雑記

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ドリル鯛焼き
という言葉を思いついたが、なにに使えばいいのかわからない
漫才コンビ組むことになったらコンビ名にしたい気はする

追記:えびラスト、も思いついた。こっちのほうがコンビ名ぽい

メモ 編集

 なにか検索しててたまたま見出した、自分の中でのアブトゥの見た目イメージまんまなモデルさん、Sacha Quenby。
https://www.womenmanagement.com/paris/wo...
 私がこの人の存在を知ったのは今年のことだけど、トップモデルとして数年前からバリバリご活躍なさっていて、検索するといろいろ画像が出てくる。
 どの画像もたいそうイケメンなんでしびれちゃう……
 と見つめてる中でも気に入ってるフォトがあって、アンニュイでいつものハンサムと少し変わって、ややフェミニンな雰囲気の……こう、キリッとした美形がなんとなくもの思わしげな目線を遠くにやってるの、いいやねえ。
 と思っていた画像、今日になって、去年にポルトガルで撮影されたものと知って変な悲鳴を上げてしまった。実際には全然推しとは関係ない人なんだけど、心のなかで勝手に推しを投影しているものだから、どうしても、推しinポルトガル、みたいな気持ちになってしまい……キモいオタクで恥ずかしい。
https://www.fashiongonerogue.com/editori...
 ちな気に入ってるのは、↑のページの最後から四枚目、ベージュ色でスリットの入ったロングドレスを着たSachaが自分の肩を抱えるようにしながら遠くに目線をやってる画像。

 しかし私のアホオタ視線での推しの投影はさておいても、Sachaめちゃくちゃハンサムで魅力的でド好みな容姿なので、応援していきたい。今年の春くらいのルイ・ヴィトンの広告で着てた海っぽいミニスカワンピの格好も、はちゃめちゃかわゆハンサムで、最高だたなうっとり……
 2024年の各ショーまとめ動画もあったよ。ギイィー動いてるとますますハンサムが際立つ!!
https://youtu.be/Nhnf-F2pZ6I?si=ghuYsuM7...

メモ 編集

 スーパーの賞味期限切れ近いもの安売りコーナーに、水飴があった。賞味期限が迫ってるとか言うが、その期限はまだだいぶ先。それで半額なので思わず買ってしまった。
 しかし買ったはいいが、料理に使うといってもそれほどたくさん使うわけではない。和菓子でも作れば一気に使い切ることもできそうだが、ちょっとめんどくさい。
 結局、普通に一匙ばかりをスプーンで掬い上げて、それをそのままおやつとして食べてる。一日一匙。少しづつ減らしてる。
 買ったのは麦芽水飴とかじゃなくて、透明な、デンプンをケミカルな感じでどうにかして作ってる感じのやつだ。食べると、ひたすら甘いんだけど、なんだろ、奥の方にかすかに芋のような穀物のような、ほんのり風味があってわりと美味いと思う。
 寒くなってきたので熱い紅茶入れたいがちなんだけど、紅茶ひとくち飲んだら匙の水飴ちょっと舐め、また紅茶飲んでは飴舐めて、という、ロシアンティー方式でおやつしている。甘くて温まる、冬場のお茶としてだいぶ満足度高いやつで気に入ってるけど、しかし人様にお見せできる感じの食べざまではなく、誰にも咎められない一人の空間でのみ果たせるタイプの楽しみである。

日記 編集

 ちょっと前に、1469の博物図鑑エンドのことを考えていて、否定とか肯定じゃなく、ただウワァーーーー!!って気持ちになっていた。
 ちょっと前というか、わりとずっと、図鑑エンドについては推しカプたちを考えるときにどこかでうっすら考えて続けているような気もする。

 図鑑エンドの記述は非常に少ないたったの数行だ。情報量は少なく、地図エンドでの一段落ののち、ペレスやアブトゥがどういう年月を過ごしたかについてはほとんどなにもわからない。ただ、ミゲルも、提督達もみんな十年単位では歳を重ねている。
 ペレスは学問の世界で大成したが、今は大学は辞して研究に没頭していること。アブトゥはふるさとに戻りシャーマンをしていたが、ペレスの著書のために世間を避け(おそらくは)隠遁しているらしいこと。そういうペレスとアブトゥだが程度は不明だが連絡は取り合っているらしいこと。そして、もう中年か初老に入るくらいの歳になっているだろう二人は、少なくともその時点でどうやら婚姻関係にはないこと。
 アマゾネスイベントでアブトゥはペレスを「私のかけがえのない人」と明言し、地図エンドでペレスはアブトゥの存在が気になること、それが「実に切ない」気持ちであることに言及する。お互いに相手に恋心を抱いているのは明らかなのだが、図鑑エンドの段階で二人が恋を成就させたかどうか、あるいは成就させたがそのあと関係を終えたのか、そのへんまったくなんともいえない記述になっている。とはいえ、ミゲルの記述が真であるなら、いろいろあったにせよ図鑑エンドの時点で二人は現在進行形でそれなりに付き合いがあることも明らかではある。
 記述は短く、十年だか二十年だかそれ以上だかの長い期間を実際、二人がどう過ごしてきたのかはほぼまったく描写されていない。なのだから、二人がお互いの思いを確かめ合ったんだか、進展したんだか、つきあって別れたんだか、腐れ縁でなんとなく続いているんだか、それとも淡い思いのままずーっっっっとなんとなく仲良しできているんだか、それは一介のオタクである私が行間を無限に読みたいように読めば良い、そうだと思う。
 けども、やはり制作陣がそれぞれのキャラクタにどういうイメージを持って作っていたろうかな、みたいなことは考えてしまう。
 おそらく。おそらくだが、ペレスは学問に心が傾きまくっているけっこうな変人であり、地図エンドで本人が言及していたようなふんわりした恋を普通の恋愛関係にまで持って行くにはあまりにも学究のほうへの興味意欲が強すぎるのであり、かつ恋愛の経験もなさすぎ朴念仁なのでどうにもできそうにない、そういうキャラだという前提を制作者側が持っている、ような気がする。
 なのでペレスは、アブトゥへの恋をはっきり自覚しないまま船を下り学問の世界に戻っていったか。あるいは恋愛を自覚はしたが交際関係にまでは持っていけずにぼんやりと、恋愛未満の(しかしその底には恋心を沈ませたような)友人としてアブトゥとの関係を保っているのか。そういう方向が制作者にはうっすらとあるかもなあと思う。
 アブトゥについても、彼女はゲーム本編中で何度も、常人や世俗からだいぶ離れて、神秘を纏う存在だということが強めに描写されているから、浮世にあって浮世の暮らしにどっぷり染まるような人格ではない、どこか手の届かないところにいる。制作者サイドにはそういう感じがちょっとありそうに見える。
 それでも、まあ歳は取ったけども、それでも二人が関係性は断っておらず「互いを認め合う仲」にまで至っている。ペレスも性格丸くなったとか言われているので、年齢を重ねたあとで少しづつ、この変人同士が、恋愛も含めて二人だけの強い関係性を構築していく可能性もまた、わざわざに残されたものではないかと思う。
 
 それはそれとして、なんかしみじみしてて味わい深い。
 それもいいかもしれない。そういう話も二次として書いてみてもいいかもしれない。
 なんでも恋愛にしなくたって。
 より大人な関係性というか……。

 でも、でもなんだ。
 それでも、そう解っていても私には、ペレスとアブトゥの二人に、お互いにとって無二の関係、お互いを特別の相手として末永く仲良くやっていってほしい欲は持っているのだ。

 特にアブトゥは、相手が自分に対してそんな気持ちを一切抱いていない(なにせ同性と思っていたので恋愛対象と見なしていない)ことをわかっていながら、それでも愛情を持ち続けていたんだと思うと。
 思うとさああ。
 叶わせてやってさ、その恋心。
 がっつり届かせてよ、その深い愛をよ。
 あの朴念仁のペレス太郎のハートにもよ。

 そんで図鑑エンドだと、どうやらペレスのせいで、世間がやいのとかしましく押し寄せてくるっつって、姿くらましたらしいんだから。
 諸々、責任取れよまったくよ、あの石頭はよ。

 まあ、ミゲルが把握してないだけで、実は二人は船を下りたあとくらいからずっと付き合ってたし、正式に婚姻を結びはしなくとも実質的に夫婦関係にある、そんくらいのことは妄想している。言われなくとも。妄想はいつだって爆走暴走していくんだからね。
 勝手に妄想はするけど、しかし制作者サイドがペレスとアブトゥをどういうふうなキャラクタとして描いているかというのを、一応念頭には入れておくこともしている(もちろん念頭には入れるが、私自身の妄想や二次創作では、原作の方向を都合良く取り入れたり無視したりする)

 しかしまあ、そういうスタンスでいるものの、やっぱり製作サイド的にはペレスは恋心よりも学問優先キャラだろうなあとか、アブトゥはずっとペレスを気長に待ってるキャラだろうなあとか、そういうことをね。
 そう考えてね、わかってて、それもそれで味わい深きわね……!!と思いつつも、ワァーーーーーー!やっぱりアブトゥ、どうにかして事実婚しててペレスと!!(なんなら子供もこさえてて!!)って気持ちでウワァーーーーーー!!!!!!ってなってたってわけ。

 厄介なオタク心だよまったくな。

追記:そういえば、なんで事実婚かっていうと、史実としてこの時代の婚姻は、ペレスにとってもアブトゥにとっても、それぞれ家と家の関係性という性格が強いだろうというのと、社会階層や信仰する宗教にも縛られるので婚姻自体が認められない場合があること、が気になっているからだ。もし二次創作で、家だとか身分だとか信仰のありかたまで捏造しはじめるとバランス悪すぎる。それにそういうことを書きたいわけではないので……とはいえあまりに史実の15世紀の雰囲気をまるっとなかったようにもできない(とはいえこれは私自身のこだわりにすぎない)。それで、まあはっきりわからんけど社会的なあれこれがあるけん、二人はお役所に届け出を出すような公的な婚姻は結んでないけど実質夫婦だよ、て関係性だったらいいなあ的なあたりに自分の妄想を落ち着かせている。
 例えば、天文学者ティコ・ブラーエは位の高い有力貴族の身分だが、その生涯を共にした妻は平民であった。デンマークの法では貴賤結婚も可能ではあったが、それなりのペナルティはあり(結婚しても妻の平民の身分はそのままで貴族としては扱われず、生まれた子供達も同じく平民として扱われ、父が貴族として持つ諸権利を受け継ぐことができない)、またデンマークの貴族社会も宗教界もティコの妻をあくまで平民とみなし、その婚姻について良いものとは見なさなかった。
 両者の意志にのみ基づく自由な婚姻というのはごく最近の概念だ。歴史上、婚姻は社会の成員として若い男女に、その家柄や身分や役割を再確認する作用を持っており、社会規範から外れることは婚姻として認められるものではなかった。中世をやっと脱したくらいの時代をモデルとして持つネオアトラス世界において、その社会規範が奈辺にあるものなのかわからない。ポルトガル人のペレスと中近東のどこかで生まれ育ったアブトゥとが結婚するとしてそれはどういうものなのか、ってのがなかなか私には具体的に妄想することができないため、事実婚ということにしておきたいという話である。まあ、当時も、いろいろあって正式な婚姻はちょっと……という関係だけど実質夫婦として添い遂げた人びとというのは結構いるらしいので、そういう感じかなあと想像する次第。

