ただ私自身の意識において、史実にそれなりに寄せてる大航海時代シリーズはもちろん、わりと史実を相当にぼやかしながら進むネオアトラスの「世界の不思議と驚異」でさえも、「海のかなた」への憧れも含めて全てヨーロッパから発する視座から生まれたもの、つまりオリエンタリズム的なものが含まれているということは意識し続けないとなあ、というのがある。
無邪気に驚嘆され、楽しまれる「探索される側」には、日々の当たり前の生活文化があり、自己完結した世界を生きていた。だが、あるときヨーロッパが押し寄せてきて、それは不可逆に、決定的に変わってしまったのだ。やっぱり大航海時代には暗い側面がつきまとっていて、人類史において近代と呼ばれる時期以降、地球の広い地域を覆った植民地主義の発端がそこにあるのだ。そういう歴史的な流れが現実に存在し、今現在、この瞬間にも、地球上にうごめく人類のあれこれを運命づけてしまっている。そのことはいつも意識の片隅においておかねばと思う気持ちがある。
とはいえ、二次創作は二次創作だ。私は、好きな作品の好きなとこをワァワァ賞賛するためのものとして二次創作を書く気でいるので、その二次創作において、オリエンタリズムだの植民地主義だの、大航海時代や史実の暗い側面に触れる気はまったくない。二次創作を通して、一次作品や世間を批判的に批評する気もまったくない。
ただ、これは私自身が学問として若い頃に学んだあれこれから来る感覚ではあるんだけど、ヨーロッパからの「探索」をただ善として賞揚することには慎重であるべしという意識は、どこかにうっすらと抱えておかなくちゃという感覚もまた、確かにあるのだ。……あるんだけど、とか言っておいて私が書く二次創作ではわりと無邪気に、遠くへ、海の向こうへの憧れが出てしまっている。まあ私がそういうの好きなのでついそうなっちゃう。勢い良く書いてしまったあとで、ほんのちょっぴり、考えなしだったかなあと葛藤してる部分はある。でもまあ、やっぱり勢い任せに書いちゃうんだけど。
ゲーム作品として、大航海やネオアトの続編を望む気持ちもたいそうあるが、ゲーム作品は今や、さまざまに異なる歴史や背景や立場を持つ世界中の人が、自分たちの母語で遊ぶアクセス性を備えるようになった。大航海もネオアトも、大航海時代を夢と冒険にあふれたワンダフル世界巡りツアーとしてのんきに語ることはもうできないだろうなあとも思う。特にネオアトはそのへん顕著なんじゃないかと思ってて、無印や2にはあったいろいろな発見物が1469でだいぶ姿を消してしまっているのは、このへんの事情があるのかもしれないなあと思っている。そしてその配慮の感覚は打ち捨てるべきではないと思うし、当然のものであると思う。
冬コミで無配コピ本作ったとき、この点に触れても良かったけど触れずにすませちゃって、大変のんきに海の向こうへの憧れというとこにばかり焦点を当てるシメで終わらせてしまったので、ちょっと反省気味に、今ここで言及しておく。
少し真面目な話というか。
そのうちもうちょっとちゃんと書いておこうとは思っているが……
大航海時代を舞台とし、概ねヨーロッパ人を主人公としてヨーロッパを発して未知の新世界へ……というゲームのストーリーやフレーバーを楽しむにあたり、私自身は、そのあとに続く植民地主義についてまったく意識しないわけにいかないのが本当のところ。
これは、あくまで私個人の屈託で、大航海時代シリーズなり、ネオアトラスシリーズなりの作品そのものをその点において批判する気はないし、プレイヤーがその視点を持たなきゃと主張する気もない。ただ私自身の意識において、史実にそれなりに寄せてる大航海時代シリーズはもちろん、わりと史実を相当にぼやかしながら進むネオアトラスの「世界の不思議と驚異」でさえも、「海のかなた」への憧れも含めて全てヨーロッパから発する視座から生まれたもの、つまりオリエンタリズム的なものが含まれているということは意識し続けないとなあ、というのがある。
無邪気に驚嘆され、楽しまれる「探索される側」には、日々の当たり前の生活文化があり、自己完結した世界を生きていた。だが、あるときヨーロッパが押し寄せてきて、それは不可逆に、決定的に変わってしまったのだ。やっぱり大航海時代には暗い側面がつきまとっていて、人類史において近代と呼ばれる時期以降、地球の広い地域を覆った植民地主義の発端がそこにあるのだ。そういう歴史的な流れが現実に存在し、今現在、この瞬間にも、地球上にうごめく人類のあれこれを運命づけてしまっている。そのことはいつも意識の片隅においておかねばと思う気持ちがある。
