雑記

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 あっちなみにテッド・チャンは最初の短編集『あなたの人生の物語』も当然ながらすごいオススメだよ。
 表題作「あなたの人生の物語」は映画『メッセージ』の原作で、映画は映画で、音楽も画面も静謐で美しく、かつスリリングさがあって好きだけど、物語自体は、原作とは結構違うところにフォーカスがあるかなとは思う(ストーリーの大筋はそんなに異なってるわけじゃないんで、テッド・チャン読んだことない人はまず映画から入るほうが入りやすいだろうなとは思う)。
 あと、映画だと解りにくすぎるためかオミットされちゃったSF的理論展開の部分もすごく面白かった作品なので、映画おもしろかったら原作もぜひ読んで!って感じ。
 表題作がやっぱり面白いけど、同短編集に入ってる他の作品もそれぞれみんな面白い。私の好みでは「バビロンの塔」「地獄とは神の不在なり」「顔の美醜について」あたりが推し。
 「顔の美醜について」は、人の顔の美醜を失認させる装置「カリー」をめぐって様々な人の言説が並んで物語が進んでいく体裁だけど、中心的なのは大学一年生のギャル、タメラ・ライアンズの感想で、このタメラがなんとも愛せる。
 物語自体は、もしルッキズムをSF的ガジェットで解消できるとしたら人類はどうする?どうなる?なにを選ぶ?という話で、真っ正面の社会SFともいえる(テッド・チャンは寡作ではあるけど、かなりの割合で、近未来に実際出てきそうなガジェットとそれが運用される社会についての社会倫理SFというべき作品を書いている)。
 というわけでこの物語自体がかなり面白いんだけど、それはおいてもとにかくタメラがかわいい。カリーを廻って肯定派と否定派が運動を展開し、アンチ活動をし、有名も無名も関わる人びとがそれぞれの言説を述べていく。そんながやがや騒々しい言説の嵐の中で、タメラは自分自身の体験と思考、目の前にあること起きたこと、自分がどうしたいかどうなりたいか、どうしたら公正に好きな人を好きで居られるか。そういうことを18歳なりの射程で一生懸命に考えて(その経過の中には浅ましさや利己的な考えも含まれているがそこも良い)いく。自分自身のこととして。タメラが選んだ在り方、それを言い表す最後の1文が、私の心には明るく軽やかに響く。
 一方、「地獄とは神の不在なり」はいちばん印象鮮烈かつ、ものすごくざっくりと切り離されるような物語だった。
 まず、雷鳴と炎をまとって天使が地上に降臨し、奇跡と災害とを引き起こしてたちまち去る世界、という設定と絵面がすごい。天使降臨はあるとき突然に、なんの理由も因果もなく、場所も時間も選ばずに発生する。降臨が起きると、たまたま近くに居ただけの人たちが、何名かは癒やしや救いの恵みを得るがそれ以上の人数が降臨の衝撃波で死傷する。死んだ人の何名かは天国に迎え入れられる(誰が天国に迎え入れられるのかについても特段の理由はなく、ただの偶然で決まる)。
 主人公ニールは天使の降臨で妻を失った。天国に昇った妻に再会したくて、天国に至る道を追い求める。結末は壮絶のひとこと。しかし、そうなるしかなかっただろう、とも思える結末で、なにかがざっくり刈り取られたような気持ちになる。
 それはさておき、身も蓋もないことを言ってしまうが、ニールが妻のセイラに向ける愛惜の念は、物語の作りでいうならマクガフィンであるだけなのかもしれないけど、男女厨としてはグっとくる。そもそもの発端としてセイラが天使の降臨に遭遇せず、ニールと深い愛情を分かち合いながら仲良く寿命を迎えられる運命だったら良かったのになあという気にもなるが、突き詰めると、やっぱりこの物語はそのような運命にはなかったニールの物語なのであり、この結末にいたる以外はなかったんだよなあと思うんだよね。そういう、こうにしかならなかった、という納得が深く沁みてくる話、好きィ。

日記 編集

 年越し買い出しで『歌う船完全版』を買ったのは描いたが、実はテッド・チャン『息吹』の文庫版も買ってしまっていた。
 ハヤカワSFがkindleで半額セールしてたときに買ってはあって、二年か三年くらいデジタル積ん読状態だったんだけど、紙の本、やっぱ欲しいよねってなり。
 そしていざ紙の本が手元にきて、正月で連休だね、となるとなんだか急に気軽になって、まあちょっと読んでみようかななどとページを繰り始めることができたのだった。

 オイイイ!! なんで読んでんかったん、過去二、三年くらいの自分!!!!

 というわけで、わかってたけどめちゃくちゃ面白かったしめちゃくちゃ良かったしめちゃくちゃ……はちゃめちゃ……情緒……情緒破壊じゃなくて、なんだ……わからん……わからんけど静かな文体で端正で、平熱なのに……なんていえばいいんだ、天地ひっくり返されて急に逆方向に流れる砂時計の砂粒になった気持ち……ぐりんと世界が裏返った気になる……全作品、全作品がだよ。この本に載ってるお話、全部がさ。
 はああ~~もっと読みたい、だけど短編集二冊しか出てない、作品を世に出してから30余年にして、刊行された短中編が20本ほどしかない、そんな世紀の寡作SF作家テッド・チャン!!! 次の短編集、あるとしてもチャンが生きているうちに世に出るんだろうか……。
 
 表題作の「息吹」が、やっぱ良かったな。ぜんぜんこの宇宙じゃない別の宇宙の、人間とは全く違う、言うたれば機械生命体である異世界の「わたし」が語り手。
 磨いて磨いて、研磨し抜いた水晶レンズみたいな……無機質で透きとおってて、脆いようでもあり硬質でもあり、置いたその場所にぼんやりと影と光の描く丸い縁が落ちるような……不思議な重力を持つ文章。そして激エモな結び。
 物語の世界にずっぽり飲み込まれる感覚を久々に味わった感覚があるよ。

 どの作品も面白かったし、没入して読んだ。けど頭も使うから、けっこう脳に糖分足りねえ!ってなって休憩がいる。甘い飲みもの飲んで、よし、と続きの字面を追いかける。映画の『ネヴァーエンディングストーリー』の1作目で、アトレーユの旅の途中で急にバスチアンの場面になって、僕もごはん食べなきゃ、ってリンゴをかじり出す場面。あんな感じだ。なかなか年取ってこういう読書体験することも少なくなってるので、物語の泉にどっぷり潜って、そこから息継ぎで浮上して、また潜るみたいな感覚が楽しすぎた。

 物語のあまりの見事さで言うならやっぱり「息吹」を一等に挙げたいけど、好みの話でいうなら、最初に収録されてる「商人と錬金術師の門」はだいぶ好みだった。中世のアラビア商人が主人公で、バグダードとカイロが舞台のアラビアンタイムトラベルSF。SFと言いがちSF用語がほとんど出てこないのでほぼほぼファンタジーや寓話なんだけど、ちゃんとSFしてる。しかし舞台は中世アラブ世界なので、異国情緒と、ファンタジーに近い異世界的な歴史ものの空気感があって、そして全体にうっすら漂うなんともいえない寂寥がどうにも好き。ちなみにこの話は枠物語の構造を少し取り入れていて、それがタイムトリップものを語る仕掛けとしてめちゃくちゃうまいことハマってて、技巧的にもすごすぎて瞠目するようなところがある。枠物語構造のタイムトリップものって、そういう作品は他にもいっぱいありそうだけど、テッド・チャンはこういうのをぬるっと流れるように組み入れてくるので、なにが起こったか解らんまま気が付いたら別の場所にいたという感じがある。ほんますごいやで。
 「オムファロス」も好き。これも、考古学者の語り手というのは最初の下りですぐわかって、年輪年代学の話なんかも出てくるのでフムフム知ってる知ってる、と読んでると突然、たったの一文で舞台がころんと回転しちゃうので、な……なんだこれぇ!ってなる。しかも仕掛けは別に一つじゃなくて、え、どうなるのと思ってたら、ええええ、そう、そうなるのお、ってなって……短編なのにくるくる転がされて読み終わったときはどわっとため息出ちゃった。
 あと「不安は自由のめまい」も好き。これはねえ、別の運命を辿るパラレル世界の自分と対話できたらどうなる、っていうかなり量子論ガチSFな話なんだけど、かなり人情話でもある。SFぽいギミックも面白いけど、とにかくナットがいいキャラで。ナットに気づきを与えるディナもなかなか面白いキャラ。ナットとディナが、さほど深い関わりを持ってるわけでもないちょっとした知人という間柄なのに、最後には細いかそけき糸のような偶然でお互いに深く人生に関わる物語構造になるのが、なんともこう。テッド・チャン、物語構築のマエストロ過ぎる、なんでこうなる。すごい。物語のタイプとしても映画に向いてる作品な気はするので、そのうち映画化せんかな~。

 このキャラ好きだなでいうと、「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」のデレクとか、「偽りのない事実、偽りのない気持ち」の語り手みたいな、ちょっと情けなくて打算もあるけどそれなりに必死で誠実であろうとして、だけどやっぱなんかどっか挫いてるしうまくはいってない、みたいな男性、こういう普通っぽさわりと好き。なお男性だけでなく女性たちも軒並み、欠点あったりうまくいってなかったりでごく普通の人物像で、みんなこのどこかにいそう感と平熱感がすごいいいなよ思うんだけど、男性陣の一部のなんともパッとしない感は独特な気がする。そこが好き。かっこつけようかなちょっとかっこつけたいかな、だけどやっぱかっこつかない、みたいな……。ビシってきまらん感じ、めちゃくちゃ人間って感じで好き。

 そういえば、今回読んでて気付いたけど、テッド・チャン作品に出てくる登場人物、なにかと普通に子供育てそうキャラだなって印象有るなあ。今回は子育てネタの話がけっこうあったせいかもしれないけど。
 実際には子供も家族もいないキャラが結構いるんだけど、そういうキャラでも、まあ人生のあいだに場合によってはパートナーができたり子供できたりもせんでもないですかね、感のあるキャラ造形っていうか……
 例えばこないだ読んだばっかりの『歌う船』だと、ヘルヴァとか、まあそもそも設定上自分で子を産める体ではないというのはさておいても、養子であっても子供を育てそうな感じないんだよね。
 彼女は永遠に主人公であって、彼女の行動こそが物語の中心であって、彼女が宇宙にかっ飛んでいってこそ話が回る物語なので、彼女の物語に子育ての局面がありそうな感じが全然しない。
 普通、特にSFとかファンタジーのジャンルだとそういうもんだと思うんだ。ル・グウィンですら、例えばゲドには自分の子供を持って家族をもって生活する、って気配は薄かったと思う。テナーは4巻と5巻では子育ての物語が中心的に出てくるんだけど、それでもなんていうか彼女は主人公であって、普通に子供持って普通に生きて死ぬ普通の女、には収まらない存在なんだよね(彼女がごく普通の女として子供の面倒を見たりパンを作ったり糸を紡いだり、農園を差配したりして暮らす場面がちょいちょい描写されるのに、それでもだ)
 でもテッド・チャンの登場人物は、物語中で生計だのパートナーとの関係性だの子育てだのにかかずらってる場面があろうがあるまいが、主要人物であれ脇役であれ、画面の外でも中でも、とにかく市井の人として生きている気配がある。モブというかなんというか、ものすごく一般人。なので、まあひょっとしたら子供がいるし育ってるし育てていそうな感じ。街角ですれ違うたくさんの人たち、って感じ。主人公ですら主人公感がなんか抜けちゃってる感じがある。そういうとこもなんか面白い。