ネオアトラス 編集

 キッチンタイマーある暮らし、とても快適だ!
 野菜がどれもこれも高いけど、旬に入ったレンコンが比較的安めだし旨い。ので、最近はレンコンの入った炒め物よく作ってたんだけど、寒くなってきたので、おつゆ用の骨付き鳥と、レンコンと同じく比較的安値で買えるかぼちゃとで、煮物にしてみた。
 キッチンタイマーあるから煮物だってらくちんだよ、だいたい、いいあんばいの時間をピって押して、別のことしにいってても、ピピピピって鳴ったら台所戻って鍋の様子見て、あとは火弱めたり止めたりすればいいだけだもん。それでなんも考えんでもほろっと柔らかに炊けたレンコンと鶏肉の煮物が出来上がる。大勝利。
 ありがとう人類。ありがとう文明。キッチンタイマーを世にあらしめた全てに感謝だよ。

日記 編集

 キッチンタイマーが壊れたので買ってきた。
 壊れたのは前の週だったのだが、ふゆーなーして(面倒くさがって)今日になってしまったのだ。
 百均のタイマーだからすぐ壊れるし壊れたなら買ってくる、でいいのだがなんとなく粘ってしまった。
 しかし、キッチンタイマー使えないとQoLだいぶ下がる。スマホのタイマー機能使えばいいだけなのにそれがやけに億劫で、キッチンタイマーがないというただそれだけで炊事に対する意欲がめちゃくちゃ下がった。
 なんなら朝にパン一枚を焼くのすら面倒になる。トースター持ってなくてガス台のグリルでトーストしてるもんだから、タイマーは必須なのだ。わずかでも火を入れてる時間が過ぎらば黒焦げだし、まして他のことに気を取られてうっかり数分忘れた日にはグリルの中でパンがぼうぼうと燃え盛り始める。
 QoLどころか、キッチンタイマーは私の生活の色んな場面の安全を担保してくれている存在なのだ。キッチンタイマーに依存しまくった生活すぎる。生物としてあまりに脆弱なのではないか。しかし、キッチンタイマーないと、煮物も飯炊きもまったくうまくいきそうになくて、ほんとキッチンタイマーない頃の人類、すごいよな。時間わからんのに焦がさない火加減and加熱時間andタイミングをどうやって身につけたのだろ、たいへんそうだなあ。

日記 編集

 ポケトゥーンの「幼なじみのカルボウ」見た。カルボウとソウブレイズとグレンアルマが好きなので、特にソウブレイズは大好きなので。
 正直を言えばお話はそれほど好みじゃ無い。まあ、これがエモで泣ける話だってのも、こういうのがおそらくいまどきの話作りというものだということにも納得はある。とはいえ、私自身は(おそらくソウブレイズに思い入れが強めなだけに)ソウブレイズ結局ずっとストイックに孤独だし不遇ではと思えるので、なんかこのへんの始末をもうちょっと拾ってほしかったような……
 それはそれとしてソウブレイズ(グレンアルマも)はほんと格好良い。アニメもよく動いてて、SV遊んでてソウブレイズかっこいーな!と思ってたのさらに五割増しでカッコイイ! アニメってすごい!
 あとね、ソウブレイズね、めちゃんこ声がかっこいい。
 凜々しく、静かな響きの、めちゃくちゃ中性的な……しかし女性の声だな、っていう。
 ぶっちゃけ推しを重ねている。推しの声のイメージこれ。これがいい。この声で、静かにしゃべってほしい~!!
 しかしまあ、ソウブレイズはなんせポケモンなので、セリフちゅうか鳴き声なんだよね、「ソウ……」しか言わない。でもこの「ソウ……」が良くてさ。推しが「そう……」って呟くならこんな呟き方すると思うね。まちがいない。
 考えてみたら、ソウブレイズの、めちゃんこ素早くて研ぎ澄まされた刃の感じも、夜や孤独を感じさせるところも、考えてみるとめちゃくちゃ推しの基底イメージにマッチするような、て気になってきた!
 やべえなソウブレイズもっと好きになっちゃう。

 というところでふと我に返って、いやポケトゥーン見てただけでふいにソウブレイズに推しを重ねるとか、あまりにも突然に推しへの狂気が炸裂しちゃったの巻でしかないね……。

日記 編集

 今週、だいぶ気温が下がってきて涼しい。やっとクーラーを使わないで済む感じになってきた。
といっても最高25度とかなので、日中、なぜか保温性の高い私の職場はまだまだ結構暑い。そのうえ修繕に入ってしまったクーラーを稼働できない状態なので、扇風機が何台もぶんぶん首を振っている。
 夕方になって、やれやれ暑いなこの職場は、と仕事場から一歩でると、とたんに涼しいどころかちょっと肌寒いくらいの風に吹きすさばれる。びいぇえさぶい!と同僚達と叫び合いながら歩き出す。
 家でもついに毛布を出した。タオルケットではもう寒い。
 夏から急に晩秋に飛んだ感じだが、毎年わりとこんなだ。
 

日記 編集

 ロシアがICBM撃った、とウクライナ側からの報道。ICBMじゃなくIRBMだ、とかもあるけど、どうあれ長距離弾道弾を実戦での使用というのは踏み出している。
 今回は模擬弾頭だったのではと。それでおそらく被害は甚大とはならないだろうけども、明らかに恫喝ではある。実際に進行中の戦争の中で、こういう兵器でメッセージが発せられるという状況に、ううっ、と息がつまる。
 20世紀末、世界中の国はなんとかそうした緊張の事態を脱しつつあって、人間同士はもう少しえげつなくないやり方で対話と交渉ができるように思えていたが、当時の世の中の、あまり根拠のない楽観が演出した幻影に過ぎなかったのかなと、あらためてつきつけられるような気分で、気が重い。

 それはさておき、日付が変わる前まで半額分のポイント還元ということで、『チ。-地球の運動について-』を慌てて衝動買いしてしまった。
 前から面白そうだなと思っていたのと、以前、ネオアトの同人誌にゲスト稿として寄稿したペレスの学者人生を考える、という記事のなかで、ペレスとはほぼ同世代と思われる天文学者として名前と略歴だけは把握していたアルベルト・ブルゼフスキが、物語の最後のほうで登場すると聞き及んでいたのだ。
 この漫画、とても面白かった。
 真理への道を見てしまい、真理に引かれてしまい、異端として迫害されることを目の前にしても安寧にいきることを選べなかった何人もが連なる、年代記のような、とはいえ架空の物語。天を美しいと思い、自らの立つ場所もその美しい世界に含まれていることを信じる人びとの物語だ。
 さまざまな、「チ」を突き抜け飛び上がって、その向こうにある天に手を伸ばす、そうせざるを得ない人類の話、その物語の作りそのものに憧れがある。私にはあまりその資質はないという自覚もあるが、一歩先へ、その先のさらに遠くへ、に読み手の心を誘う物語は、それそのものが星のように煌めいて、心がその遠くに吸い寄せられるし、このような物語を紡ぐことができる才能への慕わしさや尊さが自分の奥深くにふつふつ滾る。

 しかしまた、今夜読んだのは間の悪いことだった。
 弾道弾が戦争で使われたで、という報道のあとに読んだのは……。
 なんかもう、いろいろが重なりすぎて、作品とはまるで関係ないところでだけど、心のなかに行き交う情報と歴史の重みにへしがれそうになった。

 はるか何千年もの時間を越え、真理を求める人びとが積み上げた世界の認識と知識は文字として残されて人類をさらにその先へ進ませる。天体は、世界は、本当はどのように動いているのか。そこに達した知というなの情報系は、文字、そして印刷の技術で広く人類に共有されていく。それは物事を結びつけ、新しい理論と技術を鍛え上げ、人々はまた新しい世界にたどり着いていき……その果てに今や人は天に手が届いた。
 地を離れ大気圏の外に、鉄と火薬の塊を送り出し、それで街を焼くほどのところにまで。
 このへんはチ。の作品中でも何度も言及されている。知が、人びとをより酷く害することにつながると。知は人を自由にしつつ誤らせ、人びとは何度でもそれを繰り返しながら、迷いながら歩いていくのだと。

 この夕のひとつの出来事だけですっかり絶望するわけではないが、しかし今夜はたまたま、少し天が重すぎる。その重みの圧をもて余している。

 とはいえ今夜のこの心の重さは『チ。』それ自体の面白さやテーマとは直接的な関係はない。
 もちろん『チ。』は、そのテーマを語るために人が拷問されたり死んだりする場面がよく出てくるので、穏やかでもないし明るいとも言いがたい作品ではある。しかし、迷いながら真理を求め、そのために過酷な決断をし苦痛を舐め、揺らぎながら酷いこともしながら、それでも美や倫理や善にも心を動かしていくあまたの人間たちの物語には、愛というものがほの見え、そして不思議なほど突き抜けた開放も感動もある。良い漫画である。