とはいえ、二次創作は二次創作だ。私は、好きな作品の好きなとこをワァワァ賞賛するためのものとして二次創作を書く気でいるので、その二次創作において、オリエンタリズムだの植民地主義だの、大航海時代や史実の暗い側面に触れる気はまったくない。二次創作を通して、一次作品や世間を批判的に批評する気もまったくない。
ただ、これは私自身が学問として若い頃に学んだあれこれから来る感覚ではあるんだけど、ヨーロッパからの「探索」をただ善として賞揚することには慎重であるべしという意識は、どこかにうっすらと抱えておかなくちゃという感覚もまた、確かにあるのだ。……あるんだけど、とか言っておいて私が書く二次創作ではわりと無邪気に、遠くへ、海の向こうへの憧れが出てしまっている。まあ私がそういうの好きなのでついそうなっちゃう。勢い良く書いてしまったあとで、ほんのちょっぴり、考えなしだったかなあと葛藤してる部分はある。でもまあ、やっぱり勢い任せに書いちゃうんだけど。
ゲーム作品として、大航海やネオアトの続編を望む気持ちもたいそうあるが、ゲーム作品は今や、さまざまに異なる歴史や背景や立場を持つ世界中の人が、自分たちの母語で遊ぶアクセス性を備えるようになった。大航海もネオアトも、大航海時代を夢と冒険にあふれたワンダフル世界巡りツアーとしてのんきに語ることはもうできないだろうなあとも思う。特にネオアトはそのへん顕著なんじゃないかと思ってて、無印や2にはあったいろいろな発見物が1469でだいぶ姿を消してしまっているのは、このへんの事情があるのかもしれないなあと思っている。そしてその配慮の感覚は打ち捨てるべきではないと思うし、当然のものであると思う。
冬コミで無配コピ本作ったとき、この点に触れても良かったけど触れずにすませちゃって、大変のんきに海の向こうへの憧れというとこにばかり焦点を当てるシメで終わらせてしまったので、ちょっと反省気味に、今ここで言及しておく。
短編の資料用のために都市名一覧と、こういう図を作っている
(背景画像はネオアト1469のスクショをつなげたもの、重ねてる現実地形の白地図は、CraftMAPさんで生成できるものを利用させてもらった。 http://www.craftmap.box-i.net/)
資料整理のはずだったが都市と実際の位置との関係を確かめながら地図作るのが楽しくなっちゃって、小説書きの作業は一切進んでいない。
まだネタ出しすらしてねーよ早くしろマジでケツがBBQされっぱなしなんですけど?
多少ズレるというか、いろいろ補正しないとバッチリとはハマらない部分もあるんだけど(すでにスカンジナヴィア半島は南北の位置が合わない)、結構いい感じにハマってる。
最初から霧が晴れている地中海・黒海周辺で位置を合わせてみて、地図の両端である東アジアや南北アメリカはちょっと海岸線がズレはするんだけど、相対的にはそこそこいい感じの位置にちゃんと実在都市が出ている。
例えばこの地図に見えてるザンジバールは、実際の位置よりはだいぶ北だがそれなりにアフリカ東海岸という意味ではけっこうばっちり入ったし。
この画像の範囲には入ってないけど、ゴア、マニラ、プサン、それから日本の都市なんかも実在都市名が出ているけど、だいたいそれっぽい位置に来ていた。
あと、このときのプレイでは中国内陸に海を入り込ませて、おかげでだいぶ内陸のトンコウも出してたんだけど、このトンコウがそれなりに実際の敦煌の位置くらいに来てたので、おおおお!!ってちょっとテンション上がった。
フリップタウン・フロップタウンは、それぞれ現実の地理でいえばハワイ、フィジーの位置らへんに該当する場所に出るということもわかった。夢を感じる。
(背景画像はネオアト1469のスクショをつなげたもの、重ねてる現実地形の白地図は、CraftMAPさんで生成できるものを利用させてもらった。 http://www.craftmap.box-i.net/)
資料整理のはずだったが都市と実際の位置との関係を確かめながら地図作るのが楽しくなっちゃって、小説書きの作業は一切進んでいない。
まだネタ出しすらしてねーよ早くしろマジでケツがBBQされっぱなしなんですけど?
