雑記
カテゴリ「日記」に属する投稿[223件](3ページ目)
なんか今日はだいぶ回復してきたぜえ、と思って、朝昼はまあまあ普通にごはん食べて、おっイケるイケる、だいじょぶそ!となり、晩飯はスーパーに買い物行ったついで、安売りになってたお惣菜を適当に選んでたんですけど。
なんかまた急に気持ち悪くなってき、たよ……?!
昨日はおかゆさん中心で、ほんで今日も、朝と昼は、油ものや香辛料もネギ類など刺激のありそうなのを避けた(自然にそういうのを選んでた)んだけどね。
ほんで晩飯に、スーパーのお惣菜マカロニサラダ、いけるやろと思ったんだけど、なんか、サラダに混じってたタマネギが、なんか……喉に残ってるような変な後味で……後から延々、喉元にうっすらせり上がってくる感じがする……
それともおかずに魚のフライを一個チョイスしたのが悪かったのか?
なんだろう、もしや、ネギ受け付けなくなった、のだったら。
友人に、タマネギからニラ、ニンニクまで、とにかくネギの類の野菜を食べると胃腸をやられる人がいて、もしかしたら症状が似てるかもしんない。そうだったらなかなか面倒だなあ、わりとネギに依存した食生活してきたからな。なにせネギの仲間は大概安くて旨いから、なんとなく具材にネギぶっこんで焼いたり煮たりしておけばいいや、ていう、適当な自炊をしてきた人生だった。
まあよくわかんないけど、ちょっとしばらくは食べ物に注意を払っておかざるを得ないねこれは。
なお合同誌の原稿は、昨日1本、粗々だけど書き上がりはしたので(直しはいっぱい要る)、あと1本も勢い良く書くぞ! 点火めっちゃ遅い人間だけど、いよいよ燃えてきた!! がんばるわ、がんばっぞオラ!!
なんかまた急に気持ち悪くなってき、たよ……?!
昨日はおかゆさん中心で、ほんで今日も、朝と昼は、油ものや香辛料もネギ類など刺激のありそうなのを避けた(自然にそういうのを選んでた)んだけどね。
ほんで晩飯に、スーパーのお惣菜マカロニサラダ、いけるやろと思ったんだけど、なんか、サラダに混じってたタマネギが、なんか……喉に残ってるような変な後味で……後から延々、喉元にうっすらせり上がってくる感じがする……
それともおかずに魚のフライを一個チョイスしたのが悪かったのか?
なんだろう、もしや、ネギ受け付けなくなった、のだったら。
友人に、タマネギからニラ、ニンニクまで、とにかくネギの類の野菜を食べると胃腸をやられる人がいて、もしかしたら症状が似てるかもしんない。そうだったらなかなか面倒だなあ、わりとネギに依存した食生活してきたからな。なにせネギの仲間は大概安くて旨いから、なんとなく具材にネギぶっこんで焼いたり煮たりしておけばいいや、ていう、適当な自炊をしてきた人生だった。
まあよくわかんないけど、ちょっとしばらくは食べ物に注意を払っておかざるを得ないねこれは。
なお合同誌の原稿は、昨日1本、粗々だけど書き上がりはしたので(直しはいっぱい要る)、あと1本も勢い良く書くぞ! 点火めっちゃ遅い人間だけど、いよいよ燃えてきた!! がんばるわ、がんばっぞオラ!!
合同誌の原稿が全然進まなかったのが、なんかノリがキタ!今なら一気に書けそう!降りてきた!となったのに、なぜか今週頭からいきなりめちゃくちゃ腹を壊して、月曜はなんとか出勤したけど終始吐き気が続き、昨日は一日休んでずっと横になってた。変なものを食べた記憶もないんだが、6月末の職場の飲み会でだいぶ酔っ払ったし少し腹も下したので、その影響だろうか。いやでも1週間も前の話やぞ?
なんとか今日は回復してきて吐き気はおさまったけど、下し腹がまだ少し続いていたので、今日は慎重を期しておかゆさんしか食べてないのだ、腹が空いた。明日は普通にものが食えますように。
なんとか今日は回復してきて吐き気はおさまったけど、下し腹がまだ少し続いていたので、今日は慎重を期しておかゆさんしか食べてないのだ、腹が空いた。明日は普通にものが食えますように。
舟田詠子『パンの文化史』(講談社学術文庫)という本を読んだ。
めちゃくちゃ良い本で、かつ、読んでて面白かった。
説明されるパン通史は、主にヨーロッパ地域の発酵パンが中心にはなるが、中近東、古代オリエント、インドや中国にまで及ぶ麦の粉を練って焼く食べもの、という観点で広がりは示唆していて、視界が広い。
なにより、小麦の種類と挽き方、こね方、発酵、焼き方、窯や道具、そうして出来上がるパンのさまざまな種類、保存の仕方、そのほか文化的な立ち位置まで、パンを作り食べるにまつわる様々な側面が万遍なく書かれている。
しかも、たくさんの註と参考文献と索引までばっちりィ!!
助かる〜〜! ありがて〜〜!!
あと、筆者の個性を感じる、視点の置き方や文章表現の良さもある。なんとも味わいが良い本。読んでると皮が少し硬めなパンが食べたくなる本なのだが、なんかこの本自体の読み味も、そんな風味のある味わいだった。
本の書き出しである、「はしがき」で紹介されたエピソードがすごく好き。ドイツに留学したときの筆者がホームステイした家のパンの思い出。
”そこでは日曜日ごとに夫人お手製のパンが朝の食卓を飾っていた。そのパンが、ときにはレースのフリルにうずまるように、銀のパン籠におさまっている、おシャレな日曜もあれば、使いこまれた木皿に無造作にのっている、さりげない日曜もあった。”
"ところがある日曜日に突然もっとすてきなパンが現れた。紐状の生地を六本どりにして、細長く編んだパンだ。どの角度からも三つ編みに見えるという、お下げ髪のようなパンに、私は歓声をあげた。「まあ、今日はなんの記念日!」。するとシュスター氏はこんな冗談を言った。「今日はおかあさんの"ごきげんうるわしい記念日"だ」。"
この「ごきげんうるわしい六つ編みパン」のエピソードが本の初っ端に出てきた時点で、もうすっかり、本に引き込まれたなあと思う。
後半、ヨーロッパ各地のパンづくりの具体例を取り上げた章は、綿密なフィールドワークを基にした記述で構成されていて、各地のパン作りのあらましが具体的にわかって面白かったが、その中で、オーストリアはアルプス地方の村でのパン作りでは、パン作りを担う主婦はパンの焼き方を姑から習うという点に関する論考も印象的だった。
結果で言えば、その地方では各家に作り付けのパン焼窯を使う焼き方をするが、窯はそれぞれの屋敷に合わせて作られているから、実家と嫁ぎ先では窯の造作が異なっている。パン焼窯でパンを焼くには微妙な火のコントロールが要るが、実家とは異なる窯でうまく焼き上げるには姑のパン焼きの手伝いをし、二、三年ほどかけてその家の窯での焼き方を習い覚える必要があるのだった。だから、実家の実母から焼き方を覚えることにはならない、ということだった。
ところが近代に入ると、伝統のアーチ型焼窯ではなく新しい二段式のオーブンが導入された家があったり、婿を迎えたので実母からパン焼きを習ったりとか、そんな理由で必ずしも姑からその家の焼き方を覚えないパターンも出てくる。さらに戦後には(古いタイプの窯が破損したりして使えなくなったときに修繕や新造できる人も少なくなったという理由で)電気式のオーブンに切り替わったりする。そうするともはやパンの焼き上げる火力調整の技術伝達自体が必要なくなる。そうして、パン焼きは姑から習うものではなくなる。レシピ本を見て、そこに書かれているようにタイマーをセットするのがパン焼きの作業になるのだと
時代が進んで道具が変遷するに伴って、背景にあった広い文化のかたちが変容することのディテールを、淡々と、しかし惜しむような筆で書いていく。この細やかさ、綿密さはほんとに面白かった。
姑から嫁へのパン焼き技術伝承については、もともとはそれをテーマにした筆者の調査研究報告(助成金を受けてのプロジェクトらしいので、たぶん論文にまとめてある)が下敷きにあるらしく、そりゃ内容が詳細で斬新で視点が面白いのは当然だなあとなったが、その他にもパン文化の調査で折節、筆者自身が体験したエピソードがちらっとちらっと出てくる。そのいちいちのディテールは訥々と語られて、でもなんだかはっと胸に落ちるような感じがある。それがなんとも滋味があり、また興味深い。
良い本読んだなあ。買ってよかった。これは読み返す本になるわ。
めちゃくちゃ良い本で、かつ、読んでて面白かった。
説明されるパン通史は、主にヨーロッパ地域の発酵パンが中心にはなるが、中近東、古代オリエント、インドや中国にまで及ぶ麦の粉を練って焼く食べもの、という観点で広がりは示唆していて、視界が広い。
なにより、小麦の種類と挽き方、こね方、発酵、焼き方、窯や道具、そうして出来上がるパンのさまざまな種類、保存の仕方、そのほか文化的な立ち位置まで、パンを作り食べるにまつわる様々な側面が万遍なく書かれている。
しかも、たくさんの註と参考文献と索引までばっちりィ!!
助かる〜〜! ありがて〜〜!!
あと、筆者の個性を感じる、視点の置き方や文章表現の良さもある。なんとも味わいが良い本。読んでると皮が少し硬めなパンが食べたくなる本なのだが、なんかこの本自体の読み味も、そんな風味のある味わいだった。
本の書き出しである、「はしがき」で紹介されたエピソードがすごく好き。ドイツに留学したときの筆者がホームステイした家のパンの思い出。
”そこでは日曜日ごとに夫人お手製のパンが朝の食卓を飾っていた。そのパンが、ときにはレースのフリルにうずまるように、銀のパン籠におさまっている、おシャレな日曜もあれば、使いこまれた木皿に無造作にのっている、さりげない日曜もあった。”
"ところがある日曜日に突然もっとすてきなパンが現れた。紐状の生地を六本どりにして、細長く編んだパンだ。どの角度からも三つ編みに見えるという、お下げ髪のようなパンに、私は歓声をあげた。「まあ、今日はなんの記念日!」。するとシュスター氏はこんな冗談を言った。「今日はおかあさんの"ごきげんうるわしい記念日"だ」。"
この「ごきげんうるわしい六つ編みパン」のエピソードが本の初っ端に出てきた時点で、もうすっかり、本に引き込まれたなあと思う。
後半、ヨーロッパ各地のパンづくりの具体例を取り上げた章は、綿密なフィールドワークを基にした記述で構成されていて、各地のパン作りのあらましが具体的にわかって面白かったが、その中で、オーストリアはアルプス地方の村でのパン作りでは、パン作りを担う主婦はパンの焼き方を姑から習うという点に関する論考も印象的だった。
結果で言えば、その地方では各家に作り付けのパン焼窯を使う焼き方をするが、窯はそれぞれの屋敷に合わせて作られているから、実家と嫁ぎ先では窯の造作が異なっている。パン焼窯でパンを焼くには微妙な火のコントロールが要るが、実家とは異なる窯でうまく焼き上げるには姑のパン焼きの手伝いをし、二、三年ほどかけてその家の窯での焼き方を習い覚える必要があるのだった。だから、実家の実母から焼き方を覚えることにはならない、ということだった。
ところが近代に入ると、伝統のアーチ型焼窯ではなく新しい二段式のオーブンが導入された家があったり、婿を迎えたので実母からパン焼きを習ったりとか、そんな理由で必ずしも姑からその家の焼き方を覚えないパターンも出てくる。さらに戦後には(古いタイプの窯が破損したりして使えなくなったときに修繕や新造できる人も少なくなったという理由で)電気式のオーブンに切り替わったりする。そうするともはやパンの焼き上げる火力調整の技術伝達自体が必要なくなる。そうして、パン焼きは姑から習うものではなくなる。レシピ本を見て、そこに書かれているようにタイマーをセットするのがパン焼きの作業になるのだと
時代が進んで道具が変遷するに伴って、背景にあった広い文化のかたちが変容することのディテールを、淡々と、しかし惜しむような筆で書いていく。この細やかさ、綿密さはほんとに面白かった。
姑から嫁へのパン焼き技術伝承については、もともとはそれをテーマにした筆者の調査研究報告(助成金を受けてのプロジェクトらしいので、たぶん論文にまとめてある)が下敷きにあるらしく、そりゃ内容が詳細で斬新で視点が面白いのは当然だなあとなったが、その他にもパン文化の調査で折節、筆者自身が体験したエピソードがちらっとちらっと出てくる。そのいちいちのディテールは訥々と語られて、でもなんだかはっと胸に落ちるような感じがある。それがなんとも滋味があり、また興味深い。
良い本読んだなあ。買ってよかった。これは読み返す本になるわ。
目が覚めたときから雨音がしている。しとしとというにはもう少し強く、ざあざあというにはもう少し密やかな雨音だ。
そんな雨音のせいか、起きてからずっとなんだかもの悲しい。
たまにそういう気分になる。実際にはこれという悲しいことも辛いこともないのに、やけにさみしいような悲しいような気分になる。どういう機序なんだかはわからないが、こういうのも人生、みたいな気持ちになって、さみしさにくるまれてなにかを納得する。
ますむらひろしの、アタゴオルシリーズのどっかの話に、しとしと雨が降り、それがスクリーンのように世界を半透明に覆う街にさまよう話があった、となんとなく思い出す。霧のように降る雨は過去に死んでいった人の思いやなにかの残影で、しとしとと雨が降り胸に沁み入ると、しんと寂しさと、その他さまざまの思いが、一緒に胸に沁みとおっていく。そんな話だったような。
これもそういう雨なのか、そうなのかもしれない。
そういうふうに思わせるような雨が、そして物語が、どちらも私のそばにあるこの朝はまあ悪いもんじゃないなと、なんとなくそう思う。
そんな雨音のせいか、起きてからずっとなんだかもの悲しい。
たまにそういう気分になる。実際にはこれという悲しいことも辛いこともないのに、やけにさみしいような悲しいような気分になる。どういう機序なんだかはわからないが、こういうのも人生、みたいな気持ちになって、さみしさにくるまれてなにかを納得する。
ますむらひろしの、アタゴオルシリーズのどっかの話に、しとしと雨が降り、それがスクリーンのように世界を半透明に覆う街にさまよう話があった、となんとなく思い出す。霧のように降る雨は過去に死んでいった人の思いやなにかの残影で、しとしとと雨が降り胸に沁み入ると、しんと寂しさと、その他さまざまの思いが、一緒に胸に沁みとおっていく。そんな話だったような。
これもそういう雨なのか、そうなのかもしれない。
そういうふうに思わせるような雨が、そして物語が、どちらも私のそばにあるこの朝はまあ悪いもんじゃないなと、なんとなくそう思う。
4時間と少しばかり寝ると目が覚めちゃって、二度寝にも入れん。そこそこ早寝はしてるし、リズム自体は一定してるけど、明らかに睡眠時間は足りてないのでもう少し眠りたいが。鍛えるのをおろそかにし続けて生きてきた中年の肉体と精神ときたら……休息さえまともに取れないヘボさ……
(なおポケスリの都合により、二度寝できないままベッドで寝たふりしてごろごろしてるので、せっかく早起きしてもなにもしないでただ時間を浪費してるという、この…)
それはともかく未明と言える時間に目が覚めてもだもだしてる今、外からはどちゃどちゃざあざあと大きな雨音が続いている。稲光と雷も一時間あまり断続的にあって、なかなかの荒れ模様だ。
