雑記

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 そういえば、昨日は梅雨に入った!入っちゃった!!
てことを書こうと思ってもいたはずだが忘れ果てていた。
 梅雨入りしたと報道があった昼間には大雨が降っていたのだが、15時頃には晴れだして、夕方は気持ちいいくらいの晴れになってしまっていたからだ。
 今日は曇りがちで、ぱらぱら通り雨を降らせそうな雲も時々流れてきたが、やはり夕方は晴れ間もあり、雨は降っていない。まあ、空の雲の形や、大気の湿度はすっかり梅雨の湿り気ではあるのだが。
 土日は雨天らしい。出かける予定はないのでまあ良い。洗濯物は捗らないな。

日記 編集

 日曜は帆船の大事故でしょんぼり萎れていたのだが、次の日には、偶然なのだが、美味しくてかわいいお菓子や絵はがきなどを贈って頂いたのが届いた。なんだかとてもありがたかった。それでだいぶん元気を出した。天災とか大事故とかでちょっと気持ちが動揺しているときは、人の優しみや、小さい幸せが身に沁みる。ありがて!

 とりあえず今日はジークアクス7話を見たりした。
 ジークアクス、竹氏デザインの魅力的なキャラが、惜しげもなく1回の話であっさり死んでいくう!
 戦争中じゃないはずなんだけど、戦間期の気配がぷんぷんする不穏な世界だ。
 ただ、いちおう終戦しているということで、コロニーの内部では日常が営まれている。現在の東京とよく似た感じで、地下鉄が走り、毎日、勤め人や学生がそれに乗るために構内に群れている。みんなスマホを眺めて、ニュースや動画配信を見たりしている。そこに事故で運行休止中とかのアナウンスがあったりする。テストとか受験とか三者面談とかもある。そうやって普通に暮らしている。
 主人公の高校生マチュも難民のニャアンも、それぞれの日常を生きていたのだが、マチュは思春期特有の鬱屈から、ニャアンは難民という身分の不安定さから、自由への渇望に駆られて全速力で走りだす。だいぶ青春。……のはずなのだが、なにせ大規模な宇宙戦争がとりあえず終結してすぐという不穏な世界で、どこも戦後の景気の悪さがちらついており、また各勢力が水面下で次の戦争に向けた準備を進めている。こんな情勢だから、マチュたちが若者らしく迷走しながら全力ダッシュして飛び込む先は、だいたいいつも、前よりももっと不穏な戦いの場になっていくっていう……
 ガンダムだけでもなく、今までのいろんなアニメのオマージュを感じる作品だけど、それはさておき、子供と大人の中間にある青春の不穏さと勢いの良さと、大人達が血道を上げる戦争の不穏さとドンパチ感とが絶妙にシンクロしてしまう、そこにガンダム特有の「ニュータイプ」というスピリチュアル感が加わって、うーんこれはまったくガンダムの味わいだなあと思いながら見ている。
 とはいえ、ガンダム知らなくても普通に面白い、よく出来てるお話だ。私自身、ガンダムはミリしらに近いくらい、たいした知識がないが、普通に話を面白くたどっている。
 それに、なんといっても絵が良い。マシンも良いけど、キャラデザがやっぱ最高に良いな……! 7話だと、キシリア様が非常にカッコイイ切れ者の御婦人になっていて、なんかびっくりした。なんだあのビシっとしたスーツにハット、ファッションいけてすぎるよ、惚れちゃうよ~! ちょっとキシリア様推しになりそう(でもジオンの軍服モードはやっぱりあんまりかっこよくないと思ってしまうし、キシリア様が仕掛けてる計画が不穏すぎてやっぱ悪いヤツだなお前!って思ってる)

日記 編集

 クアウテモックは続報はそれほど追っていない(し、あまりこれという続報も出ていない)けど、NTSBの調査が入るようなので、いずれレポートかなにかを目に出来る機会でもあったなら、と思う。
 船舶と橋の衝突事故は去年、たまたまだがやはりアメリカで起きている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%...

 ボルティモア港から離岸したばかりのコンテナ船が橋脚に衝突し、橋が崩落。
 コンテナ船は、離岸からまもなく、電源喪失による操船不能に陥った。錨を降ろし、メーデーを発しながらも走錨を止めようがなく、そのまま橋の橋脚に突っ込んだ。鉄製のトラス橋の橋脚部分に貨物を満載した重量のある船がぶつかったために橋脚は即座に崩れ、ついで橋桁も崩壊した。橋にいた工事作業員8名が橋の崩落によって落下し、うち6名が犠牲になっている。
 クアウテモックはコンテナ船ほどの重量はないし、ぶつかったのは船全体ではなくマスト部分だった。ブルックリン橋もかなり頑丈な橋ということもあって橋には重大な損壊は発生しなかったのだが、ことによっては崩落の危険も考えられたかもしれない。そうならなかったことだけが、この悲劇的な事故のなかで、ただひとつといっていい幸運なのしれない。

海や船 編集

 メキシコ海軍の練習帆船クアウテモック号がニューヨーク出港時に大事故との報道。ブルックリン橋に衝突して、全マストが破損。出港時の登檣礼のためにマストには多くの訓練生が登っていたようで、現時点で二名が死亡、二名が重体、重軽傷19名。
 クアウテモックは去年7月くらいに日本に、横須賀港に来ていた。浦賀通過時だったか、やはり登檣礼での東京湾入りの動画をツイッタで見つけたりして、楽しく見ていた。まだ一年も経ってないのに、こんな事故が……とても悲しい。
 去年は、5月にオランダのスタッドアムステルダム号が横浜に、そして8月にはイタリア軍のアメリゴ・ヴェスプッチ号が東京港に来て(私はこれを観に帰省した)、今年の日本は帆船が立て続けに来るなあ!となんだかウキウキ楽しい気持ちでいたのに。なのに、あんな……

 慌てて事故動画付きのツイートをRTしてしまったんだけど、動画見るととてもつらい。クアウテモックも美しいトールシップだ。満艦飾とライトアップできらきらのマストに、誇り高く登檣していた訓練生たちめたくさんいて、船影は美しく、陸からは人々も歓声で見送っていたのに……

 クアウテモックが停泊していた桟橋、ピア17はブルックリン橋のすぐそばで、5、600mくらいしか距離がない。クアウテモックの全長は90mだから、船の長さの5倍ほど流されてしまえばもうそこに橋があったのだ。
 クアウテモックがいたのはイーストリバーという海峡で、リバーと名がついているが26kmほどの長さしかなく、両端が海につながっている。海峡なので潮流はそれなりに強く、どうも平均して4ノットくらいあるらしい。実際、クアウテモックの航跡のデータでは離岸直後に4ノットの速さでブルックリン橋に近づいていっている。
 ニューヨーク市長のツイートでは動力喪失というワードが出ていた。
 抜錨・離岸した直後に機関が故障したのだろうか。タグボートもついていたようだけど、あまりに橋が近すぎてタグの牽引も追いつかなかったのではないだろうか。

 動力喪失がもう少し沖だったら、潮流がこの向きじゃなかったら、桟橋がもう少し橋から遠い場所だったら……

 今さら考えてもしょうのないことだけど、切ない。
 美しい船が、無惨な姿になったことも胸が痛むし、それ以上に、あんな晴れやかな出港で、予定通りに進めば自由の女神像を眺めながら悠々とマストを降りていただろう若い船乗りたちが。怪我をした人もたくさん、そして命を落とした人も。悲しくて、なんかやりきれない気持ちになってしまっている。

 現段階では、事故の要因などはほとんどなにもわからない。いろいろと不運だったようには思うが、防げた事故だった可能性もある。原因は調べられ、安全への対策がきちんとなされてほしい。しかしそれで誰かがなんかしらの詰め腹切らされる羽目になったとしても、去年横浜でたくさん撮影されていたあの美しい船影も、逝ってしまった人も、損なわれて、もう帰ってこない。つらい。

日記,海や船 編集

 あっつい。昨夜はぜんぜん平気だったが、今日は窓を閉め切っていると暑くてならず、ついにクーラーの除湿を入れた。なんせ湿度がやばい、75%もある。
 例年だと5月後半くらいになるまでエアコン使わないでもすんでいた気がするんだが。どうだろうか、しかし去年のことなどあまり正確には覚えていない自信があるので、去年あたりもこんなもんだったろうか。
 梅雨入りは遅れている。今週は、天気は全体に曇りだがあまり雨は降っていない。どっちかいうと晴れてるほうかもしれない。先週の土日の悪天候で、梅雨に入ったんじゃねーのこれ、と思ってたのにな。

日記 編集

 あー! 今突然に思い至ったけど、『教皇選挙』のベニテス枢機卿のヴィジュアル、なにか、どこかで、似た感じの人を……みたいに思ってたんだけど、あれだぁ、私の脳内でイメージしてる初老に至ったゲドの見た目イメージ、かなり近いんだ。頬に四本爪の痕を薄くつけて、髪はもう少し白髪まじりの……