多少ズレるというか、いろいろ補正しないとバッチリとはハマらない部分もあるんだけど(すでにスカンジナヴィア半島は南北の位置が合わない)、結構いい感じにハマってる。
最初から霧が晴れている地中海・黒海周辺で位置を合わせてみて、地図の両端である東アジアや南北アメリカはちょっと海岸線がズレはするんだけど、相対的にはそこそこいい感じの位置にちゃんと実在都市が出ている。
例えばこの地図に見えてるザンジバールは、実際の位置よりはだいぶ北だがそれなりにアフリカ東海岸という意味ではけっこうばっちり入ったし。
この画像の範囲には入ってないけど、ゴア、マニラ、プサン、それから日本の都市なんかも実在都市名が出ているけど、だいたいそれっぽい位置に来ていた。
あと、このときのプレイでは中国内陸に海を入り込ませて、おかげでだいぶ内陸のトンコウも出してたんだけど、このトンコウがそれなりに実際の敦煌の位置くらいに来てたので、おおおお!!ってちょっとテンション上がった。
フリップタウン・フロップタウンは、それぞれ現実の地理でいえばハワイ、フィジーの位置らへんに該当する場所に出るということもわかった。夢を感じる。
今、大航海時代originで仲間になる航海者に、ジョン・ハリソンって名前があるのに気付いた。クロノメーターを開発した時計職人ジョン・ハリソン? このゲーム、ハリソンと同時代人のクックとかも普通に出てくるからいてもおかしくはないけど、航海王子ことエンリケ・デ・アヴィスが1394年生まれ、ジョン・ハリソンは1693年生まれで、ほぼ300年の差がある。改めて見ると時代幅の広さよね~。
とりあえずハリソンは、まだ引き当ててないというか、なんか条件あるかもでうちにはまだいない。クックのガチャ(お値段する……)でしか出てこないBランクとかっぽい気がするなあ。そうだとすると出会うことないんだろうけど、どういうグラフィックでお出しされてきてるのかちょっと知りたかった。
とりあえずハリソンは、まだ引き当ててないというか、なんか条件あるかもでうちにはまだいない。クックのガチャ(お値段する……)でしか出てこないBランクとかっぽい気がするなあ。そうだとすると出会うことないんだろうけど、どういうグラフィックでお出しされてきてるのかちょっと知りたかった。
エルネストシナリオ完了!
夜はギリ間に合わなかったので、いまクリアした。
エンドカード的な一枚絵きた! オリジナルシナリオのオマケ、という感じだけど、エルネストとパウラのいちゃいちゃを叩き込まれる、ラブラブロマンチックなやつだった。ものすごくわかってらっしゃるご褒美ーーー!!!ありがとうありがとう!!!
たぶんもう結婚してる設定かなあ。
原典シナリオの他のエピソードで出てきた一枚絵だと、全体的にパウラがめちゃくちゃ少女な感じの絵で犯罪臭がハンパ無かったのだが、オマケエンドカードではもう少し大人っぽい感じ(少し身長伸びたかな?感)だったので安堵するなど。
このカプ推せるけど、特にoriginのイラストのパウラは、リアル寄りのアジア系14才美少女として描かれてるので、めちゃくちゃ子供っぽくて華奢な見た目で、ガチ恋愛な話が展開しだすとヴィジュアル的にエルネストがマジやべーロリにしか見えない(まあ設定上も開始時に21才と14才なので実質的にもロリでしかないんだけども)のは困ったところ。お話の上では、エルネストが温和なお坊ちゃんキャラなこともありパウラに対して終止ジェントリーな対応で、ほのぼのしててかわいいカップルだなあ、という印象ではあるけど。
個人的には、航海してる間に数年過ぎてて、シナリオの最後で告りあう段階ではパウラは結婚してもおかしくない年齢に達してる、という脳内補完をしている。シメのエンドカードだと実際なんかそんな風情でしたぬ。エルネストとパウラの体格差が他の一枚絵よりは縮まっているような、気がするよ……ただの錯覚かもしれないけど。
夜はギリ間に合わなかったので、いまクリアした。
エンドカード的な一枚絵きた! オリジナルシナリオのオマケ、という感じだけど、エルネストとパウラのいちゃいちゃを叩き込まれる、ラブラブロマンチックなやつだった。ものすごくわかってらっしゃるご褒美ーーー!!!ありがとうありがとう!!!