冬の終わりに雷を伴う雨に逢うと、もうすぐ春が来るのかなと季節変わりを意識するが、梅雨の終わりもやっぱり激しく雷が鳴る気がする。もうすぐ梅雨が明けて夏が来るのかもしれない。
もしほんとに梅雨明けが近いなら、例年より少し早めの梅雨明けで、そして今年は梅雨入りがだいぶ遅かったので、短めの梅雨となる。とはいえ1ヶ月はたっぷり梅雨ってたので、来週辺りにすっきり明けていただけるのもやぶさかではない。
それにしても春雷に比べると、夏の始めの雷はもっとごうごうと猛り狂う嵐の様相で、気合い入ってんな~感ある。
(なおポケスリの都合により、二度寝できないままベッドで寝たふりしてごろごろしてるので、せっかく早起きしてもなにもしないでただ時間を浪費してるという、この…)
それはともかく未明と言える時間に目が覚めてもだもだしてる今、外からはどちゃどちゃざあざあと大きな雨音が続いている。稲光と雷も一時間あまり断続的にあって、なかなかの荒れ模様だ。
冬の終わりに雷を伴う雨に逢うと、もうすぐ春が来るのかなと季節変わりを意識するが、梅雨の終わりもやっぱり激しく雷が鳴る気がする。もうすぐ梅雨が明けて夏が来るのかもしれない。
もしほんとに梅雨明けが近いなら、例年より少し早めの梅雨明けで、そして今年は梅雨入りがだいぶ遅かったので、短めの梅雨となる。とはいえ1ヶ月はたっぷり梅雨ってたので、来週辺りにすっきり明けていただけるのもやぶさかではない。
それにしても春雷に比べると、夏の始めの雷はもっとごうごうと猛り狂う嵐の様相で、気合い入ってんな~感ある。
昨日寝る前に書いたメモ、だいぶ寝落ち寸前で朦朧としながら書いてたのでほんと何言ってんだかわかんねー文章になってる、けどまあ、自分用のメモで書いたからいっか。あのへん気になったのね、がいつか後で思い出せたらそれで良し。
昨日のメモに盛り込めなかったけど、10日夜、ヨーロッパ各地でオーロラ観測されていたときにはアフリカやNZからも報告があったりしてたが、ひっそりと南米最南端の地域(ウシュアイアとか)でもオーロラ観測できてたらしい。
昨晩、思い立ってUshuaiaでツイッターを検索したら、10日夜のオーロラの写真がいっぱいアップロードされていた。その写真だと、どれも濃い赤色が空の下半分に燃え上がって見えるような感じで、11日夜に北海道で見えていた見え方に近い(おそらく北海道よりはもう少しよく見えてて、肉眼でも赤い色がはっきり見えてたのではないか)。
ウシュアイアの緯度は南緯54度、ニュージーランドよりもさらに10度近く南だ。南米最南端はかなり極に近い陸地というイメージもあって、そういえばあのへんてオーロラ結構見れたりするのか?と思ったが、日本と同じようにオーロラ帯が遠めな地域であるので、オーロラが肉眼で確認できるのは珍しかったみたいだ。ウシュアイアの人たちもなんかキャッキャして観測してる感じで楽しそうだった。良い。
それから、今回これだけのオーロラ爆発なら、北欧や北米の高緯度地域のオーロラ爆発はさぞかしだろうに、情報も画像も全然流れてこないな……???と思ってたら、そう、北半球では夏至に向かう時期なので太陽が出ている時間がだいぶ長くなっており、空が暗い時間がかなり短いのだ。明るいとオーロラ見えないもんな。
地球は丸くて、傾きながら回ってて、遠い太陽からの光浴びながら宇宙を動いていくと連れて地表では季節は刻々と変わっていき、でも北と南ではその季節も逆になり……
それと、年々刻々、世界中の人々が夜空も手軽に撮れる高性能なカメラを持つようになってて、それで撮った画像をインターネットに即座に載せて世界中に広める、てのが当たり前になっているんだなあも、しみじみ思った(同時にフェイク情報の作成もめちゃくちゃ容易なので、情報発信元を良く確認しないといけなくなってる)。
物理的な意味でもソフト的な意味でも、ほんと世界はグローバルってやつなんだな、クソデカ丸い玉の上で、みんなわちゃわちゃごちゃごちゃやってんだな、ていうことを今回のオーロラ祭でやけに実感されたのも、なんと言えばいいか、まあ、面白かった。
昨日のメモに盛り込めなかったけど、10日夜、ヨーロッパ各地でオーロラ観測されていたときにはアフリカやNZからも報告があったりしてたが、ひっそりと南米最南端の地域(ウシュアイアとか)でもオーロラ観測できてたらしい。
昨晩、思い立ってUshuaiaでツイッターを検索したら、10日夜のオーロラの写真がいっぱいアップロードされていた。その写真だと、どれも濃い赤色が空の下半分に燃え上がって見えるような感じで、11日夜に北海道で見えていた見え方に近い(おそらく北海道よりはもう少しよく見えてて、肉眼でも赤い色がはっきり見えてたのではないか)。
ウシュアイアの緯度は南緯54度、ニュージーランドよりもさらに10度近く南だ。南米最南端はかなり極に近い陸地というイメージもあって、そういえばあのへんてオーロラ結構見れたりするのか?と思ったが、日本と同じようにオーロラ帯が遠めな地域であるので、オーロラが肉眼で確認できるのは珍しかったみたいだ。ウシュアイアの人たちもなんかキャッキャして観測してる感じで楽しそうだった。良い。
それから、今回これだけのオーロラ爆発なら、北欧や北米の高緯度地域のオーロラ爆発はさぞかしだろうに、情報も画像も全然流れてこないな……???と思ってたら、そう、北半球では夏至に向かう時期なので太陽が出ている時間がだいぶ長くなっており、空が暗い時間がかなり短いのだ。明るいとオーロラ見えないもんな。
地球は丸くて、傾きながら回ってて、遠い太陽からの光浴びながら宇宙を動いていくと連れて地表では季節は刻々と変わっていき、でも北と南ではその季節も逆になり……
それと、年々刻々、世界中の人々が夜空も手軽に撮れる高性能なカメラを持つようになってて、それで撮った画像をインターネットに即座に載せて世界中に広める、てのが当たり前になっているんだなあも、しみじみ思った(同時にフェイク情報の作成もめちゃくちゃ容易なので、情報発信元を良く確認しないといけなくなってる)。
物理的な意味でもソフト的な意味でも、ほんと世界はグローバルってやつなんだな、クソデカ丸い玉の上で、みんなわちゃわちゃごちゃごちゃやってんだな、ていうことを今回のオーロラ祭でやけに実感されたのも、なんと言えばいいか、まあ、面白かった。
うう、この時間まで、オーロラ情報とライブカメラおっかけてしまって、ポケモンスリープの眠りの約束を全然守れんかった。
今日、2024年5月11日の夜は、本州のあちこちでオーロラの観測成功したそうで、何十年に一度レベルなので今もちょっと興奮冷めやらない。兵庫県での観測報告にはビビった。関東(那須高原)の報告でもびっくりしたのに、兵庫だって~!! 平安時代かよ!!(平安時代は地磁気の関係で今よりも日本で赤気=オーロラが見えやすい年代だったそうだ)
今回のオーロラ関連の話題を追ってて、いろいろ書きとめておきたいあれこれあったが、とりあえずさすがに眠いので寝る。
メモだけ書き留めとく。
北半球のオーロラをAurora Borealis、南半球のオーロラをAurora Australis という言い方をするらしい。葡語のツイートでオーロラをAurora Borealと書かれていたので、この呼び方はラテン語の系統なのかなと思う。
Borealisはボレアースと関係あるんだろう。ボレアースはギリシャ神話における風の神の一人で、北風、あるいは北方位を司るそうだ。wikipediaによれば、ギリシャ神話ではこの風と方位を表す神はまとめてアネモイと呼ぶらしい。
南北東西の順でBoreas、Notus、Euros、Zephyrosという名だ。南風の神がノトスである。ならば南半球のオーロラを言うにはノトスっぽい名前が……来ない。Australisときた。
ラテン語の南を意味する語はAustralisなので、南のオーロラ、という意味でそのままついたのかなという感じを受けるのだが、このAustralisという語も、由来を辿るとローマ神話における風と方位の神(総称してVenti)である南風の神Austerと係わりそうだ。
ローマ神話の風の神々Ventiは、さきほどのギリシャ神話のアネモイに相当する神であるようだが、名前はずいぶん別系統で、Aquilo、Auster、Vulturnus、Favoniusである。
それでラテン語では、南あるいは南風を司る神はAusterであり、南のオーロラを言うには、AustalisのAurora、という言い方になる。
一方、北あるいは北風を司る神はちゃんとローマ神話にもいて、Aquiloと呼ぶらしい。さらに、単に方位としての北や北風を指す語としてもaquilonarisとかseptentrionalisという語がある。
ちゃんと該当する語があるのに、ギリシャ語からの借用語だろうBoreasがわざわざ使われてるのは、なんでなんだろうな。
……これは多分だけど、地球には北半球と南半球があるということが分かってきたのも、オーロラという語が広がったのも、おそらく大航海時代のあとの話だ。つまりAurora Borealis/Australisという語は、ラテン語っぽいけどもローマ時代から使われていた語ではなく、近代に入って学術用語として造語?された言い方なのではないか。
ちょっとだけ、そんなことに興味が湧いたというか、より細かいディテールが知りたくて、なんでなん???と思ったのだが、深掘りするほどの追究意欲があるわけではないので、ここまでにしておく。
今日、2024年5月11日の夜は、本州のあちこちでオーロラの観測成功したそうで、何十年に一度レベルなので今もちょっと興奮冷めやらない。兵庫県での観測報告にはビビった。関東(那須高原)の報告でもびっくりしたのに、兵庫だって~!! 平安時代かよ!!(平安時代は地磁気の関係で今よりも日本で赤気=オーロラが見えやすい年代だったそうだ)
今回のオーロラ関連の話題を追ってて、いろいろ書きとめておきたいあれこれあったが、とりあえずさすがに眠いので寝る。
メモだけ書き留めとく。
北半球のオーロラをAurora Borealis、南半球のオーロラをAurora Australis という言い方をするらしい。葡語のツイートでオーロラをAurora Borealと書かれていたので、この呼び方はラテン語の系統なのかなと思う。
Borealisはボレアースと関係あるんだろう。ボレアースはギリシャ神話における風の神の一人で、北風、あるいは北方位を司るそうだ。wikipediaによれば、ギリシャ神話ではこの風と方位を表す神はまとめてアネモイと呼ぶらしい。
南北東西の順でBoreas、Notus、Euros、Zephyrosという名だ。南風の神がノトスである。ならば南半球のオーロラを言うにはノトスっぽい名前が……来ない。Australisときた。
ラテン語の南を意味する語はAustralisなので、南のオーロラ、という意味でそのままついたのかなという感じを受けるのだが、このAustralisという語も、由来を辿るとローマ神話における風と方位の神(総称してVenti)である南風の神Austerと係わりそうだ。
ローマ神話の風の神々Ventiは、さきほどのギリシャ神話のアネモイに相当する神であるようだが、名前はずいぶん別系統で、Aquilo、Auster、Vulturnus、Favoniusである。
それでラテン語では、南あるいは南風を司る神はAusterであり、南のオーロラを言うには、AustalisのAurora、という言い方になる。
一方、北あるいは北風を司る神はちゃんとローマ神話にもいて、Aquiloと呼ぶらしい。さらに、単に方位としての北や北風を指す語としてもaquilonarisとかseptentrionalisという語がある。
ちゃんと該当する語があるのに、ギリシャ語からの借用語だろうBoreasがわざわざ使われてるのは、なんでなんだろうな。
……これは多分だけど、地球には北半球と南半球があるということが分かってきたのも、オーロラという語が広がったのも、おそらく大航海時代のあとの話だ。つまりAurora Borealis/Australisという語は、ラテン語っぽいけどもローマ時代から使われていた語ではなく、近代に入って学術用語として造語?された言い方なのではないか。
ちょっとだけ、そんなことに興味が湧いたというか、より細かいディテールが知りたくて、なんでなん???と思ったのだが、深掘りするほどの追究意欲があるわけではないので、ここまでにしておく。
つまりさ。
おじさん、リーマン、社会人。
こういうあたりをうまく突いたら、こう、いい感じに同人的な萌え的ななにかをさ、うまく醸し出せる可能性がさ、ワンチャン……と思ったりは、その、ちょっと、ちょっとだけね、ちょっとだけだよ、した。
(同人っぽい同人を描くのに延々と憧れ続けている、ド下手クソな同人者なので)
そうなんだよ。
うちの推しの作品、あんなに妙齢のオジキャラに溢れているんだよ。
リーマン似合いそうだよ、もうゴメソリロハとか、バルディとか、スーツ着せたらさ、絶対似合うって。
……と思うが、といって提督たちにスーツを着せたところで女子にウケるおじさんかというと、まあその、そういうラインからはなんか少しズレてるかなってのは、なんとなく、こう、うすうすと……。多分、ひょうひょうとしてないからね、あんまり。あと表から見えない隠れた資質とかもそんなにない、だいたい見たまんまなキャラ(そこが好き)
ただ、これはゲ謎見るちょっと前からたまたま思ってた、というかたぶんポケモンSVでオモダカさんやアオキのスーツとかなんか良きわね、と思ったせいなんだけど、提督全員のスーツ姿見たいんだよな~、とは思ってる。
なら、同人の者なんだから、自分で描けばいいさ。そうさ。
だけどさ、なんせミゲルも入れたら9人分ものスーツ姿だよ……えっ、それぞれの体格や着こなしや好みの出てるスーツ姿を……??? そら見たいんだけどさ、自分では描けないんよ……スーツ描けないしそもそも人体描けないんだから。そんで、ちょっと前に描いた集合絵ですらあんなに時間掛かったのにスーツで全員とか、どんだけ時間かかると思……でもスーツ似合うと思うんだよ……だけど私に描く技量なんか……おおおお
いつかは描いてみたいよね、リーマン転生提督たち。だけど道のりが、どう見ても果てしなく遠い。
追記
そういえばこれは言っておかねばならないことなのだが、実のところネオアト同人の先駆者にして第一人者、つまり神であるのぐちさんの同人誌で、リーマンしてるロハソリゴメバルディは見ることができる。ありがたいの極みである。
https://www.pixiv.net/artworks/98638893
最近その1ページをしゃぶるように味わい尽くしているのだが、キャラ萌えオタは強欲なので、ジャケット、ジャケット着用場面もほし、ジャケット腕にかけてるとこも見たし、あと靴と腕時計とカバンも〜、そいからもちろん女子組のスーツ(ボトムはパンツスタイル)も見たい!とかそういう。そういう強欲の話をしている。