日記 編集

『コロンブスの図書館』読んだあれこれ。

 内容は一言で言うとコロンブス(クリストバル・コロン)の息子であり、生涯を通じて本を集め続けた愛書家エルナンド・コロンの伝記。
 原題は" THE CATALOGUE OF SHIPWRECKED BOOKS: Young Columbus and the Quest for a Universal Library"である。
 エルナンドは、15世紀末という大航海時代の曙光の時期に生まれ育ち、16世紀半ばよりは少し前に50歳で死んだスペイン人だ。その父はクリストバル・コロン。つまり大航海者であると同時に大言壮語の夢想家として現在の世にも名を轟かせるかのコロンブスだ。
 父クリストバルは二十代終わり頃に貴族の娘フェリパと結婚し、長男ディエゴを得たが、フェリパは早くに亡くなってしまった。そう時をおかずにクリストバルは農家の娘ベアトリスと関係を持つ。ベアトリスは一定の学はあったが農民階級で身分は高くはなく、クリストバルはベアトリスとは正式には結婚しなかった。そんな二人の間に生まれたのが次男エルナンドである。
 エルナンドはいわば庶子の立場ではあったが、正式に手続きされてクリストバルの子であると認められ、ごく幼い時期から兄ディエゴと共にスペイン宮廷に出仕した。宮廷で、エルナンドはフアン王子の小姓を務めながら高い教育を受けて育った。
 13歳のとき、エルナンドは父の探検航海に同行する。コロンブスの第四回目にして最後の航海であるが、このときクリストバルはすでに50歳の坂を越え、入植地の失敗を理由に逮捕されたりと落ち目にもあって、航海は当初から支援が乏しかった。1502年に船出した船はフナクイムシにやられてボロボロで、出航から1年あまり後にはジャマイカで座礁して動けなくなった。救助が来るまでさらに1年、その間、病気や資源の不足や乗組員の反乱に悩まされる散々な旅だった。クリストバルは失意のうちに1506年にスペイン本国で死去する。とはいえ、まだ若々しい少年だったエルナンドはこの厳しい航海を生き延びて航海の経験を積み、父との旅を思い出に深く留め、そして新世界で目にした事物に好奇心を向けた。
 ところで伝記を読むとエルナンドは、航海者としての資質もきっちり持っているが、それ以上にとにかく几帳面であり、また実務に長けた人であるように思える。
 とくに情報の積み上げへの熱は、もともとの気質がそうなのかもしれないし、宮廷で暮らした少年時代に事務能力がさらに磨かれたのかもしれないが、とにかく若い頃から大量の物品を帳面に付け、秩序立て、取り出すべきときに取り出せるようにきちんと整えておくクセがあるらしい。世界の全てを情報化して手元に置いておきたい、そういう博物学的な感覚がなんだか強く彼に内在しているように見えた。
 世界はどんな様子か、どんなものがどこにあり、どうやったら知ることができ触れることが出来、役に立てることができるか。世界のあらゆる要素を情報の山脈として築き上げ、それをいかに効率的に運用できるか、そんなことを意識し続けているような気がする。そういうエルナンドの気質には、なんていうか、ぐっと来た。
 個人的に日本の長久保赤水もそういう風なタイプに見えているのだが、世界の手触りを文字と絵図にして紙に記し、その手触りをいつでも好きなときに仮想的に取り出せる、そんな便利なものをこさえて手元に置きたいし他人にも共有して使ってもらいたい、そういう欲求があるように思えるのである。エルナンドはデータベースの魅力に憑かれた人間なのだ。
 わかる。データベースにはそういう魔力がある。それにしてもエルナンド、印刷技術という新技術を全面的に前提としながらとはいえ、よくもまあその時代にそれだけのデータベース構築に邁進したものだなと思う。
 本のなかでは、エルナンドが図書館を作り上げようとした根にあるものとして、父クリストバルへの追慕と、また父への思いもひっくるめて祖国スペインが世界を統べる唯一の国として屹立するために当然必要なものとして、世界の知識を集約したデータベースを構築することへの意識が取り出される。それは確かにそう思えるのだが、私自身は、とにもかくにもあらゆる知識と情報にアクセスしたい、それも効率的にできるようにその原材料を集め仕組みを黙々と積み上げていくエルナンドの気質、その集大成としての図書館というのがなんとも印象に残った。
 なんとも共感というか感心してしまうのは、彼がとにかくなんでもかき集めていたことだ。なんらかの地理や情勢を記した版画だ、音楽の譜面、当時としては意味も価値もたいして高くないと考えられていた流行の恋愛詩といったものまで、とにかくなんであれ文字や記号や図像でなにかが記録されているものは片っ端からかき集め、目録を営々と綴っていこうとした。
 手書き写本は高価すぎるという経済上の理由もあるとは思うが、当時の本収集マニアとして見た場合、高価で美しい写本を工芸品として求めるのではなく、印刷されてそこらの庶民も手に取るような本や図版、言ってみればマニアの間では木っ端のような紙切れ扱いされるようなものまで大量にストックしていくエルナンドは、当時では好事家としてもかなり奇妙な人枠だったかもしれない。
 しかし、エルナンドが生涯かけて図書を収集し続けたのも、スペイン地理誌をまとめようとしたのも、情報コレクション欲という程度には留まらないように思う。だから彼は収集マニアではないのだ。集めて並べて眺めて満足、ではないのだ。
 そしてまた、知らないことを知りたいという学術的・知的好奇心も、それが基盤にあるのはもちろんだが、それだけではないように思う。学究の欲をさらに上回って、ただただ大量の情報を集約し並べ直し整えて、快適に取り出したい、そういう欲求を持った人だからこそ、本を集め図書館を運営しようとしたのではないかと思える。
 図書館として運営しようとしたときに、エルナンドが概要目録や題材別目録、さらには著者一覧・科目一覧も作り、本をそれに沿って並べ替えようとした。そのあたりに、その熱が爆発しているように思う。しかも目録類は複製して各地に配ろうともしていた(当然ながら印刷技術を前提としているだろう)。誰もが参照できる知識の山があり、そこではいくつもの原典を確認して比べることができ、実証や議論の支えにすることができる。そのために、書庫という物理的な記憶保存媒体をこしらえるだけでなく、検索性というソフト面もがっつり作り上げようとしていた。本の中で喝破されているとおり、彼はインターネットの検索システムのようなものを構築したかったのだと思う。
 だが、この先見性のありすぎた図書館構想は、完成間際といえる段階まできて本人の死で未完に終わる。エルナンドは子をなさなかったので、一万五千冊の蔵書を含む全ての遺産は甥のルイス(兄ディエゴの息子)に引き継がれることになっていた。当然ながらエルナンドは遺言書で、遺産のうちの相当量を図書館の維持運営と拡大に当てるように記載していたが、やっぱりというかなんというか、その望みは守られなかった。甥は図書館運営には興味を持たず数年放置し、エルナンドの本はセビーリャ大聖堂に移管された。大聖堂で図書は死蔵に近い状態に置かれ、エルナンドが夢として描いた壮大な図書館として機能することはなかった。
 しかし、訳者のあとがきによれば、エルナンドの蔵書の一部は現在もセビーリャのコロンビーナ研究所を構成するコロンビーナ図書館に収蔵されているということだ。コロンビーナ図書館、スペイン語でビブリオテカ・コロンビーナ、つまりコロンブス図書館である。
 同じく訳者あとがきでは、エルナンド本人は図書館に自分の名をつけて「ビブリオテカ・エルナンディーナ」とするつもりだったようだと言及している。父を慕い続け、その名誉のためにあらゆることをなした息子エルナンドの蔵書を引き継ぐ図書館としては、コロンの名を冠しているというのは父もエルナンド本人も双方含まれていて賢明なネーミングかもしれないと、そのように触れられているし、それもそうだと思う。
 しかし、それでも個人的には、私の心の奥では、熱すぎるほどのデータベースへの情熱はエルナンド本人の内側から湧き上がってきていたもののように思えて、もしも彼の夢の図書館の名残が現在にもかろうじて残ったのなら、その名前はエルナンド図書館であってくれても良かったなあと、判官贔屓っぽいが、そんなふうに思った。

海や船,地図や地理 編集

 あれ、『コロンブスの図書館』読んだ感想って書いたっけ?
面白かったのので感想書いた気がしてたけど書いてなかったかな……
後で確認して書けたら感想書く
(コロンブスの子、エルナンドの伝記。エルナンドは書籍収集に非常に熱心で、集めた本で図書館を運営しようと目論んでいた人。少年時代に父クリストバルの四度目の航海に同行して過酷な遭難状況を生き延びたりと経験を積んだ航海者で、同時に長じては測量や天文学、地誌に関心を持ち研究した学者肌の人なのだ)

日記 編集

 昨日書いたように、11月の始め、特に先週からこの土日にかけては親族のことと仕事のことで時間が埋まっていたので、推し活がほんとほとんど何もできなかった。ハロウィンのらくがきを無理くり気味にツイッタに上げたが、あれがギリだった。あれも、10月末に伯母が退院して島に戻ると決まり、合わせて私も11月の頭の連休は島に滞在する予定となった上に、連休明けは仕事で忙しくなることもわかっていたために、しばらく推し活動なんもできなさそうという予感だったので、ここで推し活ぶっこんでおけ!という行動だった。
 今週もいろいろやらんといかんことは湧いてくるが、推しのことは頭の片隅でいつもなんかし、ふわっとした妄想はしていて、らくがきとかてえなあ。でもまだ、疲労が少し残ってるので、アウトプットに至る活力が少しだけ足りない。昨日はポッキーの日だったのでなんかしたかったけど、てんでその元気がなかったな。今週末の自分に期待しておく。

日記 編集

 しばらくぶりに、離島に渡った。
 祖父母の生まれ育った離島には、母の姉にあたる伯母たちが二人、暮らしていた。祖父母は結婚してから別の島に出て暮らしていたので、伯母たちはふたりともこの島では生まれ育ってないが、ルーツを辿るように、祖父母も亡くなった後で、伯母たち本人が高齢となってから、島に移り住んだのだ。
 この二人の伯母のうち、長姉にあたる伯母が危篤となり、もはや看取りの段階ということで、島に住む親族や、他の島に住む親戚、私の母なども離島に集まって、当然私も久々に島に渡ったのだ。