たぶんもう結婚してる設定かなあ。
原典シナリオの他のエピソードで出てきた一枚絵だと、全体的にパウラがめちゃくちゃ少女な感じの絵で犯罪臭がハンパ無かったのだが、オマケエンドカードではもう少し大人っぽい感じ(少し身長伸びたかな?感)だったので安堵するなど。
このカプ推せるけど、特にoriginのイラストのパウラは、リアル寄りのアジア系14才美少女として描かれてるので、めちゃくちゃ子供っぽくて華奢な見た目で、ガチ恋愛な話が展開しだすとヴィジュアル的にエルネストがマジやべーロリにしか見えない(まあ設定上も開始時に21才と14才なので実質的にもロリでしかないんだけども)のは困ったところ。お話の上では、エルネストが温和なお坊ちゃんキャラなこともありパウラに対して終止ジェントリーな対応で、ほのぼのしててかわいいカップルだなあ、という印象ではあるけど。
個人的には、航海してる間に数年過ぎてて、シナリオの最後で告りあう段階ではパウラは結婚してもおかしくない年齢に達してる、という脳内補完をしている。シメのエンドカードだと実際なんかそんな風情でしたぬ。エルネストとパウラの体格差が他の一枚絵よりは縮まっているような、気がするよ……ただの錯覚かもしれないけど。
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内容は一言で言うとコロンブス(クリストバル・コロン)の息子であり、生涯を通じて本を集め続けた愛書家エルナンド・コロンの伝記。
原題は" THE CATALOGUE OF SHIPWRECKED BOOKS: Young Columbus and the Quest for a Universal Library"である。
エルナンドは、15世紀末という大航海時代の曙光の時期に生まれ育ち、16世紀半ばよりは少し前に50歳で死んだスペイン人だ。その父はクリストバル・コロン。つまり大航海者であると同時に大言壮語の夢想家として現在の世にも名を轟かせるかのコロンブスだ。
父クリストバルは二十代終わり頃に貴族の娘フェリパと結婚し、長男ディエゴを得たが、フェリパは早くに亡くなってしまった。そう時をおかずにクリストバルは農家の娘ベアトリスと関係を持つ。ベアトリスは一定の学はあったが農民階級で身分は高くはなく、クリストバルはベアトリスとは正式には結婚しなかった。そんな二人の間に生まれたのが次男エルナンドである。
エルナンドはいわば庶子の立場ではあったが、正式に手続きされてクリストバルの子であると認められ、ごく幼い時期から兄ディエゴと共にスペイン宮廷に出仕した。宮廷で、エルナンドはフアン王子の小姓を務めながら高い教育を受けて育った。
13歳のとき、エルナンドは父の探検航海に同行する。コロンブスの第四回目にして最後の航海であるが、このときクリストバルはすでに50歳の坂を越え、入植地の失敗を理由に逮捕されたりと落ち目にもあって、航海は当初から支援が乏しかった。1502年に船出した船はフナクイムシにやられてボロボロで、出航から1年あまり後にはジャマイカで座礁して動けなくなった。救助が来るまでさらに1年、その間、病気や資源の不足や乗組員の反乱に悩まされる散々な旅だった。クリストバルは失意のうちに1506年にスペイン本国で死去する。とはいえ、まだ若々しい少年だったエルナンドはこの厳しい航海を生き延びて航海の経験を積み、父との旅を思い出に深く留め、そして新世界で目にした事物に好奇心を向けた。
ところで伝記を読むとエルナンドは、航海者としての資質もきっちり持っているが、それ以上にとにかく几帳面であり、また実務に長けた人であるように思える。
とくに情報の積み上げへの熱は、もともとの気質がそうなのかもしれないし、宮廷で暮らした少年時代に事務能力がさらに磨かれたのかもしれないが、とにかく若い頃から大量の物品を帳面に付け、秩序立て、取り出すべきときに取り出せるようにきちんと整えておくクセがあるらしい。世界の全てを情報化して手元に置いておきたい、そういう博物学的な感覚がなんだか強く彼に内在しているように見えた。
世界はどんな様子か、どんなものがどこにあり、どうやったら知ることができ触れることが出来、役に立てることができるか。世界のあらゆる要素を情報の山脈として築き上げ、それをいかに効率的に運用できるか、そんなことを意識し続けているような気がする。そういうエルナンドの気質には、なんていうか、ぐっと来た。
個人的に日本の長久保赤水もそういう風なタイプに見えているのだが、世界の手触りを文字と絵図にして紙に記し、その手触りをいつでも好きなときに仮想的に取り出せる、そんな便利なものをこさえて手元に置きたいし他人にも共有して使ってもらいたい、そういう欲求があるように思えるのである。エルナンドはデータベースの魅力に憑かれた人間なのだ。