そんなに欲しきゃあ手前で描けよ!なんだが、自分に絵を描く能力が足りてなさすぎるので練習たくさんしなくてはスーツ書かれん、てので今ちょっと二の足を踏んでいる。あと、たまたまここ最近は、絵のらくがきより字をいっぱい書きな!というモードでという間の悪さもある。
おじさん、リーマン、社会人。
こういうあたりをうまく突いたら、こう、いい感じに同人的な萌え的ななにかをさ、うまく醸し出せる可能性がさ、ワンチャン……と思ったりは、その、ちょっと、ちょっとだけね、ちょっとだけだよ、した。
(同人っぽい同人を描くのに延々と憧れ続けている、ド下手クソな同人者なので)
そうなんだよ。
うちの推しの作品、あんなに妙齢のオジキャラに溢れているんだよ。
リーマン似合いそうだよ、もうゴメソリロハとか、バルディとか、スーツ着せたらさ、絶対似合うって。
……と思うが、といって提督たちにスーツを着せたところで女子にウケるおじさんかというと、まあその、そういうラインからはなんか少しズレてるかなってのは、なんとなく、こう、うすうすと……。多分、ひょうひょうとしてないからね、あんまり。あと表から見えない隠れた資質とかもそんなにない、だいたい見たまんまなキャラ(そこが好き)
ただ、これはゲ謎見るちょっと前からたまたま思ってた、というかたぶんポケモンSVでオモダカさんやアオキのスーツとかなんか良きわね、と思ったせいなんだけど、提督全員のスーツ姿見たいんだよな~、とは思ってる。
なら、同人の者なんだから、自分で描けばいいさ。そうさ。
だけどさ、なんせミゲルも入れたら9人分ものスーツ姿だよ……えっ、それぞれの体格や着こなしや好みの出てるスーツ姿を……??? そら見たいんだけどさ、自分では描けないんよ……スーツ描けないしそもそも人体描けないんだから。そんで、ちょっと前に描いた集合絵ですらあんなに時間掛かったのにスーツで全員とか、どんだけ時間かかると思……でもスーツ似合うと思うんだよ……だけど私に描く技量なんか……おおおお
いつかは描いてみたいよね、リーマン転生提督たち。だけど道のりが、どう見ても果てしなく遠い。
追記
そういえばこれは言っておかねばならないことなのだが、実のところネオアト同人の先駆者にして第一人者、つまり神であるのぐちさんの同人誌で、リーマンしてるロハソリゴメバルディは見ることができる。ありがたいの極みである。
https://www.pixiv.net/artworks/98638893
最近その1ページをしゃぶるように味わい尽くしているのだが、キャラ萌えオタは強欲なので、ジャケット、ジャケット着用場面もほし、ジャケット腕にかけてるとこも見たし、あと靴と腕時計とカバンも〜、そいからもちろん女子組のスーツ(ボトムはパンツスタイル)も見たい!とかそういう。そういう強欲の話をしている。
そんなに欲しきゃあ手前で描けよ!なんだが、自分に絵を描く能力が足りてなさすぎるので練習たくさんしなくてはスーツ書かれん、てので今ちょっと二の足を踏んでいる。あと、たまたまここ最近は、絵のらくがきより字をいっぱい書きな!というモードでという間の悪さもある。
ゲゲゲの謎がアマプラ配信に来てたので見た。
とりあえずの感想はブルースカイにざっくり書いたが、面白かったが私個人に関して言えば刺さるということはなく、いやよく出来てるし面白かったなあ、という通りいっぺん感想になる。これからちょっと長々とゲ謎について思ったあたりのことを書くが、こういうふうなので、非難ということはないのだが、大絶賛という感想でもない。とはいえ、あんまり自分のコアには刺さらなかったというだけであるし、なにより、作った人たちの努力や熱や愛が確かにある、と思えたので、良い作品だし気になった人はぜひ見てみるべきだよ!!!とは声を大にして言いたい。水木しげる作品や、妖怪やホラー、ミステリなどの全部、あるいはジャンルのどれか一つでも好きな人には確実に楽しめるし、それ以上になんか嬉しくなる作品だろうと思う。
思う、というなんだか歯切れの悪い表現をしてしまうのは作品の質に疑義があるわけではなく、単純に私が、あまりにもこのあたりのジャンルに知見も感覚もなさ過ぎて、文脈つかめてないところがかなりあるせいだ。
水木しげる作品については、鬼太郎のアニメ3期と、アニメ悪魔くん平成版、それからたまさか友達んちとかに転がってて読ませてもらったボンボンに載ってた鬼太郎の漫画(多分国盗り物語の飛び飛び数話)、あとなぜか墓場鬼太郎のガロ版の最初の方を、多分小学生のころに少しだけ読んでいる。そんな具合で、水木しげる作品についてそもそも語れるほどの知識がない人間の、ゲ謎へのぼんやりとまとまらない感想である。
そういう感じで、こんなにド素人なのにもかかわらず、配信来たなら見るべし、と気合いを入れてゲ謎を見たのは、やっぱり、あれだけ熱狂的なファンを増やす作品というのはなんかすごい、ちゃんと履修しておこうと思ったからだ。冬コミC103にサークル参加したのだが、そのとき見かけたすげえ行列がゲ謎列で、こんなにぶわっと燃え上がってる熱いジャンルには、やっぱ熱いうちに触れておきたいな、と。
結果として、なんでこんなにすごいこと沼が超高速拡大して盛り上がっているのか、正直ピンとは来てない。
ゲ謎を見終わってからちょこちょことツイッタなどで感想を検索してて知ったが、映画公開前にキャラクターヴィジュアルが発表された時点で、すでに(おもに女性のファン層の)ボルテージが上がっていたらしい。確かに、水木もゲゲ郎もなんていうかセクシー。カオが良い。立ち姿が良い。たたずまいにすでにキャラがある。つまりまず絵が良い。だから、アニメで、映画で、この丁寧な絵作りで、というのがそもそもまず良かったのだろうと思う。
私自身は、まず最初に、高度経済成長に向かう直前の日本の風景を描いた背景美術に見とれた。アニメーションとしても、細かな動きの描き方、その丁寧さが良いなと。ゲゲ郎が裏鬼道たちを相手に八面六臂で戦う場面の描線とか面白かった。あれ、なんでああいう主線だったんだろ? 意図はあまりよくわかってないが、でも、あの線にしたのなんとなく良い!かっこよ!!と思った。
物語全体については、ヒキが上手くて面白かったが、テーマを突き詰めるという点ではちょっとだけ焦点が複数ありすぎて、ボケみが出てしまったような感じは受けた。親の愛なのか、因業にからめとられる人間の性なのか、おどろおどろしい惨劇なのか、モダンになって暗がりが消えていく現世の、その縁に現出する、恐ろしく美しい妖怪や幽冥の国の気配についてなのか、正義と悪についてなのか。最大限にフォーカスを絞られているのがどのポイントか、最終的には物語のなかでちょっと掴めなかったところがある。とはいえ、話おもしろ!グイグイ観ちゃうわ!!とはとても感じたので、語りがとても上手な、良い作品だと思う。
この作品で一番、いいなと思ったのは、水木にしろ、ゲゲ郎にしろ、彼らがゆるぎなく善性を保ち続けるキャラだったことだ。二人ともとにかく良いヤツなのだ。ゲゲ郎の奥さんも、ゲゲ郎の回想として語られる彼女はとてもまっすぐで強くて、愛情の深い人である。これはすごくポイントで、どれだけ自分の目的があっても、そのために弱い者を見捨てたり看過することはない彼らという根っこが、この物語の魅力を根本で支えていたように思う。子供たちの味方である鬼太郎を産み育てた彼らは親として、鬼太郎の在り方のルーツとして、そういう存在であるべき登場人物だったのだ。
彼らのその根っこを崩さないがために、悪側の芯のほうはやや平面に描かれてしまったのだろうか、とも思う部分はあるが、この物語において、悪の悪たることの理屈やその始末、人の悪性や因業にあまりに深く焦点を当てて描いてしまえば、それはおそらく、鬼太郎が人間のために力を振るいつづける根にあるもの、という物語からはズレてしまうのではないか。この物語は、ヒーローとして立つ鬼太郎が誕生するまでについての物語なのだから、鬼太郎をかくヒーローたらしめた、ルーツとしての親たちの物語であって良いのだろうと思う。
まあ、それにしてもなんでこんな爆発的にウケたんだろ、って思って観てて、すごくピンときたわけじゃないけどなんとなくわかる、と思ったのは、壮年期ビジネスマンとか、会社組織に与しながらも自分の道をしっかり持ってるリーマン、てな属性や記号が放つ色気と魔力ってあるんだなとか。制服とかスーツとかちょっとかっちりめの服で、でもビシっと決まってるわけでもなく時にくたびれてたりもして、しかし不潔な印象はないっていう。そんでマイペース、そのマイペースを保てる精神や経験値というゆとり。五郎さんとか虎徹さんとか、ポケモンSVのアオキとか、あと古くからだとパトレイバーの後藤さんとか……てなことをぽわぽわと思った。
単純なひとことでいえば、おじさんの魅力ってやつなのかな。ただしおじさんの魅力ってのは、マッチョさやセクシーさではないところにある。ちょい悪だのダンディだのイケオジというのは、男性としての性的魅力が思いっきり面に出てるかっこよさ評価軸だが、おじさんの魅力は、それとはだいぶ違う評価軸にあると思う。
雄々しさや力強さではなく静けさや優しさ。女々しかったり泣き言いったりダメなとこもあるかわいげ。なおかつ決めるとこで決めれるプロフェッショナリズムという芯。そして世慣れしているからこそいろいろ見えていて、ときに冷厳なくらいにものごとをわきまえている冷静さ、とかそういう。
雄々しく強いたくましさやかっこよさではなく、パッとしないのにしたたかに世間の波を乗りこなしてきたのがわかる、しぶとさや頼もしさが垣間見える、大人らしさのチラリズム、がおじさんの良さみの評価軸だと思う。
組織の理屈や世間の低評価や心身の衰えなんかに、ヒーコラぶつくさいいながらも、肝心なとこではしっかりバッチリ決めれる働くおじさん、そういうキャラは魅力的だ。
個人的にはゲ謎の水木は、表面的にはギラギラの野心あるし、おじさんというには見た目も言動もわりと若い人のほうに寄って見えているけども、作品世界の中では若者とは言えない中堅リーマンに差し掛かりつつあるだろうからなあ、と。また同時に、彼の魅力は、バリバリのやり手リーマンとしての如才のなさや野心のギラつきにあるわけではなく(ゼロでもないとは思うが)、田舎の奇習だの怪事件だの振り回され狼狽する姿だとか、駆けずり回らなきゃならない羽目になってぶつくさ言いながらも生真面目にできる限りのことを果たす誠実さだとか、彼が表面上抱く野心の底に記憶の傷の痛みを抱き続けているところとか、その故に屈折してたり世間全般に対して皮肉な気持ちも持っているにもかかわらず折れきりはしない心意気がどんどん現れてくるあたりにあるんだろうなあと思う。
あとは、そう、背の高いヒョロが着流しをこなれた着こなしでアクションしてるのはやっぱいいよな、色気あるよね。とか。しかも奥さんラブで一途だったり、そうでありながら水木に対してなんだかんだ面倒見良かったり。ひょうひょうとしてるのに、見込んだ人間にはちゃんと親切丁寧なキャラ、魅力的でないはずもなく。
そういうあたり、ぼんやり、ぼんやりだけども、なんとなくわかるような。
あれだけの熱狂を生み出したゲ謎について、おそらく熱狂の渦を生んだその最大のポイントだろうあたりについて、こんなにすごくぼんやりしか感得できなくて、なんだか申し訳ないような、肩身の狭いような、自分の感性やセンスの乏しさにしょぼくれる気分もちょっとあるけども、なんにせよ同人界隈がうわーっと湧くような名作を同時代に享受できてるの、なんかすごく嬉しいような、わくわくするような気分もちょっとあるんだ。
とりあえずの感想はブルースカイにざっくり書いたが、面白かったが私個人に関して言えば刺さるということはなく、いやよく出来てるし面白かったなあ、という通りいっぺん感想になる。これからちょっと長々とゲ謎について思ったあたりのことを書くが、こういうふうなので、非難ということはないのだが、大絶賛という感想でもない。とはいえ、あんまり自分のコアには刺さらなかったというだけであるし、なにより、作った人たちの努力や熱や愛が確かにある、と思えたので、良い作品だし気になった人はぜひ見てみるべきだよ!!!とは声を大にして言いたい。水木しげる作品や、妖怪やホラー、ミステリなどの全部、あるいはジャンルのどれか一つでも好きな人には確実に楽しめるし、それ以上になんか嬉しくなる作品だろうと思う。
思う、というなんだか歯切れの悪い表現をしてしまうのは作品の質に疑義があるわけではなく、単純に私が、あまりにもこのあたりのジャンルに知見も感覚もなさ過ぎて、文脈つかめてないところがかなりあるせいだ。
水木しげる作品については、鬼太郎のアニメ3期と、アニメ悪魔くん平成版、それからたまさか友達んちとかに転がってて読ませてもらったボンボンに載ってた鬼太郎の漫画(多分国盗り物語の飛び飛び数話)、あとなぜか墓場鬼太郎のガロ版の最初の方を、多分小学生のころに少しだけ読んでいる。そんな具合で、水木しげる作品についてそもそも語れるほどの知識がない人間の、ゲ謎へのぼんやりとまとまらない感想である。
そういう感じで、こんなにド素人なのにもかかわらず、配信来たなら見るべし、と気合いを入れてゲ謎を見たのは、やっぱり、あれだけ熱狂的なファンを増やす作品というのはなんかすごい、ちゃんと履修しておこうと思ったからだ。冬コミC103にサークル参加したのだが、そのとき見かけたすげえ行列がゲ謎列で、こんなにぶわっと燃え上がってる熱いジャンルには、やっぱ熱いうちに触れておきたいな、と。
結果として、なんでこんなにすごいこと沼が超高速拡大して盛り上がっているのか、正直ピンとは来てない。
ゲ謎を見終わってからちょこちょことツイッタなどで感想を検索してて知ったが、映画公開前にキャラクターヴィジュアルが発表された時点で、すでに(おもに女性のファン層の)ボルテージが上がっていたらしい。確かに、水木もゲゲ郎もなんていうかセクシー。カオが良い。立ち姿が良い。たたずまいにすでにキャラがある。つまりまず絵が良い。だから、アニメで、映画で、この丁寧な絵作りで、というのがそもそもまず良かったのだろうと思う。
私自身は、まず最初に、高度経済成長に向かう直前の日本の風景を描いた背景美術に見とれた。アニメーションとしても、細かな動きの描き方、その丁寧さが良いなと。ゲゲ郎が裏鬼道たちを相手に八面六臂で戦う場面の描線とか面白かった。あれ、なんでああいう主線だったんだろ? 意図はあまりよくわかってないが、でも、あの線にしたのなんとなく良い!かっこよ!!と思った。
物語全体については、ヒキが上手くて面白かったが、テーマを突き詰めるという点ではちょっとだけ焦点が複数ありすぎて、ボケみが出てしまったような感じは受けた。親の愛なのか、因業にからめとられる人間の性なのか、おどろおどろしい惨劇なのか、モダンになって暗がりが消えていく現世の、その縁に現出する、恐ろしく美しい妖怪や幽冥の国の気配についてなのか、正義と悪についてなのか。最大限にフォーカスを絞られているのがどのポイントか、最終的には物語のなかでちょっと掴めなかったところがある。とはいえ、話おもしろ!グイグイ観ちゃうわ!!とはとても感じたので、語りがとても上手な、良い作品だと思う。
