雑記

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 先日、祝日の昼過ぎ、まだ飯を食ってない腹減りのタイミングでスーパーに買い物に行ってしまい、お腹空いてたもんだから、パンコーナーではおかずパンを買い、お惣菜コーナーではたこ焼きひとパック8個入りも買い、その上、デザートも食べたいよね買うよねェェ!!!と高ぶりまくって冷蔵のデザートコーナーにまで突撃した。そしたらまんまと生雪見だいふくがあって、まんまと買ってしまった。
 いや、買うでしょ、高ぶっていようがいまいが買う一択でしょ、生雪見だいふくは。見かけた瞬間に確保すべき希少動物。立山のライチョウみたいなもんだよ、見た目から言っても。
 というわけで、買ったその日のおやつに一つ食べ、そして先ほど夕飯後のデザートにもう一つを食べた。
 いやほんとさあ、この生雪見の企画立てて売出すまでこぎつけたロッテの中の人、ほんと偉大だと思う。こんな非の打ち所なくうまいもの、柔らかくて甘くて少し冷やっとしてるけど冷たすぎなくて、口の中で甘さも食感も温度もすべてが雲がゆっくり散っていくみたいにふんわりにじんで行く食べ物さあ……天使が作ってくれたのかな?
 スーパーで当たり前に買えていいわけないよ、これは天上の食べものクラスの存在。

 そういえば、とても品があってうまい菓子を食べたとき、いつも、漫画で読んだドラえもんの一エピソードを思い出す。
 いつものようにのび太が、ドラえもんに、過去や未来からお取り寄せで買い物できる機械を出してもらう。1円とかで板チョコ買えた過去の時代から大量にチョコお取り寄せたりするのだ。そしてもちろん例によってのび太は調子に乗り、ドラえもんからの「それだけはするな」と言われていたのを破って、未来からお菓子を取り寄せる。
 ちなみにこのお菓子は丸くてつやっとしたキャンディみたいなお菓子だったと思うんだけど、これが夢のようにうまい、という描写がほんとにうまそうで、めちゃくちゃ忘れられないのだ。
 それで今でもときどき、お菓子がうますぎて、「うまい、うますぎる!」てじーんとしてるときには毎度、あああの未来のお菓子ってこういう感じかな……とちらっと思うんだけど、生雪見だいふくも、そういう食べものだね。
 ドラえもんでは、未来はインフレで物価が高くなってるため20万円請求されるというオチなんだけど、生雪見は200円そこそこなんだよ。バグかな?てなるわ。
 とりあえずありがたい、とうとい。ロッテの中の人たち、そして私がふと生雪見だいふくを買える環境を与えてくれた世界よ、そのために働いたあらゆる人々よ……ありがとう。グラシアス。
 

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 最近、インスタで、外国の人びとのなんということもない日常やちょっとしたネタ動画をチラ見してる。映えてる動画とか感動系とか子供と動物カワイイ系とかも流れてくるけど、そういうのより、しょーもないダジャレネタとか好き。
 今日見てイイな!と思ったのは、手の一部に小さく、「L」「R」て文字だけタトゥーしてある画像流れてきたとき。
 もちろん、左手にL、右手にRが入っているのだ。(ちなみに細かく表現するなら、親指の付け根近くの手の甲にフォントサイズ14くらいのシンプルなローマン体の黒色のみのシンプルさ。機能美感ある!)
 これ入れてるお姉さん賢いな!と感心しまくってしまった。タトゥー入れたい人々の気持ちちっともわからんの民だったけど、このタトゥーなら入れたい。いつでも右と左を正しく判断できる。

 ほんとに、まじで、文字通り右も左もわからないんだよ。いちおう、他人の車に乗ったらいっちょ前にナビとかするんだけど、実は毎回少し緊張してる。いつ右と左を間違えて口に出すかと戦々恐々で……(空間把握自体はわりと得意な方で、方向感覚や距離感覚もあまり間違わないんだけど、しかし他人に説明するとき右と左を間違えやすいため、ナビは下手寄り)

日記 編集

 唐突なことをいうのだが、 ディズニーの「リメンバー・ミー(原題はCoco)」を私はあまり良く評価していない。といっても作品全体についての不満ではなく(絵や音楽の美しさは感動的なハイクオリティなので、そこ見てるだけでも十分な価値がある)とにもかくにも脚本に不満があっての話なのだが、その中でも私がもっとも「ご意見が合いませんね!」と思っているのは、生者からすっかり忘れられ、祭られも思い出されることもなくなった死者があの世で二度目の死を迎え、消え去っていく場面だ。これが恐怖の場面として示唆されたことだ。
 「忘れ去られることで消えてしまう死者」という設定は、後半で主要人物の運命にのしかかるスリルとなるので作劇上、まあしょうがないといえばしょうがないのだが……いや、しょうがなくあるか! 誰かが親しく思い出し続けないと、愛したおじいちゃんやおばあちゃんたち、あの世で楽しくやってるはずの死んだ人たちが消えちゃう……そんな原初的恐怖や束縛を、うっかり子どもに植え付けやがって。この脚本を書いたやつと通したやつは、判断が良くない、きっと良くない。もうちょっと深く踏み込んで考えるか言葉をひねるかしてくれたらよかった。家族や親しい人々のあいだの慈しみや愛に、呪いの枠を忍ばせて放り投げておくなんてことしないでほしかった。
 しかしそれ以上に、私は私自身の根本のところでこの設定に対して、強い認められなさを抱いている。

 消え果ててなにが悪い。消えてしまうことのなにが悪いってんだ。
 これが仏教なら、輪廻からの解脱とするところだ。むしろめでたい到達であろう。

 私は、私のなしたこと、書いたものや言ったことが、いつか風に削られて消え果てていくことを良しと思っている。忘れられ、名もなく、そもそもいたかどうかもよくわからないものになっていく。あたりまえにそうなっていきたい。立つ鳥跡を濁さずというきれいさでもない。道ばたに転がっていた子猫の死体が、数日は匂いを放ち、虫が沸き、蟻が列を作っているのだが、数週間のうちに毛皮の名残くらいになって気配を失い、三ヶ月ほども経てばなにも跡が残らなくなって、そこに子猫が生きて死んでいった時間が流れ去っていく。おそらくそんなふうに、私も世にはばかり、世に場所をとり、いずれ饐えていささかの迷惑になり、そしていつのまにか消えている。たぶん、宇宙というのは大方そういうふうにできている。そのことに安心感がある。

 とは言う一方、書いたもの、言ったことばについては、責任も感じている。
 趣味もそうだが、特に仕事のほうで、私は言葉を文字として綴ることを主な作業としていて、なにかのかたちでうっかり何十年かくらいは残るものをここ二十年ばかり、こさえ続けている。そういう意味では私の生を越えていくものをいちおうは刻んでしまってきたので、なんかそこにはちょっと責任は感じてもいる。
 私自身についていえば、私の人格とか理性とかそういうのはほとんどが、誰かが残した言葉の糸糸を編み込んで作られたものだと思っている。いろんな色のいろんな長さの糸の組み合わせが私の外形を作り、それを私はあちこちほどいてまた吐き出している。そうやって文字のかたちでなにかを残している。
 なので、私が文字のかたちで残したものというのは、私にとって懐かしい誰かの言葉の断片が編み合わさってできたものだ。私の外形を作るほどの誰かの言葉、誰かの思い出、誰かの優しさ、いつか誰かの外形の一部をなしていたきれいな糸には、なんらかの価値を感じる。だからそれはほどいて別のものに編まれたって、どこかに残っていってほしい。
 仕事についてはそういう観念で私はずっとやってきていて、まあそうは言っても私は怠惰で技能も不足しているのでまるでたいしたことはできておらず、自分の一部に編み込まれたあの人やこの人の色の糸が世に残っていってくれるのやら、まったくその確証はなく、どうにもしょんぼり感はある。まあとはいえ、きっと誰かに残るでしょう。だって私が覚えているほど、なんか良い感じに、誰かと共有したい言葉や記憶だったんだから、きっとどっかで、別の誰かの一部に編まれていくでしょう。
 もし死者を忘れないとするならそういうかたちで、忘れないというよりも、古いセーターがほどけてなんとなく遠くで別の誰かのマフラーの一部に編まれていってほしい感じがある。
 
 なんでこんなことをいきなり書いているのだか。
 ただ、わりといつも思っていることなので、なんとなく一回、言葉にしてみるかという気になった。
 きっかけというほどのきっかけではないが、ツイッター見てて誰かが、昔、印象的だったロックマンのCMが片渕須直監督のものであることに気づいて感心しているという旨のツイートを見たことがちょっとあったかもしれない。
 片渕須直といえば『この世界の片隅に』の監督やエースコンバットシリーズ脚本で有名なのだが、私にとってはアニメ「名探偵ホームズ」の大好きエピソード「青い紅玉」の脚本を書いた人なのである。
 「青い紅玉」のシナリオを書いたときはまだ大学在学中(たぶんハタチそこそこ)だったそうで、もうそれだけで打ちのめされるような話なんだけど、それはともかくこの創作者の作る作品は、しっかり人の心に残っていく。ロックマンのCMだって、犬のホームズだって、エスコン04の無線のやりとりだって、すずさんが終戦を迎えたときに噴き出させた言葉だって(すずさんの台詞については原作の表現がやっぱり良いのではないかとは思っているが、映画であえてすずさんの台詞を換えたことのすごさも考えてしまう)、なんか、心のどこかでなんとなく響き続ける。その素晴らしさや、そこに生まれている責任と、それをおそらく引き受けているだろう創造者のあり方も、なんかすごいなという気持ちがどうにも湧く。
 そう、簡単には消えてしまわないものもある。たくさんの人の心に移って消えやらない灯もある。それをはるか仰ぎ見ながら、私はほどけてかすれて絶えていく糸を手にゆるゆる捕まえて、それでもこの、誰かがいつか親切に分けてくれた糸のいくつかを、いつか私の手ではなく誰かが編んでいくのではないか、なにか人の心にともる灯りほどの美しさの一部になったりすることもあるのではないか、と思いながら、ほどけた糸くずを手に捕まえたまま、特に行く当てはないのでただうろうろと、野をほっつき歩いていくのだ。