わかる。データベースにはそういう魔力がある。それにしてもエルナンド、印刷技術という新技術を全面的に前提としながらとはいえ、よくもまあその時代にそれだけのデータベース構築に邁進したものだなと思う。
本のなかでは、エルナンドが図書館を作り上げようとした根にあるものとして、父クリストバルへの追慕と、また父への思いもひっくるめて祖国スペインが世界を統べる唯一の国として屹立するために当然必要なものとして、世界の知識を集約したデータベースを構築することへの意識が取り出される。それは確かにそう思えるのだが、私自身は、とにもかくにもあらゆる知識と情報にアクセスしたい、それも効率的にできるようにその原材料を集め仕組みを黙々と積み上げていくエルナンドの気質、その集大成としての図書館というのがなんとも印象に残った。
なんとも共感というか感心してしまうのは、彼がとにかくなんでもかき集めていたことだ。なんらかの地理や情勢を記した版画だ、音楽の譜面、当時としては意味も価値もたいして高くないと考えられていた流行の恋愛詩といったものまで、とにかくなんであれ文字や記号や図像でなにかが記録されているものは片っ端からかき集め、目録を営々と綴っていこうとした。
手書き写本は高価すぎるという経済上の理由もあるとは思うが、当時の本収集マニアとして見た場合、高価で美しい写本を工芸品として求めるのではなく、印刷されてそこらの庶民も手に取るような本や図版、言ってみればマニアの間では木っ端のような紙切れ扱いされるようなものまで大量にストックしていくエルナンドは、当時では好事家としてもかなり奇妙な人枠だったかもしれない。
しかし、エルナンドが生涯かけて図書を収集し続けたのも、スペイン地理誌をまとめようとしたのも、情報コレクション欲という程度には留まらないように思う。だから彼は収集マニアではないのだ。集めて並べて眺めて満足、ではないのだ。
そしてまた、知らないことを知りたいという学術的・知的好奇心も、それが基盤にあるのはもちろんだが、それだけではないように思う。学究の欲をさらに上回って、ただただ大量の情報を集約し並べ直し整えて、快適に取り出したい、そういう欲求を持った人だからこそ、本を集め図書館を運営しようとしたのではないかと思える。
図書館として運営しようとしたときに、エルナンドが概要目録や題材別目録、さらには著者一覧・科目一覧も作り、本をそれに沿って並べ替えようとした。そのあたりに、その熱が爆発しているように思う。しかも目録類は複製して各地に配ろうともしていた(当然ながら印刷技術を前提としているだろう)。誰もが参照できる知識の山があり、そこではいくつもの原典を確認して比べることができ、実証や議論の支えにすることができる。そのために、書庫という物理的な記憶保存媒体をこしらえるだけでなく、検索性というソフト面もがっつり作り上げようとしていた。本の中で喝破されているとおり、彼はインターネットの検索システムのようなものを構築したかったのだと思う。
だが、この先見性のありすぎた図書館構想は、完成間際といえる段階まできて本人の死で未完に終わる。エルナンドは子をなさなかったので、一万五千冊の蔵書を含む全ての遺産は甥のルイス(兄ディエゴの息子)に引き継がれることになっていた。当然ながらエルナンドは遺言書で、遺産のうちの相当量を図書館の維持運営と拡大に当てるように記載していたが、やっぱりというかなんというか、その望みは守られなかった。甥は図書館運営には興味を持たず数年放置し、エルナンドの本はセビーリャ大聖堂に移管された。大聖堂で図書は死蔵に近い状態に置かれ、エルナンドが夢として描いた壮大な図書館として機能することはなかった。
しかし、訳者のあとがきによれば、エルナンドの蔵書の一部は現在もセビーリャのコロンビーナ研究所を構成するコロンビーナ図書館に収蔵されているということだ。コロンビーナ図書館、スペイン語でビブリオテカ・コロンビーナ、つまりコロンブス図書館である。
同じく訳者あとがきでは、エルナンド本人は図書館に自分の名をつけて「ビブリオテカ・エルナンディーナ」とするつもりだったようだと言及している。父を慕い続け、その名誉のためにあらゆることをなした息子エルナンドの蔵書を引き継ぐ図書館としては、コロンの名を冠しているというのは父もエルナンド本人も双方含まれていて賢明なネーミングかもしれないと、そのように触れられているし、それもそうだと思う。
しかし、それでも個人的には、私の心の奥では、熱すぎるほどのデータベースへの情熱はエルナンド本人の内側から湧き上がってきていたもののように思えて、もしも彼の夢の図書館の名残が現在にもかろうじて残ったのなら、その名前はエルナンド図書館であってくれても良かったなあと、判官贔屓っぽいが、そんなふうに思った。