この作品で一番、いいなと思ったのは、水木にしろ、ゲゲ郎にしろ、彼らがゆるぎなく善性を保ち続けるキャラだったことだ。二人ともとにかく良いヤツなのだ。ゲゲ郎の奥さんも、ゲゲ郎の回想として語られる彼女はとてもまっすぐで強くて、愛情の深い人である。これはすごくポイントで、どれだけ自分の目的があっても、そのために弱い者を見捨てたり看過することはない彼らという根っこが、この物語の魅力を根本で支えていたように思う。子供たちの味方である鬼太郎を産み育てた彼らは親として、鬼太郎の在り方のルーツとして、そういう存在であるべき登場人物だったのだ。
彼らのその根っこを崩さないがために、悪側の芯のほうはやや平面に描かれてしまったのだろうか、とも思う部分はあるが、この物語において、悪の悪たることの理屈やその始末、人の悪性や因業にあまりに深く焦点を当てて描いてしまえば、それはおそらく、鬼太郎が人間のために力を振るいつづける根にあるもの、という物語からはズレてしまうのではないか。この物語は、ヒーローとして立つ鬼太郎が誕生するまでについての物語なのだから、鬼太郎をかくヒーローたらしめた、ルーツとしての親たちの物語であって良いのだろうと思う。
まあ、それにしてもなんでこんな爆発的にウケたんだろ、って思って観てて、すごくピンときたわけじゃないけどなんとなくわかる、と思ったのは、壮年期ビジネスマンとか、会社組織に与しながらも自分の道をしっかり持ってるリーマン、てな属性や記号が放つ色気と魔力ってあるんだなとか。制服とかスーツとかちょっとかっちりめの服で、でもビシっと決まってるわけでもなく時にくたびれてたりもして、しかし不潔な印象はないっていう。そんでマイペース、そのマイペースを保てる精神や経験値というゆとり。五郎さんとか虎徹さんとか、ポケモンSVのアオキとか、あと古くからだとパトレイバーの後藤さんとか……てなことをぽわぽわと思った。
単純なひとことでいえば、おじさんの魅力ってやつなのかな。ただしおじさんの魅力ってのは、マッチョさやセクシーさではないところにある。ちょい悪だのダンディだのイケオジというのは、男性としての性的魅力が思いっきり面に出てるかっこよさ評価軸だが、おじさんの魅力は、それとはだいぶ違う評価軸にあると思う。
雄々しさや力強さではなく静けさや優しさ。女々しかったり泣き言いったりダメなとこもあるかわいげ。なおかつ決めるとこで決めれるプロフェッショナリズムという芯。そして世慣れしているからこそいろいろ見えていて、ときに冷厳なくらいにものごとをわきまえている冷静さ、とかそういう。
雄々しく強いたくましさやかっこよさではなく、パッとしないのにしたたかに世間の波を乗りこなしてきたのがわかる、しぶとさや頼もしさが垣間見える、大人らしさのチラリズム、がおじさんの良さみの評価軸だと思う。
組織の理屈や世間の低評価や心身の衰えなんかに、ヒーコラぶつくさいいながらも、肝心なとこではしっかりバッチリ決めれる働くおじさん、そういうキャラは魅力的だ。
個人的にはゲ謎の水木は、表面的にはギラギラの野心あるし、おじさんというには見た目も言動もわりと若い人のほうに寄って見えているけども、作品世界の中では若者とは言えない中堅リーマンに差し掛かりつつあるだろうからなあ、と。また同時に、彼の魅力は、バリバリのやり手リーマンとしての如才のなさや野心のギラつきにあるわけではなく(ゼロでもないとは思うが)、田舎の奇習だの怪事件だの振り回され狼狽する姿だとか、駆けずり回らなきゃならない羽目になってぶつくさ言いながらも生真面目にできる限りのことを果たす誠実さだとか、彼が表面上抱く野心の底に記憶の傷の痛みを抱き続けているところとか、その故に屈折してたり世間全般に対して皮肉な気持ちも持っているにもかかわらず折れきりはしない心意気がどんどん現れてくるあたりにあるんだろうなあと思う。
あとは、そう、背の高いヒョロが着流しをこなれた着こなしでアクションしてるのはやっぱいいよな、色気あるよね。とか。しかも奥さんラブで一途だったり、そうでありながら水木に対してなんだかんだ面倒見良かったり。ひょうひょうとしてるのに、見込んだ人間にはちゃんと親切丁寧なキャラ、魅力的でないはずもなく。
そういうあたり、ぼんやり、ぼんやりだけども、なんとなくわかるような。
あれだけの熱狂を生み出したゲ謎について、おそらく熱狂の渦を生んだその最大のポイントだろうあたりについて、こんなにすごくぼんやりしか感得できなくて、なんだか申し訳ないような、肩身の狭いような、自分の感性やセンスの乏しさにしょぼくれる気分もちょっとあるけども、なんにせよ同人界隈がうわーっと湧くような名作を同時代に享受できてるの、なんかすごく嬉しいような、わくわくするような気分もちょっとあるんだ。
ポケモンSV、とりあえずクリア。
3つのシナリオルート全部を終えると始まる最終シナリオ「ザ・ホームウェイ」は予想してたが泣けた。ペパーの今後に幸いあれ。
ホームウェイ前の3シナリオの一つ、チャンピオンロードではトップチャンピオンであるオモダカさんとの対戦があるが、やっぱりオモダカさんのルックス、ド好みいいい!!ってなった。対戦時の相手トレーナー演出、コツコツ歩いてくる磨かれた靴先から入るところからして最高なんじゃ。テラスタルするときのオモダカさん最強にかっこええし。
キャラクタも、エネルギッシュかつしなやかしたたか強火リーダーキャラでおもしろかった。セリフの端々で、バトルジャンキーかつワーカホリックで、きっと物心ついたときから尋常ではなく異常にポケモンバトルが好きな天才、というネモと共通するところが一貫していて良い。そんなオモダカさんも、裏設定では髪にキラーメ絡まってるときがあったり、ポピちゃんがオモダカちゃんの絵を描いてくれる、と聞くと額縁を誂えようとしたりするド天然であるらしいので、そのド天然なズレっぷりでいえばネモよりちょっとだけ隙があるのかもしれない(ネモもド天然なんだろうけど、それ以上にバトルジャンキーとしての研ぎ澄まされ具合が半端なくて、ド天然要素の陰が薄い)。
オモダカさんが、ジムリーダーたちにさほど親しみを持たれてるわけでもなさそうなところもなんかいい描き方だった。自分がバッキバキのパワーファイターかつ人を上手いこと使うので、嫌われてるとまではいわないけど親しみは持てない、気を許す気にはなれないが合理性もカリスマもあるのはわかるので皆ついてく、そういうリーダーらしさの描き方が上手いなと思った。
四天王は、チリちゃんがいないとマジでまとまらなくない!?という感じだったので、ほんとチリちゃん右腕役として有能だというのを知った。ていうか9歳児ポピーちゃんが四天王にいるのマジでなんなの。かわいいけど。ほんとかわいいけど。ハッサク先生は、ドラゴーン!の意味全然わかんないけど、授業の時の落ち着きが嘘のような感動屋さんぶり超良かった。好き。アオキはクセのあるキャラでおもしろい。「社会人お得意の技」とか、セリフがいちいち面白い。あとアオキにはポケモンバトルでも苦戦させられたので、目立たないフリしてなんだこのくせ者って感じだった。
全体に、シナリオもキャラクタにも嫌みや陰りがあまりなく、ベタっとしたところがなくて、とにかくさっぱりドライな感じなのは面白かったし、好き。なにより、個人が個人として、それぞれの意志で人生を歩いていく、それが物語のなかで称揚されていたのは良いなあと思った。これから育っていく子供世代にとっても良いと思うけど、大人世代にとっても、何歳になったって夢中になれることがあるって良い、という語りがちょいちょい出てくるので、よっしゃそだながんばる!って気になれる。
一方、ポケモンであれそれ以外のものであれ、とにかく前向きで、理想をめざす、高みを見てがんばりつづける、夢を目指し続ける、が基底の理念すぎて、遊んでて、この圧倒的な前向き姿勢にめげるタイプの人もいるだろうなあとも思った(私もそういう部分はあるが、光あれ!と理想を抱き続けること自体には基本、肯定的なのでなんとかついていけた感)
教室には、バトルよりポケモン見てるほうが好き、とか言ってるモブもいるし、ゆるふわな生き方も否定はされていないのだろう。とはいえ、考えてみるとわりと強烈に「良く生きるべき」ことが押し出されてくるので、煤けた大人にはくたびれる部分もなくはないし、子供のなかにも、この概念だけを大きめに受け取って、押しつぶされるような気持ちになる子はいるかもしれない。とはいえ世の中実際に、良くかどうかはともかく「生きる」ためにがんばって、やっとどうにかついていけるというところはあるので、そのへん、リアリティあるっちゃあるなあ、とも思う。
(ちょうど、twitterで、このへんに近接しそうな連ツイ見かけたのでメモ代わりに貼っておく。
これは、小学生女子向けの、人に好かれる自分になるためのハンドブック的な本について書かれたコメントなのだが、その論評を読む限り、この本というのは、良き人、練れた人になる手法について相当よく書かれた本らしい。大人にも参考になるらしいが、それはさておきこおのようによりよき自分へと、人格と能力を鍛え形成していくことには、人間社会が要請する「自己家畜化」という側面もあるのだということに触れている。なお、リプのなかで、そうはいってもこの本は、その自己家畜化に対してどう距離を置くかについても意識がありそうで、実に子供に対して誠実な作りなのではないか……という論評もついてて、おもしろかった。
https://twitter.com/OKtamajun/status/178...)
あ、書き忘れてたけど、ポケモンSVという作品のなにが一番って、パルデアという空間の風景がとにかく美しくて、オープンワールドであっちこっち駆け回るのが本当に楽しかったし、ピクニック機能とか天才かな!!ってなった。しょっちゅうピクニックしてた。音楽もよい。風景も音楽も、開放感と光に満ちている。
オモダカさんが、パルデアに光あれ、と言うようなことをちょいちょい言うのは、わかる気がした。それくらい魅力的なワールドとして描かれているので、携帯ゲーム機でここまでの世界で遊べる世の中になっちゃってるんだなあ、ってことにまず感動してる。
3つのシナリオルート全部を終えると始まる最終シナリオ「ザ・ホームウェイ」は予想してたが泣けた。ペパーの今後に幸いあれ。
ホームウェイ前の3シナリオの一つ、チャンピオンロードではトップチャンピオンであるオモダカさんとの対戦があるが、やっぱりオモダカさんのルックス、ド好みいいい!!ってなった。対戦時の相手トレーナー演出、コツコツ歩いてくる磨かれた靴先から入るところからして最高なんじゃ。テラスタルするときのオモダカさん最強にかっこええし。
キャラクタも、エネルギッシュかつしなやかしたたか強火リーダーキャラでおもしろかった。セリフの端々で、バトルジャンキーかつワーカホリックで、きっと物心ついたときから尋常ではなく異常にポケモンバトルが好きな天才、というネモと共通するところが一貫していて良い。そんなオモダカさんも、裏設定では髪にキラーメ絡まってるときがあったり、ポピちゃんがオモダカちゃんの絵を描いてくれる、と聞くと額縁を誂えようとしたりするド天然であるらしいので、そのド天然なズレっぷりでいえばネモよりちょっとだけ隙があるのかもしれない(ネモもド天然なんだろうけど、それ以上にバトルジャンキーとしての研ぎ澄まされ具合が半端なくて、ド天然要素の陰が薄い)。
オモダカさんが、ジムリーダーたちにさほど親しみを持たれてるわけでもなさそうなところもなんかいい描き方だった。自分がバッキバキのパワーファイターかつ人を上手いこと使うので、嫌われてるとまではいわないけど親しみは持てない、気を許す気にはなれないが合理性もカリスマもあるのはわかるので皆ついてく、そういうリーダーらしさの描き方が上手いなと思った。
四天王は、チリちゃんがいないとマジでまとまらなくない!?という感じだったので、ほんとチリちゃん右腕役として有能だというのを知った。ていうか9歳児ポピーちゃんが四天王にいるのマジでなんなの。かわいいけど。ほんとかわいいけど。ハッサク先生は、ドラゴーン!の意味全然わかんないけど、授業の時の落ち着きが嘘のような感動屋さんぶり超良かった。好き。アオキはクセのあるキャラでおもしろい。「社会人お得意の技」とか、セリフがいちいち面白い。あとアオキにはポケモンバトルでも苦戦させられたので、目立たないフリしてなんだこのくせ者って感じだった。
全体に、シナリオもキャラクタにも嫌みや陰りがあまりなく、ベタっとしたところがなくて、とにかくさっぱりドライな感じなのは面白かったし、好き。なにより、個人が個人として、それぞれの意志で人生を歩いていく、それが物語のなかで称揚されていたのは良いなあと思った。これから育っていく子供世代にとっても良いと思うけど、大人世代にとっても、何歳になったって夢中になれることがあるって良い、という語りがちょいちょい出てくるので、よっしゃそだながんばる!って気になれる。
一方、ポケモンであれそれ以外のものであれ、とにかく前向きで、理想をめざす、高みを見てがんばりつづける、夢を目指し続ける、が基底の理念すぎて、遊んでて、この圧倒的な前向き姿勢にめげるタイプの人もいるだろうなあとも思った(私もそういう部分はあるが、光あれ!と理想を抱き続けること自体には基本、肯定的なのでなんとかついていけた感)
教室には、バトルよりポケモン見てるほうが好き、とか言ってるモブもいるし、ゆるふわな生き方も否定はされていないのだろう。とはいえ、考えてみるとわりと強烈に「良く生きるべき」ことが押し出されてくるので、煤けた大人にはくたびれる部分もなくはないし、子供のなかにも、この概念だけを大きめに受け取って、押しつぶされるような気持ちになる子はいるかもしれない。とはいえ世の中実際に、良くかどうかはともかく「生きる」ためにがんばって、やっとどうにかついていけるというところはあるので、そのへん、リアリティあるっちゃあるなあ、とも思う。
(ちょうど、twitterで、このへんに近接しそうな連ツイ見かけたのでメモ代わりに貼っておく。
これは、小学生女子向けの、人に好かれる自分になるためのハンドブック的な本について書かれたコメントなのだが、その論評を読む限り、この本というのは、良き人、練れた人になる手法について相当よく書かれた本らしい。大人にも参考になるらしいが、それはさておきこおのようによりよき自分へと、人格と能力を鍛え形成していくことには、人間社会が要請する「自己家畜化」という側面もあるのだということに触れている。なお、リプのなかで、そうはいってもこの本は、その自己家畜化に対してどう距離を置くかについても意識がありそうで、実に子供に対して誠実な作りなのではないか……という論評もついてて、おもしろかった。
https://twitter.com/OKtamajun/status/178...)