 ジブリのゲド戦記のユパ様っぽいゲドのヴィジュアルは、かなりイメージ違ってたんだよね。まあそれを言うならテルーやアレンはさらにだいぶヴィジュアル違うけども(アーキペラゴの人々に対しては、アメリカ大陸先住民に近い顔かたちや肌色でイメージしているので)

メモ 編集

 今日は好物のピーマンの肉詰めをこしらえた。まあピーマンの肉詰めだから当然だけど、ぶっちぎりの大優勝。
 もともとハンバーグが好きで、ハンバーグもたまにこしらえては優勝するけど、ピーマンの肉詰めのワクワク感はやっぱ格別だなあ。作ってるときに肉を詰める工程とかも楽しいのかもしれない。あとピーマンて、よく火を通すとなんであんな美味いんだろうねえ。毎回、感心しちゃうよ。

日記 編集

 ツイッタで、地の文がどうのこうの、という話題がちらっと見えた。
 会話文オンリーのほうが二次創作ではウケがいいらしい、いや私は地の文がいっぱいあるほうが好きだ、割合が問題じゃない筋が面白けりゃどっちでもいい、とにもかくにも文章のリズムが合うか合わないかだ、私は推しの声を邪魔なく脳内再生したいんだから地の文は邪魔だ……などなど話題が盛り上がっている。
 興味深い話ではあるが、まあなんであれ読み手側が自分とウマの合う文章を、楽しんだり楽しまなかったりしながら選ぶのだから、二次創作の書き手側のほうで、より広汎にウケる明日はどっちだ、自分はそれに寄せていかないといけない!いやさ世界が間違っている、私の文体がなぜ受け容れられないのか!のように思い詰めるのはあまり益がないとは思った。
 もちろん、プロの作家ならば、読者層が明白にターゲッティングできていて、その読者たちが求める文章を生み出せているか、そういうことに大いに労を割くべきだ。好きなものを好きなように書いてお金がじゃんじゃん入ってくるのならそれでいいんだが、往々にして世の中はそんな都合良く出来てはいない。だから文章で金を稼ぐ、それも自分だけじゃなくて出版社とかも儲からすレベルで売れる文章を生み出すには、読者に精密に標準を当て、適切な威力の弾丸で撃ち抜き、本を買ってくれる読者……獲物を増やすほかはない。でもそれは稼がなきゃいけない立場を背負っているからなので、二次創作で儲けるつもりがない人はあまり一生懸命考えすぎない方が良かろう、とは思う。

 というのは前振りで。
 地の文が装飾過剰気味な文体の、好き小説。
 人にめちゃくちゃ薦めたいんだけど薦めるのに確かにかなりのためらいを持っちゃうんだよな~~!!
 ちょっと前に無理矢理ブラッドベリのことを書いたけど、ブラッドベリの地の文こそ、なんだこれってぐらいこってりなので、薦めたいけど薦めづらいんだよね~~~!!! タニス・リーとかもその類いだね~~~!
 いやもう、それはそれは面白いんでほんとまずはご一読……って言いたいんだけど、あの地の文のクセ強さに、ちょっと読んでみて、いやあんまし……ってなる人のほうが多いのではないかという気持ちにつまづいて、おすすめだよ!って言いづらい。
 例えばジョジョが今ほど覇権的な名作扱いされてない頃、2000年初めくらいだったか、この頃に職場でワンピースが流行ってたんだけど、週ジャンだとジョジョも面白いよ!って推してみたら、え、あれ絵が気持ち悪いからやだ……と断られたりしていた。切なかった。面白いのにィ。
 今だったらジョジョも有名になったので受け容れられやすくなってるかもしれないけど、まあやっぱりちょっと絵も話もクセ強なほうなのでハマる人とちっともな人と両極端に別れる作品だよねとは思う。というわけで、クセ強め文体の小説に対する私のイメージ、だいたいジョジョに近い感じ。

 ブラッドベリの文章は、もう堂々の古典になるくらい古いし、有名だとは思うが、サンプルとしてちょっと引用してみる。
「何かが道をやってくる」プロローグから抜粋。(大久保康夫訳、創元推理文庫、1966年5版)。

” ところで、十月はどうだろう?学校がはじまってから一カ月にもなるので、子供達は、たずなのとりかたに馴れて、楽々と走っているころである。そして、怒りんぼのプリアットじいさんの家の玄関先にぶちまくごみのことや、その月の最後の晩にYMCAへ出かけるとき着る毛深い猿の扮装のことなどを考える余裕もできてくる。そして、十月二十日近くなると、あらゆるものが煤煙くさくなり、たそがれどきの空は黄ばんだ灰色におおわれるようになる。そして、あちこちの街角で箒が降ってきたり、シーツがはためいたりするうちに、万聖節前夜(十月三十日)が待たれてくるのである。
 しかし、ある奇妙な、調子の狂った、暗い、月日の長い歳に、万聖節前夜は、いつもより早目にやってきた。
 ある年、十月二十四日の真夜中を三時間すぎたころ、万聖節前夜がおとずれたのである。”

 プロローグでこれだもんなあ。地の文わりとだいたいこんな感じだし、なんだったら会話文でもこういう比喩がわんこそば状態で盛られてくる。かなりこってりだなと思う。あと、外国語からの翻訳文の、うっすら漂う日本語としてのぎこちなさが嫌いって人もわりといて、そういう人にもあまり好かれないかもしれない(これはブラッドベリだけでもなく、海外SF、FT全般に当てはまる話だ)
 でもいいんだよなあ、このこってりした比喩の山が。ほんとに。
 あと、「何かが道をやってくる」はストーリーもだいぶハラハラ、ドキドキ、ワクワクがあって良い。14歳にもうすぐなる少年達が主人公で、非常にジュブナイルな作品でもあるし、最後まで読んだときのすがすがしさがすごい。そうなんだけど、物語の中心にいる、季節外れの巡業カーニバル団……奇っ怪で謎めいて闇と悪の匂いがし、奇妙にねじれた薄気味悪い、だけど魅力的な連中……のどうにも魔術的な描写のいちいちが、ぜんぜんさわやかではない(こってり、こってり!)

 というわけで、こってりさわやかな『何かが道をやってくる』、『何かが道をやってくる』をお願いします。
 読んでない人はまじでいっかい読んでみてよ、ハマったら底なしだよ~。

日記 編集

 『プラニスフェーリオ』の感想をいただきました!
 うわァーーー!!!
 ありがとうございます!!!
 テンション爆上げで喜んでいますが、はしゃぎっぷりを全部もろ出しにすると多分だいぶ気味が悪い長文になるので、抑えます(抑えきれなくてにじみ出ます)

 感想に書いていただいたなかで一番嬉しいのは、またネオアトラスプレイしなきゃ、とあったことです。
 やっぱ原作。なにをおいても原作のすばらしさが最の高!
 いいですよね、ネオアトラス!
 自分の書いた二次創作が、原作へのアクセスのきっかけになったならとても嬉しいことです。
 『プラニスフェーリオ』はほんとに隅から隅までペレスとアブトゥだらけの短編集で、あまりに彼らの話で埋め尽くされてる(私の欲望が詰まりすぎてる)本でいくらか恥ずかしさもあるのですが、ペレスとアブトゥのカップルを推してくださる方に喜んで頂けるのはまったく本望です。萌えを共感いただける喜び! ペレスとアブトゥほんと……ほんと……両片思いの可能性無限大が…………嗚呼…………(言葉を失う)
 名前を挙げて頂いた「払暁」は、あまりに自分の萌えや文体の手癖に寄せすぎたかなあとか、あの一大萌えイベントをこんなへにょへにょの文字化でいいのかとか、なんとなし後ろめたさがあったので、ペレブトゥ推しの方にも楽しんでいただけたのがたいへん嬉しくありがたいです。アブトゥのBIG LOVEを読み取って頂けてとてもハッピーです!
 「西へ、海のかなたへ」は、これも自分の手癖が出たうえに、まったく原作中のエピソードにかすらない話を捏造してしまったのですが、書いているときは、推したちを主人公にして児童文学書くの楽っしいな~~~!の気持ちで勢い良く元気に楽しくとりかかってました。ペレス少年がぽやぽやでかわいいですよね! 自分で書いておいて言うのもなんだけど! 自分でも、書いてから読み返して、なんだこのめちゃくちゃのんきな生き霊は、と思っていました。しかし原作のペレスも、難しい小理屈はこねるし頑固だけど神経質ではない感じがあります。根っこの部分にはかなりの鷹揚さや柔軟さも持ってそう、持っててほしい。頭良いところは当然、ペレスというキャラクタのかっこよいところなのですが、どこか超然と……まあつまりド天然なところも、良いなと思っているのです。

 お返事のふりで、自分の萌えと作品語りをしてしまって申し訳ないですが、書いた同人誌もネタにして原作萌え語り出来るの超絶ハッピー!と思っているので、本当に感想お寄せくださってありがとうございます。マジありがてー!うれしー!