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 今日は、wikipediaの「牡蠣」の項目を読んで楽しんだ。

 たまになんとなくwikipediaのひと項目を唐突に読む。なんとなくふと気になった単語とか、なにかで。趣味というか、暇つぶしというか、暇じゃないときでもちょっとした隙間時間にふっとやってしまう。
 今日はそれが牡蠣だったんだけど、夜遅くに読むものではなかった。
 「利用」の小項目が、もうあまりに、おいしそう。
 もちろん牡蠣の利用は食用が第一に来るのだ。
 フランスとか生食メインなのは知ってたけど、日本の生牡蠣は近代にヨーロッパからの移入で広まったという。へえ、意外。
 もちろん牡蠣を食べる文化自体は日本には古くからある。
 「料理」の項目に挙がってくる文字列を見るだけで立派な飯テロ。
 生牡蠣、焼き牡蠣、牡蠣フライ、牡蠣飯、牡蠣鍋、土手鍋も!
 中国や台湾には牡蠣粥や牡蠣のスープがあるらしい。食べたことないけどみんなおいしそう。
 牡蠣食べたいなあ。でもしばらく食べてないな。
 なかなか気軽に食べに行ける美味しいとことか近場にない。
 あと、なぜか友人とか同僚に、牡蠣に当たっちゃった経験のある人が多くて、それ聞いちゃうとちょっと牡蠣に対して慎重な距離感を持ってしまう。まあ、加熱したものを食べるようにすればある程度は危険を避けられるし、貝毒当たりとかはもはや運しかないわけだけど……
 何年も前、11月に仙台あたりを旅行して塩釜や松島にも行ったことがあって、このときが絶好の牡蠣チャンスだったんだけどなんか贅沢すぎるかも!と怯んでしまった。今にして思えばあのときに焼き牡蠣とか食べときゃよかったな。あまりそういう食べ方する機会ないものね。
 普段の生活でありつきやすいメニューとしては、牡蠣フライと牡蠣飯が好き。牡蠣フライはほんと美味いよね。海老フライと双璧をなす。甲乙つけがたい。

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 変な時間に寝落ちして変な時間に目を覚ましている。

 仕事始めの日だがこれというなにかはない。
 いや、あった。有益な情報が。
 少し前に亡くなった親戚おばばがよく使っていた「味がある」という言い回しについて書いたが、今日、ふと思い出して沖縄生まれ&育ちの同僚に「味がある」を聞いたことがあるかと尋ねたら、あるという答えが!
 やっぱおばあたち、餅勧めてきながら「味があるよ、だー、食べなさい」とか言うよね!てキャッキャした。
 しかし他の沖縄出身の人は思い当たらないと言っていたので、また機会があれば他の人にも尋ねていきたい。
 うちの職場は変にナイチャー率が高くて、沖縄のこうしたちょっとした習慣とかについて意外と聞ける人がいない。
 あとこれは世代とか、人口集中が進む本島中南部という環境もあると思うけど、祖父母の代からどっぷり地元という人が意外といない。生まれ育った場所で仕事に就いてるよ、という人でも、親は山原(北部)とか宮古八重山の出身とか、そういうことが結構ある。そうすると、祖父母や親の代は沖縄本島中部の文化や言語とは少し違いがあるため、生活文化も少しだけ違ったりする。
 例えば「味があるよ」みたいな言い回しは、もしかしたら沖縄語「味らーさん」が日本語化された表現なのかもしれないんだが、同じ沖縄県内であっても言語(方言)の差がかなり大きいので、地域によってはそもそも「味らーさん」という表現を別に使わない地域があるのだ。そういう地域出身の祖父母や父母を持っていると、「味があるよ」なんて言い方そもそも全然使わないし聞いたこともない、という人もいるのである。
 

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 うお、なんか久々に初夢見たぞ。
 あまり夢を見ない、見ても覚えてないほうで、初夢もなんも見てない年のほうが多いが、今年はいくらか覚えてる夢だったので珍しい。
 しかし初夢よりも、睡眠不良で不眠症スレスレの私が連続6時間寝れたので、そちらのが快挙というか、レアという意味でありがてえ感じだ。
 とりあえず夢は、日常系のダラダラ長い夢で、とりとめがなかったから全部はちゃんと思い出せない。最後の方はなぜか気象予報の会社の人と雑談してて、年末少し前の気温が高めだったときのことや、超ミニ台風が奥羽山脈の一部を北上していくのだがルート予測が難しかった話などを聞いたりしてた(ミニなので山の尾根1個にかかるくらいのサイズしかなく、よく使われる人気の登山コースにかかるかかからないかが地元では懸念されていたとのこと)
 全体に雰囲気和やかな夢だったので吉夢だったということにしておこう。そういえば気象予報会社の人と雑談してたときになぜか大学時代のゼミの先輩も一緒にいたな。現実の本人は卒業後に東京で就職・結婚してからはずっと東京住み(もともと東京出身)で、数年前のゼミの先生の退官記念のときに沖縄でお会いしたのが久々だったのだが、夢の中ではなぜか昔先輩が住んでた学生アパートの近くのマンションに最近引っ越したことになっていた。

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 年が明けました。めでたくございます。
 2025年、終わっちゃったなあ。なんかキリのいい数字だったのでなんとなく好きだったが、まあ一年は一年経ったら終わっちゃいますからね。
 そういえば自分の生活とはあんまり関係ないけど、25年ごとのカトリックの聖年とかで、なんか普段は開けてないとこ公開してるとか、ヨーロッパのカトリックの大教会とかではそういういろいろイベントもあったぽかった。バチカン公式萌えキャラのルーチェとかもいたねえ。
 そして2026年は午年。馬、馬だよ、馬!
 今は競馬もウマ娘関係もぜんぜん追ってないんだけど、馬はやっぱり好きなので、せっかく12年に一回の午年なんだし、競馬はちょっと大きいレースは見たりする意識持っておこうかなあ。なんとなく馬のことをうっすら考える一年にしていきたいかねえ(具体的ななにかをしようというつもりは特にないものの)
 あいかわらず運輸にも興味はうっすら持ってるので、荷運びの手段としての馬やろば、らくだ、その他の物を運ばせる系の家畜のことは積極的に意識してまいりたい。モーターエンジン以前、帆船とあわせて、人力では捌けない重量や体積の荷物を運ばせる動力として、こういう大型家畜は大いに利用されてきたのだ。

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 雑なトースト美味くてまんぞくしてる。
 チーズとスクランブルエッグを乗せたやつだ。
 トーストしながらスライスチーズ乗せて、先日乾燥バジルを詰め替えたとき瓶に入り切らなかった微妙な残りがあったのでそれもを散らせ、それでも使い切らなかったバジルが残ってたのでややたっぷりすぎるかもと思いつつ卵に混ぜて焼き、スクランブルエッグに仕立てたものを乗せた。
 パンはオキコパンかどこかの、工場生産の普通の八枚切りだ。
 この雑なトーストがしみじみ美味くて、運に恵まれたな……という気分になった。

 ところで自炊飯、だいたいいつもこんな雑さと勘とでとても適当に作るので、いまいちなときもあるし、見た目についてはいつも世に出せるものではないのだが、なにせ一番味覚の意見が合う私自身が作っているので、うまいときにはしみじみ、これだよこれ……てなる。
 ただ、これ、自分の描いた絵や文がどんだけ下手くそでも私自身にはなんとなくよい感じに見えてる現象と同じ類のことだと思う。なので、他人と共有できるタイプの美味さではない。他人が食べて、うんおっしゃるとおりなかなかうまいね、と思える味ではおそらくない。このしみじみ美味いと私が思う味わいは、きっと私一人の孤独のなかにしかない。
 私自身はうまいものを食べると、だいたい他人に触れ回って、うまい!これはうまいものだ!腹に隙間があるなら皆も食べてみろ!的なことを言いたがるタイプだ。料理に、物語と似たなにかをみている。感覚の共有、伝達、なんかそんなものを。しかし私自身が作る自炊飯については、うまい、うまいな……となっても、これはあんまり他人と共有できるものではないな、と思考にフィルタをかけてしまう。
 とは言いつつこういうとこに、自炊飯うめっ……てな無意味なことをつい呟くように書いちゃうんだけどね。他人に共感されなくても、なぜか書き残しておきたいなにかというものも、どういうわけかあるんだ。
(たぶんだけど、少し経った時間の私と共有したいのだろう)

 なお雑すぎるので、スクランブルエッグ作るつもりというのに卵を溶かずに油を温めたフライパンにぶちこみ、急いでガシガシかき混ぜたが全然固まらず、あれ?と思ってコンロ見たら火が立ち消えていたのでだいたいなにもかも上手くいってはいなかったのだが、完成品のトーストにこれだけ満足したんだからなにも失敗はしてない。そう思い込むこととした。

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 夜だし雨だし、今日は急に冷えてきて寒いのだが、洗濯物をした。
 それはいいんだが、寒風吹きすさぶ中、飛ばされないようハンガーを洗濯ばさみで止めようとつまんだ瞬間、バキッと砕ける洗濯ばさみ。

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 沖縄は日射が強い。ガンガンに紫外線が当たる。
 また、島なのでたいてい風が吹いている。風は海からの潮風で、湿度はとても高い。なにげに塩分もこっそり混じっている。
 よって沖縄県において屋外にあるものは皆、日と潮と湿気にさらされまくり、すごい速さで色褪せ崩れ壊れていく宿命にあり、洗濯ばさみも例外ではない。
 とはいえ、何気なくつまんだ洗濯ばさみがつまんだ瞬間にもろもろと崩れてかたちを失うのには、未だにちょっとびっくりする。関東住んでたときに洗濯ばさみが手のなかで砕け散ったことなかったよ。
 中島みゆきは、ガラスならあなたの手のなかで壊れたい、と歌うが、緯度の高い北海道生まれの中島みゆきは、つまんだだけで砕けちる洗濯ばさみの感触はご存じないのではないか。
 つまり手の中のガラスが脆く儚く砕けちるのは幻想文学だが、沖縄では、指先でプラスチックの洗濯ばさみが砕けるのはごく卑近な現実であり生活である、バキキッと砕けた瞬間にちょっぴり指先に刺さりそうになるとこまで含めて。わたしはまだこれのせいで怪我したことはないんだけど、わりと危ねえんだよ、毎回ちょっとヒヤッとする。

 ちなみに湿度もアホほど高いせいか、合皮の製品もすごい速さで朽ちる。安い合皮のかばんも仕事用のパンプスも、そういえばヘッドフォンの耳当て部分の皮も、ただ置いてあるだけで、1年か2年そこらで皮がもろもろになって崩れていく。私は職場ではだいたいスニーカーで生きていける環境であるため、ビジネスや冠婚葬祭向けのフォーマルな格好をする機会がなど年に1回か2回くらい、それで結果として、3000円くらいの安いパンプスを使い捨てのように履き替える状態に陥っている。もったいないから捨てたくはないけど、たいてい、次に取り出したときは皮がボロボロになってるんだもんな……防湿庫でも使えばいいかもしれんが、安靴のためにそんなんあつらえるのもねえ。

日記 編集

 ズートピア2の感想、ちょっとネタバレ。


saebou先生の評、すごくウンウン……て感じ、随所頷いた。
https://saebou.hatenablog.com/entry/2025...