 とりとめなく描いたけど、とにかくテッド・チャンはやっぱり面白いなと思った。あと、彼が端正な描写で延々と書き続ける「人生は不可逆の瞬間瞬間の積み重ね」って感じがこう、なんとも好きだなあと思った。
 お行儀良すぎでしょとか、説教臭いなという感想を抱く人もいるだろうなあとは思うけど、このクソ真面目さを抜きにしてはテッド・チャンが生み出す設定の妙とか描写の清新さとかそういうあらゆる面白さも成立してこないんじゃないかという気はする。

日記 編集

 年越しのために蕎麦や酒などを買い出しに行ったついで、本屋に寄ってみたら、『歌う船 完全版』が売られていたので買ってしまった。
 電書で読もうかなあ、いやいややっぱり紙の本がほしいからちょっと待て……と思ったまま数ヶ月過ぎていた。

 で、読んだ。
 最後の話を読んで目頭を押さえて天を仰いでいる(ていうかめっちゃ泣いた)
 『歌う船』を初めて読んだのは小学生か中学生の頃でもうだいぶ昔なのだが、銀河を駆け巡る「歌う船」ヘルヴァが立ち向かう冒険と、そして恋愛模様にわくわくしたもんだった。とりわけ、主人公の、宇宙船であると同時に少女でもあるヘルヴァの、強気さ、賢さ、はねっかえり具合、そして内側にずっと滾っている情熱と、一人の女性としての繊細で豊かな精神性とは魅力的だった。

 ヘルヴァは宇宙船の体を持つサイボーグだけど、「殻人」として赤ん坊の頃から「殻」に収められ、脳を機械に接続されて生きてきたとはいえ、その心は普通に一人の少女、賢く強く、でも脆いひとりの娘で、自分を雇用して無茶働きをさせる中央諸世界とは丁々発止やり合いつつ、取り組む任務やそこで出会う人びとに心を動かされたり、惨い状況を見聞きしながらなにもできない無力を噛みしめる羽目になったり、それでもできることを必死にやり続けたり、とにかく若さと情動で宇宙の果てへかっ飛ばしていく。その若い勢いやがむしゃらさがめちゃくちゃ好きだった。各エピソードも、もう何十年も読んでないんだけど、かなりはっきり覚えている。ヘルヴァと対置的に、様々な人生の課題を乗り越えたり、取り組んだり、挫折したりしている最中の大人たちがヘルヴァの冒険に関わってくる話で……。
 ところで、完全版で新規収録された2話は、そのヘルヴァが(旧版でのエピソード数話を経て)大人になった後の話で、つまり乗り越えたりした大人の側にいることにはなる。特に最後の話は何十年も経ったあとの話だったので、ヘルヴァがだいぶ場数も踏んだ落ち着いた感じになっている(なお殻人は長寿命なので、数百年生き続ける)。それでも、その内面は揺れたり、熱くなったり、震えているところは昔のヘルヴァとなんもかわってなくて……。
 「船」シリーズの他作品、つまりマキャフリーと若手作家共著になる作品群で出てきた設定が、重要な設定としてちゃんと出てくるのも嬉しかった(『旅立つ船』『戦う都市』とか)。そういわけで、『歌う船』続編に出てくる固有名詞がバンバン出てきた途端、うわああティアとかシメオンとかの名前出てくるんだ! 嬉しーなあ出血大サービスやん~!!てニコニコ読み始めてたわけだけど、まあ最終的にはヘルヴァの物語に泣いてたね。
 予期はされていた大きな喪失を迎えたヘルヴァが、それでも、今までそうだったように悲しみも愛もしっかり抱えて、元気いっぱい宇宙に飛び出していく話……。
 昔から好きだった作品だから、ヘルヴァのその後が読めたのも嬉しかったが、最後の下りで、物語の慰め、と言えるものも深く感じた。フィクションは、かくあれかし、と思う。

日記 編集

 昨日は結構寒かったけど、今日はそんなに寒くない。
 ので、今日は,ここ数日お世話になりっぱなしだったプレミアム着る毛布を洗濯機にかけた。
 なお寝具類は、天気がかろうじて晴れ間を見せていた昨日のうちに干したり洗ったりしてある。
 これですっきり年を越せるというものだ。

 ところでよそ様が、chatGPTに推しを描かせているのを見て、そういえばはるか昔(二年くらい前)に流行ったときにちょっと遊んで以降、AIに推しを描いてもらったことはないんだけど今だとだいぶいい感じに描いてくれそうかもと思い立ち、ちょっとやってみた。

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キタキタ、キタんじゃないこれ!

 わりと思い描いてるアブトゥに近いけど、さすがに女性だと指示したからか、わりと柔和さもある顔つきに。
しかし唇の厚さと眉の濃さには大満足だ。良い。
ターバン以外の服飾は、ルネサンス風を指示したせいか15世紀イタリアっぽい。上着の色味はわりとイメージしたものに近く仕上がり嬉しい。
(中シャツは面倒なので色指定しなかったけど、緑色にできてたら、だいぶそれらしくなってたかもしれないね)
 この勢いなら他のキャラもいけそうな気がしたけど、アブトゥほどに容姿の特徴や雰囲気が書き出しやすいキャラが他におらんので、今のとこアブトゥしか試してない。

ちなみにchatGPTに出した指示はこんな感じだった。
「絵を描いてください。描いてほしいのは以下のような特徴を持つ人物です。二十代前半。アラビア半島出身で肌の色は濃いめの褐色。女性だが男装をしている。顔立ちは整っており美しいが、女性的よりも男性的で、凜々しい顔立ち。頭には白いターバンを巻き、赤紫色のケープスタイルの上着を羽織っている。女性であることを隠すため、シャツは喉仏のある位置が隠れるようにハイネックの襟元になっている。以上の特徴を持つ人物を、ルネサンス絵画の油絵のタッチで描いてください。」

もしもネオアトラスが大航海時代とコラボしたとして、アレクサンドリアあたりで雇用できる航海士アブトゥ、って感じの絵な気がする。
もしコラボとかするなら、こういう感じの絵で出してきて欲しい。
あまりジャパニメーションイラスト寄せじゃないほうがしっくり来るかな……。
日本のアニメ絵風のデザインもいっぺんくらい見てみたい気はするけども。
(しかしこれは、なんとなく押井作品とかproductionIGとか風のリアル調のアニメ絵をイメージして言っているのだが、chatGPTに日本のアニメ風のイラストって指示すると十中八九萌え絵に寄せていく気はする。萌え絵アブトゥか……見てはみたいけど、いやこれはちゃうわ!ってなる予感しかしないな)

ていうかマジでネオアトラスと大航海時代コラボしないかなあ。
大航海時代origin、とっくに遊ばなくなってるけど、もしネオアトコラボでネオアトの提督たちが航海士で雇えるとか言われたら速攻再開するし、天井までガチャ回すよね。

追記:しかし後ろに垂れた布部分とかだいぶ1469の公式絵の再現度が高いな……と思ったし、なぜかchatGPTちゃんには、「人物の個性とミステリアスな雰囲気を表現しました。いかがでしょうか?」とかコメントもらうしで、私が出した指示からミステリアスな雰囲気とまで言えるだろうか(アラビア女性が男装、というのは確かになかなか特異な設定ではあるが……)とかなんとなくこう、考えてて、これうっかりしたらアブトゥの公式絵を参照してないかという気がちょっとだけ、ちょっぴりだけ、したのだった。

日記,ネオアトラス 編集

 今まで、chatGPTに何回か自作の二次小説の構造分析とかあらすじ作成とか校正とか試してみたので、もしかしたらそろそろ、今まで分析してもらった小説を元に2000字程度の短編とか書いてもらえるんじゃ?と思った。
 で、さすがにいきなりぽんと命令だけ投げても厳しいか、とりあえずあらすじと登場人物くらいは設定伝えとこ……って、あらすじ捏造しようとしたけど、ネタがちっとも出てこない。
 そして登場人物設定も、出身地だの思想だのこだわりだのを書いたあげくに、双方、お互いに対し思いを寄せてる、とかそういう設定をね……含めようとして……もうなんもかんもえっらい気恥ずかしくなって、無理、無理だ……ってなって挫折した。
 自分でちみちみ文章書くのはね、いいんだよ。書いてるあいだはどうせなんかが脳にがっつりキマってるから、とりあえずこう、幻想から幻想を紡ぎ上げちゃうのも勢いでいけるわけ。だけど、プロットとか設定を端的に整理してみてだよ、AIに、これ元になんかこう……いい感じに二人が仲良しに会話してる場面とかさ……書いてみて??って投げてみるのを想像したら、途端にえらい気恥ずかしいのよ。なんでだろ??!!!
 自分でちみちみ、単語ひねり出したりしながら長い時間掛けて書く方が、AIにお任せしてみるよりもなんぼも恥ずかしい行為なはずなんだがね。

 あらすじとか設定に私の欲望を含めなければ恥ずかしい気持ちにならないんじゃないの、っては思うけどさ。
 でも、なにせ読みたいのは、両片思いの二人がわちゃってる話だからさ……
 AIにお願いしてまで書いてもらうならやっぱこう、さ……
 二人がケンカ仲良ししてるとこ書いてほしさが、さ……
(自分が書いてない、見たことない推しの萌え小説を読みたいの欲しかない)

追記:そら、ほんとは誰かが書いてくなさった二次小説読みたい。幸い、ネットで読める範囲でもpixivとかに二次小説置いてくださってる方いる。買った同人誌もある。それを読み返している。命が助かる。ありがたい。ただ、そうしてるとますます、まだ読んだことない文章にも触れたくなってくるからさ……
 自分で書くって手はもちろんあるんだけど、今までの経験からするとどうしても半日とか丸一日とかたっぷりかかっちゃうからなあ。とりあえず手早く、「あ、推しと推しがイチャってる描写だ!!ウマウマ!!」ってしたい気持ちなんだ……chatGPT、独自の展開とかを作るのは多分苦手だけど、文章のすっきり感やこなれ感、概要まとめ力なんかはたいしたものだから、とりあえず自作二次を学習させて、これに似たやつ二千字くらいの文章で書いて、っやったら、それっぽい一文二文くらいは吐き出してくんねえかな、て。
 

日記,ネオアトラス 編集

 たまーに昼飯を、職場近くのおしゃ喫茶で食べるんだけど、そのおしゃ喫茶ではおしゃ焼き菓子なんかも売ってあって、クリスマスと年末の空気に浮かれてパウンドケーキ一切れも持ち帰りで買ってきた。
 こういうの、家で食べるかってなったときに、ちゃんとしたのん買ったんだからちゃんとお茶淹れるかっつって、お湯沸かして、スーパーで売ってるリプトンのいつものティーバックのやつとかだけどいちおう紅茶淹れる真似はして、お皿に盛ってフォークで食べる。こういうのなんかすごく、こう、さ……文化って感じ? なんか好き。

 そんで、こう、しゃれた洋菓子を紅茶や珈琲と頂きましょなんてやるときは、なんとなくこういう、昭和の団地みたいな空間を思い出すというか……
https://www.city.matsudo.chiba.jp/m_muse...