あ、書き忘れてたけど、ポケモンSVという作品のなにが一番って、パルデアという空間の風景がとにかく美しくて、オープンワールドであっちこっち駆け回るのが本当に楽しかったし、ピクニック機能とか天才かな!!ってなった。しょっちゅうピクニックしてた。音楽もよい。風景も音楽も、開放感と光に満ちている。
オモダカさんが、パルデアに光あれ、と言うようなことをちょいちょい言うのは、わかる気がした。それくらい魅力的なワールドとして描かれているので、携帯ゲーム機でここまでの世界で遊べる世の中になっちゃってるんだなあ、ってことにまず感動してる。
ポケモンSV、ぬしシリーズもジムリシリーズも完了して、いよいよエリアゼロ。とはいえエリアゼロは苦戦しそうだから、少し態勢ととのえてからかかろうかという感じ。
チャンピオンロードでのオモダカさん戦、オモダカさんかっこよくて見惚れちゃった。あと自分の手持ちの構成が良くないせいではあるけど、ジムリ編でも四天王編でも、アオキになんかやたら苦労させられた気がする。
チリちゃんの面接からのドオー隆起せい!かっこよかったし、ポピーちゃんはやっぱかわいかったし、ハッサク先生の号泣も見れたしチャンピオンロード楽しかったな。
それにしてもポマスでチリちゃんがスカウト断るときに、パルデアリーグは自分がいないと……みたいなこと言ってたけど、SVで四天王戦クリアしてみて、ほんとにそう過ぎてびっくりしちゃったよ。チリちゃんがすべての人をがっつりフォローしてくれている。頼もしいよチリちゃんさん。
エリアゼロでは、ペパー、ボタン、ネモちとの四人旅になる、と思うんだけど(この先についてはそれ以外、ほとんど情報を入れてない)この三名もそれぞれ思い入れあるから、一緒にエリアゼロに向かえることのワクワクドキドキ感はんぱないな。この感触、昔のファミコン時代のゲームの感覚思い出す感じある。
終盤、きっとラスボスがいるだろう禁足地に入っていくこの独特の、緊張と冒険のワクワクと、そして寂しさのような。
チャンピオンロードでのオモダカさん戦、オモダカさんかっこよくて見惚れちゃった。あと自分の手持ちの構成が良くないせいではあるけど、ジムリ編でも四天王編でも、アオキになんかやたら苦労させられた気がする。
チリちゃんの面接からのドオー隆起せい!かっこよかったし、ポピーちゃんはやっぱかわいかったし、ハッサク先生の号泣も見れたしチャンピオンロード楽しかったな。
それにしてもポマスでチリちゃんがスカウト断るときに、パルデアリーグは自分がいないと……みたいなこと言ってたけど、SVで四天王戦クリアしてみて、ほんとにそう過ぎてびっくりしちゃったよ。チリちゃんがすべての人をがっつりフォローしてくれている。頼もしいよチリちゃんさん。
エリアゼロでは、ペパー、ボタン、ネモちとの四人旅になる、と思うんだけど(この先についてはそれ以外、ほとんど情報を入れてない)この三名もそれぞれ思い入れあるから、一緒にエリアゼロに向かえることのワクワクドキドキ感はんぱないな。この感触、昔のファミコン時代のゲームの感覚思い出す感じある。
終盤、きっとラスボスがいるだろう禁足地に入っていくこの独特の、緊張と冒険のワクワクと、そして寂しさのような。
ちょっと前から、ポケモンSV遊んでる。
世代的にポケモン世代ではないので、ポケモンは今までほとんど通ってこなかった。ポケGoとかポケスリ、そしてなぜかポケマスを遊んでるのだが、スピンオフとかじゃないポケモン本流は初めて遊んでいる。
以前から、いつか遊ぼうというぼんやりとした気持ちはあったものの、唐突に購入に踏み切らせたのは、オモダカさんというキャラクターのヴィジュアルを知ったため。高身長スレンダー黒スーツ目鼻立ちくっきりの褐色ミステリアスイケメン美女、トップチャンピオンの圧と髪の毛の量がすごい人。好みど真ん中の見た目すぎて……(かっこよさで人気のチリちゃんは、確かにかっこいいと思うし良いキャラなんだけども、私のヘキのど真ん中ではなかった)
それにしてもこのゲームはほんとによくできてて、楽しみながら感心しまくりながら遊んでる。
他のシリーズ作品がみんなこんなに光属性なのかはわからないけど、シナリオがとにかく優しくて前向きで、信頼を前面に掲げている。
ポケマス遊んでても、登場する歴代トレーナーたちがことごとくえらいポジティブなので、たぶんポケモンシリーズの基調がこうなのだろうとは推測するが、SVはとりわけ、人への信頼、あるいは信頼への祈りのようななにか、そんなものを感じる。
今は、ヌシ、ボス、ジムリはクリアして、シナリオとしてはスターダストストリートを完了した段階にいる。あと、学校の授業も期末試験終わらせた。
物語は、随所に泣かせるところがあって、ハッサク先生みたいにうボォおいオイ…!てなりながら進めてる。
これは、単に泣かせの効いた話ということじゃなく(泣かせの効いた話ではあるんだが)、展開からセリフの細部まで、このゲームを遊ぶ子供たちに、できれば世の中と他者を信じたりしてほしい、そしてのびのび自分を発揮して生きてほしいという願いがあるように思えるからだ。
特に個人的に一番グッときてるのは、生涯学習についての全面的肯定がはっきりあるところ。主人公は学校に通い始めた若い生徒という設定だが(中学生1年生くらいの設定かな?)、学校に通うにははどうやら年齢制限はないらしく、幼児くらいの子も、労働者も、高齢者もいて、それぞれが必要な学びを得ている。働いてる人は夜も学校が開いてるから助かる、的なことを言って夜間の図書室で本を探しているし、じいさんやばあさんも、主人公と同じように制服をつけて、宝探しのカリキュラムを楽しんでいる。
もちろん男女差も特にない。性差に関しての表現はだいぶフラットで、男らしい、女らしい、みたいなものを感じる描写はほとんどない。
社会というのは、みんながそれぞれの人生をのびやかに生きるそのために形成されたものなんだ、これから社会に出て生きていく子たちにそういう社会よあれ、ということを訴えているようで、そこが涙腺にクる。
まあまだ、物語の終わりまで達したわけじゃないのであまりあれこれ言えない段階だが、なんていうかこの、信頼、が基底にあるように思えて、それはこの物語や描かれる世界全体もそうだけど、作品の作り手から遊び手に向けてもなんだか厚い信頼が向けられてるような気がしてて、なんかそれがね、グッとね……
とりあえず、学校の先生たちみんな良いキャラで好きだわ。
今のとこ、先生たちで一番好きなのはクラベル校長かもしんない。ハッサク先生とサワロ先生も好きだな。うーんオッサンばかりだ……
あ、ミモザ先生も好き。夢を諦めない。あと見た目もキュート。
四天王はこれから本格的に対戦していくので、四天王戦超えたらまたいろいろ新しい感想出てくるだろうけど、とりあえずポピーちゃんかわいすぎる。
四天王戦に臨むにはまだちょっと育成が心もとなくて、しばらくは手持ちたちのレベル上げ作業しなきゃな感じだけど、早く四天王の人たちのセリフ見たいな〜。四天王たちを束ねるボスであるオモダカさんの出番も増えるだろうから……
世代的にポケモン世代ではないので、ポケモンは今までほとんど通ってこなかった。ポケGoとかポケスリ、そしてなぜかポケマスを遊んでるのだが、スピンオフとかじゃないポケモン本流は初めて遊んでいる。
以前から、いつか遊ぼうというぼんやりとした気持ちはあったものの、唐突に購入に踏み切らせたのは、オモダカさんというキャラクターのヴィジュアルを知ったため。高身長スレンダー黒スーツ目鼻立ちくっきりの褐色ミステリアスイケメン美女、トップチャンピオンの圧と髪の毛の量がすごい人。好みど真ん中の見た目すぎて……(かっこよさで人気のチリちゃんは、確かにかっこいいと思うし良いキャラなんだけども、私のヘキのど真ん中ではなかった)
それにしてもこのゲームはほんとによくできてて、楽しみながら感心しまくりながら遊んでる。
他のシリーズ作品がみんなこんなに光属性なのかはわからないけど、シナリオがとにかく優しくて前向きで、信頼を前面に掲げている。
ポケマス遊んでても、登場する歴代トレーナーたちがことごとくえらいポジティブなので、たぶんポケモンシリーズの基調がこうなのだろうとは推測するが、SVはとりわけ、人への信頼、あるいは信頼への祈りのようななにか、そんなものを感じる。
今は、ヌシ、ボス、ジムリはクリアして、シナリオとしてはスターダストストリートを完了した段階にいる。あと、学校の授業も期末試験終わらせた。
物語は、随所に泣かせるところがあって、ハッサク先生みたいにうボォおいオイ…!てなりながら進めてる。
これは、単に泣かせの効いた話ということじゃなく(泣かせの効いた話ではあるんだが)、展開からセリフの細部まで、このゲームを遊ぶ子供たちに、できれば世の中と他者を信じたりしてほしい、そしてのびのび自分を発揮して生きてほしいという願いがあるように思えるからだ。
特に個人的に一番グッときてるのは、生涯学習についての全面的肯定がはっきりあるところ。主人公は学校に通い始めた若い生徒という設定だが(中学生1年生くらいの設定かな?)、学校に通うにははどうやら年齢制限はないらしく、幼児くらいの子も、労働者も、高齢者もいて、それぞれが必要な学びを得ている。働いてる人は夜も学校が開いてるから助かる、的なことを言って夜間の図書室で本を探しているし、じいさんやばあさんも、主人公と同じように制服をつけて、宝探しのカリキュラムを楽しんでいる。
もちろん男女差も特にない。性差に関しての表現はだいぶフラットで、男らしい、女らしい、みたいなものを感じる描写はほとんどない。
社会というのは、みんながそれぞれの人生をのびやかに生きるそのために形成されたものなんだ、これから社会に出て生きていく子たちにそういう社会よあれ、ということを訴えているようで、そこが涙腺にクる。
まあまだ、物語の終わりまで達したわけじゃないのであまりあれこれ言えない段階だが、なんていうかこの、信頼、が基底にあるように思えて、それはこの物語や描かれる世界全体もそうだけど、作品の作り手から遊び手に向けてもなんだか厚い信頼が向けられてるような気がしてて、なんかそれがね、グッとね……
とりあえず、学校の先生たちみんな良いキャラで好きだわ。
今のとこ、先生たちで一番好きなのはクラベル校長かもしんない。ハッサク先生とサワロ先生も好きだな。うーんオッサンばかりだ……
あ、ミモザ先生も好き。夢を諦めない。あと見た目もキュート。
四天王はこれから本格的に対戦していくので、四天王戦超えたらまたいろいろ新しい感想出てくるだろうけど、とりあえずポピーちゃんかわいすぎる。
四天王戦に臨むにはまだちょっと育成が心もとなくて、しばらくは手持ちたちのレベル上げ作業しなきゃな感じだけど、早く四天王の人たちのセリフ見たいな〜。四天王たちを束ねるボスであるオモダカさんの出番も増えるだろうから……
『アラビアのロレンス』を見た。
めちゃくちゃ感想書きたいが、アホみたいな長い駄文を書き綴りそうなので、なるたけ端的に書くよう、がんばる。
なお、もはや古典と化した名作と思うので、以下、ネタバレを避けようとかそういうのは全く考えずに書くことにする。
見て良かった。ほんと揺るぎない偉大な作品で、今見てもめちゃくちゃ面白い。
名作ゆえ、いつか見たほうが良いと思ってはきたが、3時間半以上もある(完全版)というのに怯んでいた。が、実際見て見ると、見ている時間がまったく苦にならない面白さ、すばらしさだった。
なにがって風景が……なんだあのロングショット。砂漠の風景。人とラクダが点みたいに見える幅広スケールで、すごい長回しで捉える荒涼としたアラビアの風景。一気にその場に自分の眼がいるような気になる。すげー撮り方だ……。
現在のところ、CGではあの感じを出すことは多分まだできない。おそらくどこかでほんのちょっと作りものめいてしまう。アラビアのロレンスは1960年代の映画なので、セットやちょっとした合成(夜空とかはそうだったね)はあるとしても、映されているのは実際にそこにある(あった)風景である。とはいえ、どうやったらあんなふうに撮れるんだろうという……。
撮影された砂漠の風景だけでも、もはや文化財、人類の資産のひとつだ……と序盤からクラクラした。
それでも、そんな映像のすばらしさと圧倒にもぜんぜん負けない、物語の骨太さ、語り口の強さ。俳優たちの演技の巧みさも、物語を強力に推し進める力になっている。
なんといってもピーター・オトゥールが演じるロレンスの存在が発するオーラ。堂々とした体躯で、輝く金髪に、印象的な薄い青色の瞳。エネルギーに満ちていて、活発に動き回る。それなのに、いつもどこか居所の無いような、身を縮めたような不思議なたたずまい。
この作品を見るときにいろいろな切り口はあろうけれども、私としては、オトゥールが演じるロレンスのこの居所のなさ、なにかを渇望し漂泊を続け、でも渇望するものをずっと掴みとることのできないさみしさがいちばん胸に残った。
そもそもこの物語の中でのロレンスはなにを渇望しているのか。そんなことを見ている間もずっと考えたし、作品を思い出すと今も考えてしまう。答えはわからない。ともあれ物語のなかで、イギリスの男たちも、アラブの男たちも、誰も彼がまことに望むものを与えることができなかったし、ロレンス自身も、焦りながら闇雲になにかを求めて疾駆していた。彼は自身がなにを渇望しているのか、自分にも見いだせていなかったのかもしれない。言葉にするなら、居るべき場所だの、安息できる場所だの、ゆるぎない愛と信頼だの、もしかしたら父の愛と守りと絶対の救済、とかだったのか……などとといろいろ考えたが、考えつく言葉のすべてはどうも軽々しいように私自身にも思えた。ロレンスが狂乱しながら求めたものがなんなのか、それ自体が蜃気楼のようだった。ただ、砂漠の清潔に望むものがあると直感したロレンスは、自分自身がその風景に同一に溶けていこうとがんばったけれども、最終的に彼の魂は満たされることなく飢えたまま、命の一滴までも干からびさせ、砂漠にはただ血が落ち、それも乾いて、やがて消えていったように見えた。