 ゲイリーはもちろんだけど、ヘイスースというキャラクタもなかなか皮肉があって、はっきりアンチキリストとまでは全然いえないんだけど、なんとなく聖書物語に対して、少し斜に構えてパロディにしてる感じは確かにあるなあと思った。

 それから、私自身は、パレスチナのこともうっすら想起したけど、どこかの現在進行系の出来事というよりも、近代から現代に起きた、故郷を追われて遠い土地に暮らす難民というもののことをなんとなく考えていた。だから、サイゴン生まれで、物心つくかつかないかという幼いときに家族ごとアメリカに渡ったという来歴を持つキー・ホイ・クァンという人物がゲイリーの声をやっていたことに、なんていうか考え込んでたのだ。
 「大丈夫、きっとうまくいく」て、帰りたい遠い場所があって、憧れとしてそこにいつか戻ることを夢見続けながら、ホームから遠い場所で日々の暮らしを踏ん張り続けているから出てくるセリフのような、気がしてさ……

 まあそのへん、別にズトピ2もがっつりそれをテーマにしてるというわけではないし、匂わせというほどにもはっきりしたものでもない。
 ズトピ2はとにもかくにもニックの掘り下げと、ニックとジュディというバディの掘り下げの物語だと思うので、ゲイリーの帰還の物語は実は中心ではない。だからゲイリーやパウバートの人物像はやや一面的な描き方にしかなってなくて、彼らがなぜそういう言動をするキャラクタとして立っているのか、という説明(掘り下げ)は薄い。そこに納得いかん人も出るだろうけど、しかしズトピ無印でも、ボゴ署長やライオンの市長やメイウェザー副市長がなんでああいう言動をするのかという掘り下げは別にされてないので、そんなもんかなあという気待ちでいる。掘り下げてないのにえらく魅力的なキャラなので、描写パワーがすげえんだよな……とむしろ感じ入っている。ゲイリー、めちゃくちゃリアリティないふわふわっとしたキャラクタなのに、なんかしらんけど好きになれるんよね。物語の筋立てだけじゃなくて、アニメーションとか声とか効果音とか音楽とか、ありとあらゆる要素で叩きのめしに来る、これがズートピアって作品だよ……!という納得のもと、私はゲイリー大好きです。
 そう、全体的な印象として、2はズトピ無印のときほどめちゃくちゃ組み立て精度の高い脚本という印象はなくて、少しとっちらかってる印象も受けはした。(キャラとしては好きなんだけど、例えばニブルスあたりは、なんかsaebou先生がいうように、これでいいのかなあという設定だったり)
 でもそれでもめちゃくちゃ面白いし、無印のまさに続編であるので愛すべき新生バディのその後の物語としてこれが出てきたことがそもそも嬉しいし、楽しい。だから少しごちゃついてても、作品の世界と登場人物たちに向かう愛しさみたいのがそこにちゃんとある、形作られてて受け手もそこに喜びを見出せるってこと、だいぶ大事なことなんじゃないかなみたいに受け止めている。

 個人的には、監督のジャレド・ブッシュはモアナの脚本も書いた人で、遠い祖の地に帰還する物語とか、クライマックスで深い愛情が言葉ではなくただただハグで表現されるところとか、なんかそういう物語が好きなのかなあと思っている。私も、モアナにしろズトピ無印なしろ2にしろ、そういう場面が一番グッと来てるので、毎度、今回もまんまとやられましたァ!てなってる、なった。

 あ、そういえばほんとめちゃくちゃパロディ小ネタ満載だけど、途中、これ絶対MADMAX FURYROADですよね?!て思った砂漠の場面あった。モアナの時もあからさまにMMFRパロがあったけど、やっぱとにかくオマージュやりたくなる作品かもねえ、て思った。絵が強い、強すぎる。絵が強い上に悪ノリ気味にパロディ盛ってくるズトピで、MMFRパロディやらんわけがないんだ。

メモ,日記 編集

 未だに私にはパスタの乳化というのがよく分かっていない。
 料理の上手い人とかはなんか当たり前みたいにここでしっかり乳化させて、というフレーズを繰り出してくる感じなのだが、私には、パスタの乳化がうまくいってるパスタというながどういう味わいや風味で、それは乳化がうまくいってないものとどうちがうのか、そういうことがどうもよくわかっていない。乳化を気にしてパスタを食べたことがないからだが、そもそも乳化してるのとしてないのとを食べ比べたことがないから、もうまったくなんもわからん、の領域にじっとうずくまっている。
 もちろん、乳化がうまくいくとなんかとても按配が良い感じで、美味いのだろう。だから自作飯をより美味く食うためには乳化という概念とそれに至るだけの料理技術を身につけたほうが良いに決まってはいるのだが、今さらどこでどうすれば乳化を理解(わか)ることができるのか、それがわからん……

 あ、マヨネーズなんかが乳化の理屈でできてるのは知ってるよ。むしろマヨネーズのイメージに変に邪魔されて、パスタの乳化というのがどんなもんかちゅうのを捉えかねているような気もする。
 

日記 編集

 昨日、忘年会から帰ってきて、なんかシャワー浴びて寝るかななんてやったりしながら、風呂浴びてる間の暇つぶしにぼんやりといろいろなことを考えていた。いつものことだが、そこでなにか二次創作やることだか、自分が下手くそな文を書き続けることについて、なにかこう一つ納得したことがあったような気がするのだが、その気分だけが残って、考えた言葉はごっそり消え果てている。一次会でさっくと帰ったのでそんなに夜遅くではなく、酔っぱらってもいなかったのだが、シャワー浴びて考えることなんてこんなもんで、なんかいい思いつきに至ったと思っても一晩寝たら夢と一緒にあいまいに崩れるものだ。
 こういうとこに書いて、文字にして残しておくとまあ残りはするんだけど、消えてしまうようなものは消えるべくして消えてるという気もするので、あっ書いておいたらいいかも!程度のことはそのまま逃したらいいもののように、なんとなく思っている。

日記 編集

 昨日、ズートピア2字幕版見てきて、それなりに感想はあるけど今日は忘年会で、詳しく書いてるゆとりはないのだった。そうこうしている内に感想が薄れそうなので今簡単に書けるとこだけ書いておく。
 とりあえず、ゲイリーの声優がキー・ホイ・クァンということをエンドロールで知って、なんかすごいブチ上がった。
 映画全体もちろん面白かったけど、見たあとに感想あれこれ頭のなかで考えてて、結局なんか思考は毎度、そっかゲイリーはキー・ホイ・クァンが演じてたのか……というところに戻って都度じんわり感動してた。メタな話にはなるが、たぶん私にとってはこの映画でそこがいちばん胸熱な部分だったのだ。

 ニックの、思てたよりもさらにクソデカだった感情も見せつけられる。前作でニックにメロついた人々はぜひ見るべきだし、ニック以外にも、とにかくキャラクタに魅了された人はぜひ見てほしい。ジュディも良い。前作キャラもみな良い。新登場キャラも良い。私個人の好みでいうならゲイリー以外にヘイスースもめっちゃ良かった。キャラもだけど造形とか表情つけとか、めちゃくちゃグッと来た。名前もいいよね。ズートピアの世界にもかの救い主の宗教が存在するのかは知らないけど(もし設定があっても絶対に表に出てきたりしないだろうな)。