 長姉伯母はだいぶ以前に脳梗塞に見舞われて、二十年以上を半身麻痺の障害と共に生きていた人だったが、生来、陽キャで、脳梗塞以外では頑丈な体でもあったので、概ね元気に明るく暮らしてきた。
 しかし高齢となってから、去年に二度目、そして今年に三度目の脳梗塞発作を繰り返し、そのたびに状態は悪くなって、とうとう全介護が必要になった。
 夏までは本島の病院にリハビリ入院をしていた。言語障害もかなり酷くなってはいたものの意思表示はでき、本人もそれなりに元気で、一人暮らしは無理だけども老人ホームで生活できそう、ということで運良く島のホームに入る算段もついた。しかし、ホームに移ってすぐ、そこでの生活が落ち着く前に四度目の発作が起きてしまった。
 今度の発作でも、伯母にはまだ辛うじて曖昧ながらも意識はあるようだったが、今までと違い寝たきりの状態となり、自分の意志で体を動かすことがほとんどできなくなった。もはや自分で食物を嚥下することもできないので、とりあえずは経管栄養の措置が取られていたものの、今後は胃ろうにしないと生命維持はできない。そして胃ろうしないのであれば看取りをするしかない、となった。
 伯母は、もしなにかあっても胃ろうはしないということで以前から意思を固めていた。それで、母や、母のすぐ上の姉である三女伯母は、胃ろうはせず、経管栄養を中止して看取りを迎えるということを選んだのだった。
 長姉伯母は病院から島に再び搬送され、島で数日を過ごして亡くなった。11月はじめの連休がちょうどそのタイミングだったので私も島に渡り、伯母の顔を見てきた。
 連休中に亡くなる可能性が高いということで、集まった親族たちで葬儀の支度もしながらの看取りだった。私も喪服を携えていったが、私が島にいる間には伯母はまだ息が続いていて、親族みんなで輪番で伯母の様子を見守り続けた。伯母が亡くなったのは結局、私が島から自宅に戻ってから2日後となった。
 私のほうは、仕事もいろいろと手が離せない時期だったので、葬儀のために改めて島に渡ることはできなかった。ちょうど昨日が締め切りの仕事の追い込みがあって、今週は仕事が多く、この土日も持ち帰りで徹夜状態で作業していた。
 葬儀の手伝いができなかったのは、亡くなった長姉伯母にも、喪主を務めた三女伯母にも、手伝い主戦力として島に来た母にも、たいへん申し訳のないことではあったが、今週、特にこの土日はほんとに稀に見る強度の作業量に追い詰められていたので、どうにもならなかったなあと思う(のがわかっていたので、亡くなった知らせを聞いた早々に、すまんが島に渡るのは今週無理であると母には伝えてあった)。
 PC作業なのだが長時間作業を続けたせいかなんだか全身が疲労していて、足先に溜まった疲労がどろどろとしていて歩くのも難儀な気持ちがする。睡眠不足なので頭もものすごい働かない。マウスを使う右手も軽く腱鞘炎を起こしかけている。
 今日は作業成果の提出とちょこまかした事務作業のために朝だけ仕事場に行き、そのちょっとの作業ですらアホほど時間かかって、マジで使いものにならないポンコツだったので、昼前に休みとってさっさと退勤して後はずっとごろごろしていた。
 今回の作業についてなんとか締切に間に合わせたが、他にもまだ別の作業が次から次へ来るので、しばらくは(この土日の惨状ほどにはならないだろうけども)まだまだ忙しいだろう。
 年度の後半恒例だが、伯母たちには不義理を働くことになったので申し訳ない。

 不義理も含め、伯母の死に対して、記述がなんだか淡々としてしまっているが、これは伯母への思い入れがないとか、仕事が忙しくて疲れすぎててとかではなく、上のような経過で脳梗塞発作が立て続けに起こった段階ですでにいろいろ覚悟していたというのがある。
 いよいよ明白に死への道のりが見えたとなったのは10月のことだったが、半年以上前の3度目の脳梗塞からうっすらと、ゆるゆると伯母の死を意識するところはあった。
 そうとはいえ、もはや治療のすべがなく看取りするしかない状態に至った最期の数日は、内心として心がざわつくにはざわつくことではあったのだが、一方でこれは人が老いて死んでいく自然な過程ではあり、母たちも、私も、他親族たちも、いろいろとゆっくり穏やかにことに当たれたなとは思う。長姉伯母の最後の数日は、本人にとって辛くなかったわけではなかろうけれども、静かに世を去り、それによって彼女は現世のあらゆる苦痛や苦悩から解放されたと思う。そのことに、せめてほっとしている。

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ちょっと前に免許更新行ってきたら、安全講習で警察OBだろう講師おいちゃんが、LUUP周りの法改正の説明をだいぶ否定的に、というか愚痴半分で言及してた。
(「警察庁はね、これはもう反対したんですよ、したけど、なんでか国会通っちゃった。だからこれはもうしょうがない、皆さんも道走るときにはぜひ気をつけてください」という感じの……これを、沖縄のおじちゃんの訛りバリバリイントネーションで読んでほしい)
 私自身、そもそも自転車も免許必須がいい(交通法規を理解したうえで乗ってほしいので実技はともかく筆記試験は受けててほしい)と思っている人間なので現行のLUUPの扱いにも当然否定的だが、こんなにあからさまに警察にも文句言いたい心が満ちているのか、というのは思いもよらなかった。
 ほんとLUUP、なんか気づいたら爆速で法整備されてたよなという感じ。
 LUUP走らせる法整備がこんな爆速でいけるなら、リチウムイオン電池の廃品回収環境の法的整備も爆速で進めてくれよと思ったりはするが、LUUPと違って実質規制の方向にしかならないし、電子機器どころか電気自動車にま関係するし、輸送流通も絡むしで、話がデカすぎるから誰も責任取りたがらなくて進まないんだろうなあと思ったりもする。
 こないだの衆議院選挙のとき、もし公約にリチウムイオン電池のリサイクル法や環境整備を掲げてる候補や党があったら投票してたかもしらん。そんくらい、リチウムバッテリーを捨てるときの面倒くささに釈然としてない。気づいたら話めっちゃズレたな。

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 今日、夜中からの大雨が続き、朝も変わらぬざんざか降りで、外に出るのが億劫でしょうがなかったが、昨晩こしらえたカレーがあったので、これを昼飯に持っていく!という強いモチベを創出してなんとか家を出た。カレーはいろいろなことに向かう気持ちをアゲアゲにしてくれる。アッパー系のなにか。
 なお雨は午後には少し落ち着いたので、帰りはさほどテンション下がらずに済んだ。よかったよかった。

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 アニポケ、新しい章に入ってパルデアを離れてキタカミに向かっているんだけど、SVのダウンロードコンテンツ買ってないやってないなので、キタカミ編はいろいろ未知だ。けど、もちろんそれはそれで楽しみだ。
 ポケモンはSVしか遊んでないけど、SVの世界かなり好きなので、アニポケもテラスタルデビュー編(46話~67話)からとりあえず追い始めた。パルデア舞台にアカデミーに留学してジムリたちと対戦するということでSVのキャラ達がたっぷり出そうだったからだ。
 実際、テラスタルデビュー編では、SVでのチャンピオンロードをなぞるように知ってる街やジムリ・四天王が登場し、主人公達が対戦していく流れで楽しかった。一方で、SVでは出てこない物語、アニメのコアストーリーであるテラパゴスと冒険者ルシアスと楽園ラクアをめぐる謎とか、訪れた街でバトルではなく人とポケモンたちの手助けをする物語なんてのもけっこう面白かった。
 とにかく基本として物語がとても前向きで、そしていろいろと優しい。その描写がまたわざとらしすぎず丁寧なので、良いアニメだなあと思いながらわりとしっかり見ている。

 先々週の放送はテラスタルデビュー編のシメとなる67話、リコ&ニャローテとロイ&ホゲータでの模擬戦バトルだったんだけど、これがめちゃくちゃ熱くて良かった。もう一回見たけどやっぱり泣いた。
 たぶんドドゲザンのうどんの回も、見るたび泣くと思うお気に入りの話だけど、このへんの、ポケモンと人間が一緒に絆を育んで育って変わっていくみたいな話に弱すぎる。
 67話でリコロイのバトル中に過去振り返りがいろいろあり、気になったので、この連休中に1話~46話も見た。
 やっぱ丁寧で良かった。子供が見るのに良いし、私が子供だったらこのアニメ見て育ちたかったなあ。
 主人公の、リコもロイもドットも、それぞれがとても良い子で、三人ともその手持ちポケモンたちも含めて好きな主人公たちだ。子供目線で見ても親しみが持てるし、そんな彼らが少しずつ育っていくのがまた親目線で見てもグっとくる。
 ライジングボルテッカーズの大人メンバーも好きだなあ。子供を見守ってくれる大人でもありつつ、それぞれの人生みたいのもちょっぴり感じさせる、いい距離感で描かれてる感じ。
 主人公三人+ボルテッカーズの面々で、子供にも大人にも響く物語が紡がれてる感じで良い。

 そういえば、主人公達の旅をサポートするお兄さん、ライジングボルテッカーズのリーダーであるフリード博士は、女児の初恋どろぼうとしてときどき名前を挙げられるようだ。
 確かに、たいそう頼もしく賢くワイルドかつ陽気な冒険学者で(インディ・ジョーンズがモデルかなと思う)、ポケモントレーナーとしても腕が立ち、なおかつ顔面も全身もイケメンというとんでもねーキャラ造形、これは確かに、オタクの資質を持つ女児のハートを射貫きまくっている気配がある。
 ただ、もし自分が子供の頃にこのアニメ見てたら、アメジオが初恋どろぼうになっていたかもしれんなと思った。アメジオも、おそらく女児たちの初恋どろぼうの役をけっこう務めているだろう。
 敵方の幹部だが、真面目で努力家、若さゆえに激昂したりすることもゼロではないが年齢に比して圧倒的に冷静で、話を聞かないわけでもなく敵とも対話できる、だけどそのまっとうさの故に不遇。どうやら血筋はかなり良い、そんな線細美形。
 敵ながら義に厚い、美少年の王子様だよ。女児の心を掴まないはずもない。
 アメジオは、ほんといちいち顔と立ち姿が良いんだよな。手持ちのソウブレイズもだいぶシュッとしててかっこいいし。それに忠誠心が高い部下に慕われているので、人徳もあるなって感じでさ。
 この部下達も好きだな。ジル(グルミン推し)もコニア(ニャオハ推し)も、それぞれリーダーであるアメジオに厚い忠誠心を向けているがそれと別にこっそり推しを持っているとこが良い。なんなんだあいつら。かわいすぎる。三人セットで好き。

 ただし、今の私の好みで考えるなら、マードックかオニキスの二択だな。
 マードック、いいよね。料理が上手で涙もろくておじさんとしてドットのことめっちゃ一生懸命心配しててさ……ガタイが良くて料理できる気さくで優しいおっさん、最高だよ。
 オニキスは、口数少なめ、くそ真面目、筋を通す正々堂々タイプ、そしてちょっと天然入ってるガタイの良い敵幹部兄さんなので、これまた好みのドツボ。
 アメジオはまず確実にどっかで光堕ちすると思うが、オニキスも、味方してくれる位置に来てほしいな。が、自由奔放でマイペースに身勝手なサンゴ(どう考えても光堕ちとかいうタイプではない)とのコンビがたいへん良いということを考慮すると、光堕ちという感じではなくだな……こう、いろいろあってなりゆきで、サンゴと一緒に共闘枠で、リコたちの味方で戦ったりしてほしい、一時的に。

 あ、そうそう、他に好きキャラといえば、敵方のアゲート。
 見た目と声がやべえ。ミステリアス美人で理知的な、肌の色が黒くて目力のある女ー!!
 なにか企みを抱えてそうなとこもこう、謎めいていて良い。
 あと、アゲートは衣装のデザインすげー良いんだ。普段のアゲートのときの衣装も、アカデミーにアゲパン先生として潜入時のスーツ姿も、かなり露出度は低いのに大人の女っぽさがある。つかおっぱいデカくないですか。ポケモンだから過剰に性的なニュアンスは全然ないけど、こう、大人の女性感があるルックス造形で、なんつーかこう、モデル的なかっこよい色気があってド好み。