ネオアトラス,おへんじ・エアリプ 編集

 『たべっ子どうぶつ THE MOVIE』を見に行く気はまんまんだったのだが、今日も明日も大雨予報で、こういうときの外出は面倒なので諦めた。来週行く(天気が悪すぎなければ)。

 ところで昨日、リアルコンクラーヴェが終わり、リアル新しい教皇が決まった。
 映画の『教皇選挙』が面白かったので、今回のリアルコンクラーヴェも結構ちょこちょこ動画の配信とか見てた。コンクラーヴェ始めるよ、ってシスティーナ礼拝堂の扉が閉ざされる場面とか、映画かなりまんまだったんだなあ、などと感心したりした。あとコンクラーヴェ直前のミサの動画配信もちろっと見て、カメラワークキレッキレやな~教皇庁の広報優秀だよな~聖歌の斉唱かっこよすな~しかし下位の聖職者の来ている上っ張りが割烹着過ぎておかんがいっぱいいるみたい……などと好き勝手なことを異教徒は思っていた。(この上っ張りはサープリスと言うらしい。こんなところで☆矢ハーデス編と出会ってしまった)

 さておき新しい教皇に選出された人は、アメリカはシカゴの生まれの方だということで、教皇のお兄さんにあたる人にBBCが突撃インタビューをかましている動画なども見かけた。いかにも気のよさそうな陽キャアメリカンおじいちゃんが、「うちのロブが!ワーオ! だけど今までみたいにはできなくなっちゃうな、どーしよ??! でも、ウッワーイ!やったぁー!!ってなりました!」ってなことを言っていて、いやあアメリカン朗らかでなんか良かったよね。
 この陽キャおじいの弟さんこと新教皇は、教皇としての名はレオ14世を名乗ることになったが、本名はロバートという名前なので、お兄さんは弟をロブと呼んでいるのだ。
 レオ14世はフランスやイタリア、スペイン、クレオールなど様々な人種の血をひいているそうで、黒人やネイティブアメリカンの子孫でもある。アメリカの人は家系を辿るとかなりワールドワイドにいろいろなルーツに辿りつくイメージがあり、このへんもいかにもアメリカンって感じがする。
 ずいぶんど真ん中にアメリカンな教皇来たなあ、と思った。
 なにせシカゴ育ちだ。
 シカゴといえばイリノイ州、イリノイ州といえばレイ・ブラッドベリ。
 私の中にあるアメリカは、ブラッドベリの作品から得たイメージがほぼ原風景のようにかなり幅をきかせている。特に、イリノイといえばブラッドベリの作品にあるような風景がある場所だと、脳が勝手にそう思いこんでしまっている。
 ブラッドベリはイリノイ州ウォキーガンに生まれ、思春期に入るくらいまでをその町で暮らした。ウォキーガンはシカゴから数十キロ離れているが同じくミシガン湖西岸に面する町だ。とはいえ、アメリカ第三の都市で人口も260万を超える大都会シカゴに比べると、ウォキーガンは人口10万人に満たないようだから、まあ今でもちょっと田舎めな町なのかなと思う。
 私が好きな『たんぽぽのお酒』や『何かが道をやってくる』の舞台もウォキーガンをモデルとしている。ただ、ブラッドベリ自身の少年時代にあわせているので、描かれているのは1930年前後の風景である。
 ソーダとアイスクリームの香りが漂うドラッグストアの涼しさ、ぽつんと灯りの灯る真夜中のショーウィンドウ、土曜の夜のシネマ、芝生の緑、ポーチの手すりに置かれたレモネードのグラス、遠くから響く鐘の音、ボロ市電が動く錆びた軋み。
 ブラッドベリの作品を通して、こういうイメージが私の脳内のアメリカの普通の町の風景としてしみ込んでしまっている。考えてみればもう現在からは百年近くも前の風景なので、絶対にこのまんまなはずはない。これは古き良きアメリカ、めちゃくちゃオールドスタイル、のはずだ。ただ、日本人の感覚からすると、戦前なのにこんなに今風?時代設定合ってる?とか思うような、だいぶ現代寄り風景にも思える。私が初めてブラッドベリを読んだときはあまり深く考えずに読んでいたので、作中の年代が数十年も昔のものだということにはほとんど気付いていなかった。
 もとより教皇レオ14世は戦後1955年生まれで大都会シカゴの人だから、ブラッドベリが見たようなオールドスタイルな田舎町の風景の中では育っていないだろう。とはいえ、シカゴ、イリノイ州の出の人、と聞いてとっさに私の頭に浮かんでしまったのはさっき書いたような風景だったし、弟をロブと呼ぶ陽キャおじいの少年時代も、ギリギリ私の脳内にあるイリノイの風景を見ている可能性がミリくらいはあるかもしれないなと思う(世代で言うと多分、ブラッドベリの子供くらいの世代の人なんだけどね)。

 なおブラッドベリ自身はユニテリアン・ユニバーサリズムの人だったらしいので、キリスト教徒とは言いがたく、もちろんカトリック教徒ではさらさらないはずで、もし彼が存命していてシカゴから教皇が出たと聞いても、さほどの感慨は持たなかったかもしれない

 そして、これを書くためにブラッドベリの来歴を調べていて知ったが、ブラッドベリの死後、蔵書がウォキーガンの図書館に寄贈されたそうで、少年時代のわずか十数年を過ごしたこの小さい町がブラッドベリにとってそれだけ大事な土地だったんだなあということにしみじみとした気持ちになった。

 というわけで、コンクラーヴェにかこつけて無理矢理ブラッドベリ好き好きを語ったよ

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 明日とあさって、私の住むあたりは2日とも大雨予報で、洗濯が捗らないことがほぼ確定なので今日、無理やり洗濯して、夜だけどとりあえず外干ししてある。
 しかし今夜遅くには雨が振り始めるらしいから、寝る前に取り込んで室内干しにしないといけない。
 いけないのだが、今日は久々に缶チューハイなど買ってきてしまい、飯と一緒にかっくらったので良い塩梅に眠い。寝そう。寝る。寝たい。このまま寝落ちできるとすごく心地よいよね、きっと……

 まずい。
 寝てはならぬ。誰も寝てはならぬ。洗濯物を取り込むまでは。
 しかし肝心の洗濯物は、まだ取り込むにはあまりにもという状態。なにせ夕方干してから二時間も経ってないからな、全然乾いてない。もう少しは乾いてもらいたい。
 寝落ちしないように頑張らないと!

 買ったのは、アサヒの贅沢搾りプレミアム、マスカット・オブ・アレキサンドリア味だよ。ツイッタで広告見かけて、美味しそうだな!って気になってたんだよね。果汁感高くて、味はほぼほぼジュースだったわ。好き。近くのコンビニに置いたったのはマスカットだけだったけど、ポンジュースのやつ気になるから見かけたら試してみたい。

追記:
無事に洗濯物を屋内に入れた。もちろんものすごく生乾きだが、まあ明日1日くらい下げとけばなんとか乾くだろう。これで寝れる、おやすみ。

日記 編集

今日は職場の、英会話ができてフランス語やドイツ語なども少しわかるという語学力あるん人(ちゅ)と雑談してたとき、なんの話の流れだったか、名詞に性別あるのめんどくせえね!って話になった。あと定冠詞もわかんねえ!と盛り上がる。aなんだがtheなんだか……そのうえ名詞の性と定冠詞が二つ合わさるロマンス語系のめんどうくささったら!どっちかにしてほしい!みたいな……まあ私はそもそも英語ですらしゃべれない人間なんだが、ざっくりした知識だけでいっちょまえのツラ構えして会話に参加してたのだ。
 そんで、ふと、バナナが房で置いてあるときの冠詞ってどうなるの……???ってなって、2人とも、わからん!!って叫んでた。
 それも、島バナナを枝ごとバッキと持ってきたような塊だとさあ。
(下記のような状態ね)
 http://kyodoshi.com/article/10307

 英語わかるん人が、日本語なら房とか言えばいいのに!って叫んだけど、しかしちょっと待て……となる。
 日本語も、助数詞がやたらあるぞ……個だの本だの房だのと……しかも数詞自体も規則性なく音韻が変わったりする……ひゃく、にひゃくからの突然のさんびゃく、さらにはろっぴゃく……これは、日本語初学者の9割(体感)が最初期にキレちらかすポイントとして有名だ。
 箪笥の助数詞が棹(さお)だなんて、日本人でも結構わからない。
 とりあえず箪笥を数えてみる。
 ひとさお……ふたさお……
(※すでに、いち、に、ではないあたりも日本語初学者を苛立たせるポイント)
 ……では、3は……?
 「さん」なら「ん」で終わるから連濁して、さんざお、かな???
 それとも、みさお???