舞台となったアラビアは古い文明の地でもあって、聖書の世界という、クリスチャンにとってのある種の物語的な原風景の一つではあるかろうと思う。作中のイギリス人にとっても、またこの作品の作り手たちである人びとの大半にとっても、アラビアというのは遠く、伝説と物語の中にある砂の国なのだろう。その物語の砂の国を、考古学を学び、イギリスの人びとのあいだに居所を見いだせないロレンスは放浪した。いつか旧約聖書の人びとがそうしたように。あるいはギリシャ神話の英雄たちがそうしたように、ロレンスは、厳しい旅と試練を踏んで進んでいった。伝説めいた幸運と、人びとの期待と助けを得ながら。しかし、ロレンスには、聖書物語の人びとのように神に嘉されることもなく、ギリシャ神話の放浪の英雄のようにどこかに帰り着くか、あるいはたどり着いた場所で王国を興す運命、物語、はなかった。挫かれ、砕かれ、どこにも居場所を見いだせないまま、放浪いのただ人としてまたどこかへ消えていくしかなかった。そのさみしさが心に刺さる。人間の誰もが、そのさみしさを潜在のものとして抱えているような気がする。
遠く、日本人の私にとっては馴染みもない、ひたすら雄大で圧倒的な砂漠の風景が、どうも自分にとっても、心のどこかで深く求め、けれどもその求めに厳しく応える場所であるように感得されるのは、撮り方のすばらしさだけでもなく、物語が示すこのさみしさと、荒涼とした地の風景が響き合っているからでもあるように思えた。
……感想、まとめようがないまま、結局、長くなっちゃった。
いい映画だった。映画館で見たい映画、映画でしかあらわせない物語だ。そういう物語、たまらなく良いと思う。
それにしてもロレンス、めちゃくちゃさみしいのに、ときどきカワイイ。キャラクターに含められた子供としての属性がそうさせるのかもしれないけど、めっちゃカワイイ瞬間がある。白い衣装をもらって着替えた後、一人で悦に入ってポーズ取ったり、ビシュトをひらひらさせて駆け回るシーンとか、なんだこれ……ショタじゃなくてもはや幼女。ロリかわだった。
ググってちょこちょこいろいろ情報入れてて知ったけど、このシーン、脚本にそう細かいことが指示なくて、オトゥールのアドリブだったらしい。マジで! 天才すぎる。
ロレンス以外の各キャラも、どいつもこいつもたまらん感想書きたい!がいろいろあるが、キリがないのでここまでにしとく。でもこれだけは言う、アリさんかっこいい。かっこいいのにあんなに甲斐甲斐しい。スパダリ? おかん?? そのアリさんが、まさかその場面で泣いてるなんてさあ!! ほんとこの映画、エモがいちいち内蔵ど真ん中をえぐってくるよ。すげー映画だよ。
めちゃくちゃ感想書きたいが、アホみたいな長い駄文を書き綴りそうなので、なるたけ端的に書くよう、がんばる。
なお、もはや古典と化した名作と思うので、以下、ネタバレを避けようとかそういうのは全く考えずに書くことにする。
見て良かった。ほんと揺るぎない偉大な作品で、今見てもめちゃくちゃ面白い。
名作ゆえ、いつか見たほうが良いと思ってはきたが、3時間半以上もある(完全版)というのに怯んでいた。が、実際見て見ると、見ている時間がまったく苦にならない面白さ、すばらしさだった。
なにがって風景が……なんだあのロングショット。砂漠の風景。人とラクダが点みたいに見える幅広スケールで、すごい長回しで捉える荒涼としたアラビアの風景。一気にその場に自分の眼がいるような気になる。すげー撮り方だ……。
現在のところ、CGではあの感じを出すことは多分まだできない。おそらくどこかでほんのちょっと作りものめいてしまう。アラビアのロレンスは1960年代の映画なので、セットやちょっとした合成(夜空とかはそうだったね)はあるとしても、映されているのは実際にそこにある(あった)風景である。とはいえ、どうやったらあんなふうに撮れるんだろうという……。
撮影された砂漠の風景だけでも、もはや文化財、人類の資産のひとつだ……と序盤からクラクラした。
それでも、そんな映像のすばらしさと圧倒にもぜんぜん負けない、物語の骨太さ、語り口の強さ。俳優たちの演技の巧みさも、物語を強力に推し進める力になっている。
なんといってもピーター・オトゥールが演じるロレンスの存在が発するオーラ。堂々とした体躯で、輝く金髪に、印象的な薄い青色の瞳。エネルギーに満ちていて、活発に動き回る。それなのに、いつもどこか居所の無いような、身を縮めたような不思議なたたずまい。
この作品を見るときにいろいろな切り口はあろうけれども、私としては、オトゥールが演じるロレンスのこの居所のなさ、なにかを渇望し漂泊を続け、でも渇望するものをずっと掴みとることのできないさみしさがいちばん胸に残った。
そもそもこの物語の中でのロレンスはなにを渇望しているのか。そんなことを見ている間もずっと考えたし、作品を思い出すと今も考えてしまう。答えはわからない。ともあれ物語のなかで、イギリスの男たちも、アラブの男たちも、誰も彼がまことに望むものを与えることができなかったし、ロレンス自身も、焦りながら闇雲になにかを求めて疾駆していた。彼は自身がなにを渇望しているのか、自分にも見いだせていなかったのかもしれない。言葉にするなら、居るべき場所だの、安息できる場所だの、ゆるぎない愛と信頼だの、もしかしたら父の愛と守りと絶対の救済、とかだったのか……などとといろいろ考えたが、考えつく言葉のすべてはどうも軽々しいように私自身にも思えた。ロレンスが狂乱しながら求めたものがなんなのか、それ自体が蜃気楼のようだった。ただ、砂漠の清潔に望むものがあると直感したロレンスは、自分自身がその風景に同一に溶けていこうとがんばったけれども、最終的に彼の魂は満たされることなく飢えたまま、命の一滴までも干からびさせ、砂漠にはただ血が落ち、それも乾いて、やがて消えていったように見えた。
舞台となったアラビアは古い文明の地でもあって、聖書の世界という、クリスチャンにとってのある種の物語的な原風景の一つではあるかろうと思う。作中のイギリス人にとっても、またこの作品の作り手たちである人びとの大半にとっても、アラビアというのは遠く、伝説と物語の中にある砂の国なのだろう。その物語の砂の国を、考古学を学び、イギリスの人びとのあいだに居所を見いだせないロレンスは放浪した。いつか旧約聖書の人びとがそうしたように。あるいはギリシャ神話の英雄たちがそうしたように、ロレンスは、厳しい旅と試練を踏んで進んでいった。伝説めいた幸運と、人びとの期待と助けを得ながら。しかし、ロレンスには、聖書物語の人びとのように神に嘉されることもなく、ギリシャ神話の放浪の英雄のようにどこかに帰り着くか、あるいはたどり着いた場所で王国を興す運命、物語、はなかった。挫かれ、砕かれ、どこにも居場所を見いだせないまま、放浪いのただ人としてまたどこかへ消えていくしかなかった。そのさみしさが心に刺さる。人間の誰もが、そのさみしさを潜在のものとして抱えているような気がする。
遠く、日本人の私にとっては馴染みもない、ひたすら雄大で圧倒的な砂漠の風景が、どうも自分にとっても、心のどこかで深く求め、けれどもその求めに厳しく応える場所であるように感得されるのは、撮り方のすばらしさだけでもなく、物語が示すこのさみしさと、荒涼とした地の風景が響き合っているからでもあるように思えた。
……感想、まとめようがないまま、結局、長くなっちゃった。
いい映画だった。映画館で見たい映画、映画でしかあらわせない物語だ。そういう物語、たまらなく良いと思う。
それにしてもロレンス、めちゃくちゃさみしいのに、ときどきカワイイ。キャラクターに含められた子供としての属性がそうさせるのかもしれないけど、めっちゃカワイイ瞬間がある。白い衣装をもらって着替えた後、一人で悦に入ってポーズ取ったり、ビシュトをひらひらさせて駆け回るシーンとか、なんだこれ……ショタじゃなくてもはや幼女。ロリかわだった。
ググってちょこちょこいろいろ情報入れてて知ったけど、このシーン、脚本にそう細かいことが指示なくて、オトゥールのアドリブだったらしい。マジで! 天才すぎる。
ロレンス以外の各キャラも、どいつもこいつもたまらん感想書きたい!がいろいろあるが、キリがないのでここまでにしとく。でもこれだけは言う、アリさんかっこいい。かっこいいのにあんなに甲斐甲斐しい。スパダリ? おかん?? そのアリさんが、まさかその場面で泣いてるなんてさあ!! ほんとこの映画、エモがいちいち内蔵ど真ん中をえぐってくるよ。すげー映画だよ。
ブレイバーン今さら最終回見た。
おもしろかったけど、11話と最終話まとめて怒涛すぎてすごかったな……
ボーンファイアのノリが謎すぎてすごかった。
イサミがいつのまにかブレイバーンとすっかりとっても仲良くなっててなんだこの……ほんとなに?
突然にミスター味っ子が始まるのもまあ、なんかわかるけど、いややっぱわからんだった。
勢いが謎。謎だけどミスター味っ子っぽい画面造りがあまりにもそれっぽくて、再現度の高さにビビったね。イサルルで手繋いで空飛んでくるとことか、食べやすく割られたエビのカットが、あまりにもミスター味っ子だった。
とりあえずセグニティスはかわいかったね、声が小西さんだし……関西訛りであんなに満足そうに死なれたら好きになるしかないでしょ。
……からの大ピンチ、で11話が終わってこのヒキ。
最終話12話は、大挫折からのスタート。テンポが早い。イサミがいさぎよく情けない。
それから大逆転、さらに転、ラスボス戦、さらに転。疾走する展開(そして隙あらば差し挟まれるいろんなパロディ、前回が味っ子なら今回は美味しんぼかあ)
最後、ラスボス打破の絵はめちゃくちゃかっこ良かった。ラスボス戦はこうでなくちゃ!
(クライマックスはかっこいいんだけど、そこまで存外、雑に殴られ砲撃され放り投げられるヴェルムヴィータCVくぎゅ、の絵も面白かった)
基本的に主役も敵も味方も全体にひとの話を聞かない、という枠を組んだうえで、その枠を横押しして物語のまだるっこしさをぶっちぎって怒涛の勢いで突っ走ってのワンクールの物語だった。
そこに勢いも良さも正解もある気はするけど、あえて、全50話、一年かけたスーパーロボアニメとして見てみたかった気がする。
日常回とか、振り返り回とか、各キャラ掘り下げ回とか、ホラー回とか、いつにも増して謎展開の謎不条理話があるようなやつ。なんかよくわからんが町に出てスミイサでクレープ食う的な、キャワワデートするシーンとか見たいじゃん
(ボーンファイアは35話らへんに来そう。遅めの夏休み水着回枠)
特に終盤の……いや、終盤だけでもないか、勢いと会話のやりとりで話をぐんぐん転がす、の感覚はキルラキルとちょっと似てて好き。やたら登場人物が全裸になるあたりとかもなんだか似てる。
ただ、キルラキルはわりと理論的に構築されてる話で、毎回、盛り上がりと勢いとヒキをがっつり作るんだけど、なんだかんだかなり王道の積み上げで、最終回の怒涛に向けてぐんぐんピークを持ってってる感じなので、終始オフビートな感じもするブレイバーンはまた、味わい違うな~っても思った。
あとブレイバーンは明白に性的な笑いが多いとかも、まあ普通に大人層向けを感じる点。キルラキルはむやみと全裸だし乳も尻もぷりんぷりんに画面に出まくるけど、ストーリーや笑いのネタはそんなにセクシャル方向ではないので……どちらが良い悪いということではないが、なんだか似たとこもあるけど結構違う、と思ったので。
ああ、似たとこと言えば、ラスボス打破後の、物語のシメの雰囲気も、似てるというか、ああそうそう、これ!!というしっくり感だた。
突然にロボに選ばれふりまわされる主人公が、個性的な無機物の相棒に振り回されながらも絆を結んで、唯一無二の友となって、そして最後になんらかの別離というか、卒業がある、ところ。
キルラキルでは鮮血が。以前に、鮮血は、魔神英雄伝ワタルでいう龍神丸なんだと思ったことがあって(自分で思い付いたというより、Twitterかどこかでそういう指摘を見かけたんだったような記憶)、冒険が終わると主人公はロボとお別れする。なんかそういう、様式美というか伝統を踏まえての展開のような気がして、だから最終回の締めの部分は美しかったなと思った。
まあ、エンディングにOPが流されて、ああ熱いシメが来たねと思いきや、突然のカラオケ字幕モードに戸惑ったりして、やっぱいつものブレイバーンだなあという、そこもらしくて良かった。
イサ虐は毎回なんだかんだ面白かったけど、最終的に好きなキャラといえばルルちゃんとおじさま。
ルルちゃんいい子やん。おじさまもいいロボやん。不満があるとすればルルとスペルビアの別れについてもちゃんとした描写が欲しかったなあとは思うので、12話ではやはり足りんのじゃないのですか、せめて13話があっても良いんじゃないんですかという気分にはなった。
なお、イサスミはもう公式にそういう感じっぽい(ボーンファイアー回が濃すぎた)から、ほんと二人、末永く幸せに暮らしてくれたらそれでいい。
おもしろかったけど、11話と最終話まとめて怒涛すぎてすごかったな……
ボーンファイアのノリが謎すぎてすごかった。
イサミがいつのまにかブレイバーンとすっかりとっても仲良くなっててなんだこの……ほんとなに?
突然にミスター味っ子が始まるのもまあ、なんかわかるけど、いややっぱわからんだった。
勢いが謎。謎だけどミスター味っ子っぽい画面造りがあまりにもそれっぽくて、再現度の高さにビビったね。イサルルで手繋いで空飛んでくるとことか、食べやすく割られたエビのカットが、あまりにもミスター味っ子だった。
とりあえずセグニティスはかわいかったね、声が小西さんだし……関西訛りであんなに満足そうに死なれたら好きになるしかないでしょ。
……からの大ピンチ、で11話が終わってこのヒキ。
最終話12話は、大挫折からのスタート。テンポが早い。イサミがいさぎよく情けない。
それから大逆転、さらに転、ラスボス戦、さらに転。疾走する展開(そして隙あらば差し挟まれるいろんなパロディ、前回が味っ子なら今回は美味しんぼかあ)
最後、ラスボス打破の絵はめちゃくちゃかっこ良かった。ラスボス戦はこうでなくちゃ!