 ↑上の、松戸の博物館が再現してる昭和のリビングは1962年なんで私が生まれるずっと前なんだけど、私がごく小さい頃に住んでたアパートはなんとなくこれに近い感じだったような気がする。
 玄関開けると四畳半ほどのキッチンいっぱいにちんまりしたテーブル置いて、そこが食卓だった。小さい食器棚、花柄のついたポットやホーローの鍋、グリーンピースみたいな緑色した炊飯器とかがあった。続いて六畳の畳間が二つ。そこには、母が結婚祝いに贈られた箪笥、父の趣味のレコードとオーディオのセットと本棚、14インチのテレビなんかをでんでんと置いて、そうするとあとは布団敷くスペースくらいしかなくて、きゅうきゅうで住んでいたと思う。私自身は三歳くらいで、なにせ自分の体が小さかったからあまり狭いと思ってなかったんだけど、間取りと覚えている限りの家具の量とを考えてみるとだいぶせせこましく住んでいたはずだ。
 なお、うちの場合は狭かったし、上の昭和の団地のようなリビングのスペースはなかったので、ソファは置いてなかった。その頃の両親といえば結婚して数年しか経ってない安月給のペーペーの若手サラリーマンに過ぎず、ちゃんとした応接の部屋が必要な年齢でも立場でもなかったのだ。

 部屋にはトイレはあった(和式の、一段高いとこに上がる作りのやつだ)が、風呂はなかったので、小さい私だけを風呂に入れようってときはプラスチックの赤ちゃんバスにやかんで沸かした湯を張った。あとは銭湯の世話になっていた。家族三人でチャリンコで、といっても私はまだチャリンコに乗れる歳じゃないので子供椅子に積んで運搬されて、銭湯に行った。銭湯のフルーツ牛乳は普段は買ってもらえなかったが、風呂場で滑ってコケてデコを打って大泣きしたときは、慰めとしてびん入りのフルーツ牛乳を買ってもらった記憶がある。
 ほんと、フォークソングの神田川の世界まんまだったかもしんない。神田川はなんか最後には別れたくさい気配の歌だけど、そんなこともなく順調に同棲から結婚に辿りつき二三年過ぎて子供でもできたらこうなる、みたいな生活をまんま暮らしていたような気がする。
 そういう、東京の近郊で安月給で狭い賃貸アパート借りて生活始めたばっかりのサラリーマン核家族としては、珍しくクリームの載ったケーキ(生クリームでもなくバタークリームだったかもしれない)や、モンブランなんかを買うとか戴くなんかするときもあって、そういうのがあると、じゃあ飲み物もちゃんとしましょ、ってんでコーヒーか紅茶を入れるもんだった。私自身は幼児だから、どっちかいうとジュース(当時のジュースといえばHi-Cと相場が決まっており、味はオレンジかりんごの二択だった、今のように飲料の種類は多くなかった)のほうが嬉しかったんだけど、しかしちゃんとした洋菓子には少しばかり手間をかけた温かい飲み物を添えるもんだ、というのは母親が頑として実践していたのだと思う。それが当時なりのおしゃれな若者文化というか、イケてる、文化的な感じだったんだと思う。(こないだ、母の姉である伯母が亡くなった話を書いたが、この伯母はもともと体を壊す前は、ずっと若い頃から田舎で純喫茶をやっていた。ケーキには茶か珈琲だ、ということには母なりの、姉に倣ってのこだわりがあったのかもしれない)

 私が小学校に上がる前に父が分譲のマンションを買い、我々一家はその狭い安アパートを離れたけど、アパート時代も引っ越した後(今の実家)も、とにかく素敵な洋菓子がテーブルに並ぶときにはお湯を沸かして茶か珈琲を入れる暮らしを続けていた。今でも実家では、ちょっと良いお菓子があると母がおやつどきに、まずは紅茶か珈琲入れましょ、ってなる。大学以降に家を出て一人暮らし初めた私も、なんというかついついその倣いに従って、ケーキ買って食べようとなったらまずお湯を沸かし始めるムーブをしているのだった。

(確か西岸良平の初期短編集『ヒッパルコスの海』だったと思うけど、ここに載ってる「コーヒーの夢」って話に出てくる、工場勤務の独身の若者である主人公の生活空間が、めちゃくちゃ自分の記憶にある小さい頃の生活空間を思い出させる感じだった。タイトルのとおりコーヒーも出てくるんだけど、このコーヒーの立ち位置も1970年代後半の都会の若者暮らしの文化の感覚があって、これは1980年代も半ばになるとガラっと姿が変わって見られなくなってしまうものなので、なんていうかすごく懐かしいのだ)

追記:「コーヒーの夢」の一コマ貼っとく、これこれこんな感じ
(西岸良平『ヒッパルコスの海』(1977年初版)の182ページ)
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日記 編集

なんか昨日かおとといあたりのいつかに、ふと、chatGPTのなかなか気の利いた使い道を思いついた気がするんだけど、今その思いついた気持ちだけがぼんやりと居て、その他のなにもかも思い出せはしない

それはともかくGPTなのかGTPなのかいまだに覚えきれない

日記 編集

 シリアについて、なにか書こうと思うがどうもうまく書けないできた。いまもどうも書けそうにもないまま、しかし一回は書いておこうか、という気持ちがずっとあって、なんとなく書きだしている。

 と言っても、私はシリアについてほとんどなにも知らない。
 ただ昔、もう四半世紀近くも前になるかもしれないが、確か大学生の頃に、なんとなく見ていた「世界ふしぎ発見」にアレッポの街が出てきた。テレビで見たその街は美しくて、なんだか良いところだと思ったので、いつか見に行きたいなと思ったのだ。
 石鹸を作っていたシーンが印象にのこっている。
 テレビで見たその街の石鹸は、石造りの作業場(れんがだったのかもしれないが、なんだかローマの遺跡のような、美しいアーチ型に積まれたブロックが印象に残っている)で作られていた。
 地下室のような部屋は浅い浴場のようで、上のほうにある窓からほんのり光が入るが、全体は薄暗く、静かだった。その暗い、ひんやりしてそうな石の床の上に、おじさんたちが濁ったどろりとした緑色の液を流し込んでいく。部屋一杯に一定の厚さで広がるので、なんだか製氷のようだった。時間をおくと液が固まり、そうしたらレーキのようなものに人が乗って、もう一人がそのレーキを引く。静かでひんやりした部屋、古めかしい石の部屋で、機械を使わず人の手足だけで黙々と石鹸が作られ、手のひらに余る大きな四角い塊として切り出されて、丁寧に山積みにされていく。
 その場面がなんとも心に残って、これをいつか見に行きたいなあ、などと思ったのだ。
 世界ふしぎ発見の映像はいつも魅力的なので、もとよりオリエントの遺跡やらに憧れのある私は単純に、いや美しい国だなと思い、パルミラなどのたくさんの遺跡、アレッポの街並の現代的で華やかにネオンのきらめく賑やかな夕べ、そしてあの石鹸が作られる静かな地下室とに憧れ、見に行けたらな、などとのんきな気持ちでいたのだった。
 番組で石鹸づくりを見たのは1990年代の終わりか2000年代の初め頃だと思うから、当時シリアはアサド(父)の独裁政権の下にあってもう30年ほどになっていたはずだ。テレビを見ている私は無知で、そんなことは知らなかったが、すでにその当時から密告は盛んにあり、無残な収容所も存在していたはずだ。たいした故もなく投獄され拷問され殺された人もたくさんいたはずで、まったく平和ではなかったのだが、そういうことに当時の私はまったく気付いていなかった。
 ただ、番組を見て、いいなあアレッポいつか行きたいなあ、だけがなんとなく心に刻まれていた。
 テレビで見てから数年後に、そのアレッポの石鹸というものが雑貨屋に売られているのを見て、ああああの石鹸だああ!と思って、何度か買ったことがある。
 オリーブ油の匂いが思ったより強くて最初は驚いたが、慣れるとなんかこう、こういう石鹸使って顔とか洗うのなんかいい感じだなと思えた。憧れも含みだが、そうかあ地中海の石鹸てこういうのかあ、と思って、アレッポの石鹸を使うことでなんていうか心のどこかにある遠い国に気持ちが広がっていく、わりと小さいけども幸せな経験だった。それでしばらくはアレッポの石鹸を使っていたが、確かその雑貨屋が移転したんだか店を閉めたんだかで石鹸を買いに行ける場所が手近になくなって、もとより値の張る石鹸ではあったので通販までするのはどうしようかなあとためらって、それっきりになっていたはずだ。

 それからだいぶ経った。2011年に東日本震災が起きた頃、その前後に中東の各地で独裁的な政権に対するデモが起こった。インターネットを介して人びとは連絡を取り合い、デモに繰り出していた。チュニジアで、エジプトで、リビアで、そしてシリアで、若者たちが街に繰り出し、集まり、携帯電話を掲げて、周りの様子を取ったり自撮りをしたりしながら陽気に練り歩いていた。民主的な政治を求めて。
「アラブの春」だとニュースで何度もその言葉を聞いた。
 スマホやタブレットが広まる直前だったので、人びとが持っていたのは携帯電話や小型のノートPCばかりだったと思う。
 明るい、未来のある光景のように見えた。
 シリアも。アレッポ、あの石鹸の街があるところも。
 民主化したら観光がもっと促進されるだろうか。そうしたら古い都市であるアレッポももっと開発が進んで、もしかしたら石鹸づくりなんてあんまり流行らなくなっちゃったりするのかな、などと思った。
 でも旅行はしやすくなるだろう。情勢がもう少し落ち着いたら旅行に行けるかな。本気でお金を貯めようか。
 そんなことを、少し思った気がする。ずいぶんのんきだったと思う。