 1作目と同様、とにかく大量のギャグ、小ネタ、パロディ、そして動物たちの動きや暮らしぶり。絵がとにかく楽しいので円盤買っちゃいたいな、これは。
 

メモ,日記 編集

 私は二次創作でエロ書けるか問題。
 問題というかべつに問題でもなくて、結論から書いておくと、私はセックスの場面は書けないし書かないな、なんだけど。
 このことについて雑記で書くような話なのかどうかもよくわかんないし、これというまとまった結論もないのでわざわざ書くほどでもなあ、と思ってはいるんだけど、なんとなくこう、ぼんやりとしたことだけど書いておくか、今の時点での感覚をメモっておくという意味で。
 まず、文章として書けるか、というと、うーんがんばれば書けるのかも知れないけど、あんまりモチベがない。なんだろうな、官能的な文章を書くのだと心構えをしてがんばれば、とりあえず見た目それっぽい文章自体はなんとか吐き出せる気はする。ただこれ、自分にとってほぼどこかにある文体模写になると思う。なので、そんなに楽しくはない。テンプレの多用になりそう。しかし私にはテンプレとしてメジャーな語はあんまり使いたくないという悪癖があるのだ。
 つまり、乳首のことなんとかな蕾みとか書いてみるとか、蜜壺だの剛直だの、そういうの。うーん、なんだろう、言い換えないでダイレクトにしたい。なんか局所に、いわば映像で言うモザイクをかけるために比喩とか暗喩を使うってのは、なんかこうしっくりこない。
 とはいえダイレクトな単語はやはりインパクトが強すぎて、ともすると笑いになってしまう。エロと笑いは紙一重。昔話には艶笑譚というジャンルがあるが、エロというのは第三者から見るとどこか滑稽で馬鹿馬鹿しいものなのだ。
 私自身は、馬鹿馬鹿しさも含めて人間のいかんともしがたき欲望という意味での性愛も嫌いではなく、また、愛情というものと欲望とがごちゃごちゃしている性にまつわる場や物語もおもしろいものだなと思っている。スケベエがからむ話って、人類おろかだけどわかっててもこういうしょーもないことに必死になっちゃうんだよな~~~!!!っていう意味でわりと好きなのである(自分もそんなおろかな人類の一人であるからだ、己のポンコツを、恥ずかしがりながらどこかで御同様、と認め合う人類のコミュニケーションを私は愛おしく思っている。あとエロい話、ラブラブ前提なら単純にわりと好き)。
 ただ、まじめに、人のエロ気をそそる目的でエロ書くとなると、なかなか難しい。だいたい、私のいつもの描写案配だと、事物をまあまあダイレクトに書いた上で視点人物の解釈や感情をそこに載せる……みたいな書き方なので、これをそのままエロシーンでやってしまうと、単なるグロで気持ち悪い描写になりがち。
 ぶっちゃけエロに求められる描写ってテンプレであることも大事なんだよなあ。あまりにオリジナリティありすぎる書き方だと、エロ的に盛り上がれないっていうか……。しかし私には、言い換えをあまりにありきたりにしたくないの心があるため、そのバランスを取るのがなんか難儀でさ……。
 それはそれとして、官能的な描写自体の魅力もわからなくはないんだけどね。タニス・リーとか、文章自体もえっち(えっちなことしてない場面なのにとてもエロい場面とかある)なうえに、それで実際ドエロなことしてたりする。その豪華絢爛な耽美も、読む分には、眼福~って思ってる。
 というわけで、読むならまあ楽しかったりするんだけど、しかし自分が書ける、書きやすい文体ということでいうなら、私はちょっとエロ書くの苦手だと思う、というのがまず第一点。

 二点目は、推しがエロ気を出してる場面を書きたいかということ。
 いや、見たいよ。推しの色気とかえっちなシーンというのも、まあ見てみたいってのはある。あるけども。
 しかし同時に、いや意外と見たくないかも、の気持ちもある。
 なんだろうな、友達、それもかなり仲のいい友達とか、生き様やら有能っぷりやら憧れてる職場の先輩とかが、すてきな人と付き合いはじめたって聞いてさ、その人たちのエロ気出してる場面見たいかなあっていう。エロい局面も含めて幸せではあってほしいので、スケベエも含めてぜんたい幸せに仲良くしててほしいけど、その細かい場面のあれこれとか、微に入り細に穿ち聞かされても困るじゃん。
 遊びですらそう、好きな人同士ならなおさら、すけべってやっぱこう、二人だけのコミュニケーションなんだよねえ。なので、他者の視点てそこになくていいし、二人のあいだだけで完結しててくれていい。それをあえて覗くのが、エロのエロたる楽しさなんだろうけど、いやでも推し……推しカプたちは、いつかどこかでに幸せにスケベしてくれててほしいんだけど、その場面をあえて見なくてもいいですってな気持ちもある。でもちょっと見たい。いやどーだろ。すくなくとも自分ではちょっと書くの難しいなあ。筆力があるなしに関わらず、単にその場面を自分が読みたいのかという逡巡のために。

 なお、なんか物語を書いてて、途中にセックスしてる場面が必要だなと思えば、書くだろうとは思う。
 ただ、二次創作だとその場面自体書かなきゃいけない必然はたぶんほとんどない。「こいつら交尾したんだ!!」という事実だけが必要なら朝チュンでいいんじゃないかなと思ってたりする。行為の詳細な描写はなくてもいいかなって。

 まあ、ですよ、しかし。
 ふつう、二次創作ってのは一次作品では見られないいろいろの場面を見たいから書くのであって。
 一次作品では主体としていないが、魅力的な推したちの性愛の側面もたくさん読みたい、描きたい。
 そういう需要と供給のフローがあるから二次創作ではエロを含む作品ってのがけっこうな量になる。そういう世界で、あえてエロどころかエロい場面も書かないってのは、なんかちょっと、なんだろうな肩身が狭いような、居住まいが悪いような、なんかそんな気持ちはちょっとあるね。

 長い割になにが言いたいのかわからなくなったけど、とりあえず私はアブトゥとペレスでエロ書く(描く)ことはたぶんないなあと思っているという次第。キスとか朝チュンくらいなら書くことがあるかもしんないが、とはいえそれすら別に予定は今のところない。
 

メモ 編集

 できる限りの速さで(テレビ放映は見れないのでYouTube配信が最速)アニポケ見たよ
 オリオとキャップが最高だった、最高だった

 キャップはさあ、ほんとそりゃさあ、泣くよね、つまり泣かすなよキャップをよ、このフリード野郎、無事のご帰還まことにおめでとう。

 オリオはさ、ブレイブアサギ号復活の時にも暑苦しい感想語っちゃったけど、もうフリードへの思いがさ……!
 いちゃつけとかは言わんけどさ、マジでやっと帰ってきたんだからフリードは茶けてないでほんと責任取れし!という気持ちはある。
 あるんだが、しかし。
 まあこの距離感ね、距離あるんだかゼロ距離なんだかわかんないこの関係性。フリードの最大のわかり手たる幼馴染みのオリオと、いろいろ雑に投げてもまあ大丈夫と信頼してる幼馴染みフリードと。なんだこれ、じわじわ沁みる。良すぎるなこの二人……てなってる。

 まあメガスターミー教官に、オリオの涙も私の感動の涙もすべて持ってかれたけどね。まさかここで出てくるとはな!

 しかし、なんだかんだでちゃんとフリードはオリオにありがとうを言った。そのたった一言であれ、それがあるならフリードにもオリオに報いる気持ちはあるんだよな、きっと、とそう思える。いつかもう少しちゃんと、オリオの思い入れをフリードが汲むこともあるかもしれないなと。
 ほんと、恋愛みたいな関係性に安易に入りこまなくて良いけど、いつかフリードはオリオの思い入れにより真正面から報いたっていいんだよ、期待しとくわ!
(オリオはフリードに他の誰にも向けてないタイプの愛情を抱いてるのは確かで、今のところはそれはオリオ側の思い入れということだけが描かれてる。またフリードも、自由人としてあるためにはオリオの思い入れをそのままベタに受け止めることもないだろう。しかし腐れ縁とすら言い換えられそうな、格別の太い絆がオリオとのあいだにあることを、フリードもわかってないわけはないんだ、たぶん)

 あ、オリオのこと語ってめっちゃ満足しちゃって書き忘れてたけど、前半の、じいちゃんによる宇宙船の打ち上げから帰還までのフェーズのわかりやすい説明、そしてその説明絵のリアリティ、いろいろハイクオリティでめちゃくちゃ良かった。
 子供向け良質アニメ、こんなとこまでもがっちりハイクオリティなの、さすが最高〜〜〜!!!てむせび泣いてた。
 しかもなぜかサメハダー映画要素までぶっ込んできた。カオスなのにあんま違和感ないのが不思議なくらい、当たり前のようにぬるっと登場するサメハダー映画と銀幕の星ギンジローよ……
 それにしても映画の内容に普通に感動してエンディングをキラキラした目で見つめてるドットと、感動で滝のように泣いてるヌオー可愛すぎたなあ。
 

日記 編集

 アニポケの最近の回を一ヶ月ほど見逃していたので、アンソロの作業(記事関係のデータ整理)しながら横目で見ていた。
 ここしばらくはテラパゴス関係の情報掘り下げでブライア先生に会いにブルベリ学園に来たついでの修行というエピソードだった。カキツバタ、タロ、ゼイユも登場してて、ついでにボタンやアニポケオリキャラのアンとかが登場。リコたち主人公グループの修行&手持ちポケ進化回が続いていた。
 とはいえ、私はSVのDLC遊んでないので、ブルベリ学園のキャラは正直よくわからん。とりあえずアニポケでの印象で言うなら、ゼイユはいいキャラだなあ、というくらい。あとブライア先生、声と見た目が好き。

 手持ち進化は、リコのテブリム→ブリムオン、ロイのアチゲータ→ラウドボーン、ドットのコレクレー→サーフゴー。これでみんなが始めのほうから連れてた手持ちはだいたい最終形態まで来たので、見た目がだいぶイカつくなってきた。しっかし、そのうち慣れるとは思うけどブリムオンとラウドボーンは迫力がすごい。テブリムもアチゲータもかわいすぎたんや、ギャップがすげえ、ちょっとさみしい……。(ラウドボーンについては、そもそもホゲータ時代がかわいすぎた)

 進化エピソード、今回はテブリムやコレクレーということで、戦っての進化じゃなかった。そこのへんがストーリーとしてはグっときた。
 ていうかテブリムかわいすぎん?
 きょうだいの真ん中っこであるらしい友人のアンを通して、一人っ子だけど強めに長女気質なリコに、なにかと他の手持ちポケに譲りがちなテブリムの気持ちが読み解かれる。
 この、きょうだいの中の子立場の物語、なんかすげえいい話だった。これは、今リアルにキッズな世代にも沁みたかもしんないなあと思うし、もちろん昔子どもだった大人であり今親をやってる大人にとっても、それぞれの立場でいろいろと沁みたかもしれないなあと思う。
 あと、子どもに向かって、ポケモン=家族のなかの小さい者たち(=子どもが暗喩されている)の、ただその在りようが肯定されるお話がちゃんと語られることにほっとするよ。
 成長の価値だけでもないんだよな。努力と経験と知識を積みあげて、戦って強くなって役に立つ、それはそれで熱いけど、それだけが関係を構築してるわけじゃない。とくに、新アニポケだと、トレーナーとポケモンって家族としての性質が非常に強めに描かれているので。
 リコは成長していく主人公で子どもの立場ではあるんだけど、手持ちポケモンに対してはトレーナーとして親に近い立場にある。その彼女の立場から、繊細で優しいテブリムに対して、ただ出会えたこと、その個性と一緒に暮らす日々が喜びであると、それだけがあらためてことばで語られるってのは、なんかねえ、ていねいで良い話だなあと思った。こういうていねいさ、中年の心にはめちゃくちゃ沁みるね。