 いーや、ここは、さんさお、かな。
(みさおと言うのが本来だとは思うが、現代の多くの日本人は「ひとさお、ふたさお、さんさお」って数えるんじゃないだろうか)

 ごめんよ、日本語を学ぶ人びと、日本語もだいぶアレだった。

 なお、アラビア語もよめねえ!母音表記しないで文脈判断とかなにごとだ!ってなったけど、書記法については日本語も複雑さが天元突破してるほうなのでなんもいえん。
 いろいろ考えると、どこの言語もそれぞれなりにむずかしーね! 何カ国語もしゃべれる人ってほんとえらいな!ってなった。

日記 編集

 ジークアクスを見ている。といってもまだ2話までしか見てない(現行、もう五話まで配信されてるはずだが)
 初回見たのはゴールデンウィーク前で、職場上司に見たよ!ニュータイプ音が鳴りまくっててウケた!という報告をしたら「2話見て、おもろいから」って教えてもらってたんだけど、なるほどなるほどね~!
 言うて私、ファーストガンダムは保育園で見たくらいの知識で(リアルタイムでもない。再放送を見ていたはず)だいぶうろおぼえなんだけど、それでもピンとわかる、あのSE、あの劇伴。そしてアイキャッチ。
 んっふう!って、なんだか懐かしさで笑ってしまった。それにしても最初のガンダムの絵や動きの感じを、今風にしつつばっちり再現ってなんかすごいワザマエ見ちゃったな!って気持ちがする。
 あと、モビルスーツ戦闘がいちいちかっこよい。ファーストガンダムのTV放送版のときに粗いセル画アニメのモーションを見ながら脳内に復元していた戦闘シーンが、細部までばっちり映像化されたって感じ。テンポも素早さもディテールも、うっわー機械かっけええ!!って、どうしても高揚しちゃうこの感じ……ガンダムのファンたちが見たかった映像ど真ん中であろうと感心をした。
 そうだ、これはちょっとズレてるのかもしれないけど、私はパトレイバーのアニメも思い出してた。それもどっちかいうと劇場版よりもTV放映版。ほんとにレイバー/モビルスーツが存在する世界があるなら、きっとこんなふうに動作するんだな、って納得するような重量や空気感が。とにかくモビルスーツはじめいろいろな機械が動くところや、宇宙戦艦やコロニーの造作、スケール感、細部の部品、宇宙空間では特有のくっきりした影の落ち方、コロニー内部はまた違う近未来都市っぽさ……全体にがっつりハードSFの匂いとリアリティの重みがある絵面が繰り出されてくる。ガノタじゃなくても普通に宇宙が舞台のリアル志向SFっぽさが炸裂してて見てて楽しい、と思った。

 ネタバレ要素の部分については、もう劇場版の段階であらましは知っていたのでびっくりはないけど、これ映画見に行って映画館の席に座ってて、この展開でどんどん話が進んでいったら、確かにのたうち回って椅子からずり落ちそうになるかも。嫌とかじゃなく、嘘やろ、こんなことが、こんな展開があるう……?!って、びっくりの気持ちであわあわあわあわ、って狼狽えそうだと思った。おもしろすぎる。
 パラレル宇宙世紀っていうストーリー建てで、今までのガンダムの宇宙世紀のお話と違う点はおそらく多分ただ1点だろうけど、そこから全然違う展開になっていく。すんげえ読めない。そのくせ逐一、ガンダムでの名セリフみたいな言葉をシャアが吐くし、キシリアとかも出てきてめちゃくちゃいいそうなこと、やりそうなことするし、しかしシャリア・ブルのシャアに向ける気持ちがびっくりするほど重い(※旧作にはない要素)。
 旧作ファンも初ガンダムの人も、どっちもしっかり楽しめるのすごなああ。

 2話はなにせいわゆる一年戦争のときの回想でほぼ1話分が構成されていたので、絵面がかなりファーストガンダム寄りだったし、マチュやニャアンたちが出てきてない回だったけど、緑のおじさんことシャリア・ブルがエモみを出してくる回だったのでキャラ建ちすげえな……ってなってた。ていうか名前をうすぼんやり覚えてた程度だったんだけど、ファーストガンダムのときからシャリアブルこんなキャラだった?(たぶん違う)
 さておきやはりオープニングを見ていると、竹氏デザインのキャラクタがぐんぐん手足動かしてくれるのがすごく楽しみ。3話から後もぼちぼち見ていこうと思う。

 なお、私のガンダムシリーズについての知識は、うろ覚えのファーストガンダムと、弟が買ってたコロコロ・ボンボンでのSDガンダム系漫画と、なぜか劇場版Z三部作とUCは見ていて、あとはなんかいろいろ断片的に知識を持っている感じでしかない。もっとガンダムわかってたら、ジークアクスもどこの本歌取りしてるのかすぐピンときて面白がれるのかもしれないけど、まあしゃあない。
 ただ、保育園で見てたうろ覚えの段階で、すでにミハルとカイのエピソードとか好きだったなそういえば、ってことを思い出した。おかげでなんとなくカイ推しだった。小学校上がる前からがっつり男女厨だ……。ジークアクス、今のところファーストのホワイトベース乗員たちが出てきそうな気配はないんだけど(後半で出てこないかな……出てきてもえらいことになってそうで心配でもあるけど)みんなどうしてるんだろうね、ジークアクスの世界では。

日記 編集

 なんか梅雨入りしてるっぽいとかなんかそんな噂を見かけたけど信じない……信じたくない……もしここが、信じる/信じない、の矢印が出る世界なら信じないを選び続けたい。
 が、日曜辺りから曇りになり、窓を開けると湿気が押し寄せ、床がペタペタしだした。梅雨の気配だ。
 土曜日は天気が良かったので、急いで毛布など冬物を洗い、一日たっぷり日差しに当てて取り込んだあとはタンスの奥に仕舞い込んだのだが、果たしてその晩から湿気と気温が増してきて、毛布なんざかぶって寝るような気分には全然なれなかった。タイミングはバッチリ、ではあった。その前の晩くらいまでは、まだ明け方なんかは薄ら寒い気もするから毛布しまえるかなあ、などと思ったりもしたのに。
 今日は朝から霧のような雨がちらついていた。まあこんくらいなら傘持たなくても行けるかな、と買い物に出たら、帰りにはまあまあのしとしと降りになり、スーパーから家までのわずかな距離でしっとりきっちり、雨に濡れた。こんなふうに雨が降ったり、ちらついたり。
 梅雨だ……いや、まだ、まだ晴れる日が……
 二週間予報では、今週の水曜日にちらっと晴れる以外、ずっと曇りと雨のマーク。ぐぬぬ〜〜〜。

 毎年この時期あたりになると、つい梅雨への怨み節をうなりあげてしまう。梅雨を楽しめる心にゆとりのある人になりたいが、梅雨、湿度やばすぎてマジで情緒とかでポジティブ方向に受け止める余地がなさすぎるんだよなあ。

日記 編集

 『教皇選挙』が存外、自分の中で尾を引いていて、なんか考え込んじゃうしめっちゃ感想書きたいし、ていうか書きかけたんだけどまとまらずに投げ出した。
 といっても、考え込んじゃうのはものすごく個人的な私の考え方のせいだし、あまり映画を見て気に入った他の人たちに共感してもらえるポイントからはだいぶズレてる気はする。
 この映画、宣伝見るとめちゃくちゃ重厚長大っぽいけど、見て見ると、すさまじく重厚、とか切れ味鋭い、っていうのとはちょっと違う感じなんだよ、わりとファンタジックでふわっとしてるともいえるし、ある意味ではヌルいともいえちゃうかもしれない。コメディじゃないかなと思うくらい軽くて愉快な部分もちょいちょいある。
 まあ、世界中から集まった偉いおじいちゃんたちが右往左往して口喧嘩する映画だもんな、笑いどころやかわいげがないわけもなく……
 そう、展開はかなりスリリングでドキドキはするけど、陰謀サスペンスっていうよりは会社モノって感じだった。デカイ人事が動くことになって、派閥の調整に気を揉む、穏健派人事部長みたいな人が主人公の。
 画がずっと荘厳でキマってるけど爺たちがややかわいめで、あんまりドギつくないし叫ばないし土下座とかまではしないしラテン語で会話しまくる半沢直樹って感じ?(半沢直樹見たことないからこれはものっそい適当言ってるよ)
 それでも、なんかね、そういうだけじゃないものもいろいろあってね……
 これはかなり個人的な思い入れというか、こういう見方であってるのかわからないけど、言葉と行ないの誠実について、ていうのがずっと基底のテーマとしてあるのかなと思ってさ。あと、周縁に追いやられて言葉を発せない、発したとしても聞き届けてもらえない疎外された人びとの声をこそ拾う、っていうのもテーマに多分ある。
 そういうの個人的にすごいツボなんだよね。
 今、現実の世界は、大声を発する人や、先に言ったもん獲ったもん勝ち、相手を圧倒して文句言わせず自分の利を総取りできるヤツが有能で最強、ってな流れがかなりしっかり定着しててるように思えてる。私個人はそれをなんだかなあと思っている。
 静かに考え続けて、悩み続けて、対話し続けて、それでどうにか一つ道を見いだしていくっていうことの価値を、私は大事にしたいと思っているし、世の中でももう少しそのへん大事にされるといいと思っている。この映画はその価値をはっきり訴えてると思ったんで沁みたんだ。
 ただ、どうも今の現実の社会にあっては、この映画が訴えることはするっと聞き流されるんじゃないか、みたいな妙な儚さも感じてしまった。この映画で良かったなと思う、ちょっとした場面やさりげない言葉を思い出すにつけ、それに浸る前に、妙に寂しくもの悲しい気持ちも一緒に抱え込んでしまうのだった(もちろん映画が悪いのではない)。