 それから、また干支が一回り以上する年月が経った。
 その間、シリアは、2011年の私ののんきな気分とはあまりに落差のある惨い状況にあった。
 そのことは、ときどき、断片的に、こまぎれながら聞こえては来た。
 内戦状態、樽爆弾、サリン、戦闘員でもないただのおじさんやおばさん、子供やその若い親たちがただただなんの理由もなく虐殺されていく。アレッポでは攻防戦が繰り返され、瓦礫の山になっていると。
 むちゃくちゃだよ、と思った。ひどいことだと思った。
 アレッポ、あの石鹸の街。
 あのアーチの美しい静かな地下室。あの石鹸が作られた部屋も、この瓦礫のどこかなのか。
 とはいえ、私はなにをするでもなかった。

 アレッポの石鹸が売られている、というのをネットで見かけて、どうしよう、とは思った。
 トルコなどに逃げた石鹸職人がいて、そこでまた石鹸作りを再開したのだという。
 悲しい、胸が痛い、でも石鹸まだ作っているのか、また作っているのか。
 そうか、良かった、良かった。……良かったか?
 通販で買おうかと思いつつ、結局買っていない。
 アレッポで作られてはいない、それでもアレッポの人が作った石鹸を、買うのに怖じける気持ちがあった。
 なんもしてないんだからせめて石鹸くらい買ったらいいんじゃないかと思いつつ、それでなにかした気になってしまうのも、と、なんとなく。

 そうしてなんにもしないまま、シリア、アレッポ、とうっすら思っていたら、突然に2024年も終わりかけのこの冬に、アレッポが反政府側の手に奪還されそうだ、というニュースがとびこんできて、え、と思った。そうしたら、ほんと一晩、二晩で、アレッポは反政府軍の勢力下になり、そしてホムスへ、さらにダマスカス、もう首都ですらアサド政権側の兵隊達は逃走していって、ほぼ無血開城……と、とんとんとシリアの情勢は塗り変わっていった。
 今もどうしてこう急に局面が覆ったものか、どうもよくわからんところはあるけども、とにかくシリアの人たちは、ほとんど誰も助けてくれないなかで耐え、戦いつづけ、独裁者の支配を拭ったのだ。

 アレッポ、石鹸の街、またここで、石鹸が作られるときが来たのかも知れない。

 これから先はどうか穏やかに、大きな争乱や混乱なく、シリアの人たちが自分たちで治め、誰も理不尽に傷つけられたり殺されない国になり、産業がうまく栄えますように。国を追い出されたり逃げ出したりした人たちも帰ってきて、すぐに家や仕事を見いだせますように。つらいことを耐え、生き延びた人たちに幸運と幸福がたくさんありますように。アレッポの石鹸があの美しい地下室でまたたくさん作られて、たくさん売れますように。

 そう願いつつも、私自身は、ほんとシリアの人たちの助けになるようなことなんもしてねえんだな、という意識もあり、なんかなんも書けないな、になっているのだった。
 私はいつかシリアに、アレッポに行けるだろうか。
 そもそも情勢はまったく不透明で、独裁政権は霧散したとしてもその後には、混沌、無政府状態の空隙、乏しすぎる国家財政、壊滅している諸産業、周囲の国々の蚕食、まとまらない国民の意思……とかとかもう不安材料は山ほどある。
 それでも、アレッポが、いつか、テレビで見たとおりの、いやそれ以上の豊かで美しい街として再び咲き誇るかもしれない、そうだったら……私というぼんくらの日本人一匹ごときであってすらもごく平和にのんきに街を観光できるような、そんな日が来たなら。
 しかし、もしもそうなったとしても、どうにも、ずっとなんもしなかった身ではなんだかとてもそれは重いことで、ただ憧れだけを無邪気に持ってはいられないものだ。
 せめてアレッポの石鹸は、例えばネットで注文してでも、買うときがきっとあると思うけども。
 それさえもなんだか、苦しいような、悲しいような気持ちはあるが、いやともかくシリアが無事に立ち直っていくなら、そうなるなら、そうなったなら、その場所に加わるために石鹸くらいは買いたい。地中海の古い匂い、と思いながら、あの茶色と緑色の石鹸をまた使う日々にたどりつきたい、たどりつけたらいいと思っている。そうでありますように。

追記:ずいぶん自分勝手な情動だけが垂れ流しで実にみっともない文章だが、こういう世の中の大きな事件に対しての自分の気分というものをそのときにちゃんと書いておかないととも思うので、そりゃもうとんでもなく恥ずかしいし情けないこととは思っているが(なによりなんも知らんままなところが特に)、このまま残しておくつもりだ。

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 先々週と先週のアニポケ、勢いの良いギャグ回だったのでハッピーだった。
 先々週はね、モリーさんに萌える回だった。
 冷静クールオトナ女性が、真反対の性格の同世代男性の言動にいちいちカッカしてさ、いつもと違う反応するの……もうさあ滋養がありすぎる。回想で出てきた過去のモリーさんがちょっと田舎出の野暮ったい箱入り娘風で、純真すぎかわいすぎてた。
 そんな過去のモリーさんを知ってて、昔と変わらずいじくりに回るソーダヨ……その結果、モリーさんの逆鱗に触れ、ハッピーによって星になるほど天高くぶっ飛ばされるお約束場面……。
 お前らケンカップルじゃないの? ねえ、そうじゃないのかよぉ!
(そうはいっても、なにせアニポケなので、恋愛っけほぼなしの腐れ縁仲良し感なのも最高に良い)

 そして先週の回となるともう勢い良すぎるギャグ回で、これもう大好きなやつだった。はあーこういうお話、書けるようになりたいやつ! テンポと勢い爆走でアホ笑えた。連発されるサメ(ハダー)映画、熱いじいさんたち、「寿司みてえなポケモン」「あれじゃあ回転寿司だ!」
 そしてかわいすぎるウパーヌオーとシャリタツ……シャリタツたち無邪気かつずる賢くてめちゃくちゃ良い……マードックが、シャリタツどものやんちゃに振り回されてながらもなにかと大丈夫か!?とか気遣っていたり、こういうとこでなにげなく出てくる、作品全体に通底してるポケモンへの優しい関わり方、最高に良い。そういうところが妙に心に沁みるんだぜ。
 そのうえオマケのポケモンゼミで、川流れてるヌオーとドオーが正面衝突してたのほんとめちゃくちゃかわいかった。ヌオドオが同じ画面にいるの最高に精神に効く!!! 
 それにしてもアニポケリコロイ編での、ランドウ手持ちヌオーは、ほんといい奴だし有能だしかわいい。前にどっかの回でおにぎりもぐもぐしてたときもめちゃくちゃかわいかったな。
 アニポケ、ちょっと前までシリアスメインストーリー進展回を数回やってて、それも面白かったんだけど、なんということのない日常のわちゃわちゃ回脇役掘り下げ回はやっぱなんか妙に心に活力くれて楽しいわ。なんかと元気で優しいのよね、リコロイ編。

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 家の近くに、わりと昔からある製菓店がある。
 交通量が多くて目立つ表通りではなく、そこから一本入ったところにあるので知名度はさほどないが、近所の人は皆ちょこちょこ、この店で菓子を買う。私がここに越してきたときにはケーキと焼き菓子だけになっていたが、確かもう少し以前はパンも焼いていて、夕方頃には惣菜パンとかを買えたと思う。中学生が塾に行く前とかにここで買い食いしてるのとか、見かけてた気がする。
 店は外装も内装も、うっすら昭和の気配を漂わせる、町の片隅の小さな菓子屋だ。今風のカフェやらパティスリーみたいな、気の利いたおしゃれさはない。もっさりしている。それでも入り口の扉は枠が木でできたガラス戸で、少し古びて痛んでいるが、昭和頃の洋菓子にあったヨーロッパぽさ……多分スイスとかドイツとかオランダとか、ぼんやりしたあのあたりのイメージ……が感じられる。
 そのドアの取っ手(取っ手も木でできている)のすぐ上には、紙にマジックで手書きした『押す』が、セロテープでビチッと丁寧にしっかり張り付けてある。これ自体、だいぶ以前に貼られたものとおぼしく、少し色褪せている。内側は逆に『引く』になっている。
 多分、お客さんがドアの開閉のときによく間違えたんだろう。私も店を出入りするときには毎回、押すのか引くのか一瞬とまどうが、この手書きの『押す』『引く』のお陰でこともなく店を出入りできている。そしてドアを開けて店にはいるときには、ドアに取り付けられたカウベルが気だるくからんころんと鳴る。こういうとこもなんだか懐かしさがある。

 売っているケーキも、今時の凝った感じのものはあまりない。ショートケーキとかモンブランとかシュークリームとか、定番はちゃんと一通りある。ホールケーキももちろん売っているし、お誕生日とかクリスマスケーキの予約も承っている。
 焼き菓子も、マドレーヌとかクッキーとか、実に普通。
 なんもかんも普通で、ありふれてて、突出した気の利いた感はない。ケーキも焼き菓子も、味は、普通。普通よりちょっと、うまい。地味に、ほっこり、美味い。気構えがない、尖りのない、でも弛んでもない、ちゃんとしっかりうまい。
 今日寄ってみたときは、クリスマス近くとあっていつもは見かけない星型やツリー型のクッキーが売ってあった。けっこうサイズ大きめのが5枚くらい入って350円。安い。実に庶民的なお値段で財布に優しい。思わず買ってしまった。
 写真を撮りそびれたが、見た目は、家でハンドメイドしたクッキーみたいな感じだった。型抜きで作ってると思うけど、それなのにちょっとづつ歪んでて形が少しだけ違う。バザーとかで売られてそうな。
 ご家庭のクッキーの味しそうだなあ(それはそれで好きだけど)と思って食べたら、しかしちゃんと、こなれたサブレの味がした。さくさく歯触りは軽く、バターと小麦粉の風味はしっかりして、ちょうど良い案配に甘い。全然、ご家庭の味ではない。
といって、パティスリーが洗練された技術を振るって軽やかに仕上げました、というふうでもない。何年も町の菓子屋で粉と砂糖と卵を混ぜて練ってしてきた職人が、今日も淡々と真面目に焼いたというふうの、日常の中のたしかな美味さだ。
 毎度、ここで焼き菓子を買うと、すげー普通なんだけどなんか美味い、て満足度高い。いつも食べたら、しみじみとご満悦な気持ちになる。しかも値段安いし。
 近所にこういうお店があってくれて、本当に幸いなことだなと思うし、運が良いなあと思っている。
 