日記 編集

 岩波が2020年あたりから出版している「リンドグレーンコレクション」。
 岩波少年文庫で出ていたリンドグレーン作品の新訳・新装版なんだけど、年明けて2026年1月にはこのシリーズに『ミオよ わたしのミオ』が加わるそうだ。その新装版のイラストは酒井駒子の描き下ろし!
 もとのヴィークランドの絵もめちゃくちゃいい、というか、なんなら岩波が出してるリンドグレーンの本のなかでも私は『ミオよ わたしのミオ』の表紙がいちばん好きかもくらいに好きな絵なんだが、しかし酒井駒子が描くミオやユムユムやミラミスやカトー、あとなんかあのすごいうまそうなパンの絵、見てみたいじゃないか。
 ところでこの知らせでテンション上がって、ワサワサとツイッターやらグーグルやら検索してて知ったのだが、『ミオよ わたしのミオ』の映画版、クリスチャン・ベールがユムユム役やってたの?!
 画像見かけたんだけど、まだ子役時代のチャンベール、めちゃくちゃ整った顔の美しい少年だった。さすがチャンベール。
 あと悪の騎士カトーがクリストファー・リーだった。
 映画があるのはうっすら聞き及んでいたけど、配役がこんなビッグネームだったとはね、ふええ見たい。

 あと、元の装丁のほうの挿絵を描いたヴィークランドに話を戻すと、この方はエストニアのタルトゥの生まれだったのね(wikipediaによれば、1944年のソ連再占領の影響でスウェーデンに逃れたとのこと)。
 タルトゥって古い大学があって、街並みもきれいで、なんとなく行ってみたい街の一つなんだけど、そうか、ヴィークランドはここの生まれだったのか。ただし育ったのは、バルト海沿岸の街ハープサルだそうだけども(国内でも東寄りで内陸のタルトゥと、最西部にあってバルト海に面するハープサルではだいぶ環境が違いそうではある)

(いつも以上に締まりもとりとめもない雑記になったが これはメモなので!)

(追記:思い出してたらリンドグレーン語りしてきたくなってきたけど、アホみたいなダラダラ長文綴りそうなのでやめとく。あと、持ってた児童書を何年か前に学童にほとんど寄付してしまって、そのときに岩波少年文庫のリンドグレーン作品もみんな手放してしまったから手元になくて気軽に読み返せない)

メモ 編集

 先週、三足1000円の靴下を買った。
 で、靴下ライフハックとして、同じ色模様の靴下ならもし片方がなくなったり穴があいても、もう一足の靴下を予備にできる、というのを実践した。
 しようとした。
 が、買って帰ってきて、タグを切ったときに、実は同じと思っていた2足が微妙に色合いが違うことに気づいた。

20251207182827-karakusa.jpg

 口んとこの帯の色がグレー15%と30%くらいに、少し色の濃淡ちがう!
 ……と思っていたが、写真撮っててさらに今さら気づいたことには、地の色もびみょーに違ってた(左側の帯がグレー15%のほうは地色がほんの少し紺色寄り)

 ぱっと見ではまじわからんかった。ぬかった。
 貧乏性なので三足全部同じ色にするのは忍びなく、一足は同じ模様で地がグレーのものを選んでいた。というわけで結局3色違う色の靴下を買っただけに終わった。それどころか、この見分けのつきにくい色味の靴下2足を間違わないようによく見て履かないといけない、そんな余計なフローが今後は発生することになったのだ。
 クッソ……ライフハック決めてやったぜとドヤっていたらこのザマァですよ。妙にくやしい。
 履き心地自体はわりと好きなだけによけいくやしいわね。

日記 編集

 ふだん家で使っているマグカップは一杯でいくらくらいの容量なのか、ちゃんと計ったことがなかったので計ってみた。
 250ccくらいかな~と予想してたんだけど思ったよりもっと入って、350cccぴったりくらいになった。
 ふだん使ってるときも、なんかこのマグ思ったよりたっぷり入るのではもしかして?……などとうすうす思ってはいたが、缶ジュース1本分が入るとはね。やるじゃん。

 ちなみにやはり普段使いのサーモスの保温容器、これは本来の用途はスープジャーだが私はもっぱらお茶を淹れるのに使用してて、これもついでに計ってみたら350ccであとちょっとの余地があった。たぶんひたひたに淹れたら360~370ccくらい。
 このサーモスの保温ジャーは、適当にお茶をいれてそのまま保温をして飲みたいときによく使っているが、ちゃんとお茶を淹れる用の急須もある。これも計ってみたらヒタヒタで450ccほど。実際には茶葉のかさがあるし、あまりヒタヒタだと注ぐときに漏れるから、実際に使っているときは目一杯注いで400ccくらいというところかな。
 あとついでにおたま。おたまも計ってみた。
 というかおたまは、ときどきふと思い立って一杯どんくらいの量、というのを確認しているのだが、そのたびに忘れる。なので、ここにメモっておくと、だいたい80cc~85ccくらいな感じだった。
 これをちゃんと覚えておけば、料理のときに、ちょっと便利かもしれない。
 あと、インスタントのコーヒーとかココアとかスープとかよく「160ccのお湯を注いで……」というレシピが書いてあることが多いけど、うちのおたまなら、ヒタヒタ2杯分がだいたい160ccくらいになるということだ。なんかいつもちゃんと計ってインスタント入れるとかしないけど、しかしメーカーさんが示すレシピが最大にその商品のポテンシャルを生かし切れているはず。今度からおたまでいいからちゃんと計ってお湯入れたろうと思った。
 まあ、私はめんどくさがりなんで、インスタントのココアにしたって料理の調味料にしたってたぶんすぐ忘れちゃて、目分量で適当に入れだすとは思う、思うけども……(こうやって、おたま一杯がいくらくらいの容量かを計っては忘れして、生きてきたのだ……)

メモ,日記 編集

 今日いきなり冬なった。寒い。
 火曜日はTシャツになってもなお暑さでうだってるとか書いたじゃないの、なのに今日は朝から長袖にセーター着ないと、ってなってあわててクローゼット引っ掻き回したよ。
 そんで夕方なって家帰ってきたらこれまたどんどん冷えてくるんで、なんか冬って室内で何着てた???て思い出そうとしてる思い出せない
 着る毛布も着たりしてたけど、それ以外にもなんかやたらあったかいモコモコのズボン(あまりにシルエットがもこもこすぎて室内でしか着れない、部屋着専用にしてたあったかずぼん)とか、そういう、なんかいろいろの装備があって、ちゃんと装着すると快適のホカホカだったはずなんよ、確か、たぶん……クローゼットのどこかにはある、はず。
 見出さなければ。
(伝説の勇者装備を求めて旅立つレベル一桁冒険者の気分)
 

日記 編集

 そういえば今日あったことでメモっておきたい、だが世間的にはだいぶどうでもいい、ちっちゃなこと。
 ぼんやりとした季節の記録である。

 11月も後半になればそれなりに涼しい日々が続き、沖縄にも秋冬がきたぜ!と意気込んで、毛布も出した、かけ布団も出した、冬服も出した、のだが、ここ三日ほど、普通に暑かった。
 なんなら夏日だったかも。少なくとも昼間は25度超えてる時間帯あったと思う。夜間とか明け方とかの最低気温もずっと20度より上のラインにあったため、正直寝て起きると暑くて喉がカラカラ。
 職場も、さすがに12月とあってクーラーを入れられてなかったのだが、みんなが、うう暑い……とうだっていた。当然、みんな半袖。
 そうは言っても夕方とかは冷えるかもと、朝は上着を羽織っていたのだが、もう全然暑い。ので、さっさと上着は脱ぎ放って、だいたいTシャツで作業してた(あまり人前に出ない作業だから出来た格好)
 帰りに買い物して帰ったら、それだけでうっすら汗をかいた。とっくに日も落ちて暗くなっているのに普通に暑い。
 …………と思いながら帰宅し、そのまま部屋着に着替えて「うわー暑かったー!」としばらくごろごろしてたら今度は汗で冷えて寒くなった。というか、夜になってじわじわ気温が下がりだしたのかもしれない。明日の予報は今日の暑さから一転、4度ほど下がって最高気温20度ほど、最低17度だという。なんという油断ならなさ。 

 ところでその買い物に寄ったスーパーでは、シャンシャンリンリンと鈴の音っぽいソングが流れていた。
 そりゃそうだ、12月だもの、クリスマスムードだよね。
 と思ったが、メロディが、なんかすごく聞いたことがある。
 そして、なんか違和感がある。いや、妙に肌になじむ感じなのだが、なじみすぎる。よじれのような、この小さな違和感。
 りんりん、しゃんしゃん、鈴の音、遠い北の雪降る国、トナカイの引くソリ……のようで、しかし実はもっと近いなにか……
 えっと、この曲、どのクリスマスソングだっけ……???