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 下半期に入った途端いろいろ差し迫ることはわかってたが、それ以上に予定外の細かな雑事が降ってきて積もり、なんか忙しない。
 家に帰って推し活的なことをやろうと思えば時間はないわけでもなく、うっ落書きとかしてえなあ!とか思う気持ちはあるのだが、推しのことに手を付けちゃうとそこにかなり時間を割いてしまうだろうという気持ちがブレーキになって、手が出せない。
 雑事で進められてないメイン案件の準備などの持ち帰り作業しはじめちゃってもいるから、あまり家での自分一人の趣味にのめりこめない感じ。
 年度の後半はいつもこうなりがちで、これはひとえに私が不器用で手が遅く無能で、そしてそのうえ怠惰なせいである。持ち帰らんと仕事片付けられんトロくささがそもそもいかんという話だ、が、こう……推し活も仕事もさくさくバリバリ両立できるシゴデキの人に憧れちゃうね

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 結局、帯状疱疹ではなかった(あるいは発症しかけてたけど本格化しなかったのかもしれない)。
 それはそれとして、先週、名護にドライブ行って帰りの日曜から月曜にかけての夜中、猛烈な腹痛にみまわれた。久しぶりに冷や汗がどばっと出るレベルに腹が痛かった。はるか昔、賞味期限を勘違いしててすっかり腐ってた牛乳を飲んでしまったとき、きっかり三時間後に激烈な腹痛を起こしたときにせまる、二十年に一度クラスの強烈な腹痛、ヴィンテージものであった。
 つまり、多分なんか当たった。怪しいのは、飲みかけでわりと長いこと車内に放置してて、夜になって残りを飲み干したペットボトルのお茶かな~。それ以外は思い当たるような飲食物を摂ってないんだよね。
 そういうことで夜中の三時にへろへろになりながら、トイレに一時間はこもりなんとか痛みが治まったあと、そういえばお腹下したときにこんだけ猛烈に痛いのって実際なんでなの、どこが痛いと感じてるってハナシなの、と思ってググった。そしたらなんか、腸がいつもと違うぜん動を起こして痛みを感じるんだとか。
 腸がいつもよりちょっと妙にうごうごしたくらいでこんな冷や汗出るレベルで痛いのか。そしたら、切腹するときにはらわた自分で引きずり出す作法とかあるらしいけど、あれってどんだけ痛いのよ。なんでわざわざそんなことするのよ。おかしいだろ。想像したら怖くなってしまった(思い描いている絵面は山口貴由画)

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 今日、昼過ぎか夕方くらいに気付いたけど、なんか左手の甲の皮膚だけ、なんか虫刺されかアリに噛まれた?みたいな感じでピリピリちょっと痛い。
 でも見た目なんもない。
 手を使ってなんかしたときとか、手の甲にさわったときだけ、痛みがピリピリっと。
 今までかかったことがないが、なんかどうも帯状疱疹の前触れぽい気がする。
 とはいえ明日は祝日で病院お休みだなあ。
 行くなら明後日か。
 まあ、もし帯状疱疹だとして、まだ発疹も出てないし、火曜日ならギリギリ抗ウイルス剤が効く時期かもしんない。
 いや、そもそも発疹出てないと診断できんのだろうか……わからん。とりあえず連休明けの朝まではどうもできんな。明後日の朝考えよう。

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 中秋の名月あったからか、数日前から「月が綺麗ですね」の反対はなにか大喜利とかがたまにTLに流れてくる。「月が綺麗ですね」はネットミーム的な偽伝で、夏目漱石が英語の I love you を日本語に翻訳するならこんなふうにでも訳しておけと教えたという話(繰り返すがあくまで偽伝であるらしい、実際には夏目漱石は別にそんなこと言ってないとか)が下敷きにある。
 大喜利に紛れてさきほどTLに流れてきたのは「月が綺麗ですね」がなぜloveを伝える意味を持つのか、という話で、そのツイートによれば「「貴方と私は、同じ時間に、同じものを見て、同じことを感じている」という純粋経験」を表しているのだと、高校の倫理の先生が説明してくれたのだという。
(元ツイートはこれ https://x.com/motto_yamitsuki/status/183...

 確かに言語化するとそういうことだ。
 二人で同じ月を見上げて同じことを感じているだろうことを確認し合う関係性はエモだしラブだろ、なのだ。
 そして、「月が綺麗ですね」の逸話を知った者の多くがそこにエモさを感じたから、この話はたいそうバズったのだろう。
 私だってそんなエモ大好物である。
 二人だけで美しいものを眺めて、美しいものへの情動を共有してる。
 そう、二人だけで。
 その関係性、とんでもねえハイカロリー萌え食材でしょ。
 というわけで、こなシチュはなんか自分の書く二次小説でもわりとやってる気がするし、ていうか最近の合同誌に載せた「幸運の星」がまさにそういう話だった。
 「月が綺麗ですね」が明白に念頭にあったわけでもないが、しっぽりいちゃシチュとして、夜空の下に二人で居て星を見てる場面てのを選んだことには、「月が綺麗ですね」の示すイメージが遠く響いてるようには思う。

 まあでも本質は、一緒に同じ出来事を体験してる、にあるので、別に夜空でなくても良くはある。
 夜の暗がりというシチュは雰囲気ありまくりなので美味いけど、そうでなくてもとにかく推しカプには、真昼の太陽の下であれ曇天から降る小糠雨に濡れながらであれ、朝ぼらけのほの明るさであれ、いろんな場面を二人で一緒に過ごしててほしい。それだけだ、そういう腐れオタクの欲望があるばかりなのだ。

ネオアトラス 編集

 久々に自分が書いた「出会い」イベの二次(プラニスフェーリオに載せたやつ)読んで、意外と書けてんじゃん?みたいな感想になった。
 もちろんあちこち下手くそでぎこちないのはそうなんだけど、描きたい場面はとにかく書き出してあるので、自分の萌えにはしっかり響く。そらそうよ。

 下半期、仕事が押し迫り始めるとどうも知らんまに自分の無能さや不器用さに落ち込みはじめるようで、最近あまり自分の為したあらゆることへの自負や自信がさっぱり持てない気分なんだけど、ともかくしばらくぶりに読めば自作二次もわりかし、お、食える食える、不味くないじゃん!くらいには思えるので、元気出してこーな!って思った。

 あと、プラニスフェーリオまとめた時点では間に合わなかったアブトゥの名前つくくだりの話と、「対話」の前段階くらいの時期の話を読みたくなったので、自分のために書いてやらねばならないな。

日記,ネオアトラス 編集

 アメリゴ・ヴェスプッチ号の出航を見守ってきた。
 乗船も、なんとか予約入れれて乗れたけど、雨がなかなか強くて写真はまともに撮れなかった。
 まあ、そもそも私はカメラ撮影ドチャクソ素人で下手くそだし、そもそもいいカメラも持ってないんだけど、しかしぶっちゃけヴェスプッチを撮るためにってことで、新しくコンデジを買って持ってきてたのだ。
 もともと私は旅行先で、記録とか資料とかになれー!という気持ちで大量にモノの写真を撮りがちなので、そういうとき向けに屋外でのややハードめな取り回しに強いタイプのコンデジが欲しかった。ぶっちゃけると土木や建築の人が現場記録向けに愛用することが多い、元オリンパスから出てたTOUGHシリーズだよ。
 とにかく頑丈、かつ手軽にそこそこ撮れる。がさつでポンコツでどんくさい私でもそれなりになんとか抑え写真を撮れる。ありがとう大好き。

 おかげで、多少降ってても平気でカバンから取り出せてホント大正解だったし、遠慮会釈なしにガンスカ撮りまくれたけど、さすがにこの雨だとレンズフィルターに水滴ついちゃって写真としてはダメダメになっちゃった。
 でもいいんだ、自分の思い出と、なんかのときの資料になればそれでいいんだから、
 そういうわけで、とりあえずできるだけ軽率にシャッター押しまくったったので、なんか写真もうpりたいんだけど、実家PCだといまいち画像の操作がよくわからんので、帰ってから元気あったらやろう…

 帆船って、今まで見にいけたの那覇に来たスターツロード・レムクル号しかないんだけど、那覇は本来の寄港予定地じゃなかったのもあって、もっとこう地味で小規模な来航だったのだ。それに比べて、今回のヴェスプッチはもうえらいことになっていた。
 巨大な東京国際クルーズターミナル全フロアを使ったイベントが寄港中の五日間開催されてて、レストランやらバーやらワインコーナーやらショップやら、音楽の演奏やら映画の上映やら、もうなんていうかそこらの帆船イベントでは見たことないタイプの、たいそうおしゃれで都会的で大規模イベントが展開されていたのだった。
 館内BGMは延々とTime to say goodby流れ撮ったしな。もう全力でイタリアムードの盛り盛り大盛り盛り合わせ。すげーことイタリア!が押し出されててなんかすごかった(語彙力)
 まあ、イタリア大使館もがっつりかかわってのPRイベントだし、大都会東京でのイベントだしね。こんくらいのことは当たり前なのかもだけど、私はただ帆船を見たかっただけの田舎のオバチャンなので正直、ヒイ!なんだこの豪壮なイベントは……と度肝を抜かれてしまった。私じゃどうやってもこのオシャレのノリにそぐわない!なんかごめんね!とビクつきながら館内を歩いていた。

 来場してる人の数もたいそう多かった。
 東京……ほんと、いつでも人がいっぱいいるよ東京……大都会よ……(←田舎者なので、ここにたどり着くまでにすでに人の多さに息切れをしていた)
 乗船イベントも、マジであの船に全員乗せるんかちゅうくらいの行列ができた。予約制なのにこれだよ。
 そして予約して並んでた人は全員ちゃんと乗ってた。300人くらいはいたと思うんだけども。さすが最大級トールシップ。

 そうそう、アメリゴ・ヴェスプッチは、船影もたいそう美しい船だというのに、船内も怖いくらい隅から隅まで磨き上げられてて、なんか凄味がすごかった。すごかった。
 マジで帆がついて動くタイプの大使館だった。もうなんだろ、帆船っていう枠組みでおさまんねーやつだったわ。すげーわ。
 見に行って、マジで経験値上がった。世の中こういう船もあるのだなあ。

 ちなみにみなとみらいで展示してる先代日本丸と比べると、船長(日本丸は97m、ヴェスプッチは100.5m)も船幅(日13m、ヴェ15.56m)も少しづつ大きい。
 見学できたのは上甲板だけだったけど、船幅広いせいか、日本丸のときの印象と比べるとだいぶ広々ゆとりがあるように感じた。