(クライマックスはかっこいいんだけど、そこまで存外、雑に殴られ砲撃され放り投げられるヴェルムヴィータCVくぎゅ、の絵も面白かった)
基本的に主役も敵も味方も全体にひとの話を聞かない、という枠を組んだうえで、その枠を横押しして物語のまだるっこしさをぶっちぎって怒涛の勢いで突っ走ってのワンクールの物語だった。
そこに勢いも良さも正解もある気はするけど、あえて、全50話、一年かけたスーパーロボアニメとして見てみたかった気がする。
日常回とか、振り返り回とか、各キャラ掘り下げ回とか、ホラー回とか、いつにも増して謎展開の謎不条理話があるようなやつ。なんかよくわからんが町に出てスミイサでクレープ食う的な、キャワワデートするシーンとか見たいじゃん
(ボーンファイアは35話らへんに来そう。遅めの夏休み水着回枠)
特に終盤の……いや、終盤だけでもないか、勢いと会話のやりとりで話をぐんぐん転がす、の感覚はキルラキルとちょっと似てて好き。やたら登場人物が全裸になるあたりとかもなんだか似てる。
ただ、キルラキルはわりと理論的に構築されてる話で、毎回、盛り上がりと勢いとヒキをがっつり作るんだけど、なんだかんだかなり王道の積み上げで、最終回の怒涛に向けてぐんぐんピークを持ってってる感じなので、終始オフビートな感じもするブレイバーンはまた、味わい違うな~っても思った。
あとブレイバーンは明白に性的な笑いが多いとかも、まあ普通に大人層向けを感じる点。キルラキルはむやみと全裸だし乳も尻もぷりんぷりんに画面に出まくるけど、ストーリーや笑いのネタはそんなにセクシャル方向ではないので……どちらが良い悪いということではないが、なんだか似たとこもあるけど結構違う、と思ったので。
ああ、似たとこと言えば、ラスボス打破後の、物語のシメの雰囲気も、似てるというか、ああそうそう、これ!!というしっくり感だた。
突然にロボに選ばれふりまわされる主人公が、個性的な無機物の相棒に振り回されながらも絆を結んで、唯一無二の友となって、そして最後になんらかの別離というか、卒業がある、ところ。
キルラキルでは鮮血が。以前に、鮮血は、魔神英雄伝ワタルでいう龍神丸なんだと思ったことがあって(自分で思い付いたというより、Twitterかどこかでそういう指摘を見かけたんだったような記憶)、冒険が終わると主人公はロボとお別れする。なんかそういう、様式美というか伝統を踏まえての展開のような気がして、だから最終回の締めの部分は美しかったなと思った。
まあ、エンディングにOPが流されて、ああ熱いシメが来たねと思いきや、突然のカラオケ字幕モードに戸惑ったりして、やっぱいつものブレイバーンだなあという、そこもらしくて良かった。
イサ虐は毎回なんだかんだ面白かったけど、最終的に好きなキャラといえばルルちゃんとおじさま。
ルルちゃんいい子やん。おじさまもいいロボやん。不満があるとすればルルとスペルビアの別れについてもちゃんとした描写が欲しかったなあとは思うので、12話ではやはり足りんのじゃないのですか、せめて13話があっても良いんじゃないんですかという気分にはなった。
なお、イサスミはもう公式にそういう感じっぽい(ボーンファイアー回が濃すぎた)から、ほんと二人、末永く幸せに暮らしてくれたらそれでいい。
週末、食パンを切らしたので他の買い物と一緒に買って帰ろうと思っていたが、スーパーのパン売り場では、私が買いたいやつがもう品切れしていた。普段はあんまり積極的に買わないもっちり系しか残っていない。もっちり系でもまあいいっちゃいいんだが、と思いつつ、しかし私はあんまりパンにもっちもちを求めていない。なんかこう、求めている味があるときにそれがなくて、代わりに求めてないタイプの味のやつで我慢するってのは、なんだかあまり嬉しくない。
それで、前日売れ残りの値引き品も見つめてみたら、いつもは全然選択肢に入ってこない黄金なんとかとか名前がついてる食パンがひとつ、売れ残っていた。値引き前の値段だと400円くらいする高級なパンなので買ったことがない。これが20%オフで、ふーん、320円くらいか。
味を知っていて、そうまで好みでもない(嫌いでもないが……)もっちり系食パンにするくらいなら、お値段とかの理由で視野にも入ってなかった未知の味を試してみる方が楽しい。
一回くらい買ってみるか、と思って、それを買い、家に帰ってからきづいたが、デニッシュタイプの食パンだった。
デニッシュ……デニッシュかあ。
確かにデニッシュのパンはうまいし、単独でデニッシュとして食べるのは好きなんだが、私は、私は、食パンは小麦の風味が強いめの皮が固めのごわっとしたやつが好きなんだよなあ……
食パンはトーストにして、そのときどきジャム載せたりチーズ載せたりでお好みの味変しつつ、いやあ炙った小麦粉製品ほんとうめーな……と思いながら食べるのが好きなんだよ。
いや、黄金なんちゃらは、そら美味かったよ、ほんと。甘いし、バター的な風味もどっしり来るし。
でも私はやっぱり、もっと小麦味がガツンとくる食パンを求めている。
食パンには、砂糖や油脂でこってりした旨味は求めていない。
(そういうわけで、ちょっと前に流行ってた1000円とかする高級食パンはそんなに好きではない)
自分の失敗なので誰かを責めるつもりはないが、このかなり甘いタイプの食パン、もうちょっと食パンぽくない見た目で売ってくれててほしいな……というわがまま心を、もてあましてしまった。
とりあえず次回は、もっちり系しかなくても、甘くなさそうなほうのパンを選択しようと思った。
それで、前日売れ残りの値引き品も見つめてみたら、いつもは全然選択肢に入ってこない黄金なんとかとか名前がついてる食パンがひとつ、売れ残っていた。値引き前の値段だと400円くらいする高級なパンなので買ったことがない。これが20%オフで、ふーん、320円くらいか。
味を知っていて、そうまで好みでもない(嫌いでもないが……)もっちり系食パンにするくらいなら、お値段とかの理由で視野にも入ってなかった未知の味を試してみる方が楽しい。
一回くらい買ってみるか、と思って、それを買い、家に帰ってからきづいたが、デニッシュタイプの食パンだった。
デニッシュ……デニッシュかあ。
確かにデニッシュのパンはうまいし、単独でデニッシュとして食べるのは好きなんだが、私は、私は、食パンは小麦の風味が強いめの皮が固めのごわっとしたやつが好きなんだよなあ……
食パンはトーストにして、そのときどきジャム載せたりチーズ載せたりでお好みの味変しつつ、いやあ炙った小麦粉製品ほんとうめーな……と思いながら食べるのが好きなんだよ。
いや、黄金なんちゃらは、そら美味かったよ、ほんと。甘いし、バター的な風味もどっしり来るし。
でも私はやっぱり、もっと小麦味がガツンとくる食パンを求めている。
食パンには、砂糖や油脂でこってりした旨味は求めていない。
(そういうわけで、ちょっと前に流行ってた1000円とかする高級食パンはそんなに好きではない)
自分の失敗なので誰かを責めるつもりはないが、このかなり甘いタイプの食パン、もうちょっと食パンぽくない見た目で売ってくれててほしいな……というわがまま心を、もてあましてしまった。
とりあえず次回は、もっちり系しかなくても、甘くなさそうなほうのパンを選択しようと思った。
昼少し前辺りから雷が鳴り始めて、断続的に落雷と雨が続く。
雷が近くで鳴ってるときは、落雷での故障を警戒してPC類はコンセントから抜いている。おかげで、今日やろうと思っていたPC内のデータの整頓がまるで進まない。
ついさっきも、大人しくなってきたな、そろそろ電源挿してPC起こすかぁ、と思った途端にゴロゴロ……と遠雷が聞こえてきた。
しょうがない、本読むか昼寝でもするか。
追記:
そうだね、ひるねでもね……と思いながら実際うとうとしてたら、ただいま結構近場にドピシャャャーーーーン!!と高音パリパリのフレッシュな雷が落ち、ピェハァッ!?て飛び起きて目が覚めちゃった(停電とかはしてないけど)
雷が近くで鳴ってるときは、落雷での故障を警戒してPC類はコンセントから抜いている。おかげで、今日やろうと思っていたPC内のデータの整頓がまるで進まない。
ついさっきも、大人しくなってきたな、そろそろ電源挿してPC起こすかぁ、と思った途端にゴロゴロ……と遠雷が聞こえてきた。
しょうがない、本読むか昼寝でもするか。
追記:
そうだね、ひるねでもね……と思いながら実際うとうとしてたら、ただいま結構近場にドピシャャャーーーーン!!と高音パリパリのフレッシュな雷が落ち、ピェハァッ!?て飛び起きて目が覚めちゃった(停電とかはしてないけど)
ところで、二次創作書くときに参照した古楽の歌詞(13世紀のイタリアの世俗歌謡で、古いイタリア語なのでそのまま翻訳通すとだいぶ怪しいことになり、ネット検索では英訳は見つけたが和訳は見つからなかった)の日本語訳をひねり出すためにちょこちょこと検索してたんだけど、参考に、原語の逐語訳も欲しいなあと思ってChatGPTを使ってみたら、逐語訳出させるの結構使えるね!てことに気づいた。
14世紀のイタリア語、って指示出してみたけど、今のイタリア語とは違う単語をそれなりに違う意味で訳してきて、それがネットで検索してみつけた英訳(多分イタリア人の人が英訳してくれたっぽい)と照らすと、まあまあ合ってそうだった。
そんでふと、もしかして似たような感じで、書いた文章を古文っぽくできたりもする???と思ったので、試しにこの雑記の一部をCHatGPTに放り込んで、古日本語訳をやってみた。
なんとなく鎌倉に近いくらいの時期がいいかな、よし12世紀の日本語と指示してやってもらおか、と試した結果が、こちら。
続く文章を、12世紀の日本語に訳してください。
(元の文章)
仕事、ひとだんらく!!
やったーー!! 今年ものりきったーー!!
(中略)
まあでもとにかく無事に次工程に送り出せたからね、私はがんばった。えらい。
ChatGPT
仕事、人だんらく!!
やり終えたーー!! 今年ものりきったーー!!
いや、また完了せず。しかし、自身の責務における作業範囲は大方終えたのじゃ。
今年は前年や前々年に比べてずっと楽じゃったが、それでも2月後半からの2週間は
ずーーーっとこの作業をしてないと終わらぬことがあった。諸事情あり、
家で作業せざるを得ず、結局、締め切りギリギリまであくせくせざるを得ぬ状況だった。
まあ、ともかく次の工程に無事送り出せたからな、私はがんばった。立派じゃ。
おい!!!
のじゃロリ爆誕させてんじゃねーですわ!!!
というふうで、全然古文にはならなかった(12世紀、とかじゃなくて古文、と指示すべきだったのか?)
が、のじゃロリ文体にしたかったら12世紀日本語、とか指示してやれば、かなりいい塩梅にのじゃロリを吐き出してくれることがわかった。収穫である。
14世紀のイタリア語、って指示出してみたけど、今のイタリア語とは違う単語をそれなりに違う意味で訳してきて、それがネットで検索してみつけた英訳(多分イタリア人の人が英訳してくれたっぽい)と照らすと、まあまあ合ってそうだった。
そんでふと、もしかして似たような感じで、書いた文章を古文っぽくできたりもする???と思ったので、試しにこの雑記の一部をCHatGPTに放り込んで、古日本語訳をやってみた。
なんとなく鎌倉に近いくらいの時期がいいかな、よし12世紀の日本語と指示してやってもらおか、と試した結果が、こちら。
続く文章を、12世紀の日本語に訳してください。
(元の文章)
仕事、ひとだんらく!!
やったーー!! 今年ものりきったーー!!
(中略)
まあでもとにかく無事に次工程に送り出せたからね、私はがんばった。えらい。
ChatGPT
仕事、人だんらく!!
やり終えたーー!! 今年ものりきったーー!!
いや、また完了せず。しかし、自身の責務における作業範囲は大方終えたのじゃ。
今年は前年や前々年に比べてずっと楽じゃったが、それでも2月後半からの2週間は
ずーーーっとこの作業をしてないと終わらぬことがあった。諸事情あり、
家で作業せざるを得ず、結局、締め切りギリギリまであくせくせざるを得ぬ状況だった。
まあ、ともかく次の工程に無事送り出せたからな、私はがんばった。立派じゃ。
おい!!!
のじゃロリ爆誕させてんじゃねーですわ!!!
というふうで、全然古文にはならなかった(12世紀、とかじゃなくて古文、と指示すべきだったのか?)
が、のじゃロリ文体にしたかったら12世紀日本語、とか指示してやれば、かなりいい塩梅にのじゃロリを吐き出してくれることがわかった。収穫である。
二次創作物をさっさと生産する能力をもう少し身につけたくて、予定になかった短編を書いてみたけど、結局書きあげるまでには二日ばかりかかったし、なんか、こう、こうありたいと思ったんと違う感じになって終わったな……
ページメーカー使ったのは、そういう、二次創作っぽいスピード感でやってみたかったからだけど、なんかいろいろ、うまくかみ合わせられなかった感じがする。むずかしーなあ。
思いついた萌えを爆速で具現化する二次物書きになりてえんだ、私は。でもやっぱ筆が遅いというか、なんか……なんもかんも、愚図でもっさりもっさりしているんだよね……うううん!!!
こなれたい! だが、こなれられる気がしない!!