 だけど、できるだけたくさんの人に見て欲しい映画だよ。
 単純に話が面白いし、ぜんぜん難しくはなくてわかりやすいし、かっこいい絵面の場面ばっかり大集合だし、キャラクタも立っててみんなそれぞれにいいなと思えるし……モメ合う爺たちをいさめなきゃいけない立場に置かれた爺が胃を痛め続ける映画なんて、おもしろくないわけないだろう!と声を大にして言いたい。
 あと、こう、この映画には愛があるなって気もする。だからすごく、オススメ。

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 映画の『教皇選挙』見に行ってきた。おもしよかったなあ!!!
 しかしいちばん面白かった点が実にまったく根幹的なネタバレなので、あまり語れない。
 ツイートで、ふせったー使ってちょっとだけ呟いた。映画見た人には共感してほしい。

 ネタバレ触れないところでいくと、なにせ教皇選挙というのは枢機卿という偉い肩書きを持った初老のおじいちゃんたちが100人あまりも集められて、閉じ込められてわちゃわちゃする映画だ。好きな人は絶対に好きだと、これだけでわかるとは思うが、おっさんおじいちゃん好きはぜひ見てほしい。おっさんたちの嫉妬と野心と友情と弱さが物語を駆動するよ。
 物語以外の部分では、 なにせカトリックの偉い人たちがたくさん集ってるから、ラテン語が喋られまくる。体感、会話の半分くらいがラテン語(なので絶対に字幕版を見るべき)。現代を舞台にしておきながら、こんな大量にラテン語発話を耳で聞ける映画ってのもなかなかないかもしれない。そして枢機卿たちはじめ、神に奉仕するいろんな人びとの衣装は古めかしく荘重、その衣擦れの音も物語の風景を作り上げていく。それにシスティーナ礼拝堂や聖マルタ館、石造りの回廊に囲まれた中庭といった建築の景色も、そびえたつ石石の色合いも、とても良く……そういう、中世ヨーロッパ後半あたりが好きな人にはとにかく音と画が響く映画だと思う。そう、もちろん大航海時代クラスタにも、ネオアトクラスタにも、だ。

 ところで、重厚な伝統と典礼を繋いでいるカトリックの総本山にて、高齢者だらけの枢機卿たちといえども、当たり前にスマホやパソコンを使い、たばこを吸いまくる。「8階です」などと人工音声でアナウンスするエレベータに乗り降りし、パジャマでしょんぼり立ち尽くしたりする。そんな現代の普通の人とまったく変わらぬ、ごく普通の肉体の重たさが描かれてるところもすごく良い。神に向かって積み上げられた荘重の隣に、弱くて情けなくて愚かで脆い人間の生活もちゃんと積まれている。
 あとはね、シスターたち。セリフはほとんどなく、黙々と枢機卿たちの宿泊と食事の世話に立ち働き続けるシスターたちの姿。大量に手びねりされるパスタ、丸ごと煮られる鳥、きっちり並べられた晩餐の食器……全てを無言で整え、立ち働くシスターたちの手と背中。それは教皇選挙という場においては、見えてはいても見えていない、その場にはないも同然の、ただの空気、風景とだけ扱われるもの。でも女達の手と足は静かに働き続けていて……そういうところがじわじわ沁みるよ。ほんと良かったなあ。

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 昨日、ビオフェルミン止瀉薬のこと新ビオフェルミン止瀉薬って書いてたけど間違いだった。新ビオフェルミンSと混じった。なんか書き終わって数分後にそんな気がしてたけど放置してた。でもやっぱ訂正しとく、間違いなので。
 薬は持っていなかったが、寝て起きたら腹の具合は持ち直していた。でもちょっとまだ少し気配が悪い。それなのに夕食は雑に袋ラーメンとか食べた。ツイッタでうっすらバズってたうまかっちゃんを買ってきてあったことを思い出したからだ。
 ツイッタでは、うまかっちゃんがとても美味いと評判だった。関東あたりでは容易に手に入らないものらしい。こちらでは普通にスーパーで売っている。簡単に手に入る土地に住んでいるのにそういえば一度も買ったことなかった。いろいろ味があるらしいが、とりあえずは普通の、オリジナル。買ってきたのは数日前だが食べるのはすっかり忘れていて、今日の晩飯どうしようと思ったときにふと思い出したのだ。
 作ってみたら、確かにうまい。最後に入れる調味油がめちゃくちゃ豚骨の匂いなので豚骨苦手な人にはきついかもしれないが、スープがだいぶうまい。ちょっとピリ辛の、あっさりめとんこつ風味。好き。
 そういえば、マルタイの棒ラーメンも普通に売っている。こちらは今までもたまに買っていた。これも結構好き。
 関東で生まれ育ったくせに、関東風の濃いくち醤油の味やクセがあまり好みではなかったし、ラーメンも塩味か豚骨味ばかり注文する人間だった(そもそもラーメンをそこまで好んで食べない)。なので、九州のラーメンの味付けは合う。
 ただし醤油については、九州は全体的にちょっと甘いめなので苦手。特に南九州はめちゃくちゃ甘い。砂糖醤油かってくらい甘い。
 ちなみに沖縄はそこまででもないけど、ちょっと甘めが嗜好されがちという感じがある。そういえば、沖縄は梅干しが甘めの味付け多い。気温が高くて本土のように塩や糠で漬けるのは難しいらしく、もともと黒糖や酒を入れた漬物が多いらしい。それでスーパーで売られる梅干しも、はちみつとか使った甘めのものが好まれているのかもしれない。九州はどうなのかな、わかんないけど。
 ところで私はしょっぱいものがやや苦手で、そもそも漬物もさほど好まない人間なのだった。それで、沖縄で美味しい漬物が手に入りにくいことについてはほとんど困っていない。島らっきょうの浅漬けは美味いと思ってるよ(あんまりしょっぱすぎないから)。

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 夕飯食べた直後になんか……お腹痛えような……やな感触……と思ってたらやっぱり腹痛。起こした。たまによくある。私は特にこれというきっかけもなくふいにお腹を下すタイプの人類。
 うーん! 晩飯のあとにデザートにチョコ一粒二粒食べて、茶でも飲みながらなんかするか、などと思っていたはずだが、なにひとつできてない! トイレに行ってある程度落ち着いたかなと思いきやまだ第二ラウンドがある気配で(これもよくある)
 とりあえず、ぽんぽんぺいんぺいん、ぺいんぺいんぽんぽん……とか呟きながら毛布かぶっておなか温めるの姿勢に丸まって、スイカゲームぽちぽちしてる。こういうときのために新ビオフェルミン止瀉薬を買っておくべきだと、腹痛を起こすたびに何度も思うが収まるとすっかり忘れてしまい、今もうちには新ビオフェルミン止瀉薬がない。

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 昨晩なんとなく、推しカプ、というかアブトゥの恋愛感情についてぼやぼや考えていた。
 以前も似たようなことをどっかで書いてはいるが、なんぼ書いても私が楽しいのでまた書いちゃうよ。
 
 私は、自分で描いた二次創作小説にひっぱられて、世界の果てイベントくらいでアブトゥはペレスへの特別な感情を持っていることを自覚した、てことになんとなくしちゃってる。でもこれはそもそも私のまったくの妄想、捏造した二次小説でしかない。
 原作ゲームを振り返ると、いつアブトゥがペレスに思いを寄せるようになったのかは全然わからない。
 いったいいつ、アブトゥはペレスのこと好きだと自覚したんだろうとは、このカプにドハマリして当初から妄想は甚だしく暴走していたが、確か私の記憶では、ぼんやりと「ファラオの夢」の途中くらいかなあ、などと考えていたはずだ。
 「ファラオの夢」はエピソード開始から終了までがかなり長い期間にわたるので、そのどの時点でもまあありそうといえばありそう、に見える……というか、この長いエピソードを見通してみても、アブトゥがペレスに恋をしたのではないかと思われるような決定的な場面は全然ない。
 ただ、「ファラオの夢」は2のときにはなかったエピソードで、おそらくは2の「古の太陽」「セイレーンの遭遇」を基盤にしつつ再構成されたものという気はするが、そこからかなり手が入っていてほぼ全く別のイベントになっている。もともと2ではレベルアップコメントも航海日誌もないから、ペレスとアブトゥの関係性を描くエピソードは「出会い」と「アマゾネス」だけだったはずだが、1469ではアブトゥとペレスの二人に対して運命が与えた役割がなんであったかを詳述するイベントとして「ファラオの夢」が用意されているかたちになる。そのエピソードの内容、つまり二人が絡めとられた運命というのが、過去に成就されなかった若者と人魚の恋を霊的に補完し思いを遂げさせる媒体として、ペレスとアブトゥがそれぞれの立場で機能するというものなのだった。
 全体的に1469はペレスが主人公的に存在感があって、アブトゥの存在も「ファラオの夢」も、ペレスの成長と変化を語る物語の一部のようなかたちにはなっているように思う。それもあってペレス側の心情はそれなりに描写されるが、アブトゥはその神秘的なキャラクターも相まって、彼女自身が都度、どういう感情を持っていたかはあまりはっきりしない。
 だからこそ妄想の余地があるという話でもあるが、それにしても曖昧で、それこそ「夢」のようにつかみどころがない。だが、だからこそ、いつのまにかペレスに惹かれ、その思いを一人静かに抱えていたアブトゥという印象も残るような気がしている。
 なんにせよ、アマゾネスイベで「私のかけがえのない人、ペレスよ」と発言するまでのどこかの時点で、アブトゥはこの発言に至る心情を構築したのだろうと見るしかない。可能性的には追し掛け提督としてリスボンに表れた最初からそうだったのかもしれないが、私が当初考えていたように「ファラオの夢」のどこかの時点でアブトゥが、ペレスとの運命を介したつながりを超えて、自分自身の心がペレスに惹かれていることに気付いたというふうに考えてみるのは、なかなか美味いなと思う。