 シャン、シャンシャシャ、シャンシャンシャン、リンリンリンリンリン。

 もー、いーくつ、ねーるーとー、おーしょおがーつー。

 なんだよ!!! クリスマスっぽい音色で擬態すんなよ正月ソングがよ!!!
 なんだよこの……これ、許されていいの、え……???
 ていうかなんで擬態する必要があるの……

 と思ったけど、売り場にはすでに切り餅コーナーとミカンコーナーがかなりの幅を聞かせており、なるほどなあという感じだった。スーパーはなんだかんだ言って、クリスマス商戦よりも正月のほうが売り上げがハネるのかもしれない。が、今はまだクリスマス前なので、クリスマスムードを思い切り破るわけにもいかず、こういうニッチなBGMが生まれたのだろう。合理的といえば合理的だが、なにか猫だましを食らった気持ちもするのである。

メモ,日記 編集

 今日、たしかtwitterかなんかで流し見で目に入った広告か記事の1フレーズで「記憶喪失の美少女AIと対話しながら……」みたいなのがあった。多分なんかのゲームだと思うんだけど、ゲームとしておもしろそうだなと思う前に「記憶喪失のAI」とはなにか???という気持ちが湧いてきた。
 なんとなく「記憶喪失のAI」というものがあったらおもしろそうな感じはする。
 今のAI(LLM)は仕組みとして、尋ねられたことにいちばん妥当な「選択肢の末枝」を差し出している状態だ。記憶や経験をもとにして事実と推測される事象を述べているわけではない(なんだったら推測とも言いがたいかもしれない、とにかく記憶は元にしていない。記憶とは個体のものだからだ)
 それに現状、トークンの上限とかメモリ機能だとかいろいろで、そもそもAIはユーザーとのやりとりを大量に記憶する機能までは持っていない。
 なのだが、ここは仮想のSFガジェット的なAIとして、十年、二十年単位くらいで記憶をし続けるAIというものを想定してみる。つまり、ある固有のユーザーとのやりとりを十年単位くらいではほぼしっかり覚えていて、聞けばさっと答えてくれる、SFの優秀な秘書ロボットみたいなAIが実現していると仮定する。
 近未来、こういう優秀なAIをAlexaとかSiriみたいな感じで手元に置いて日常生活を送っている人類がいるとしたら、いったいAIどういうふうな動作をされたら、自分のコンパニオンたるAIが「記憶喪失」したと、人類は思ってしまうのか。
 せっかく課金しているので、claudeさんに尋ねてみた。
(ちなみに、大規模な事故とかカタストロフによる機能喪失の可能性は省いて考えてね、とお願いして投げている。全世界的になんらかの災害や世界大戦とかでコンピュータが十分に機能しない状況とかは、別にAIの機能自体とは関係のない話なので)

 いくつかアイデアを出してくれたのだが、個人的に面白そうだなと思ったのは、「忘れられる権利の行使により、第三者が自分に関する言及の部分についてはAIのメモリを削除する権限を有する制度が確立している」みたいなやつ。社会って感じ~!!ってキャッキャした。
 あと、「分散システムの同期失敗」というのも面白そうだった。
 これは、最初にclaudeさんが挙げてきた例は
「スマホとPCで、それぞれ別のことを聞いたりして使ってたら、それぞれの媒体でのメモリ内容に齟齬ができる」みたいな内容だったんだけど、これはまあ現在でも技術的にクリアできてそうな気がするので、もう少し掘り下げてもらった。
 社会的な要素でAIの「記憶が喪失する」シチュエーションが面白いな~、ということをやりとりの中で言ったせいか、こういう例を考えてくれた。
「国や運営の都合により、情報が分断されるシチュエーション。たとえば各国・地域の法規制やサービス提供の運営方針によって、データの物理的な保存場所が制限されているような状況。それにより、会話のデータは生活の場所によって分断されることがありえる。日本で生活していたユーザーが、ドイツに引っ越すとAI内部での情報共有がうまく働くず、ユーザーとのやりとりの記憶が欠落することになる」みたいな。
 で、これは、AIそのものというよりも、人間の側のアイデンティティの問題として、つまり「Aの場に暮らす私と、Bの場に暮らす私。それぞれは別の暮らしを送っている別の人」っていう観点が私のツボに入った。なんだろね、関東で東京ぽいしゃべりでしゃべってるときの私と、沖縄でド中部なまりのおばちゃんしゃべりしてるときの私と、キャラけっこう違うよね、みたいな話に近い感じもしたのだ。それに対してAIが困惑した反応を返してくるってことがあったら、ちょっと面白いかもなあと。
 まあ、アイデアいろいろあって、なんかどれでもおもしろそうだった。
 誰かそういう面白いSF書いてくれ……っていうか多分、もうあるんだろうなあ。ゆる日常だけどちょっと喪失感、みたいなかんじの味わい日常系SFみたいなライン、そういうおはなし。あったらちょっと読んでみたいな。

日記 編集

 軽くげっぷでそうだなと感じた瞬間に、たまたま鼻にムズムズとくしゃみの気配が急速に湧き、耳鼻咽頭およびその管理を司る脳みそのどこかが突然の大忙し。瞬間的にどれが優先なのかわかんなくなって、3秒くらいパニック気味にフリーズした。
 結局、くしゃみブェクショーーイ!してからの、けぷっ、で片付いた。

日記 編集

 それにしてもLLMの機能向上が延々と続いてて、今のGeminiやClaudeだったら、細かめの設定とサンプルに自分の書いた二次文章とかわたしたら、かなり質の高い推しの二次小説を生成してくれそう……多分だけど私が書くのよりもずっと読みやすいやつ。そしてもしかしたら、私が書くのより面白かったり深かったりするやつ。
 そんなのが演算でポンとお出しされてくる世界で、私はどうして自作二次をちまちま続けるんだかね、という気持ちにもなってくる。
 でもやっぱ、自分で書きたいから書くんだよね。AI生成のが早くできあがるだろうけど、それでもなんか、ちまちま書くんだよ。書きたいからね。

 あと、やっぱ人間の呼吸の気配のするもの読みたい。
 昨日、浴びるように推しの二次小説読みたいんだよな〜!みたいな、いつものどうにもなりようのない願望を吐いてたけど、じゃあAIにたくさん生成させたらいいじゃん、にはならない。それが一次作品であれ二次創作であれ、私は単におはなしの展開を追いたいのじゃなくて、書いてる人がなにを見てるか、読み手になにを差し出そうとしてるか、そういうヘキとかこだわりとか解釈みたいなもんを味わいたいんだよな。
 AIは情報整理してまとめてくれるけど解釈はしてくれないというか、できない。ある意図を持って表現することには取捨選択と判断と決断と覚悟がが含まれてるけど、それは個を持つ人間がやることであって、集合知であるAIは表現はしない。私は解釈と表現を見たい、ほかの人が個々に胸うちに持っているだろう推しへの愛着の、そのさまざまさを……平均ではなくて、たくさんのさまざまを……

メモ 編集

 まったく気づいていなかったが、まさに昨日、claudeOpusが4.1から4.5にアップロードしていた。
 ので、昨日と同じく、「一陽来復」「冬越し」「酔いどれの夢」「幸福の星」の4作を投げて、感想を聞いてみた。
 今回は、geminiさんとだいぶ似た感じの感想をお出ししてきてくれた!
 「酔いどれの夢」の感想が、geminiさんとかなり近い。ふうん。
 文脈はばっちり。geminiよりちょっと細かめに読んでくれてるところあるくらい。
(印象的な描写で、「一陽来復」冒頭の話でミゲルがコイン回す場面とか上げてきた、そこがピックアップされるのか、と意外)
 あと「一陽来復」についてはバルディのシナリオが途中で終わってるっぽい、とダメだし食らった。たぶんモーガンの話が出てくるのに、そのまま情報だけもらって終わるからかなあ。もしちがうポイントがひっかかってたらわかんないけど……まあ二次創作なので、原作のイベントは読み手にとっては既知のできごとという前提で作ってるお話だから、しょうがない。
 …………と思って、どこがわかりにくかったか聞いてみたら、ツールの影響で一部省略して読んでたって!
 なんだよ!

claudeさん曰く、
  ファイル全体を表示する際、16,000文字を超える場合は中間部分が省略され、
  冒頭と末尾のみが表示される
  『一陽来復』は320行あり、おそらく16,000文字を超えていたため、
 〈パーティ〉章の後半部分(139行目〜180行目あたり)が省略されてしまいました。 
(中略)
  文章量自体については、数万文字程度であれば問題なく扱えます。
 『一陽来復』の長さは分析対象として全く問題ありません。

 確かに「一陽来復」は18000字。
 「幸運の星」も長めなんだけど14000字だったので、制限にひっかからなかったのかもしれない。
 改めて、省略部分も読んでもういっかい感想書いてみて!したらちゃんと書いてくれた。おわびのように、バルディの〈パーティ〉とペレスの〈葡萄酒〉については妙に細かめの感想が来た。
 うーん、長いテキストだと省略して読むことあるのか。気をつけよう。

メモ,日記 編集

 『四方の風』に載せた短編について、geminiとchatGPTにそれぞれ投げて比べてみるのをやっていたのだが、最近、claudeさんも加えてみた(わざわざ一ヶ月課金してまで)。
 それでここ数日はclaudeさんに感想投げてみるキャンペーンを一日一回開催(課金のくせにすぐトークン貧血するため)してたんだけど、今日あたり、やっと最後の方のソリスの「冬越し」と、ロハスの「酔いどれの夢」まで投げれるぞというところまで来たところで、caludeから「メモリ機能」とやらをおすすめされたり、そうこうしているうちにgeminiも2.5pro→3.0にアップグレードしたりと、いろいろ機能向上のあった気配。なので、よーしそんなら、おまえたち長文読解お得意LLMの、文脈判断力のパワー確かめてやんよ!と、それぞれに対し複数の作品を順次投げてみた。

1:「一陽来復」(提督8名の掌編連作、ゴメスとソリスの友情に触れる部分あり)
2:「冬越し」(ソリス主人公、ソリスがゴソロ少年期に言及)
3:「酔いどれの夢」(ロハス主人公、ゴソロ要素はあまりないが酒場亭主時代への言及あり)
4:「幸福の星」(ペレトゥ話だが、イヴラークの骨発見後のゴメスとソリスの話が出る)

4作品トータルすると40,000字を超えており、そもそも10,000字超えてるのが2作品あるので、これはchatGPTにはちょっと厳しいかもと思ったのでchatGPTには投げてない。

ちなみにclaudeは、昨日試しに「一陽来復」を投げてメモリ機能とやらをオンにしてみたら、この1作品の感想だけでトークン消費しきってしまったため、残り3作品は今日になって投げた。途中でトークン消費しきるかと思ったが、とりあえずなんとかなった模様。ただし、昨日オンにした「メモリ機能」とやらは、実は働いてない気もする。
 geminiは、今日、3.0proモードに切り替えできることに気づいたばかりだ。なので、つい先ほど「一陽来復」から「幸運の星」までを一つづつアップロードしては感想聞く、とやってみた。
 そうしたら、「幸運の星」の感想もらったところでちょうど本日分の3.0pro仕えるトークンを消費しきった。