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 スーパーの賞味期限切れ近いもの安売りコーナーに、水飴があった。賞味期限が迫ってるとか言うが、その期限はまだだいぶ先。それで半額なので思わず買ってしまった。
 しかし買ったはいいが、料理に使うといってもそれほどたくさん使うわけではない。和菓子でも作れば一気に使い切ることもできそうだが、ちょっとめんどくさい。
 結局、普通に一匙ばかりをスプーンで掬い上げて、それをそのままおやつとして食べてる。一日一匙。少しづつ減らしてる。
 買ったのは麦芽水飴とかじゃなくて、透明な、デンプンをケミカルな感じでどうにかして作ってる感じのやつだ。食べると、ひたすら甘いんだけど、なんだろ、奥の方にかすかに芋のような穀物のような、ほんのり風味があってわりと美味いと思う。
 寒くなってきたので熱い紅茶入れたいがちなんだけど、紅茶ひとくち飲んだら匙の水飴ちょっと舐め、また紅茶飲んでは飴舐めて、という、ロシアンティー方式でおやつしている。甘くて温まる、冬場のお茶としてだいぶ満足度高いやつで気に入ってるけど、しかし人様にお見せできる感じの食べざまではなく、誰にも咎められない一人の空間でのみ果たせるタイプの楽しみである。

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 キッチンタイマーある暮らし、とても快適だ!
 野菜がどれもこれも高いけど、旬に入ったレンコンが比較的安めだし旨い。ので、最近はレンコンの入った炒め物よく作ってたんだけど、寒くなってきたので、おつゆ用の骨付き鳥と、レンコンと同じく比較的安値で買えるかぼちゃとで、煮物にしてみた。
 キッチンタイマーあるから煮物だってらくちんだよ、だいたい、いいあんばいの時間をピって押して、別のことしにいってても、ピピピピって鳴ったら台所戻って鍋の様子見て、あとは火弱めたり止めたりすればいいだけだもん。それでなんも考えんでもほろっと柔らかに炊けたレンコンと鶏肉の煮物が出来上がる。大勝利。
 ありがとう人類。ありがとう文明。キッチンタイマーを世にあらしめた全てに感謝だよ。

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 キッチンタイマーが壊れたので買ってきた。
 壊れたのは前の週だったのだが、ふゆーなーして(面倒くさがって)今日になってしまったのだ。
 百均のタイマーだからすぐ壊れるし壊れたなら買ってくる、でいいのだがなんとなく粘ってしまった。
 しかし、キッチンタイマー使えないとQoLだいぶ下がる。スマホのタイマー機能使えばいいだけなのにそれがやけに億劫で、キッチンタイマーがないというただそれだけで炊事に対する意欲がめちゃくちゃ下がった。
 なんなら朝にパン一枚を焼くのすら面倒になる。トースター持ってなくてガス台のグリルでトーストしてるもんだから、タイマーは必須なのだ。わずかでも火を入れてる時間が過ぎらば黒焦げだし、まして他のことに気を取られてうっかり数分忘れた日にはグリルの中でパンがぼうぼうと燃え盛り始める。
 QoLどころか、キッチンタイマーは私の生活の色んな場面の安全を担保してくれている存在なのだ。キッチンタイマーに依存しまくった生活すぎる。生物としてあまりに脆弱なのではないか。しかし、キッチンタイマーないと、煮物も飯炊きもまったくうまくいきそうになくて、ほんとキッチンタイマーない頃の人類、すごいよな。時間わからんのに焦がさない火加減and加熱時間andタイミングをどうやって身につけたのだろ、たいへんそうだなあ。

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 ポケトゥーンの「幼なじみのカルボウ」見た。カルボウとソウブレイズとグレンアルマが好きなので、特にソウブレイズは大好きなので。
 正直を言えばお話はそれほど好みじゃ無い。まあ、これがエモで泣ける話だってのも、こういうのがおそらくいまどきの話作りというものだということにも納得はある。とはいえ、私自身は(おそらくソウブレイズに思い入れが強めなだけに)ソウブレイズ結局ずっとストイックに孤独だし不遇ではと思えるので、なんかこのへんの始末をもうちょっと拾ってほしかったような……
 それはそれとしてソウブレイズ(グレンアルマも)はほんと格好良い。アニメもよく動いてて、SV遊んでてソウブレイズかっこいーな!と思ってたのさらに五割増しでカッコイイ! アニメってすごい!
 あとね、ソウブレイズね、めちゃんこ声がかっこいい。
 凜々しく、静かな響きの、めちゃくちゃ中性的な……しかし女性の声だな、っていう。
 ぶっちゃけ推しを重ねている。推しの声のイメージこれ。これがいい。この声で、静かにしゃべってほしい~!!
 しかしまあ、ソウブレイズはなんせポケモンなので、セリフちゅうか鳴き声なんだよね、「ソウ……」しか言わない。でもこの「ソウ……」が良くてさ。推しが「そう……」って呟くならこんな呟き方すると思うね。まちがいない。
 考えてみたら、ソウブレイズの、めちゃんこ素早くて研ぎ澄まされた刃の感じも、夜や孤独を感じさせるところも、考えてみるとめちゃくちゃ推しの基底イメージにマッチするような、て気になってきた!
 やべえなソウブレイズもっと好きになっちゃう。

 というところでふと我に返って、いやポケトゥーン見てただけでふいにソウブレイズに推しを重ねるとか、あまりにも突然に推しへの狂気が炸裂しちゃったの巻でしかないね……。

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 今週、だいぶ気温が下がってきて涼しい。やっとクーラーを使わないで済む感じになってきた。
といっても最高25度とかなので、日中、なぜか保温性の高い私の職場はまだまだ結構暑い。そのうえ修繕に入ってしまったクーラーを稼働できない状態なので、扇風機が何台もぶんぶん首を振っている。
 夕方になって、やれやれ暑いなこの職場は、と仕事場から一歩でると、とたんに涼しいどころかちょっと肌寒いくらいの風に吹きすさばれる。びいぇえさぶい!と同僚達と叫び合いながら歩き出す。
 家でもついに毛布を出した。タオルケットではもう寒い。
 夏から急に晩秋に飛んだ感じだが、毎年わりとこんなだ。
 

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 ロシアがICBM撃った、とウクライナ側からの報道。ICBMじゃなくIRBMだ、とかもあるけど、どうあれ長距離弾道弾を実戦での使用というのは踏み出している。
 今回は模擬弾頭だったのではと。それでおそらく被害は甚大とはならないだろうけども、明らかに恫喝ではある。実際に進行中の戦争の中で、こういう兵器でメッセージが発せられるという状況に、ううっ、と息がつまる。
 20世紀末、世界中の国はなんとかそうした緊張の事態を脱しつつあって、人間同士はもう少しえげつなくないやり方で対話と交渉ができるように思えていたが、当時の世の中の、あまり根拠のない楽観が演出した幻影に過ぎなかったのかなと、あらためてつきつけられるような気分で、気が重い。

 それはさておき、日付が変わる前まで半額分のポイント還元ということで、『チ。-地球の運動について-』を慌てて衝動買いしてしまった。
 前から面白そうだなと思っていたのと、以前、ネオアトの同人誌にゲスト稿として寄稿したペレスの学者人生を考える、という記事のなかで、ペレスとはほぼ同世代と思われる天文学者として名前と略歴だけは把握していたアルベルト・ブルゼフスキが、物語の最後のほうで登場すると聞き及んでいたのだ。
 この漫画、とても面白かった。
 真理への道を見てしまい、真理に引かれてしまい、異端として迫害されることを目の前にしても安寧にいきることを選べなかった何人もが連なる、年代記のような、とはいえ架空の物語。天を美しいと思い、自らの立つ場所もその美しい世界に含まれていることを信じる人びとの物語だ。
 さまざまな、「チ」を突き抜け飛び上がって、その向こうにある天に手を伸ばす、そうせざるを得ない人類の話、その物語の作りそのものに憧れがある。私にはあまりその資質はないという自覚もあるが、一歩先へ、その先のさらに遠くへ、に読み手の心を誘う物語は、それそのものが星のように煌めいて、心がその遠くに吸い寄せられるし、このような物語を紡ぐことができる才能への慕わしさや尊さが自分の奥深くにふつふつ滾る。

 しかしまた、今夜読んだのは間の悪いことだった。
 弾道弾が戦争で使われたで、という報道のあとに読んだのは……。
 なんかもう、いろいろが重なりすぎて、作品とはまるで関係ないところでだけど、心のなかに行き交う情報と歴史の重みにへしがれそうになった。

 はるか何千年もの時間を越え、真理を求める人びとが積み上げた世界の認識と知識は文字として残されて人類をさらにその先へ進ませる。天体は、世界は、本当はどのように動いているのか。そこに達した知というなの情報系は、文字、そして印刷の技術で広く人類に共有されていく。それは物事を結びつけ、新しい理論と技術を鍛え上げ、人々はまた新しい世界にたどり着いていき……その果てに今や人は天に手が届いた。
 地を離れ大気圏の外に、鉄と火薬の塊を送り出し、それで街を焼くほどのところにまで。
 このへんはチ。の作品中でも何度も言及されている。知が、人びとをより酷く害することにつながると。知は人を自由にしつつ誤らせ、人びとは何度でもそれを繰り返しながら、迷いながら歩いていくのだと。

 この夕のひとつの出来事だけですっかり絶望するわけではないが、しかし今夜はたまたま、少し天が重すぎる。その重みの圧をもて余している。

 とはいえ今夜のこの心の重さは『チ。』それ自体の面白さやテーマとは直接的な関係はない。
 もちろん『チ。』は、そのテーマを語るために人が拷問されたり死んだりする場面がよく出てくるので、穏やかでもないし明るいとも言いがたい作品ではある。しかし、迷いながら真理を求め、そのために過酷な決断をし苦痛を舐め、揺らぎながら酷いこともしながら、それでも美や倫理や善にも心を動かしていくあまたの人間たちの物語には、愛というものがほの見え、そして不思議なほど突き抜けた開放も感動もある。良い漫画である。

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 あれ、『コロンブスの図書館』読んだ感想って書いたっけ?
面白かったのので感想書いた気がしてたけど書いてなかったかな……
後で確認して書けたら感想書く
(コロンブスの子、エルナンドの伝記。エルナンドは書籍収集に非常に熱心で、集めた本で図書館を運営しようと目論んでいた人。少年時代に父クリストバルの四度目の航海に同行して過酷な遭難状況を生き延びたりと経験を積んだ航海者で、同時に長じては測量や天文学、地誌に関心を持ち研究した学者肌の人なのだ)