 ただ、実は「ファラオの夢」って「アマゾネス」よりあとにクリアできるっぽいし、あのエピソードの長さからするとそっちのほうが普通っぽいんだよねえ。試してないからそれ実際にできるのか確認はまだしてないんだけど……。

 私自身が「ファラオの夢」を先にクリアして、次にアマゾネスイベを経験したので、つい、いろいろあったアブトゥとの絡みの集大成的にゾネスイベがきて、ペレスがそれまでのあれこれが反転する衝撃と共にがつんとアブトゥに一目惚れ(?)しちゃうふうに捉えてしまっているのだが、「ファラオの夢」があとにくるとなると、このへん結構、筋が変わるなあと思う。
 アブトゥは「ファラオの夢」よりも前か「ファラオの夢」の最初の方で自分の感情を自覚している。その状態でゾネスイベを経て「かけがえのない人」発言をする。ペレスはアブトゥのことを「魅力的」な女性だと認識した後で、それから「ファラオの夢」の終盤を迎え、春の海で人魚と出会い、宝玉を手に入れ、科学だけでは解釈できない存在をうっすらと受け容れ始めた状態で王墓を調査してる……という流れだと考えると、それはそれでエモなんだよなあ。そしてこのエピソードクリア順序だと、ファラオの夢の途中でのアブトゥの「……ペレスは私の考えを強情に認めないことがある。だからミゲル……お前に頼むのが、一番良いのだ」とか最後の「フフ……本当にペレスというやつは、頑固な男だな。」というセリフの味わいがだいぶ変わる、変わるんだよなあ!

 それを二次小説に書いてもみたいが、「ファラオの夢」単体だと恋愛関係進展エピとしては決定的なものではないので、「出会い」→「アマゾネス」→「ファラオの夢」を通して書かなきゃいけん。それになにせ「ファラオの夢」が長い期間に及ぶエピソードなので、だいぶ長めの話になってしまう見積もりになる。だいぶ気合いと体力が要るのは確かで、どうも今のところは、そういう話を書こうという踏ん切りが付いてはいないのだが、アブトゥを女性と知った上で人魚の存在を認めざるを得ない気持ちになるペレスと、ゾネス以降、ファラオの恋の結末に手助けを寄越しながらペレスを静かに思っているアブトゥってのは、なんかこう、こう……書きがいはありそうだし美味そうだしで、書いてはみたい気持ちはあるのだった。

メモ,ネオアトラス 編集

 久々にネオアトらくがきをした。
 絵を描くとは選択と決定の瞬間の積み重ねだ、というツイートをちょっと前にツイッタのどこかで見かけた。
 そうだ、ほんとにそうだと思いながら描いていた。
 選択、決定、次の部分への取りかかり。
 指先と頭脳を繋ぐ神経経路を忙しなく意思が行き交う。その反復横跳びを数時間続ける。
 久々だ、このもくもくとした、指先と肘と眼球以外はほとんど動かないタイプの運動。
 堪能した。
 絵を描くの、楽しいな~!
 ただし瞬発的に選択と決定を繰り返し続けるのにはそれなりにエネルギーを使う。最終的には気力体力が尽きて、もうこれでいいよ……らくがきだし……ってなってギブして終わる。毎度のことだ。ちゃんと絵を仕上げるとこまで持ってくの、私はあんまりできてないなあ。ちゃんと全力出しきって、自分が今の時点で描ける最高の絵を描こうと思うとめちゃくちゃ気合いと時間と根性が要る。絵をそういうとこまで仕上げられる人、ほんとえらいと思う。
 私はすぐ日和るのでそこまでやりこめたことないかも。
 これ、下手とはいえ絵を描こうとする者の心構えとしてはだいぶ良くない精神かもしれないが、まあ私自身は絵について、とにかく楽しく描くことにしたいのだ。苦しくなって途中でやめたくなるほどだと、推しの絵が世の中に増えないからね!
 こういうヌルい心がけなので上達はほとんどしないんだけど、まあ二次創作に関しては描きたいイメージをぼんやりでもかたちにできればわりと満足だし、二次創作以外で絵を描きたいってモチベは実はそこまで強くない人間でもある。
(いちお、自分の脳内にある美しいアブトゥを紙の上に具現化したいんだという欲はあるんだけど、多分ちょっと絵が上手く描けるようになったくらいじゃ、脳内に思い浮かんでるアブトゥの美を自分が満足する程度まで描ききることはできない)

日記,ネオアトラス 編集

 あ、そういえば、下に描いた二次小説書いたあとで虚脱感に見舞われるの話、職場のオタク同僚(作品みせてもらったことはないが小説メインぽい)にも話をしてみたんだけど、やっぱ同じようにガクブルする気分になるって話になった。
 合ってるのか、これでいいのか、正解……いや萌えに正解などない、あらゆる推しを推したいだけの気持ち……が、それにしたって……みたいな葛藤を抱えながら二次書いてる小説書きはけっこういるっぽい。みんながみんなとまで言えるかはわからないが。
 わりと言葉にしづらい感覚なので、あまりそういう話題が二次小説書きのあいだで話題になっているのを見たことはないが、感想クレクレの気分が高まりすぎて気が狂いそう……と言うようなお悩みは二次小説界隈でよく見かけるので、そういう感想クレクレの気持ちは、私のこのガクブル虚脱感や不安感と接地するものであるような気はする。
 なお私も感想ほしい気持ちはあるけど、感想書くのもそら手間はあるからなあと思うし、あまり感想無いこと自体にはおちこまない(ただいいねとかの反応もゼロで無風だとめちゃくちゃ不安にはなる、カレーを出したつもりで土塊を食卓にお出ししているという可能性がゼロではなくなるからだ。もしかしたらこれまでも何回か、土塊を出している可能性がある……いや考えると怖くなってしまうから考えないでおく)
 好意的な感想書いてもらえたときはめちゃくちゃ嬉しいけど、もらえるってのはとても幸いだし、運が良いというか、感想を書いてくれる人の善のきらめき……すごい……まばゆい……恵みだこれは……って気持ちになる。公開しているとはいえそれほど多数の人に読まれているわけではないから、今まで否定的な反応てのはもらったことない(ありがたい話だほんと)けど、反応である点で、読んで筋立てを把握した上で好かない、悪い作品、などと言ってもらえるのだったら、少なくとも読むことはできるものがお出しできてはいるわけで、さすがに嬉しい気持ちにまではならないだろうけど、だいぶほっとはするかもしれない。

日記,ネオアトラス 編集

 二次創作小説をアップロードしたあと、ひどいと半日から一日程度の虚脱が入るんだけど、なんでなんだろうなと思っている。
 これは自分のなかでも結局、これという答えらしいものは未だ見つかってないのだが、とりあえず自分のこの虚脱について、経過などを箇条書きで書き出してみる。