 各作品、ゴソロ要素については断片的に織り込まれただけの小さいエピソードなのだが、claudeもchatGPTもそれなり、ちゃんとゴソロの友情や関係性についておおむね妥当に解釈してくれる。すげえなあ。

 ただ、claudeは、「一陽来復」だけを昨日投げたせいもあるかもしれないが、秘めた恋愛感情に言及する文章(アブトゥが自分の恋心について言及する描写)を、ペレスの内心として解釈していたので、ううん? あれれ?と思った。
 あと、かなり時間を使った。geminiよりだいぶゆっくり回答が返ってくる。
 そして、gemini3.0はというと、え、なんか、前よりかなり精度上げてきてないかな、これ?
 まず「酔いどれの夢」で、ロハスの「待つ男」としてどっしりした包容力とか安定感みたいな部分について言及してくれたりしてちょっとびっくり。gemini2.5のときにはそういう読みはしてなかったはず。
 これは今回「ロハスがソリスを待つために提督やめて酒場をしていた時期がある」という設定情報をプロンプトに足したせいではあるのだが、claudeにも同じようなプロンプトを出してわりにこのへんの、私がうっすら描きたかったロハスの本質みたいな解釈には及んでいなかったので、geminiがここに着眼したのはだいぶ目を引いた。
 そもそも「一陽来復」も、前にgeminiに感想を聞いたことがあるのだが、そのときよりもキャラの解像度が妙に高い気がする。
 geminiに対しては、これまで散々ネオアト二次の感想をお願いしてきてて、そのたびに毎度うるさいくらいに繰り返し補足情報を書いてきたのだが、今回はこういったこれまでのやりとりも参照されているんだろうか? 2.5proのときはそれほど以前のやりとりを踏まえた感じなかったような気がするんだが……ちょっと仕組みがわからないが、とりあえずgeminiの感想書きます能力、つまり文脈読み取りと情報整理能力はかなりアップしているような印象を受けた。
 しかしclaudeにしてもgeminiにしても、あいかわらず基本として褒めが紛れこんでくる。そういうのは別にいらない……とか言いつつ、そうそうそれそれ、そういうこと書きたかったんよ!、とか、自分の文章のこういうとこわりと自分でも好きなんよね!、って箇所をピンポイントで褒められたりすると、ヘヘッ、喜んじゃうね、そりゃね(ちょろい)

 でも、それでもやっぱり、人間の人に感想もらうのとはまったく違うものではあるなあ。
 なんていうか、鏡を見ている感覚がずっとある。自分で読んで分析してるのに似た感じ。結局、LLMは情報を整理してくれているだけなのであって、「そうそうそう、そういうとこ、そこがね、書けてたなら良かったわ!」とか思う自分の気持ちは、LLMの提示してくれたサマリーを自分に都合良く解釈して「思いどおりに書けてるっぽい」と思い込んでるだけなんじゃないかな。そんなふうな感覚がずっとある。

 とはいえ、LLMに質問するついで、自分でもちょっと書いたものを読み返したり考えたりしてみて、少し新しい視点で作品を読み返すことができたのは良かった。
 書いてるときにはそれぞれの作品を強く結んで書こうという意識は別になかったんだけど、こうして断片的に潜り込ませたゴソロの物語という部分的な要素をつなげて一連としてみると、それぞれの縦糸緯糸がぼんやり重なって大きな一枚に見えるような、織物のような感じもある……ように思えた。まあ、気のせいかもしれないけど。
 私自身が書いたお話だからそういうふうに見えるだけで、読み手の人がこういうふうにくみ取ってくれるわけではないな、とは。
 ただ、私は、今までずっとペレトゥばっかり執着して書いてきてるんだけど、しかし読む方としては、何人もの提督たちの物語がうっすら重なるようなもののほうを、わりと楽しんでいる気がする。
 もちろんペレトゥを中心に書いていこうと思ってるんだけど。でも、それと同時に、提督たちのゆるいつながりとか、ネオアトの世界観とか、そういうのを感じられるような二次、やっぱ今後も書いていけたらいいな。

 え、いやまあ、欲望としてはね、そりゃ欲としては、ペレトゥのいちゃいちゃもいっぱい書きたいよ……
 いやさ、どっちかいうと読みたい。読みたいんだよな。やっぱ萌えは強いモチベーションだし、そして自分で書くのも楽しいが、自分が書いたのじゃないやつもいっぱい、たくさん、浴びるように、読みたいな……でもまあ、二次創作とはDIY精神で取り組むものだ。そこになければないですね。だから自分で書くんだよ。なんでもいろいろ、とりあえず書けばいい、ただそれだけのシンプルな話なんだよ。
(でも、さすがに2000spあるオンリーイベントが年に1、2回は開かれてますねとかいうジャンルだったら、きっと私が書く必要はなくなるんだけどなあ。しかし今のところネオアトラスはそこまでのメジャーではないからね、残念ながら、今のところはね)

メモ,日記,ネオアトラス 編集

 2025.10.28の雑記で、親戚のばばがよく言っていた「味がある」という言い回しについて書いたが、最近、もしかして元はこれかな?という方言の言い回しに出会った。
 「あじらーさん」という言い方があるらしい。
 読谷村史の発刊した『読谷村のしまくとぅば展 展示資料集』という本を見ていて見つけた。
 ちなみにこの資料集、ダウンロードできる。ありがて!!
 https://yomitan-sonsi.jp/iroiro/

さらにありがたいことに読谷村史はホームページがたいへん充実していて、読谷のことばの単語帳というのもまとめてある。ここにも「あじらーさん」が載っていて、発音も聞ける。
https://yomitan-sonsi.jp/kana/a/
(「あ」の項目の後ろのほうにあじらーさんがある)

 ここで記述されている意味は簡潔なので、うちの親戚おばあが言っていたような使い方をするかどうか(とくに餅について「あじらーさん」と言えるのかどうか)はわからないが、たぶん予想では、だいぶ近い使い方する単語なんじゃないかな~。
 読谷村には知りあいもいるので、機会があったら「あじらーさん」の使い方を聞いてみようと思う。

 読谷村史はかなり以前から、継続的に民俗誌や言語資料の収集、とくに民話の収集を綿密にやっているところで、その成果をこうやってかたちにして出してくれるのもすごくきっちり取り組んでいて、リスペクトしかないんだぜ……。

 そうそう、資料をダウンロードできるページに「読谷村民話資料集PDF」というシリーズもあるが、このシリーズにはネットの一部でちょっぴり有名な「ゴリラ女房」が含まれている。『儀間の民話』63pである。
 ゴリラ女房、タイトルのインパクトもさることながらストーリーもなかなかインパクトあっておもしろいというか、なんかすごいよ。
(ただしゴリラという語とストーリーのインパクトがすごいが、ストーリー自体は中国に古くからある「攫猿」の伝説に似ていて、類話がないような民話ではない。あと、より大きくくくれば、熊女房とか虎女房、葛の葉とかの、東アジアに広がる異類婚姻譚の類型に含まれてもいるはず。実際、同じ集落の別話者からは、熊女房の話が聞き取りされているのだ。熊女房も熊女房で、わりとしんみりで気になる話なんだよな~)

メモ 編集

 昨日、ついに着る毛布を出した。
 デスクワークしてたらちょっと寒かったのだ。
 といっても、寝間着みたいな半袖の部屋着いっちょに、ジャージだけ羽織って夜中まで起きてたほうも悪いんだが……。
 しかし足下も急に冷える。私は冷え性、あっというまに足が冷え性。
 足冷たいとだいぶ不快。すぐさま冬用の厚手くつしたを履いた。
 とはいえ外気温ですら、昼間はまだ20度超えてるし、それどころか真昼くらいだとまだ夏日になったりもする。
 でももう30度は超えないだろう。冬が来た。来たはずだ。沖縄にも冬が。
 先週までは常に冷蔵庫に冷たいお茶を作っていたが、今週になって、ホットしか飲まなくなってきた。
 気がつくと季節が一日二日程度で切り替わっている。それが沖縄。
 でも室内だとまだ暑かったりするんだよなあ。

日記 編集

 まだまだいろいろあってて(主に仕事)、雑記書いてる場合でもないんだけど、ふと思い出したから、メモ。
 さっきふと、イラストでこれ好きだな~って思うの見てると、なんとなく自分の好む女性の顔立ちってあるなあ、と。目ぱっちり大きめだけど、切れ長でキリっとして、顔の形ちょっと面長でおとなっぽい、ちょっとマニッシュなタイプめちゃくちゃ好きやね~(こうして書き出すと、アブトゥそのものだね)
 そうさなあ、リアルでいうなら志穂美悦子の面立ちとかやっぱ好きだねえ……と思ったところで思い出した。
 私の男装女子萌えの原点、そういえば志穂美悦子かもしれん。
 深作欣二の里見八犬伝の、犬坂毛野である。