 あと、出航時の抜錨セレモニーとかいうのがあって、これも予約してあったけど、アホみたいな人数が予約者として受け入れされてたみたいで、ぶっちゃけ予約システムの意味を失っていた。ターミナル内のステージで楽隊の演奏とか挨拶とか、っぽかったので、もうそんなんほかして3階テラスに出て、1時間あまり貼りつきでヴェスプッチを見つめていた。おかげで出航準備が進んでいくのがよく見れたので最高だった。そういう人がほかにもいっぱいいて、しかもそばにいる人、だいたいみんな海とか船に詳しい人で、雑談が勉強になった。ありがて。

 そうそう、クルーズターミナルのほう、ショップも乗船イベント後に覗いてみたんだよ。
 ポロシャツとか売ってあって、めっちゃかっこよくてめっちゃほしいわ思ったけど、お値札見たら二万円とか超えてたんでそっ閉じでしたね。
 だけど、本は買っちゃった…写真集…いちまんえんしちゃった…だけどこの本のいちまんえんは、ショップで売ってたものの大半よりもずっと安いお値段で済んでいるという恐ろしい事実。
 それでもさすがに衝動買いで一万円は…と思って悩んだけど「買いたい理由が値段(の安さ)なら手を出すな後悔するぞ、ためらう理由が値段ならまずは買え買わなきゃ後悔するぞ」…という、本読みたちの格言を思い出して買っちゃった。
 本って、出会いを逃したなと思ったら、後から延々後悔するってわかってるもんな。

 テキストは全部イタリア語だから、内容細かく理解するにはOCRとかしてテキストどうにかデジタルにしないと翻訳にもかけられないけどね。
 でも後悔してないよ。きれいな写真いっぱいあったし、装丁めっちゃ凝ってるし、なにより設計図とか載ってる。
 やっぱ買ってよかった…買わなかったら一生後悔してた…ありがとう出会いの神さまと本の神さまとアメリゴ・ヴェスプッチ号とはるばる東京までこの船を動かしてきてくれた人たちとイベント設置と運営がんばってきれた人たちみんなみんな。

日記,海や船 編集

 男塾の31巻と32巻だけ電書で買っちゃった……(仁蒋が出てくる巻)
 さすがに細かいこと覚えてねーなと思ったからなんだけど、そもそも原作からして仁蒋の出番そんなに多くないので情報量がミニマムでツラい。
 とはいえ、だいたいおおまかには覚えていたとおりだったのものの、一コマごとの仁蒋や伊達の言動などの細部を確認できたので大変良かった。

 ほんとに、改めて読んでみても、仁蒋はどっからどう見ても筋骨隆々の筋肉男だった。あえて言えば、ちょっとだけシュッとしたほうかな男塾のキャラクタとしては……くらい。
 胸もあるといえばある、のだが、どう見ても胸筋でしかない。ガチムチの雄っぱいである。女バレしてから改めて戻って読み返すと、うっすら、顔立ちのわずかなラインとか、黒目が大きいところあたりに、女性ということを意識したデザインがほの見える気もしなくもないが、ぶっちゃけ、イヤイヤやっぱ気のせいだわ、普通に男塾に出てくる男の敵キャラだわ、と思い直すレベル。それくらい女性要素がない。
 いくら女捨てて修行に励んだからって、いくら男塾特有の風味だからって、このデザインのキャラが実は女てのはさすがにトンチキが過ぎるよ……と、連載当時に大いに感じた困惑を懐かしく思い出した。
 そうね、アブトゥはまだ、女なのぉ?!となったあとに、…うーん、まあ良く見たらなるほど、顔立ち濃いめ彫り深めの女の人って思えばそういう顔立ちだな……てなる余地があるが、仁蒋は女バレしたとて、いややっぱり女には見えんが?!というルックスなんよねえ。伊達はほんまよう見抜いたな。ご都合が過ぎるがまあ男塾だからな。

 それはそれとして伊達の言動、これはとんでもねえ男前。
 なかなかの強敵で、なんらかの負けられない理由を背負っているらしき対戦相手が、負けを目の前にした劣勢に置かれたときに自らの命を賭しても相討ちを狙ってくる。そいつは実は女だ、となったとき、伊達(及び男塾)の価値感においては男が戦う役目を担ってこそ女子供は役目を負わず幸せになることだけを考えていい、という大きな核があるので、自分がその女を負かして助かるわけにはいかない。
 それで、女でありながら男のように戦う道を選んだその心意気を汲んで、伊達は仁蔣に、ならお前が果たしたい戦いを果たさせるために一緒に死んでやろう、って宣言したわけだ。
 なにそれ愛の告白じゃん。
 惚れてるかどうかも定かじゃないけど、ともかくとんでもねえBigなLove...ではあるじゃん!
 そら仁蒋は惚れるわ。惚れたから、相討ち諦めて、伊達を生き残らせたわけだよ。いい男を死なせられないじゃん。仁蔣はいい女だからさ。
 ぎーーーーー!!! こんなどまっすぐBIGLOVEなんてお出しされたら私が飲まれないわけがないじゃん!!

 もちろん当世のフェミニズム的観点から行くと、女性にこのように一方的な立ち位置を押し付けるのは正直微妙なセン、という感覚も理解はするのだが、それはそれとして伊達が仁蔣の必死に対してまともに向き合ったというストーリーにある善性と魅力があるのも確かなことだろうとは思うんよね。

 まあごたくはともかく、もうちょっと仁蔣の見た目に女の子らしさがあったらわかりやすくはあったかもだが、女子に見える要素がチラ見えでもしちゃうと、伊達が女の肉体的な色香にほだされたふうに思えてしまっていたかもなあ、とは思う。仁蔣があの見た目だからこそ、伊達が、色に心ふらついたということではなくあくまで仁蔣個人の意気を汲んだ上で、命運を共にしてやろうと命を差し出したと解釈できるわけで……。
 戦う者であることを評価しつつ、女である以上そうじゃない幸せもあったんだろうがお前が選んだ道なら付き合ってやる、と言ってくれた男、伊達。そして惚れた男を死なせたくなかった仁蔣。
 この、この……ううあうう! 感情極まって言葉にならない。

 仁蔣、やっぱり男塾のトンチキ理論でどうにか生き延びて(生き返って)ほしいな。伊達のピンチに、颯爽と手助けに現れてほしいな。でもそれだとまた戦いに身を投じる羽目になっちゃうか……

 まあいろいろぶっちぎって、仁蔣は王大人か誰かの情けで生き延びて、最終回後に伊達をひと目見たいくらいの気持ちで日本に来ちゃうんだけど、でもこれというアプローチもできずにモジモジしててほしい。そこを伊達に気づかれて、そのまま抱きよせられてほしい。伊達臣人って男はそのくらいの甲斐性は見せてくれるって信じてるよ。伊達が惚れてるとか惚れてないとかじゃねえんだよ、惚れさせちゃったんなら、もう伊達が責任取らなきゃ仁蔣は幸せになれねえんだよ。頼むよ。二人で六畳一間風呂なしのボロアパートで暮らしたりしてくれよ。赤い手ぬぐいマフラーにして銭湯に通ったりしてくれよ。そのうち押しかけ義兄の義蔣がペットの蜘蛛ちゃん連れて遊びに来たりするよ。(男塾の世界観とはまったく相容れない展開だが、二次創作として下らん妄想をゆるしてほしい……)(続編?で伊達が組長となって出てくるらしいことは風の噂に聞いてるが、まあよそはよそ、うちはうち理論)

日記 編集

ネオアトランチオフ、無事に開催できたしポル飯ランチ美味すぎたし、なぜか男塾の仁蔣の話できたし(考えてみればかやくご飯ネタと関わりあるので、ギリギリネオアトラスの話題と言えなくもない)、東京ミナトリエマジで穴場スポットすぎる資料館で最高だったし、帆船アメリゴ・ヴェスプッチ号も一緒に見に行っていただいたりで、もりだくさんに楽しかったな!! 最高のイベントで私得すぎたぜ……
 しかし写真とか整理したりとかいろいろしたいけど、今日はお風呂入ったらめたくそ眠みがやばいので今日は寝てしまおう……明日以降の私、がんばれ

日記,ネオアトラス 編集

 お米もらえるかもしれない同人印刷、というのを知ってから、えーっ、どうしよ、お米もらうためにフルカラーイラスト本を作っちゃおうかな!熱が高まっている。
 年度の下半期は、いつもだいたい仕事以外のことをする余裕がなくなるのがわかっているのだが、うっかり10月半ばくらいまでに入稿できたらもしかして新米が……。
 その新米で、かやくごはんや鉄火丼をね……作ってみるっていう……やってみたいんよ……自己満足を……

 しかし、小説本は、新しくそのために話を書き下ろすのはいまいち気持ちがノらず。
 それに小説本にするなら文庫本サイズにしたいし、ページ数を一定の量までは重ねて、10mm厚さくらいにはしたいという欲がある。
 そもそも、そのお米プレゼントキャンペーンやってる会社は文庫本体裁の小説本プラン(A6、ページ数多め)は20部からしか受け付けてない。それに、今まで2冊を似たような装丁で持ってきたので、やっぱりなんか近い装丁にするには印刷屋さん変えたくない。

 一方で、お米も作ってる件の印刷屋さんは、フルカラーでページ数少なめの体裁なら少部数からでもオンデマンドでわりと高くない値段で刷れるようだ。なら、ページ数少なめのイラスト本とか作ってみるってのも手かな、という気がしてきた。
 まんがは描けないけど、一枚絵ならなんとか。なんとかならんか。
 挿絵集とか、紙芝居みたいのなら、ちょっと楽しく、ちょいと、いけるんでは。

 あと私、表紙で箔押しやりたいんよ、箔押し。
 どういう箔押し使いしたいかっていう具体的なデザインアイデアは全然ないけど、とにかくなんか、箔押した本作ってみたいんよ。

 今までのらくがき集めて、ページ数30ページもいかんようならくがきまとめ本でも作ろうかなと思ってみたけど、今まで書いてきたらくがきがガチらくがきばっかり過ぎて、なんかせっかく箔押しとか使うなら本としてひとまとまり内容のある感じのは作りたいなあという欲が湧く。
 なんかこう、各提督イベントのシーンで、一枚絵のない場面を想像で描いてみたやつとか……それともイベントでも何でも無い日常風景とか描いてみたい気もするな……とか、いろいろこうぼんやりと思いつきはするが……

 えええ、新しく描くの?
 それも背景とか着けて??
 時間あるのぉ???