・よし、これでいいのでは?!と二次創作をとりまエンドまで書き上げた瞬間、まず気が抜ける。が、これは集中から抜けた瞬間によくある程度のやつ。仕事とかで一時間弱とかのあるていどのまとまった分数で集中して、一段落してふうと息を吐いた瞬間とたいしてかわらない。
・とりあえず校正というか、ごく軽く誤字脱字をチェックする作業実施。わずかにぱぱっと目を通すような通さんような作業なので誤字脱字をとてもよく見逃す。目を覆った手の指の隙間から文章覗いてるというか、とりあえずもうできあがったことにして早く逃れたいのであんま作業一生懸命したくない!みたいな気持ちというか……文章の整備としてはあまり意味を成してない作業なように思う。アップロードしちゃってもまあいいよね、という了解を自分のなかに醸成しているのが本当の目的なのかもしれない。この作業やってる間にじわじわと、マジで……これでいいのか……いやまあ明白な間違いはなし……だが……いやまあ……という逡巡がなんとなく、だがとてもじわじわと着実に募っている。
・そうは思う一方で読みながら、まあともあれ推しが動いてしゃべってるんだからいい話じゃん、少なくとも私は萌えれる、くらいのこともちょっぴり思っている。
・さてデータを置き場にアップロードする、となった時点でものすごく、こう、いいいいいのかかな いいいいのか!!????! ええ??!! は??!!みたいな気持ちは起こり、やっぱ公開する意味などないのでやめておけば、などという考えもちらつくが「意味があろうがなかろうがこれでネオアトラスの二次創作が一点、世に増えるのだ、それはもう確実にな!」という念仏が心に響き渡るので、応!と投稿ボタンを押す。
・リンク先をツイッタとかで告知するの段。ここでもう一回、逡巡がある。いやいややっぱ、こう、ものすごくなんか変なことをしている気がする……どうしよう、という気持ちだが「だから! 数が! 増える! 数が! ひとつ!(……し、こんなものを公開という形をとったところでそもそも誰も読まないかもしれないし、読んだとて少なくとも誰かにひどい危損害害も与えはせん、数分は無駄にしたなと思われる程度だ)」という考えに押されてえいやとツイートする。
・この時点で(もしかしたらその前の、テキストを置き場に置いた時点くらいから)マジで手指と足が震えている。別に人目にさらすこと自体が怖いわけではない。年齢が年齢なので広く人目にさらす文を書いた経験は普通の人程度にはあるし。ただ、それが物語文であるということはあまりないではあるな……。
・反応はすぐには帰ってこないし、なんならいいねがゼロってことは普通にある。いいねが一つ、二つついてくれたらもう御の字。ありがたいの塊。それはさておき、そういった評価や反応の有無一切も放り投げて、一、二時間はなにも手に付かない、というか、ベッドに丸くなって布団をかぶって、虚脱感に震えている。とにかく力が入らない。
・読み返す元気はもちろんないが、脳内で、あってるだろうか、あの場面、そこへのつなぎ……と、文章やセリフやフレーズ、そういう部分部分を思い返していたりはする。なんか違うかったかもしれない、がわからない、自分ではちっともわからない……!!と焦燥感にも見舞われはじめる。
・読んだ人に(つまり世間に)あまり受け容れられないかも、という恐怖はあるな。だが冷静に頭の片隅で、そんな特異で非凡な内容を描ける能力はない、つまらないものですが、という慣用表現がまんまあてはまりはするかもしれないが、読めんってことはないよなあとも思う。面白いと思ってもらいたい、優れていると思ってもらいたい欲はもちろんある、がそれは実態にそぐってはいないただの欲であることもわかってはいる。
・自分が書いた物に読み物として価値がなにかしらあると信じたい願望が、現実とのギャップの端境に据えられて、それで身体丸ごとガクブル言っちゃってるのだろうか……とも思う。そうかもしれないが、そうだとして、これが二次創作のときだけにやけに起こることなのがよくわからない。一次創作をやったことがないからわからないが、一次創作ではこうまではならないという気がしている。
・とにかくなにもわからない。自分が書いたものが推したちを描いたものになっているのか、萌えが書けているのか、面白いのか、適正であるのか、そもそも日本語として読めるものであるのか、私が書こうと思った話の筋はちゃんと伝わるように文字列になっているのか……なんもわからん。怖い。
・一、二時間くらいすると冷静になってきて、まあとにかくうpったんだからもうしょうがないだろ、と思っていいねがついてないかなとか見に行く。いいねされてるととても嬉しい、というかほっとする。これカレーです、って言いながら炭とそこらの草と土を皿に積んで差し出しているようなことにはなってない、みたい、と思う。たぶん。たぶんね。
・絵は、ここまでガクブルせんのよなあ、全然。下手具合でいうなら小説よりもさらによっぽどデキが悪いと思うし、その自覚も明白に持ってるのにね。
・ところで昔はfusetterだったりpoipicだったりpixivへのリンクをやってたが、今のツイッタの仕様だと文庫ページメーカーみたいなほうが良いのかもしれない、一度使ってみた感触では、アップロードする準備が微妙に楽しかったので良い手応えという印象だ。画像でページ単位くらいに整形されてると少しは虚脱感の緩和があるのだろうか?

 うーん、書きだして思ったけど、やっぱよくわかんないなあ。
 ただ、小説というか、物語文を錬成するって、わりと自分の脳内を一部分わりとって差し出してるような感覚はある。丸のスイカに包丁さくさく入れて、一切れぽんと取り出すみたいなね。だからそういう点では、裸で往来に飛び出したみたいな羞恥がどこかにあるのかもしれない。そうだな夢でたまにそういうのをやっちゃうときあるけど、あの、私はなんでこんなことを……?どうにかごまかさねば……???みたいな焦り。それを現実でやっちまってるのにちょっと近い感覚かもしれない。

 よくわからん。慣れてきたのか、最近はそうでもないが、2021年に二次創作書き始めて半年くらいはマジで毎回、動悸やばすぎてなにこれ書き上げる度に寿命縮んでくやつ?!みたいに思っていたものだった。書き上げるというか、アップロードする度に、だな。
 なので、自分で書いたものを自分で楽しんでるだけなら全然こんなやばい怖い気持ちに見舞われないのははっきりしている。なので、そうしたらいいのではないかとも思うし、そうしたほうがいいかなあと思ったりもする。でもまあ、ネオアトの二次創作がひとつでも世界に……増えるには……そのためには……公開する、それでなにがまずい。誰に読まれようと読まれまいと、褒められようとけなされようと、とにかくネオアトのファンフィクションが一つ増えちゃうんだぞ、少なくとも私には嬉しい現実を自分の手で可能にすることができるわけだ。
 ということで書いたものは公開するつもりで書いてはいる。でもやっぱ、アップロードするのは自分の脳内さらけだし感あってちょっと、いやだいぶ、羞恥はあるね……。なんていうか、ここで雑記に書いてるみたいに思考とかをある程度整理(なんなら演出してる部分もあるだろう、意識的というほどではないにせよ)しながらまとめて書いたりしてるのと違って、物語文って世界と人間を描写するんだけど、そうやって描いた世界の風景に逐一自分の脳が反射して映り込んでるような気はするからね。なんか恥ずかしい。

 去年、ペレスがめちゃくちゃ恋愛脳になってるやつも、気楽に書いて気楽にうpってこ!と思ってはじめたくせに、アップロードしたときはだいぶ心臓ばくばくしてたわ。自分解釈が出過ぎてるやつが怖いのかな~。
 今まで最大にガクブルしてたのは「証明」書き上げたときだったんだけど、この話も考えてみると、だいぶ独自解釈強めだったかもしれない。だが、それ以上にまるで原作にない話を書いてるときもあったのに、それはあんまりガクブルにならなかったやつ多いんだよね。作品内容よりも、そのときのノリや勢いに依るのかもしれない。
 解釈の妥当性については、そもそも最初に本にしたのが現パロだよ……!!っていう点で、解釈の正しさを自分に求めてもいない気はする。ただまあ、あれは合同誌だったし、紙の本は書いてから公開までかなり間があるってのはだいぶ違うかもね。

日記,ネオアトラス 編集

 今日は冷蔵庫にあんまり材料ないけど買い物行くのがやや面倒で、冷凍庫に刻んだ状態でストックしてる玉ねぎや人参や鶏肉を炒め合わせ適当にパスタの具的ななにか(ソースというよりも焼きそばの具的な構成だ)をこしらえた。調子にのって変な味つけに走ったりした。変な味ではあるが微妙にうまい!という感じに仕上がり(味噌使ってないのに甘味噌仕立てみたいな味になった。レバーペーストとかたんかんジャムとかぶち込んだ)、食べ終わったあとでだいぶ満足して、なんだろ微妙におかわりしたい感じの後を引くウマさ……で感じ入っていた。
 いちおうあともう一回分くらいの具がまだ残ってるので明日の昼も多分このパスタ食べれる。嬉しい。まず二度と作れない味、一期一会の、名のつかない謎の飯。うまくいくとなんか楽しいんだよね。まあなかなかシケた味になって、失敗するときもたまにあるけどね。
 あと、うまくいってたとしても、他人に食べらすようなものではない。普通に変な味ではあるし、うまいっつってもジャンクな感じの旨さなので。

日記 編集

 2024年後半のらくがきなどをアップした。
 しかし2024年あんまなんもしてないな! 合同誌出すのがやっとで、10月からはほとんどなにもしてないに等しい。今年はもうちょっとがんばりたいな。なんといっても自分が書かないと、自分の脳内でぼんやり考えてるやつってちゃんと読めないんだよな。あたりまえだけど。そうだよ書かないと読めないんだよ。書こうね。

 ついでに、画面の解像度が低い古いスマホだとなんかうまく処理できてなかったwidthの調整も直したくて、styleもちょっといじったんだけど、なんか全体がちょっとおかしくなった気がする……けど、読めるからまあとりあえずいいかという気持ちになっている。我ながらおおざっぱだなあ。

お知らせ,メモ,日記 編集

 うおお内職バイトが一段落
 まだまとめ作業あるけど、他の人の作業待ちなので月末まで放置で良いステータス。
 そもそもまとめ作業はオマケみたいなもんだ(考えたらそれなりにやることはあるにはある気がするんだが本体作業と比べるとオマケレベルと思いたい)