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 昨日書いたように、11月の始め、特に先週からこの土日にかけては親族のことと仕事のことで時間が埋まっていたので、推し活がほんとほとんど何もできなかった。ハロウィンのらくがきを無理くり気味にツイッタに上げたが、あれがギリだった。あれも、10月末に伯母が退院して島に戻ると決まり、合わせて私も11月の頭の連休は島に滞在する予定となった上に、連休明けは仕事で忙しくなることもわかっていたために、しばらく推し活動なんもできなさそうという予感だったので、ここで推し活ぶっこんでおけ!という行動だった。
 今週もいろいろやらんといかんことは湧いてくるが、推しのことは頭の片隅でいつもなんかし、ふわっとした妄想はしていて、らくがきとかてえなあ。でもまだ、疲労が少し残ってるので、アウトプットに至る活力が少しだけ足りない。昨日はポッキーの日だったのでなんかしたかったけど、てんでその元気がなかったな。今週末の自分に期待しておく。

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 しばらくぶりに、離島に渡った。
 祖父母の生まれ育った離島には、母の姉にあたる伯母たちが二人、暮らしていた。祖父母は結婚してから別の島に出て暮らしていたので、伯母たちはふたりともこの島では生まれ育ってないが、ルーツを辿るように、祖父母も亡くなった後で、伯母たち本人が高齢となってから、島に移り住んだのだ。
 この二人の伯母のうち、長姉にあたる伯母が危篤となり、もはや看取りの段階ということで、島に住む親族や、他の島に住む親戚、私の母なども離島に集まって、当然私も久々に島に渡ったのだ。

 長姉伯母はだいぶ以前に脳梗塞に見舞われて、二十年以上を半身麻痺の障害と共に生きていた人だったが、生来、陽キャで、脳梗塞以外では頑丈な体でもあったので、概ね元気に明るく暮らしてきた。
 しかし高齢となってから、去年に二度目、そして今年に三度目の脳梗塞発作を繰り返し、そのたびに状態は悪くなって、とうとう全介護が必要になった。
 夏までは本島の病院にリハビリ入院をしていた。言語障害もかなり酷くなってはいたものの意思表示はでき、本人もそれなりに元気で、一人暮らしは無理だけども老人ホームで生活できそう、ということで運良く島のホームに入る算段もついた。しかし、ホームに移ってすぐ、そこでの生活が落ち着く前に四度目の発作が起きてしまった。
 今度の発作でも、伯母にはまだ辛うじて曖昧ながらも意識はあるようだったが、今までと違い寝たきりの状態となり、自分の意志で体を動かすことがほとんどできなくなった。もはや自分で食物を嚥下することもできないので、とりあえずは経管栄養の措置が取られていたものの、今後は胃ろうにしないと生命維持はできない。そして胃ろうしないのであれば看取りをするしかない、となった。
 伯母は、もしなにかあっても胃ろうはしないということで以前から意思を固めていた。それで、母や、母のすぐ上の姉である三女伯母は、胃ろうはせず、経管栄養を中止して看取りを迎えるということを選んだのだった。
 長姉伯母は病院から島に再び搬送され、島で数日を過ごして亡くなった。11月はじめの連休がちょうどそのタイミングだったので私も島に渡り、伯母の顔を見てきた。
 連休中に亡くなる可能性が高いということで、集まった親族たちで葬儀の支度もしながらの看取りだった。私も喪服を携えていったが、私が島にいる間には伯母はまだ息が続いていて、親族みんなで輪番で伯母の様子を見守り続けた。伯母が亡くなったのは結局、私が島から自宅に戻ってから2日後となった。
 私のほうは、仕事もいろいろと手が離せない時期だったので、葬儀のために改めて島に渡ることはできなかった。ちょうど昨日が締め切りの仕事の追い込みがあって、今週は仕事が多く、この土日も持ち帰りで徹夜状態で作業していた。
 葬儀の手伝いができなかったのは、亡くなった長姉伯母にも、喪主を務めた三女伯母にも、手伝い主戦力として島に来た母にも、たいへん申し訳のないことではあったが、今週、特にこの土日はほんとに稀に見る強度の作業量に追い詰められていたので、どうにもならなかったなあと思う(のがわかっていたので、亡くなった知らせを聞いた早々に、すまんが島に渡るのは今週無理であると母には伝えてあった)。
 PC作業なのだが長時間作業を続けたせいかなんだか全身が疲労していて、足先に溜まった疲労がどろどろとしていて歩くのも難儀な気持ちがする。睡眠不足なので頭もものすごい働かない。マウスを使う右手も軽く腱鞘炎を起こしかけている。
 今日は作業成果の提出とちょこまかした事務作業のために朝だけ仕事場に行き、そのちょっとの作業ですらアホほど時間かかって、マジで使いものにならないポンコツだったので、昼前に休みとってさっさと退勤して後はずっとごろごろしていた。
 今回の作業についてなんとか締切に間に合わせたが、他にもまだ別の作業が次から次へ来るので、しばらくは(この土日の惨状ほどにはならないだろうけども)まだまだ忙しいだろう。
 年度の後半恒例だが、伯母たちには不義理を働くことになったので申し訳ない。

 不義理も含め、伯母の死に対して、記述がなんだか淡々としてしまっているが、これは伯母への思い入れがないとか、仕事が忙しくて疲れすぎててとかではなく、上のような経過で脳梗塞発作が立て続けに起こった段階ですでにいろいろ覚悟していたというのがある。
 いよいよ明白に死への道のりが見えたとなったのは10月のことだったが、半年以上前の3度目の脳梗塞からうっすらと、ゆるゆると伯母の死を意識するところはあった。
 そうとはいえ、もはや治療のすべがなく看取りするしかない状態に至った最期の数日は、内心として心がざわつくにはざわつくことではあったのだが、一方でこれは人が老いて死んでいく自然な過程ではあり、母たちも、私も、他親族たちも、いろいろとゆっくり穏やかにことに当たれたなとは思う。長姉伯母の最後の数日は、本人にとって辛くなかったわけではなかろうけれども、静かに世を去り、それによって彼女は現世のあらゆる苦痛や苦悩から解放されたと思う。そのことに、せめてほっとしている。

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ちょっと前に免許更新行ってきたら、安全講習で警察OBだろう講師おいちゃんが、LUUP周りの法改正の説明をだいぶ否定的に、というか愚痴半分で言及してた。
(「警察庁はね、これはもう反対したんですよ、したけど、なんでか国会通っちゃった。だからこれはもうしょうがない、皆さんも道走るときにはぜひ気をつけてください」という感じの……これを、沖縄のおじちゃんの訛りバリバリイントネーションで読んでほしい)
 私自身、そもそも自転車も免許必須がいい(交通法規を理解したうえで乗ってほしいので実技はともかく筆記試験は受けててほしい)と思っている人間なので現行のLUUPの扱いにも当然否定的だが、こんなにあからさまに警察にも文句言いたい心が満ちているのか、というのは思いもよらなかった。
 ほんとLUUP、なんか気づいたら爆速で法整備されてたよなという感じ。
 LUUP走らせる法整備がこんな爆速でいけるなら、リチウムイオン電池の廃品回収環境の法的整備も爆速で進めてくれよと思ったりはするが、LUUPと違って実質規制の方向にしかならないし、電子機器どころか電気自動車にま関係するし、輸送流通も絡むしで、話がデカすぎるから誰も責任取りたがらなくて進まないんだろうなあと思ったりもする。
 こないだの衆議院選挙のとき、もし公約にリチウムイオン電池のリサイクル法や環境整備を掲げてる候補や党があったら投票してたかもしらん。そんくらい、リチウムバッテリーを捨てるときの面倒くささに釈然としてない。気づいたら話めっちゃズレたな。

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 今日、夜中からの大雨が続き、朝も変わらぬざんざか降りで、外に出るのが億劫でしょうがなかったが、昨晩こしらえたカレーがあったので、これを昼飯に持っていく!という強いモチベを創出してなんとか家を出た。カレーはいろいろなことに向かう気持ちをアゲアゲにしてくれる。アッパー系のなにか。
 なお雨は午後には少し落ち着いたので、帰りはさほどテンション下がらずに済んだ。よかったよかった。

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 アニポケ、新しい章に入ってパルデアを離れてキタカミに向かっているんだけど、SVのダウンロードコンテンツ買ってないやってないなので、キタカミ編はいろいろ未知だ。けど、もちろんそれはそれで楽しみだ。
 ポケモンはSVしか遊んでないけど、SVの世界かなり好きなので、アニポケもテラスタルデビュー編(46話~67話)からとりあえず追い始めた。パルデア舞台にアカデミーに留学してジムリたちと対戦するということでSVのキャラ達がたっぷり出そうだったからだ。
 実際、テラスタルデビュー編では、SVでのチャンピオンロードをなぞるように知ってる街やジムリ・四天王が登場し、主人公達が対戦していく流れで楽しかった。一方で、SVでは出てこない物語、アニメのコアストーリーであるテラパゴスと冒険者ルシアスと楽園ラクアをめぐる謎とか、訪れた街でバトルではなく人とポケモンたちの手助けをする物語なんてのもけっこう面白かった。
 とにかく基本として物語がとても前向きで、そしていろいろと優しい。その描写がまたわざとらしすぎず丁寧なので、良いアニメだなあと思いながらわりとしっかり見ている。

 先々週の放送はテラスタルデビュー編のシメとなる67話、リコ&ニャローテとロイ&ホゲータでの模擬戦バトルだったんだけど、これがめちゃくちゃ熱くて良かった。もう一回見たけどやっぱり泣いた。
 たぶんドドゲザンのうどんの回も、見るたび泣くと思うお気に入りの話だけど、このへんの、ポケモンと人間が一緒に絆を育んで育って変わっていくみたいな話に弱すぎる。
 67話でリコロイのバトル中に過去振り返りがいろいろあり、気になったので、この連休中に1話~46話も見た。
 やっぱ丁寧で良かった。子供が見るのに良いし、私が子供だったらこのアニメ見て育ちたかったなあ。
 主人公の、リコもロイもドットも、それぞれがとても良い子で、三人ともその手持ちポケモンたちも含めて好きな主人公たちだ。子供目線で見ても親しみが持てるし、そんな彼らが少しずつ育っていくのがまた親目線で見てもグっとくる。
 ライジングボルテッカーズの大人メンバーも好きだなあ。子供を見守ってくれる大人でもありつつ、それぞれの人生みたいのもちょっぴり感じさせる、いい距離感で描かれてる感じ。
 主人公三人+ボルテッカーズの面々で、子供にも大人にも響く物語が紡がれてる感じで良い。