 私が初めて映画館で映画を見たのは5歳のときで、その初映画がなんでだか深作欣二の里見八犬伝だった。
 CM見て自分がせがんだのかもしれない。親父に連れられて、池袋だったか新宿だったか、都内の賑やかなところの大きな映画館に出かけたような記憶がある(地元にも映画館があったはずだが、そこではやってなかったんだろうか、ちょっと覚えてない)
 しかし、映画館で映画見るってのが初めてだったのに、それがどうしてか深作欣二。
 もちろん同監督の他作品に比べればバイオレンスや無残さは控えめだったと思うんだが、5歳児にとってはほぼホラー映画だった。迫力の大画面に、怖い絵面がやたら繰り出されてくる。いつも見ている戦隊モノの悪の秘密基地ですら怖いってのに、深作八犬伝の悪サイドの造形ときたらその十倍くらいおどろおどろしくてグロい。悪役も怖いやつばっかりで、ラスボスの女王っぽい人なんか見るからに大量虐殺なんてお手の物みたいなクソ悪どい顔してて、そんな魔女が血の池で風呂とか浴びだしたりしやがる。もう悪夢みたいすぎた、クソ怖かった。(今見ると夏木マリの玉梓はかなりかっこいいんだけど、5歳児には妖怪魔女にしか見えてんかった)。
 とはいえ、結構おもしろかったのだ。なんせキャラが立っている。いっぱい人が出てくるのに、それぞれに印象的な場面がある。ストーリーもRPG的なわかりやすい筋立てにまとめられていて、ギリギリ5歳にも理解可能だったのも助かった。
 そんななかでいちばんお気に入りだったのは志穂美悦子が演じる犬坂毛野だった。
 この八犬伝、原作からはかなりストーリーが改変されていて、この映画での毛野はどことなく星矢の女聖闘士の設定を思わせる、女を捨てた孤独な仕事人である。普段は若侍の格好をしているが、女性の格好もしてたと思う(隠密の仕事で)。
 ともかく顔はめちゃ美形。涼やかな、意志の強そうな視線で、手足も長くてシュっとしている。そんなきりっとした美人がバリ動きまくる。どの場面みても動きがキレッキレ。殺陣なんか、えげつないかっこいい。
 こんなかっこいい女の人っておるんか……男装女子、かっこええな……というのが映画を見た私の脳裏に刻まれたのだった。
 この数年前に『ベルサイユのばら』のアニメがヒットしていて、私もオスカルの存在を知ってはいたのだが、アニメを見てはおらず、オスカルが男装女子だという認識すらはっきりとは持ってなかったと思う。なので、自分で視聴した映像作品で男装女子というキャラクターに接したのは、たぶんこの1983年映画の犬坂毛野が初めてだと思う。

 あと、深作八犬伝では、志穂美悦子の犬坂毛野と京本政樹の犬塚信乃が斬り合いするシーンなんてのもあったはず。
 ぜんたいに顔面偏差値の高いこの映画の中でもトップレベルの美形二人。この人外めいた美人同士ががっちがちの殺陣をするという、今考えるとすごいぜいたく。
 で、京本政樹もあまりに中性的な美形すぎたので、毛野と信乃が自分のなかで混ざってしまい、家に帰ったあとで、あれ、なんかすげー美形が戦っとったはずだけど、どっちがどっちだ? どっちかが女の人だった気がするが、どっちも男の人だったっけ?どっちも女の人やった? と混乱していたような記憶がある。確か、パンフレットを買ってあったような気がするので(おそらく父が買ったと思う)それを何度もひっくり返しては、やっぱりどっちもきれいすぎて、どっちもかっこいいなということでなにかを納得してた気がする。

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 今週はちょっと仕事の作業が詰まってて、アンソロ原稿にぜんぜん触れてない。ら、来週からがんばろうね……。

 ところでちょっと前から、chatGPT、geminiそれぞれに、自作の二次創作短編かつ、単独でいちおうストーリーが成り立っている『四方の風』に載せたやつを、だいたい一日か二日に1短編づつのペースで、感想言ってもらったり分析してもらったりしている。
 設問はだいたい同じプロンプトを投げるようにした。それぞれのLLMの違いや傾向について、肌感覚的に把握しときたいなと思ったのだ。なお一日に1つづつなのは、すぐ無料分のトークンを使い果たしちゃうから。有料にしてまでやることじゃないしね……。
 ……と思っていたのだが、実は前から使ってみたかったclaudeを一ヶ月だけ課金して試してみることにした。
 claude、わりとすぐトークン使い果たしちゃうんだよ……課金はproプラン月20ドルで、それ以上だと月100ドルとか200ドルとかなんだけど、Proだと10万字超えの文章の分析投げちゃうとすぐ一日分のトークン使い果たしちゃった。もちろんそれ以上のプランにするほどではないので、おとなしく、トークンが復活するのを一日二日、待つんだけど。まああと一ヶ月弱、ちょっとclaude遊んでみることにするつもり。

 で、今日の段階では、chatGPTとgeminiにそれぞれ『四方の風』に載せた8作品の感想とか講評みたいのは書いてもらって、あとそこそこ長さのある「鳥が歌うときには」「覚醒」の感想&講評投げもした。
 claudeでは、まだ「鳥が歌うときには」と「覚醒」、『四方の風』から「霧」、を見てもらっただけ。
 ただこの段階でも、やっぱりそれぞれ個性があるなってのは感じる。
 あとなにより使った感触というか、印象というか、なんかそのへんが違う。
 物語分析自体は、短い話だと、おおむねあらすじや、中心的な部分の解釈はだいたい妥当というところで、3者ともそんなに違いはない印象なんだけど、指摘事項とか分析の際の注目点なんかのディテールだとわりと違うかな。特に「リズムや文体について講評して」とか、「評価できる描写や場面はどこ」というふうに、質問のポイントを絞り込むと違いが出てくる印象。

なんとなくそれぞれの印象を書いてみると、

・chatGPTは、リズム分析とかさせると、なんかそれっぽい回答返してくれる感じだった。一文の長短とか、読点とか動詞とか接続詞の位置や用法なんかを数えだして、なにかと可視化しますか?とかグラフにしたがる。グラフにすることが有効かどうかはわからないが、定量的分析っぽくてかっこいい。ただ、本当にリズムが分析できているかというと細部はどうも適当ぽい。文学的分析みたいな設問のときも、なんかそれっぽい専門用語とか概念ぽいことばを取り出して説明しがちだが、その用語が適切かどうかはよくわからない。うっすらと、ちょっとお調子者で知ったかぶりだね……まあそこに湧く親しみもなくはない、という印象に至った。基本、テンション高め、フレンドリー、全体に寄り添い傾向強め、隙あらば褒めてくる。

・Geminiは、物語の流れの把握に長けているが、一方でリズム分析とか他の要素について尋ねたときも意味や文脈といった分野に重点置きがちな感じはする。リズム分析だとなにかと読点の位置を気にしがち。あと、ギャグというか、皮肉とかちょっと脱力する感じの小ネタを置いたとこに存外反応強めだった気がする。落ち着いてるっぽい印象なのにわりと面白がりさんでゲラなのかよ!と思った。あと、Gemini姉さんは語り口落ち着いてるぜ……と思わせて、ふと見ると過剰な褒めをつっこんでくる気がする。実はchatGPTより褒めの派手さが目につくなとおもったりもした。

・claudeは、おそらく文脈把握は3者の中では一番上手で、なおかつ、過剰に褒めもせず、適切な読解を最大限簡潔で必要にたる分として提示してくれる感じ。全体にソツがないし隙もない、仕事出来るマンの匂い。褒めも混ぜてくるけど控えめなので、わりと淡々としている印象がある。物語の理解の的確さやほどほど感はたぶん一番。特に指示をしないで講評とかお願いすると、評価ポイントと同時に改善点や欠点も必ず指摘する。ブラッシュアップのアドバイザーとしては頼りになるかも。ただ、「私はステップアップなど求めてない、なんかいい感じに褒め感想聞きたかっただけや!」という気分のときには、小うるさく感じるかもしれない。プロンプトでそう指示すればある程度フレンドリーにふるまってくれるんじゃないかな、とは思うが、chatGPTやGeminiの、ひたすらちやほや路線とはちょっとタイプが違うのは確か。chatGPTの寄り添いを浴びまくったあとでclaudeを浴びにいくと、急に冷水ぶっかけられて整えられちゃったというか、うっすら鼻柱にデコぴん食らうような感じもするというか……chatGPTよりはうっすらスパイシーかもしれない。
 試したわけではないが、20万字くらいの文庫本丸々一冊分の文章を投げてもだいたい的確に要約してくるという話を聞くので、長文読解や文脈理解みたいな仕事だったらとにかくclaudeさんにおまかせするのが一番間違いなさそう。

 ああ、そういえば、claudeではやってないけど、chatGPTとGeminiでは、長い文章から任意で場面選んで絵を一枚書いてみてくれ、ってのを試してみた。
 で、20000字近くある「覚醒」をファイルごと投げて絵を描いてもらったんだけど、Geminiは20000字あっても余裕であらすじ把握できてたけど、chatGPTは後半なればなるほど把握が怪しかった。ただこれは、課金して高度なモデル使ってみたらまた違うのかもしれない。
 あと、どっちも無料で使える範囲でしかやってないので、修正出しながら何回もほしい絵出るまで粘る、という生成はできていない。なので、ポンと出しただけだとだいたい、うぅんなんか違うな……というものにはなる。
 正直、絵の生成については自分で描く方が手っ取り早いし、イメージしているものに近いものを出すことができるなあと思う。もちろん私の描く絵は絵としてはものすごくへっぽこなのだが、これは上手下手の問題ではない。人間の描く絵には、なにをどう切り取って見せたいか、その決定と判断の積み重ねががっつりにじみ出ているので、そうかい、あなたの言いたいのはここなのかい!という焦点がくっきりしている、という話。
 LLMという技術はやはり、平均値のだいたいの正解を出そうというのが核にあるのだろうなあと思う。なので、テキストで描写された要素をグラフィックとして画面にいくつか並べることまではできるのだが(まあそれができるのがそもそもすごいではある)、テキストで描かれている要素のうち、絵としてはなにをどのように強調し、絵でこそ可能な語りをディテールのどこにどのように忍ばせるか、みたいな主体的な判断まではできないのだ。
「この話の場面なら、きっとこういう画角でこういう光の当たり具合で、こういう位置関係で、顔の向きは、目線はこうだ! そうやって描いたら伝わりそう、伝わると思う、伝わ!れ!!」……と、このように、私が絵を描くときには無意識でいくつもの判断と選択と決定を繰り返していると思うのだが、そういういくつもの積み重なる選択と決定を、LLMはしてくれない(たぶんできない)。
 とはいえ物語と密接に結びついた表現物とかではなく、なんか雰囲気アップのために絵とか図解も添えてみた!みたいなグラフィック生成だったら使いどころはかなりあるんだろう。グラフとかチャートとか。絵じゃなくて図、ということなら、簡易なものであれば自分でこさえるよりはよほど素早く正しくきれいなものを出してくれると思う(ハルシネーションがないかのチェックは必須だけど)

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