 推し活がんばろ!
 とりあえずはアンソロのネタ出しとかだね……年度末からぼんやり考えてはいるんだけど、まだメモすらまとめてない。

 追記:いやその前に、サイトの更新ちょっとしなきゃだった。去年後半に描いたらくがき追加したい

日記,ネオアトラス 編集

 めちゃくちゃくだらない話でさあ、こんなんツイッタで呟けよってやつなんだけど

 ツイッタ見てたら、「フェロモン垂れ流しのΩに出会ってしまった結果💕」みたいな文字列が視界をかすってさ
「は?! フェロモン垂れ流しの、オーム……?」
 て一瞬でそう思い込んで、なんそれ!どんだけマニアック性癖!と思って思わずリンククリックしちゃった
 普通に、オメガバースのリーマンBL漫画の広告だったわ
 えっちな王蟲の漫画なんて存在しなかったんや……

 きっと同人の世界のどこかには普通にえっちな王蟲の漫画あるんだろうけど、どっちかいうとそういうのは王蟲がえっちなんじゃなくて、王蟲にいいようにされちゃう姫様(青い服の方)だの姫様(おぞましいものを見るだろうほう)だのがえっちでみだらな目に合わされてる方向の漫画で、おそらく王蟲自体があかんことになったりはしてないと思うけど、字面見たときに脳裏にイメージ浮かんでたのは、王蟲がいやらしいことされちゃう系の方向の、だったんだよね……お前の脳みそがいちばんどうかしてると思うよ案件だった。
 それはさておきスマホでツイッタ見るときは、画像の表示をオフにしてるためにリンク踏まないとパッと見、なんの話題だかわかんなくて、???と思ってついクリックしちゃったりして、よく広告踏まされてるんだ。しょうもない脆弱性を抱えて生きている。

日記 編集

 『悪役令嬢転生おじさん』1期最終回見た!
 なんか、こう、絵といい脚本といい、かなり原作に忠実にできあがっているのに、しかし丁寧なアニメ作りがキラキラしてて、そんでお話も、なにげなくエモみがめちゃくちゃ増量で、なんとなく泣けちゃう。なんだろな~、すごい。原作も好きだし、アニメも好き!
 原作がだいぶ好きなもんだから、アニメ化と聞いてとても嬉しくもあり不安もあり、って感じだったけど、今回のアニメ化、ほんと、もうめちゃくちゃ恵まれたなと思った。素晴らしく原作の良さを前面に出しつつ、アニメでしか出来ない演出もいっぱいで、もうそれだけで泣いちゃうくらい良かった。すごく原作まんまなのに、すごくいい感じにアニメに翻訳されてて、ちゃんと引き込まれる感じになってて、あとなんかこう、「親目線」てのが上手に強化されてる感じで。ほんと最高だなあ。動きがついたことでグレイスがさらに魅力増してるかもしんない、というか、憲三郎が中に入っているグレイスが魅力的に微笑むたびに、多分心のどこかで静かに引きこもっているホンモノのグレイスの魂がものすごく愛おしくなる。アニメでも原作でも、グレイス自体の魂についてはまだほとんど出番がないけど、原作でもだけどアニメではより強く彼女の存在が意識された気がした。この物語の終わりに、このグレイスという娘が、憲三郎がしていたような余裕たっぷりの優しい笑みで堂々と微笑めるよう、そんなふうに幸せになってほしいなあ。(しかし原作でもそのへんまだまだ全然クリアされてない話題なんだよねえ!)

 それはそれとして最終回(仮)(←あくまで1期のね! ぜったい2期もあるって信じてるから)の学園祭の生徒会によるお芝居、この場面、なんだろ、なんかえらく泣けた。劇中劇なのにその芝居だけでマジでぐっときた。アンナの声優さんの演技すごかたな……あとやっぱホンモノのグレイスの魂のことを、なんか考えちゃう。
 それにしてもアンナ(の声優さん)がガチな演技なのに対し、生徒会の他メンバーは棒なセリフ読みなとことかも好きだし、そして我慢したリシャールは偉かった。原作だと一コマだけでわりとさらっとしたギャグだったんだけど、アニメだとタメにタメてて笑った。あの演出好き、とても好き。
 ほんと、アニメ化良かった、ほんと良かったな……最終回のエンディング見ながら気持ちがこみ上げてきて、それだけでダバダバ泣きそうなくらいだった。でも最終回も含めて、毎回、ほのぼのした笑いと、心のどっかをクっと掴んでくエモみの渾然一体で良かったな。アニメ作ってくれた全ての人たち、ほんとにほんとにありがとう、ありがとう……!!!
 2期、きっと来るという前提で待っています。

 そういえば先週までお休みだったけど、アニポケのリコロイ編も続けて見ていくつもり。
 あっちもよく出来たアニメなんだよねえ。しかも原作ないから先の展開わかんなくてワクワクするのも楽しい。ラクア探求のシリーズが終わって、新章なんだけど、なにせあの終わり方からの始まりだからなあ。めちゃくちゃ楽しみ。
 あと、話題のジーーーーークアクスもちょと見たい。
 キャラデザが竹氏なものだから、なんとなくポケモンぽい感じを覚えてうっすらとした親しみ。そもそも私、竹氏の絵、かなり好みなんだと思う。ミリしらだけど、見た目だとニャアンがめちゃくちゃツボ。あと普通に面白そう。

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 金曜の夜からなんか喉風邪だか鼻風邪だかを引きそうな気配があり、そういえば葛根湯があったはずと思って飲んで寝たがやっぱりなんか喉と鼻の調子があまり良くない。葛根湯のおかげで本格化しないで済んでいるのかもしれないが、なんとなく鼻がつまってる感じと喉がひりつく感じは続いていて、なんとなく頭が少し重くて意気が上がらない。
 今日も葛根湯飲んでおいたほうがいいのか、どうなんだ。でも昨日、寝る前くらいに喉の不調に気付いたもんで寝る前に葛根湯飲んじゃったんだけど、なんか目が覚める効果あったよね確か。実際、昨日はちょっと眠りが浅かった感じだった。単に鼻づまりと咳で寝付けなかっただけかもだけど。
 それと、なんとなくだけど、今日は妙にくしゃみも出たような……。なんだろう、花粉アレルギーとかじゃないと良いが……住んでるとこ的にスギ花粉はあまり飛ばないのでおそらくスギはないし、だいぶ前にアレルギーの抗体検査したときには花粉系はひっかかってなかったんで、その時点では花粉アレルギーはなんも持ってなかったはずだけど、ふとある年からアレルギーなってたてのはあるかもだよね。

 まあ、アレルギーっていうよりは、なんかちょっとした風邪の気配って印象だ。
 おとなしく、たっぷり眠れば良いのではないか。
 などといっておきながら、もう午前様なのだ。
 とりあえず葛根湯は飲まない。確か飲み切れてない養命酒があるから、はちみつとたんかんジャム混ぜてお湯割りする。体温めて寝る。

日記 編集

 掛け布団をしまってしまい、うっすら寒いがなんとかこらえていると言うか、厚着して寝れば毛布だけでもなんとかなるということに気付いた。普段はわりと冬でも薄着(半袖Tシャツに短パンくらいの格好)で寝ているのだが、かわりに寝具を厚めにしていたのだなと自分でも今更気付いた。
 でもやっぱ、まだ寝具すこし厚めのほうがぬくぬく感あっていいなあ。今週の気温なら、毛布二枚がけにしとけば寝る分に支障はないんだけど、起きたときたまにちょっとだけ足下が寒い。冷え性が悪いのだが。
 ところで気温だけなら今週は日中だと20℃超えてるんだけど、それでもなんかうっすらじったり冷えがある。じとじとと雨が降り、夜になると濡れた冷気が地面からじわじわ上ってくる感じ。そしてまだまだ春先というのに部屋の床も、ベランダのコンクリも、なんか霧吹き掛けまくった土みたいなぺたっとした重い感触がある。もう、もうこの湿度感。空気も土も、早くもあの梅雨の気配をはらんでいる、まだ4月頭なのに!! それに気付いてたいへん沈鬱な気持ちになってしまった。嘘だろう、春をろくに感じてもいないのに、もう梅雨の気配とか……。アジアの気候、やっぱ湿潤が過ぎる。もう少しだけ乾燥しててほしい。梅雨に入ったら諦めるから、梅雨に入るまではせめて……。
(なお正直言って沖縄には春という季節は存在しておらず、冬と夏と梅雨の3つの季節しかなく、その節目のやや気候バランスの良い移行期間があえていえばなけなしの春と秋だと思ってはいる)

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 寒さよ
 先週、夏日近い気温が続いたとき、掛け布団を洗って干し、収納してしまったのだが完全に失敗だった。土曜、日曜はよそに泊まりだし、寒くなるのはその一日二日くらいだろう、ならなんとか耐えきれるなどと侮ってたけど、全然今日も寒いし、明日あさってまで続くっぽいし。
 しかしくやしいのでなんとか掛け布団なしに乗り切りたい。とりあえず毛布二枚重ね+厚着して寝る、でどうにかならんかな。

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