 えへへ、ないなあ~

 来年にしとけば?と思いつつ、来年はもしかしたら新米プレゼントキャンペーンとかないかもしれないじゃないか、それに来年は来年でやろうと思ってる本の企画あるんだしとか、とか、いろいろ、いろいろなことが頭をよぎる。

 しかし本音を、というか現状をまともに見るなら、今は帰省とネオアトランチオフと帆船アメリゴ・ヴェスプッチ号のことでいっぱいいっぱいである。
 さらに帰省から帰ったあとにはちょっとひと仕事あってて、その準備もある。あるんだよね。ええ~(なんか去年も似たような日程になって、往生した記憶があるのに今年もそうなってしまった)

 とりあえず9月になり、帰省から戻ってきてから、もう少し詰めて考えたい。

ネオアトラス 編集

 冷静に考えるとほんとに需要はないんだとわかってて二次創作してしかも堂々と公開してるの、なかなか狂気じみてるなとは思うよ、なんだか他人事のようにだけど。
 でもまあ、自分にしか需要なくても思いついたら書いたほうが楽しいわけだし、せっかく書いたなら公開しておけば、もしかしたら未来に現れる同担者にいくばくかなりとも慰めにもなるかもしれんので、全然書くし晒すし、そうしない理由もないなあという気分もある。
 それと、やっぱ1469から入ったので、私は1469の二次ばかりやるし、1469キャラについての供給あるとめちゃくちゃ喜び浮かれるけど、それ以外でもネオアトラスってシリーズに関してなんかあるとたいへん嬉しくなるよね。
 つまりさ、新作を、私は本気で待ち続けているんだ!
 もちろんリメイクも、そして二次創作も!
 いつでも、もしかしたら次の瞬間に、推し作品がらみのなにかが世の中に現れるかもしれない。そういうわけで、毎日、明日を楽しみに生きるしかないね、これは。
(一応、自分の書く二次も↑の「推しがらみのなにか」の数に入ってる……入れざるを得ないんだけど、やっぱほんとは自分の脳内以外のところから湧きいづる新鮮で美味い水ばかりを浴びるように摂取したいわね)

ネオアトラス 編集

『四方の風』所収の短編についての思い出メモ、ラスト。
 最後はソリスとロハス。

ソリス「冬越し」
 ソリスは登場が遅いこともあって、未だにどうもキャラがつかめていない。ただ、なんとなく、これもペレス同様に無印ネオアトラスのエンディングの印象で、イヴラークを追って世界の縁を越え常人の世界から消えてしまいそうな、危うくふわっとしたところがあるような印象は持っている。
 それで都市テキストもなんとなく「世界の未来のことが心配でたまらない人々が集う街。」「世界が滅びるという予言が流行している。」「過去に滅びた高度な文明の末裔たちが作った街だという。」みたいな、滅びの気配がうっすら漂うものをチョイスしていた。
 最終的に大氷河期を生き延びた記憶を持つ街に住む老いた学者との出会い、というネタとなったのだが、実のところ、失敗した学者との邂逅というのはペレスの話にしても面白そうで、実際、まだペレスの話が固まっていなかった段階ではこのネタをペレスに使うのもありか、とうっすら考えたりもした(もちろんその場合、展開もオチもソリスとは全く違う話になっただろう)。
 話のオチも実はペレスの話と対照的になっている。ペレスは根が人文主義者であり、人知を超えたところにあるものに対して距離を取り、踏み込むことをやめたのだが、ソリスは人の境界を越えたものに惹かれるし、手の届かない高みを諦めない。求めるものがその先にあると思えたなら人の赴かぬ境域までどんどん踏み込んでいくのではないか。ソリスはそのように神秘への憧憬や冒険への希求を内心に秘めているのではないか、と見立てたのである。
 それでソリスはごく穏やかにではあるものの、挫折を実感している老学者に、求める道をなお辿り続け手を伸ばし続けるように後押しするという展開になった。強靱な探求者ソリスという、私のソリスへの拡大解釈が忍び込んだ結果である。
 そういうわけでソリスの話はペレスの話と連環するものとして、掲載順序をペレスの話の次に置くことにした。
 アイデア自体はアブトゥの話の次くらいに固まってはいたので書き始めたのも早かったのだが、書き終わるまでには時間がかかった。最終的に時間もページも足りなくなって、描写を切り落としまくり、会話だけで無理矢理に回す話になってしまった。シメもなんだか尻切れトンボになってしまい、うまく書き切れなかった悔やみがある。ただ、ソリスについてぼんやり考えていたことを少しだけ文字に書きあらわすことができたようには思うので、そこは良かった。
 情景としては、アタゴオルのような絵、その源流にある宮沢賢治のイーハトーブ的な世界のイメージがずっと念頭にあった。気象を知らせるために広場に現れる男とか、知らせ板を掲げるとか、街中の天文台とかはもろにそんな感じだなと思う。


ロハス「酔いどれの夢」
 ロハスは最初から、酒がらみのネタで書くというのと、どことなく邯鄲の夢っぽいふわっとした雰囲気の話にする、というのはなんとなく固まっていた。都市テキストも最初にがっつり決まったのであまり悩まなかった。書き始めたらとんとんと書けそうという予感があったが、実際、ほとんど悩むことなくノリで一気に書けた。ロハスが見た鯨と幻の酒を見つけに行く夢も、思いついたハシからそのまま書いていったのだが、ノリノリで書いたらかなり楽しそうな夢になって良かった。
 一方で選んだ都市テキスト「祭りになると、一年間たくわえた貴重品をぶちこわす風習がある。」には儚さや滅びのイメージを持っていた。というかもろに諸星大二郎「遠い国から 第一信」の、ガラクタを大事にする街の話みたいだなと思っていた。
 書いてるうちに思ったよりも感傷的な感じが前面に出たけど、ロハスの陽性かつどっしりしたキャラのおかげで湿っぽくなりそうなところするっと躱して、元気にかんぱーい、と終わらせられたなと思う。
 ロハスのキャラクタについて私が抱いている印象は、祭の非日常に浮かび上がる脆さや儚さとは対照的な、日常にしっかり足がついているというものだ。確かに飲んべえで酔っぱらってばかりだけど、リスボンに自分の酒場を構えてるとか、シンプルにただただ酒が好きなとことか、精神的にはどっしり安定した人格だと思えている。それで、ロハスも旅先でも店と家族のことを忘れていなくて、つまりなんだかんだで帰る場所をしっかり持っているという設定にした。
 でも、2での酒酒族のネタとか考えると、酒に酔っぱらってふらっとどっかに姿をくらましそうなロハスっていう解釈も面白いかな、とも思う。

 ネオアトラス無印のエンディングでは、ロハスは酒に浸りながらもソリスの帰還を待っている、と描かれる。続編の2でソリスが帰還したのでハピエンに転換されたけど、もし2が出てなかったらソリスもロハスもほろ苦エンドだったんだよなあ。ペレスの失踪もそうだけど、ネオアトラス無印は大団円で終わらない渋味というか、毒に近いクセがだいぶ含まれてると思う。そういうとこ好きだけど、私自身がそういう要素を活かした話を書ける技量がないんだよなあ。あと、今の私には無印~3までを遊べる環境がないので、1469より前の作品についての知識や理解が不足しているのもある。なんとかして、SwitchかSteamあたりでリメイクか復刻、出てくれないかなあ。

メモ,ネオアトラス 編集

『四方の風』所収の短編についての思い出メモその3。
 今日はマリアとペレス。


マリア「合戦」
・本に一緒に収録すると決めていたweb再録のマリアの話がしんみり系だったため、こっちはコミカルに振りたいというのは当初から決めていた。
 「夢見がちな人々と現実路線の人々が何かと雪合戦で白黒をつけようとしている」は好きな都市テキストだったし、マリアがこの雪合戦に巻き込まれたら面白い感じになりそうかなということで、早々と雪合戦に巻き込まれるというネタは決まった。しかしここから物語をうまく作れずに停滞。
 最初は、雪合戦に向けて二分された街にたどりついたマリアが、雪合戦のおかげでロミジュリになっちゃった男女カップルの願いを請けて手紙を届ける役目を担うものの、様々な妨害に遭っててんやわんや、というネタを考えていた。出だしだけ書き始めたんだけど、オチはまるで思いつかないし筆も全然進まない。カップルの女の子のほうとマリアが知り合うまででで3000字くらい使ってしまい、いかん、これじゃなんもまとまらん、もう時間もない!ということで当初のネタをすっぱり切ってやり直し。
 雪玉が飛び交う戦場を駆け抜け、防壁を乗り越えて手紙を掲げるマリアという場面を描きたいというのはずっと頭にあったので、その場面にまずいきなり辿りついてみようと書き始めたら、そのままマリアが長老婆さんのところに転がり込んでいた。
 この時点で、マリアが運んだ手紙が逆効果で交渉決裂、合戦が始まってしまう!というオチはぼんやり頭にあったのだが、なにが決裂の要因になるのかはまだなにも考えていなかった。うーんこの婆さんを激怒させる手紙の内容ってどんなのだ、と考え込んでいたらふと「豚のけーつ」が思い浮かび、それだーー!!ってなって、そのまま一気に書き上げたんだったはず。
 転がり始めるまでは苦労したが、仕切り直しの後はめちゃくちゃ勢い良く書けたので楽しかった。それにしても終始マリアが元気でかわいい。おかげでこれっぽっちも湿っぽくない疾走感のある話が書けたの、とても良かった。

 マリアやバルディの初期案がロミジュリお助けアイデアだったのは、TRPGのシナリオ作りの感じでアイデア出してみるかという意識があったような気もする。根っからのカプ厨なのでボーイミーツガールとか恋愛ネタなんぞ盛り込んどけば私も書く気が出やすいんじゃねえか、などと思ったのだ。といっても私自身はTRPGを遊んだ経験がほとんどなく、所詮慣れていないので、てんでうまくいかなかった。
 ギミックや展開を決めて書いていくよりも、一場面の絵として思いついた光景を文章で書いてみてそこから場面の前後を立ち上げて繋げていく方が書きやすい。でもこの書き方だとどうしてもぽやんと輪郭が緩い話になってしまう気はする。もうちょっと理知的に構成のしっかりした物語を組み上げて書けるようになりたいが、面倒くさがりなのでつい手癖になるし、ぼんやりふにゃふにゃした話を書きがちだ。