 そういえば、主人公達の旅をサポートするお兄さん、ライジングボルテッカーズのリーダーであるフリード博士は、女児の初恋どろぼうとしてときどき名前を挙げられるようだ。
 確かに、たいそう頼もしく賢くワイルドかつ陽気な冒険学者で(インディ・ジョーンズがモデルかなと思う)、ポケモントレーナーとしても腕が立ち、なおかつ顔面も全身もイケメンというとんでもねーキャラ造形、これは確かに、オタクの資質を持つ女児のハートを射貫きまくっている気配がある。
 ただ、もし自分が子供の頃にこのアニメ見てたら、アメジオが初恋どろぼうになっていたかもしれんなと思った。アメジオも、おそらく女児たちの初恋どろぼうの役をけっこう務めているだろう。
 敵方の幹部だが、真面目で努力家、若さゆえに激昂したりすることもゼロではないが年齢に比して圧倒的に冷静で、話を聞かないわけでもなく敵とも対話できる、だけどそのまっとうさの故に不遇。どうやら血筋はかなり良い、そんな線細美形。
 敵ながら義に厚い、美少年の王子様だよ。女児の心を掴まないはずもない。
 アメジオは、ほんといちいち顔と立ち姿が良いんだよな。手持ちのソウブレイズもだいぶシュッとしててかっこいいし。それに忠誠心が高い部下に慕われているので、人徳もあるなって感じでさ。
 この部下達も好きだな。ジル(グルミン推し)もコニア(ニャオハ推し)も、それぞれリーダーであるアメジオに厚い忠誠心を向けているがそれと別にこっそり推しを持っているとこが良い。なんなんだあいつら。かわいすぎる。三人セットで好き。

 ただし、今の私の好みで考えるなら、マードックかオニキスの二択だな。
 マードック、いいよね。料理が上手で涙もろくておじさんとしてドットのことめっちゃ一生懸命心配しててさ……ガタイが良くて料理できる気さくで優しいおっさん、最高だよ。
 オニキスは、口数少なめ、くそ真面目、筋を通す正々堂々タイプ、そしてちょっと天然入ってるガタイの良い敵幹部兄さんなので、これまた好みのドツボ。
 アメジオはまず確実にどっかで光堕ちすると思うが、オニキスも、味方してくれる位置に来てほしいな。が、自由奔放でマイペースに身勝手なサンゴ(どう考えても光堕ちとかいうタイプではない)とのコンビがたいへん良いということを考慮すると、光堕ちという感じではなくだな……こう、いろいろあってなりゆきで、サンゴと一緒に共闘枠で、リコたちの味方で戦ったりしてほしい、一時的に。

 あ、そうそう、他に好きキャラといえば、敵方のアゲート。
 見た目と声がやべえ。ミステリアス美人で理知的な、肌の色が黒くて目力のある女ー!!
 なにか企みを抱えてそうなとこもこう、謎めいていて良い。
 あと、アゲートは衣装のデザインすげー良いんだ。普段のアゲートのときの衣装も、アカデミーにアゲパン先生として潜入時のスーツ姿も、かなり露出度は低いのに大人の女っぽさがある。つかおっぱいデカくないですか。ポケモンだから過剰に性的なニュアンスは全然ないけど、こう、大人の女性感があるルックス造形で、なんつーかこう、モデル的なかっこよい色気があってド好み。

日記 編集

 下半期に入った途端いろいろ差し迫ることはわかってたが、それ以上に予定外の細かな雑事が降ってきて積もり、なんか忙しない。
 家に帰って推し活的なことをやろうと思えば時間はないわけでもなく、うっ落書きとかしてえなあ!とか思う気持ちはあるのだが、推しのことに手を付けちゃうとそこにかなり時間を割いてしまうだろうという気持ちがブレーキになって、手が出せない。
 雑事で進められてないメイン案件の準備などの持ち帰り作業しはじめちゃってもいるから、あまり家での自分一人の趣味にのめりこめない感じ。
 年度の後半はいつもこうなりがちで、これはひとえに私が不器用で手が遅く無能で、そしてそのうえ怠惰なせいである。持ち帰らんと仕事片付けられんトロくささがそもそもいかんという話だ、が、こう……推し活も仕事もさくさくバリバリ両立できるシゴデキの人に憧れちゃうね

日記 編集

 結局、帯状疱疹ではなかった(あるいは発症しかけてたけど本格化しなかったのかもしれない)。
 それはそれとして、先週、名護にドライブ行って帰りの日曜から月曜にかけての夜中、猛烈な腹痛にみまわれた。久しぶりに冷や汗がどばっと出るレベルに腹が痛かった。はるか昔、賞味期限を勘違いしててすっかり腐ってた牛乳を飲んでしまったとき、きっかり三時間後に激烈な腹痛を起こしたときにせまる、二十年に一度クラスの強烈な腹痛、ヴィンテージものであった。
 つまり、多分なんか当たった。怪しいのは、飲みかけでわりと長いこと車内に放置してて、夜になって残りを飲み干したペットボトルのお茶かな~。それ以外は思い当たるような飲食物を摂ってないんだよね。
 そういうことで夜中の三時にへろへろになりながら、トイレに一時間はこもりなんとか痛みが治まったあと、そういえばお腹下したときにこんだけ猛烈に痛いのって実際なんでなの、どこが痛いと感じてるってハナシなの、と思ってググった。そしたらなんか、腸がいつもと違うぜん動を起こして痛みを感じるんだとか。
 腸がいつもよりちょっと妙にうごうごしたくらいでこんな冷や汗出るレベルで痛いのか。そしたら、切腹するときにはらわた自分で引きずり出す作法とかあるらしいけど、あれってどんだけ痛いのよ。なんでわざわざそんなことするのよ。おかしいだろ。想像したら怖くなってしまった(思い描いている絵面は山口貴由画)

日記 編集

 今日、昼過ぎか夕方くらいに気付いたけど、なんか左手の甲の皮膚だけ、なんか虫刺されかアリに噛まれた?みたいな感じでピリピリちょっと痛い。
 でも見た目なんもない。
 手を使ってなんかしたときとか、手の甲にさわったときだけ、痛みがピリピリっと。
 今までかかったことがないが、なんかどうも帯状疱疹の前触れぽい気がする。
 とはいえ明日は祝日で病院お休みだなあ。
 行くなら明後日か。
 まあ、もし帯状疱疹だとして、まだ発疹も出てないし、火曜日ならギリギリ抗ウイルス剤が効く時期かもしんない。
 いや、そもそも発疹出てないと診断できんのだろうか……わからん。とりあえず連休明けの朝まではどうもできんな。明後日の朝考えよう。

日記 編集

 久々に自分が書いた「出会い」イベの二次(プラニスフェーリオに載せたやつ)読んで、意外と書けてんじゃん?みたいな感想になった。
 もちろんあちこち下手くそでぎこちないのはそうなんだけど、描きたい場面はとにかく書き出してあるので、自分の萌えにはしっかり響く。そらそうよ。

 下半期、仕事が押し迫り始めるとどうも知らんまに自分の無能さや不器用さに落ち込みはじめるようで、最近あまり自分の為したあらゆることへの自負や自信がさっぱり持てない気分なんだけど、ともかくしばらくぶりに読めば自作二次もわりかし、お、食える食える、不味くないじゃん!くらいには思えるので、元気出してこーな!って思った。

 あと、プラニスフェーリオまとめた時点では間に合わなかったアブトゥの名前つくくだりの話と、「対話」の前段階くらいの時期の話を読みたくなったので、自分のために書いてやらねばならないな。

日記,ネオアトラス 編集

 アメリゴ・ヴェスプッチ号の出航を見守ってきた。
 乗船も、なんとか予約入れれて乗れたけど、雨がなかなか強くて写真はまともに撮れなかった。
 まあ、そもそも私はカメラ撮影ドチャクソ素人で下手くそだし、そもそもいいカメラも持ってないんだけど、しかしぶっちゃけヴェスプッチを撮るためにってことで、新しくコンデジを買って持ってきてたのだ。
 もともと私は旅行先で、記録とか資料とかになれー!という気持ちで大量にモノの写真を撮りがちなので、そういうとき向けに屋外でのややハードめな取り回しに強いタイプのコンデジが欲しかった。ぶっちゃけると土木や建築の人が現場記録向けに愛用することが多い、元オリンパスから出てたTOUGHシリーズだよ。
 とにかく頑丈、かつ手軽にそこそこ撮れる。がさつでポンコツでどんくさい私でもそれなりになんとか抑え写真を撮れる。ありがとう大好き。

 おかげで、多少降ってても平気でカバンから取り出せてホント大正解だったし、遠慮会釈なしにガンスカ撮りまくれたけど、さすがにこの雨だとレンズフィルターに水滴ついちゃって写真としてはダメダメになっちゃった。
 でもいいんだ、自分の思い出と、なんかのときの資料になればそれでいいんだから、
 そういうわけで、とりあえずできるだけ軽率にシャッター押しまくったったので、なんか写真もうpりたいんだけど、実家PCだといまいち画像の操作がよくわからんので、帰ってから元気あったらやろう…

 帆船って、今まで見にいけたの那覇に来たスターツロード・レムクル号しかないんだけど、那覇は本来の寄港予定地じゃなかったのもあって、もっとこう地味で小規模な来航だったのだ。それに比べて、今回のヴェスプッチはもうえらいことになっていた。
 巨大な東京国際クルーズターミナル全フロアを使ったイベントが寄港中の五日間開催されてて、レストランやらバーやらワインコーナーやらショップやら、音楽の演奏やら映画の上映やら、もうなんていうかそこらの帆船イベントでは見たことないタイプの、たいそうおしゃれで都会的で大規模イベントが展開されていたのだった。
 館内BGMは延々とTime to say goodby流れ撮ったしな。もう全力でイタリアムードの盛り盛り大盛り盛り合わせ。すげーことイタリア!が押し出されててなんかすごかった(語彙力)
 まあ、イタリア大使館もがっつりかかわってのPRイベントだし、大都会東京でのイベントだしね。こんくらいのことは当たり前なのかもだけど、私はただ帆船を見たかっただけの田舎のオバチャンなので正直、ヒイ!なんだこの豪壮なイベントは……と度肝を抜かれてしまった。私じゃどうやってもこのオシャレのノリにそぐわない!なんかごめんね!とビクつきながら館内を歩いていた。

 来場してる人の数もたいそう多かった。
 東京……ほんと、いつでも人がいっぱいいるよ東京……大都会よ……(←田舎者なので、ここにたどり着くまでにすでに人の多さに息切れをしていた)
 乗船イベントも、マジであの船に全員乗せるんかちゅうくらいの行列ができた。予約制なのにこれだよ。
 そして予約して並んでた人は全員ちゃんと乗ってた。300人くらいはいたと思うんだけども。さすが最大級トールシップ。

 そうそう、アメリゴ・ヴェスプッチは、船影もたいそう美しい船だというのに、船内も怖いくらい隅から隅まで磨き上げられてて、なんか凄味がすごかった。すごかった。
 マジで帆がついて動くタイプの大使館だった。もうなんだろ、帆船っていう枠組みでおさまんねーやつだったわ。すげーわ。
 見に行って、マジで経験値上がった。世の中こういう船もあるのだなあ。