ペレス「未知」
・ペレスもアイデア出しのときにはだいぶいろいろ候補があった。「これまでの考えに疑問を持ち新しい考えで生きる人々の街」とか、「未来の可能性について意見を交わすことが主要な仕事である。」とか「街の全ての者が自分のことを賢者と名乗っている。」とか。精霊をしんじる街とか、科学と自然が共存している街とかも。
 ただ、神秘主義や精霊信仰のネタを直接的にもってくると、アブトゥを引き合いに出さないと収まらなくなりそうな気がした。いつもはカプ推し話ばかり書いているものの、今回はペレスにとってのアブトゥがどういう存在かというのを話の中心にはしたくなかった。
 それで都市テキストの選択を一回考え直すことにして、どれをペレスの話に当てようかなあと悩んでいたら、都市テキストでもっとも汎用的に出てくるテキスト「この街の人々は、未知の世界に非常に興味を持っている。」がふと目に入って、お、あえてのこれにしようかな、と偶然のなりゆきで決まったのだった。
 オチは、無印ネオアトラスのエンディングの神秘の世界に誘われて姿を消しちゃうペレスというネタを取り入れた。20年以上前にネオアトラス無印を遊んだときにエンディングで、あれえ、なんか学者が失踪しちゃったよ!とびっくりしたような記憶があって……ほんとぼんやりしか覚えていなかったのだが、それでも頭の片隅に残ってはいたので使ってみたかったのだ。
 ペレスが迷い込んだ不思議な山頂の風景は勢いとノリで書いたが、イメージのリソースはヒマラヤ山脈である。登山家や山岳写真家の人が、標高8000mまでくると空の色が黒に近くなる、みたいなことを書いていたのがなんだか印象的だったのだ。もちろんいくら黒みが強いっつっても真昼間に星は見えないと思うけど、この話では真昼の明るさなのに空に星が見えるというファンタジックな光景にした。
 それにしてもなにかとペレスを天文とか宇宙に結びつけがちなのは手癖だなと思う。
 ところで書きながら途中で、なんだかアブトゥの話と対になっているみたいだなと気付いたので、アブトゥの話に描写を寄せて書いたところが少しだけある。カプ推ししないとか言ってたくせに、結局、隙あらばすかさずねじ込んでいる。

メモ,ネオアトラス 編集

『四方の風』所収の短編についての思い出メモ。
 今日はバルボサとバルディ。


バルボサ「勝手の神さま」
・けっこうアイデアが思いつかなくてちょっとグズグズしながら書いた。動物のネタもってこようと思って「この街の周辺は/様々な動物が平和にくらしている。」ていう都市テキストをチョイスしてたんだけど、このテキストから物語があまり思い浮かばなかったんだよね。
 私としては、バルボサのちゃらんぽらんさが好きなので、バルボサがしょーもないケチやイキリを発揮するコミカルな話にやっぱりしたいよねえ、というのはあった。そういう気持ちで都市解説テキストのリストを眺めた結果「自分のことしか考えない/身勝手な人々も許される文化がある。」を選んだ。別の候補として「怠惰な人々が集まり/だらしなく生活している。」というのもあって、バルボサでもドン引きするレベルの怠惰たちの街というのをちょっと考えてたけど、バルボサがヒくレベルの怠惰ってのはだいぶヤバそうな気がしたし、具体的な物語も思い浮かばなかったので、「身勝手」が中心になった。
 後半で締め切りに追われてわーっと書いたので、細かいことを考える時間は無く、身勝手な人びとも許される文化ってどんなだろ、やっぱそういう神様が信仰されてるとかなのかな? バルボサこそ身勝手の神様の化身みたいに扱われそうだね……と書きながら固めていったんだったような気がする。おかげで会話で無理矢理転がす、とっちらかった話になってしまった。でも、街の景観が雑然としてそうなところとか、住民達のユルユルなチルさとか、あまりにも他愛ない日常バナシのどーでも良さとか、結構気に入っている部分が多い。
 こういうチル感も含め、全体にバルボサらしい話になったと思うが、話を転がすためにバルボサをややこすっからいキャラに振りすぎたかもしれない。


バルディ「ロマンチスト」
・バルディ、バルボサ、マリア、ペレスの話はネタ出しで迷った結果、締め切りに追われながら一気に書いたと思うが、この四人の中では確か一番最初に書き上げたんだったはず。
 バルディも、いろいろ都市テキストを拾ってきてどういうのにしようかなあと楽しく迷った記憶がある。同時に、アンジェラも話に絡めたい、樽の指輪のエピソードとアンジェラを絡めちゃおう、というのはわりと当初から考えていた。
 都市テキスト「愛嬌のある男性と/度胸のある女性が多く見られる街。」を選んで、アンジェラのイメージも匂わせつつ、どういうイベントにしようか考えた結果、当初は、度胸のある娘っことへなちょこボーイというカップルの駆け落ちをバルディがなんとなく支援する話、てのを考えていた。しかし、どうもバルディが先輩ヅラで人生を説きそうなつまらない話になる気配を感じ、書く前にとっとと捨てた。
 切り替えて「ロマンチックな王様」を中心にするか、と考え直してみたら、ロマンチックな王様→南の島→なんか南の島でモテてるバルディ、という絵面が浮かび、絵先行で前半(王宮への行進)が決まり、ロマンチックな王様なら宴会でロマンチックな話を聞きたがるのでは……ってことでバルディが指輪にまつわる恋物語を語る謎展開になった。
 バルディとアンジェラが若い頃に恋人関係だったことがあるというのは以前から妄想していたネタで、2022年にのぐちさんと作った合同誌でバルディとアンジェラの結婚式をやったとき、その設定で書いてたので、今回もそれを流用している。ちなみに今回のこの話の時点は、まだ樽が見つかっておらず、バルディも「海賊の指輪」を再発見していない設定。
 なにか起こりそうでなにも起こらない、ただバルディの惚気を聞くだけの話になったけど、南国のまったり空気感は書いてても楽しかった。なお、南の島ということでなんとなくポリネシアぽい感じで書いているが、私のデータでは「ロマンチックな王様」のテキストが出た都市の位置は現実の世界地図に当てはめるとマダガスカルがあるくらいの場所だった。それで、途中で出てきた宴会料理はマダガスカルの料理を少し参考にしている。
 バルディと一緒にいる水夫長は、ゲーム本編のバルディ航海日誌で腹を殴られてたあの水夫長のつもりなんだけど、書いてみるとやっぱり妙にキャラが立っている。シメはどうしようかとなんとなく悩んでいたのだが、水夫長のちょっと鈍くて空気読めてない感じのキャラが最後の場面で思いがけず生きて、なんとなくすとんと話を収めてくれた。

メモ,ネオアトラス 編集

『四方の風』所収の短編についての思い出メモ。掲載順に二話づつ、各話について覚えていることを書いていく。
 今日はアブトゥとゴメスの短編について。


アブトゥ「霧」
 一番最初に対応する都市テキストが決まり、ネタ出しも早かったのがアブトゥ。
 メモには「☆習作として早めに手癖で書いてしまいたい。アブトゥのキャラよりも街テキストに寄せた話で。」とか書いてある。そんなこと考えてたんだ、忘れてた。
 アブトゥは今まで推しカプ二次で書き慣れているので手癖で書いていけそうだぞと思ってはいたので、最初に手をつけたほうがいいだろうと思ったし、実際、そうして良かったと思う。比較的、さくさくと書けた。
 当初、メインとして選んだ都市解説テキストは「世界の真実についての論争が/流行している街」だったけど、次点で選んでいた「霧が立ちこめている不思議な雰囲気のする街」というテキストから「霧に霞む農場の縁で、顔のよく見えない農婦が振り返る……」という場面が思い浮かんで、そこから話を組み立てていったと思う。この霧の農場の場面から前後を考えて、せっかくアブトゥが主人公なんだし神秘を垣間見るような話にしたいと思って、メタ的に本人が「世界の姿」にうっすら触れる展開になった。
 あんまり覚えてないけど、当初は、酒場で繰り広げられるしょうもない世界の真実の論争に巻き込まれるアブトゥ、みたいなのを考えてたような気がする。その当初の案は、後半、酒場で客たちが与太を延べるシーンとしてさっと流すだけになった。なお、作中出てくる「亀裂」はゲド戦記でちょこちょこ出てくる地の裂け目のイメージにかなり影響されていると思う。
 「世界の真実」についての酒場の連中の話す「物語」は書きながら適当にでっち上げたものだけど、なんとなくそれっぽくて良い。中国の創世神話だったり、タニス・リーの平たい地球にちょこっと出てくる挿話の感じなんかをそのまんまパクっている感じがする。そういえば酒場の親父もバタバー親父だよなあ、どう見ても。このジェネリックバタバー親父の、ごく普通なおっさん感は、書いていて楽しかった。
 それと、最後、アブトゥが酒場の人いきれにほっとして座り直すくだりも手癖でなんとなく書いたんだけど、そのわりにアブトゥらしい一コマの情景を書けた気がして気に入っている。


ゴメス「猛獣」
 ゴメスについては、どの都市テキストを取り入れようかなあ、と結構悩んだ。
 私の中でゴメスは英雄であるのと同時にカステラ作ってくれるおじさんでもあるので、なんか英雄という存在に関わるようなシリアスめの話がいいかな、でもお菓子作りに関係するようなコミカルなやつもいいな……とか、メモを見返すといろいろ考えていた気配がある。
 「一人の英雄が街の平和を/常日頃から守り続けている。」という都市テキストがあって、その一人の英雄と出会うゴメスの話、とかのアイデアが最初期にはあったはずだけど、これは展開を考えてるうちになんか説教臭い話になりそうだなと思って、アイデアの段階でとっととポシャらせたんだったような。
 「近隣の猛獣に怯えて暮らす街。/だが誰も猛獣を見たことはない。」は、いかにもネオアトラスっぽくてお気に入りの都市テキストで、誰でもいいけど誰かに振りたいなと思っていた。猛獣を退治に行くのは英雄らしいかと思い、猛獣の噂を追って探検に赴くゴメスという話になった。ゴメス視点で書くつもりでいたが書きだしたら水夫長視点になった。どうも自分には英雄ゴメスの自我を捉えづらくて、ゴメス視点では書けなかったのだと思う。
 探検途中の情景も、猛獣の正体も書きながら考えたものなので、緩い展開の上になんだそりゃ、みたいなしょうもないオチになったけど、当初のコミカルなやつにしようかな、の気持ちが後で効いてきたのではないかと思う。ちなみに見張りの若い水夫はレオンくんのつもりだった。
 そういえばうっかり船に密航させてしまった鉄ヤマアラシのベビちゃんだが、遭難後もずっとゴメスと一緒にいて、最終的には大冒険の果てにゴメスが元の森に連れ戻してやっただろうと、自分の中でそう思っている。(ところで書き上がってからだいぶ経って気付いたけどマルセルを出し忘れていた)
 冒頭の、いろんな人がいろんな猛獣の姿に言及するシーンは、アブトゥの酒場の客の与太以上にゲームでの「噂」システムを意識して描写したもので、ネオアトラスらしさを描いた話としてアブトゥに続いて2番目の位置に置くことになった。

メモ,ネオアトラス 編集

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