 ちなみにみなとみらいで展示してる先代日本丸と比べると、船長(日本丸は97m、ヴェスプッチは100.5m)も船幅(日13m、ヴェ15.56m)も少しづつ大きい。
 見学できたのは上甲板だけだったけど、船幅広いせいか、日本丸のときの印象と比べるとだいぶ広々ゆとりがあるように感じた。

 あと、出航時の抜錨セレモニーとかいうのがあって、これも予約してあったけど、アホみたいな人数が予約者として受け入れされてたみたいで、ぶっちゃけ予約システムの意味を失っていた。ターミナル内のステージで楽隊の演奏とか挨拶とか、っぽかったので、もうそんなんほかして3階テラスに出て、1時間あまり貼りつきでヴェスプッチを見つめていた。おかげで出航準備が進んでいくのがよく見れたので最高だった。そういう人がほかにもいっぱいいて、しかもそばにいる人、だいたいみんな海とか船に詳しい人で、雑談が勉強になった。ありがて。

 そうそう、クルーズターミナルのほう、ショップも乗船イベント後に覗いてみたんだよ。
 ポロシャツとか売ってあって、めっちゃかっこよくてめっちゃほしいわ思ったけど、お値札見たら二万円とか超えてたんでそっ閉じでしたね。
 だけど、本は買っちゃった…写真集…いちまんえんしちゃった…だけどこの本のいちまんえんは、ショップで売ってたものの大半よりもずっと安いお値段で済んでいるという恐ろしい事実。
 それでもさすがに衝動買いで一万円は…と思って悩んだけど「買いたい理由が値段(の安さ)なら手を出すな後悔するぞ、ためらう理由が値段ならまずは買え買わなきゃ後悔するぞ」…という、本読みたちの格言を思い出して買っちゃった。
 本って、出会いを逃したなと思ったら、後から延々後悔するってわかってるもんな。

 テキストは全部イタリア語だから、内容細かく理解するにはOCRとかしてテキストどうにかデジタルにしないと翻訳にもかけられないけどね。
 でも後悔してないよ。きれいな写真いっぱいあったし、装丁めっちゃ凝ってるし、なにより設計図とか載ってる。
 やっぱ買ってよかった…買わなかったら一生後悔してた…ありがとう出会いの神さまと本の神さまとアメリゴ・ヴェスプッチ号とはるばる東京までこの船を動かしてきてくれた人たちとイベント設置と運営がんばってきれた人たちみんなみんな。

日記,海や船 編集

 男塾の31巻と32巻だけ電書で買っちゃった……(仁蒋が出てくる巻)
 さすがに細かいこと覚えてねーなと思ったからなんだけど、そもそも原作からして仁蒋の出番そんなに多くないので情報量がミニマムでツラい。
 とはいえ、だいたいおおまかには覚えていたとおりだったのものの、一コマごとの仁蒋や伊達の言動などの細部を確認できたので大変良かった。

 ほんとに、改めて読んでみても、仁蒋はどっからどう見ても筋骨隆々の筋肉男だった。あえて言えば、ちょっとだけシュッとしたほうかな男塾のキャラクタとしては……くらい。
 胸もあるといえばある、のだが、どう見ても胸筋でしかない。ガチムチの雄っぱいである。女バレしてから改めて戻って読み返すと、うっすら、顔立ちのわずかなラインとか、黒目が大きいところあたりに、女性ということを意識したデザインがほの見える気もしなくもないが、ぶっちゃけ、イヤイヤやっぱ気のせいだわ、普通に男塾に出てくる男の敵キャラだわ、と思い直すレベル。それくらい女性要素がない。
 いくら女捨てて修行に励んだからって、いくら男塾特有の風味だからって、このデザインのキャラが実は女てのはさすがにトンチキが過ぎるよ……と、連載当時に大いに感じた困惑を懐かしく思い出した。
 そうね、アブトゥはまだ、女なのぉ?!となったあとに、…うーん、まあ良く見たらなるほど、顔立ち濃いめ彫り深めの女の人って思えばそういう顔立ちだな……てなる余地があるが、仁蒋は女バレしたとて、いややっぱり女には見えんが?!というルックスなんよねえ。伊達はほんまよう見抜いたな。ご都合が過ぎるがまあ男塾だからな。

 それはそれとして伊達の言動、これはとんでもねえ男前。
 なかなかの強敵で、なんらかの負けられない理由を背負っているらしき対戦相手が、負けを目の前にした劣勢に置かれたときに自らの命を賭しても相討ちを狙ってくる。そいつは実は女だ、となったとき、伊達(及び男塾)の価値感においては男が戦う役目を担ってこそ女子供は役目を負わず幸せになることだけを考えていい、という大きな核があるので、自分がその女を負かして助かるわけにはいかない。
 それで、女でありながら男のように戦う道を選んだその心意気を汲んで、伊達は仁蔣に、ならお前が果たしたい戦いを果たさせるために一緒に死んでやろう、って宣言したわけだ。
 なにそれ愛の告白じゃん。
 惚れてるかどうかも定かじゃないけど、ともかくとんでもねえBigなLove...ではあるじゃん!
 そら仁蒋は惚れるわ。惚れたから、相討ち諦めて、伊達を生き残らせたわけだよ。いい男を死なせられないじゃん。仁蔣はいい女だからさ。
 ぎーーーーー!!! こんなどまっすぐBIGLOVEなんてお出しされたら私が飲まれないわけがないじゃん!!

 もちろん当世のフェミニズム的観点から行くと、女性にこのように一方的な立ち位置を押し付けるのは正直微妙なセン、という感覚も理解はするのだが、それはそれとして伊達が仁蔣の必死に対してまともに向き合ったというストーリーにある善性と魅力があるのも確かなことだろうとは思うんよね。

 まあごたくはともかく、もうちょっと仁蔣の見た目に女の子らしさがあったらわかりやすくはあったかもだが、女子に見える要素がチラ見えでもしちゃうと、伊達が女の肉体的な色香にほだされたふうに思えてしまっていたかもなあ、とは思う。仁蔣があの見た目だからこそ、伊達が、色に心ふらついたということではなくあくまで仁蔣個人の意気を汲んだ上で、命運を共にしてやろうと命を差し出したと解釈できるわけで……。
 戦う者であることを評価しつつ、女である以上そうじゃない幸せもあったんだろうがお前が選んだ道なら付き合ってやる、と言ってくれた男、伊達。そして惚れた男を死なせたくなかった仁蔣。
 この、この……ううあうう! 感情極まって言葉にならない。

 仁蔣、やっぱり男塾のトンチキ理論でどうにか生き延びて(生き返って)ほしいな。伊達のピンチに、颯爽と手助けに現れてほしいな。でもそれだとまた戦いに身を投じる羽目になっちゃうか……

 まあいろいろぶっちぎって、仁蔣は王大人か誰かの情けで生き延びて、最終回後に伊達をひと目見たいくらいの気持ちで日本に来ちゃうんだけど、でもこれというアプローチもできずにモジモジしててほしい。そこを伊達に気づかれて、そのまま抱きよせられてほしい。伊達臣人って男はそのくらいの甲斐性は見せてくれるって信じてるよ。伊達が惚れてるとか惚れてないとかじゃねえんだよ、惚れさせちゃったんなら、もう伊達が責任取らなきゃ仁蔣は幸せになれねえんだよ。頼むよ。二人で六畳一間風呂なしのボロアパートで暮らしたりしてくれよ。赤い手ぬぐいマフラーにして銭湯に通ったりしてくれよ。そのうち押しかけ義兄の義蔣がペットの蜘蛛ちゃん連れて遊びに来たりするよ。(男塾の世界観とはまったく相容れない展開だが、二次創作として下らん妄想をゆるしてほしい……)(続編?で伊達が組長となって出てくるらしいことは風の噂に聞いてるが、まあよそはよそ、うちはうち理論)

日記 編集

ネオアトランチオフ、無事に開催できたしポル飯ランチ美味すぎたし、なぜか男塾の仁蔣の話できたし(考えてみればかやくご飯ネタと関わりあるので、ギリギリネオアトラスの話題と言えなくもない)、東京ミナトリエマジで穴場スポットすぎる資料館で最高だったし、帆船アメリゴ・ヴェスプッチ号も一緒に見に行っていただいたりで、もりだくさんに楽しかったな!! 最高のイベントで私得すぎたぜ……
 しかし写真とか整理したりとかいろいろしたいけど、今日はお風呂入ったらめたくそ眠みがやばいので今日は寝てしまおう……明日以降の私、がんばれ

日記,ネオアトラス 編集

 Googleのバナーがいつもと変わってんな、なんかの記念日かなと思ったらオリンピックだった。今この時間、わりとついさっきまで開会式やってたぽい?
 Googleバナーで競技やってるちっこい鳥キャラが、ポケモンかアングリーバードに出てきそうでかわいい。
 パリ五輪のマスコットキャラかと思って検索してみたら全然違った。
 パリ五輪のマスコットキャラは、フリジア帽をデザインしたというキャラで、フリジア帽型の、真っ赤なふかふかに足が生えたというようなデザインをしていた。
 親しみやかわいさがないわけではないのだが、ヨーロッパにありがちな、目のデフォルメがリアル眼球寄せなために白目部分が目立ち、ぎょろ目に見えるので、日本人の私がマスコットキャラといわれて思い描くタイプの人畜無害なかわいさ感はやや薄い。これはこれで味があると思っているので特段、文句もないけども。

 開会式は見ていないが、ツイッターのROM垢TLで得た限りの情報では、フランチメタルの音楽を背景に、血まみれ首チョンパのマリー・アントワネットが登場し、彼女が幽閉されていたコンシェルジュリーの建物は煙幕花火で赤く染まる、と言うだいぶパンクな演出があったようだ。暴力による革命、血で贖った自由、平等、友愛。さすが、ラ・マルセイエーズを国歌とする国は違うぜ。

 それにしてもオリンピックといえば、前回、2021年東京五輪のときも個人的には強い関心はなかったのだが、たまたまその年5月にネオアトラス1469沼に落ち、一気に上がったボルテージでのぐちさんに声をかけ、合同誌を作ろうと原稿に勤しんでいたな、ということを思い出す。
 合同誌のあとがきで、記念と記録として世間のことも書き込んどこ、と思ってコロナと五輪に言及していたのでなんとか覚えていた。そういうことをしないと、すーぐ、いつのことだか忘れる。やっといてよかった。
 あれが2021年で今年は2024年か。
 3年も前か。マジか。
 なんと今年も合同誌を作っている。というか、一緒に作らせていただいている。毎回そうだったように今回も迷惑かけまくっている。
 そんなこんなだが、なんともう4冊目だ。
 ありがてえ話だ、マジで。

日記,ネオアトラス 編集

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