話の内容自体はまあまあ、好きというか、自分が読む分には楽しいよ。私のヘキと萌えを叩きこんだんだから当たり前だ。
恋心をはっきり自覚していて、両思い直前まで踏み込んだペレスは始めて書いたかもしれない。恋愛自覚しててそれでいっぱいいっぱいなペレス書くのは楽しかった。
今回は、それに対してちょっとだけアブトゥ視点も書いたけど、アブトゥは、今まで書いてきた作品でもわりと自覚持ってるし戸惑ってもいない設定で書いてたから、今回もわりといつも通りな感じになった。でもやっぱアブトゥ好きィ、素直にペレスの行動に喜ぶアブトゥかわいすぎんか(自画自賛)
しかし設定上、どう考えてもペレス30才そこそこ、アブトゥももう20代後半くらいの年齢のはずだけど、めっちゃ若者の恋愛している。しょうがないよね、そこが萌えだと私が思ってるからね。恋愛バブちゃんでおろおろしてるペレスがヘキなんだよ。同じく恋愛バブちゃんなのに、妙に堂に入ってる気配出してくるアブトゥがヘキなんだよ。
ここ二三日くらいかな、ツイッタで、二次創作者の、解釈と性癖どっちを優先するかの葛藤、みたいな話題が盛り上がっててさ。私がちょうどこの話を思いついて、よしヘキ全開でやってみよ!と思ったのとタイミングが合ってて、書いた話の内容に直接は反映はしていないけど、解釈優先じゃなく、というのを意識はして書いた。
いつもわりとヘキ全開で書いてる気がするけど、そう言っても基本的には私自身が書く二次創作については、解釈の提示が主として書いている(と思う)。もちろん、自分の解釈が正解とかそういうことではなく、ただ、「この場面の推しのこんな言動については、こういうふうに捉えてて、そういうとこ、なんつうかもう萌えで! ふわーー!! 好き! 良きですわ! 最の高なわけですわ!! これがこうでこうと思うと!!!(ド早口)」という感想を書くようなつもりで二次創作を書いている。
でもより欲望ドストレートに「推しのこういう感じの場面、見たいんですわ!! そら原作とはちょーっとかけ離れてるかもしんねっですけど、まあ見たいんですわ!!!」てな具合に欲望最優先で書いてみたいという気持ちもある。
しかしどうも、私は自分内の推しや作品への解釈を無意識に優先させてて、原作の推しからはあんまし出てこなさそうな言動は書かないように、原作からあんまりかけはなれないように、結構セーブしちゃってるのかなあ、と思ったりもする。そこをぶち破って書いてもみたかって。二次創作だもの。
そういう筋力もつけたいなあ。でも結構、難しい。
まあ、解釈優先だろうがヘキ優先だろうが、とにかくそもそも書き慣れてないんだという、根本的な作文能力の低さがある。短い時間にいっぱい書くのと、質を意識して書くのと、両方を意識して、とにかくたくさん書いてかないと、うまくはならないんだろうなあ。
ページメーカー使ったのは、そういう、二次創作っぽいスピード感でやってみたかったからだけど、なんかいろいろ、うまくかみ合わせられなかった感じがする。むずかしーなあ。
思いついた萌えを爆速で具現化する二次物書きになりてえんだ、私は。でもやっぱ筆が遅いというか、なんか……なんもかんも、愚図でもっさりもっさりしているんだよね……うううん!!!
こなれたい! だが、こなれられる気がしない!!
話の内容自体はまあまあ、好きというか、自分が読む分には楽しいよ。私のヘキと萌えを叩きこんだんだから当たり前だ。
恋心をはっきり自覚していて、両思い直前まで踏み込んだペレスは始めて書いたかもしれない。恋愛自覚しててそれでいっぱいいっぱいなペレス書くのは楽しかった。
今回は、それに対してちょっとだけアブトゥ視点も書いたけど、アブトゥは、今まで書いてきた作品でもわりと自覚持ってるし戸惑ってもいない設定で書いてたから、今回もわりといつも通りな感じになった。でもやっぱアブトゥ好きィ、素直にペレスの行動に喜ぶアブトゥかわいすぎんか(自画自賛)
しかし設定上、どう考えてもペレス30才そこそこ、アブトゥももう20代後半くらいの年齢のはずだけど、めっちゃ若者の恋愛している。しょうがないよね、そこが萌えだと私が思ってるからね。恋愛バブちゃんでおろおろしてるペレスがヘキなんだよ。同じく恋愛バブちゃんなのに、妙に堂に入ってる気配出してくるアブトゥがヘキなんだよ。
ここ二三日くらいかな、ツイッタで、二次創作者の、解釈と性癖どっちを優先するかの葛藤、みたいな話題が盛り上がっててさ。私がちょうどこの話を思いついて、よしヘキ全開でやってみよ!と思ったのとタイミングが合ってて、書いた話の内容に直接は反映はしていないけど、解釈優先じゃなく、というのを意識はして書いた。
いつもわりとヘキ全開で書いてる気がするけど、そう言っても基本的には私自身が書く二次創作については、解釈の提示が主として書いている(と思う)。もちろん、自分の解釈が正解とかそういうことではなく、ただ、「この場面の推しのこんな言動については、こういうふうに捉えてて、そういうとこ、なんつうかもう萌えで! ふわーー!! 好き! 良きですわ! 最の高なわけですわ!! これがこうでこうと思うと!!!(ド早口)」という感想を書くようなつもりで二次創作を書いている。
でもより欲望ドストレートに「推しのこういう感じの場面、見たいんですわ!! そら原作とはちょーっとかけ離れてるかもしんねっですけど、まあ見たいんですわ!!!」てな具合に欲望最優先で書いてみたいという気持ちもある。
しかしどうも、私は自分内の推しや作品への解釈を無意識に優先させてて、原作の推しからはあんまし出てこなさそうな言動は書かないように、原作からあんまりかけはなれないように、結構セーブしちゃってるのかなあ、と思ったりもする。そこをぶち破って書いてもみたかって。二次創作だもの。
そういう筋力もつけたいなあ。でも結構、難しい。
まあ、解釈優先だろうがヘキ優先だろうが、とにかくそもそも書き慣れてないんだという、根本的な作文能力の低さがある。短い時間にいっぱい書くのと、質を意識して書くのと、両方を意識して、とにかくたくさん書いてかないと、うまくはならないんだろうなあ。
提督集合絵、日曜で塗り終わった……はずが、ミゲルの大事なあごヒゲを描き忘れていたことに気付いて今日は延長戦。
これは元絵、つまり『四方の風』の人物紹介絵の時点で描き忘れていたもので、つまりあごヒゲ喪失ミゲルを堂々と10部も印刷してしまったわけである。つらい。
だがいまさら後悔してもどうしようもないので、色塗り版で修正できたのだから良いじゃないかと自分を慰めている(気付くまえにツイッタに上げてしまった痛恨については忘れることにした)
それはさておき、ミゲルのあごヒゲだけでなくちょっと目に付いたとこ直したくなっちゃうし、またぞろアブトゥの唇に延々手をいれはじめてしまった。いかん。諦めろ。絵の稚拙はいまさらどうにもならない。もっとアブトゥを静謐で整っていてかつセクシーな美形に描きたいが、私の画力ではどうにもならないことなのだ。
パースもえらいカオスで、最後に背景入れようと思ったときにとても苦労した。私にはパースのちゃんとした絵が描けるほどの技術がないのだからしょうがないのだが、そもそもパースがどうとかじゃなく絵の全てが全部おかしい。事物がかなり歪んでしか描けない。それはどうにもならなかった。へろへろになりながら、なんかとりあえずこう、空間を少しだけ埋めて、そして日曜の夜が更けていってタイムアウトだった。
その空間埋めにつかった、壁に打ち付けられた木のバーに手紙とかがざくざく差してあるのは、ホルバインの『ゲオルク・ギーゼの肖像』という絵を参考にした。参考というかほぼほぼ丸パクリだけど。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%...
製作は1532年、描かれているのはドイツのハンザ同盟の商人だから文化圏も違う。同じような光景が15世紀後半のリスボンにあったかはわからん。
が、まあなんか、この絵を見かけて、これはいい感じに商人のオフィスっぽい!ルネサンス頃の商人は手紙とか書類こういうふうに整理してんのね~!とテンションがあがり、勝手に、リスボンでも似たようなもんだろと思い込むことにして、提督達の後ろに、手紙とかたぶん地図とか、もしかしたら提督達の提出したレポートかもしれない紙切れをいっぱいぶらさげといた。
ちなみにネオアトラス2には、やはり地図を囲んでの提督集合絵がある。その絵も商館の一室といった風情で、後ろには棚や道具があれこれ描かれてあるっぽく、とっても参考にしたかったのだが、私の手元にはごく小さい画像しかないので詳細がよくわからなくて参考にするのは断念した。
実を言えば、ネオアト2のこの集合絵や、他の方が描かれていた同人絵で1469提督たちが地図を囲む絵を見ていて、その構図とかシチュエーションに憧れていた。提督達が全員いる絵! やりたいよ!!
しかし大人数の絵に手をつけるのは、筆が遅い自分にはそびえ立つ高峰で、とうてい描けそうにないという構えがあった。それが、稚拙ではあれ『四方の風』の人物紹介としてなんとか全員出てくる絵を描きあげられたので、まあまあ嬉しかったのだ(ミゲルのヒゲは忘れていたが……)。
調子こいた話だが、どうせならこの絵に色も着けたかった。とかいっても本編文章および絵の線画までを描くのが精一杯で、全くその余裕はなかったが、ほんとはカラー口絵にしたかったのだ。そういうわけで、今更、下手なりの全力で塗り絵してみた次第。
まあ色塗りだけとはいえ、疲れた。絵を描くのはほんとに体力と精神力が要る。すぐ諦めたいしすぐ雑になるし、塗っていると嫌でも自分の描くものがなんもかんもアホほど歪んでいるのも見えてほとほとうんざりする。それでもまあ、楽しいには楽しい。推したちをやりたいだけ時間かけて描けるってのは、なかなか楽しい。できあがった絵には不足も不満もいろいろあるが、なんとか塗り終わったという満足はある。
とはいえ、ちょっとこの絵に時間掛けすぎたので、ここで終わりにして、次の推し作業に移るつもりだ。
絵は近いうちサイトのらくがきにアップしとく。
その他、サイトのコンテンツもいろいろ追加しなきゃいけない。『四方の風』のPDF版はBOOTHでダウンロードして読めるけど、サイトの方にテキストでもあげておきたいのだ。しばらくは去年のデータの整理とアップロードを当面の作業にしよかな。
これは元絵、つまり『四方の風』の人物紹介絵の時点で描き忘れていたもので、つまりあごヒゲ喪失ミゲルを堂々と10部も印刷してしまったわけである。つらい。
だがいまさら後悔してもどうしようもないので、色塗り版で修正できたのだから良いじゃないかと自分を慰めている(気付くまえにツイッタに上げてしまった痛恨については忘れることにした)
それはさておき、ミゲルのあごヒゲだけでなくちょっと目に付いたとこ直したくなっちゃうし、またぞろアブトゥの唇に延々手をいれはじめてしまった。いかん。諦めろ。絵の稚拙はいまさらどうにもならない。もっとアブトゥを静謐で整っていてかつセクシーな美形に描きたいが、私の画力ではどうにもならないことなのだ。
パースもえらいカオスで、最後に背景入れようと思ったときにとても苦労した。私にはパースのちゃんとした絵が描けるほどの技術がないのだからしょうがないのだが、そもそもパースがどうとかじゃなく絵の全てが全部おかしい。事物がかなり歪んでしか描けない。それはどうにもならなかった。へろへろになりながら、なんかとりあえずこう、空間を少しだけ埋めて、そして日曜の夜が更けていってタイムアウトだった。
その空間埋めにつかった、壁に打ち付けられた木のバーに手紙とかがざくざく差してあるのは、ホルバインの『ゲオルク・ギーゼの肖像』という絵を参考にした。参考というかほぼほぼ丸パクリだけど。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%...
製作は1532年、描かれているのはドイツのハンザ同盟の商人だから文化圏も違う。同じような光景が15世紀後半のリスボンにあったかはわからん。
が、まあなんか、この絵を見かけて、これはいい感じに商人のオフィスっぽい!ルネサンス頃の商人は手紙とか書類こういうふうに整理してんのね~!とテンションがあがり、勝手に、リスボンでも似たようなもんだろと思い込むことにして、提督達の後ろに、手紙とかたぶん地図とか、もしかしたら提督達の提出したレポートかもしれない紙切れをいっぱいぶらさげといた。
ちなみにネオアトラス2には、やはり地図を囲んでの提督集合絵がある。その絵も商館の一室といった風情で、後ろには棚や道具があれこれ描かれてあるっぽく、とっても参考にしたかったのだが、私の手元にはごく小さい画像しかないので詳細がよくわからなくて参考にするのは断念した。
実を言えば、ネオアト2のこの集合絵や、他の方が描かれていた同人絵で1469提督たちが地図を囲む絵を見ていて、その構図とかシチュエーションに憧れていた。提督達が全員いる絵! やりたいよ!!
しかし大人数の絵に手をつけるのは、筆が遅い自分にはそびえ立つ高峰で、とうてい描けそうにないという構えがあった。それが、稚拙ではあれ『四方の風』の人物紹介としてなんとか全員出てくる絵を描きあげられたので、まあまあ嬉しかったのだ(ミゲルのヒゲは忘れていたが……)。
調子こいた話だが、どうせならこの絵に色も着けたかった。とかいっても本編文章および絵の線画までを描くのが精一杯で、全くその余裕はなかったが、ほんとはカラー口絵にしたかったのだ。そういうわけで、今更、下手なりの全力で塗り絵してみた次第。
まあ色塗りだけとはいえ、疲れた。絵を描くのはほんとに体力と精神力が要る。すぐ諦めたいしすぐ雑になるし、塗っていると嫌でも自分の描くものがなんもかんもアホほど歪んでいるのも見えてほとほとうんざりする。それでもまあ、楽しいには楽しい。推したちをやりたいだけ時間かけて描けるってのは、なかなか楽しい。できあがった絵には不足も不満もいろいろあるが、なんとか塗り終わったという満足はある。
とはいえ、ちょっとこの絵に時間掛けすぎたので、ここで終わりにして、次の推し作業に移るつもりだ。
絵は近いうちサイトのらくがきにアップしとく。
その他、サイトのコンテンツもいろいろ追加しなきゃいけない。『四方の風』のPDF版はBOOTHでダウンロードして読めるけど、サイトの方にテキストでもあげておきたいのだ。しばらくは去年のデータの整理とアップロードを当面の作業にしよかな。
今日は一日、絵の色塗りをしていた。
疲れた。休み休み塗ってたけど、20時で集中力が限界で作業終了。
まだ塗り終わらない。予定になかった服の模様とか描き始めるのが悪い。
背景も描いたほうがいいか……???とか思い始めているが、多分無理だな。
今週の土日で塗れた範囲でやめることにする。他にやりたいことも全然あるんだ。
とりあえずちょっと一杯飲むことにした。
ほんとは塗り終わったときにひとり打ち上げとして飲もうかと思ってたけど、なんかもうそこまで撓めておけない。
こないだの土曜日のドライブのとき、最後にショッピングモールなどに寄り、贈答品のコーナーなどを覗いていたらポルトガル産のワインを見つけたので二本ほど買ってしまった。ごく安いやつ。
ヴィーニョヴェルデとロゼ。今日はロゼを一杯ひっかける。
開けたらすぐ飲まなきゃなので、多分、しばらくはちょいちょい飲む。
疲れた。休み休み塗ってたけど、20時で集中力が限界で作業終了。
まだ塗り終わらない。予定になかった服の模様とか描き始めるのが悪い。
背景も描いたほうがいいか……???とか思い始めているが、多分無理だな。
今週の土日で塗れた範囲でやめることにする。他にやりたいことも全然あるんだ。
とりあえずちょっと一杯飲むことにした。
ほんとは塗り終わったときにひとり打ち上げとして飲もうかと思ってたけど、なんかもうそこまで撓めておけない。
こないだの土曜日のドライブのとき、最後にショッピングモールなどに寄り、贈答品のコーナーなどを覗いていたらポルトガル産のワインを見つけたので二本ほど買ってしまった。ごく安いやつ。
ヴィーニョヴェルデとロゼ。今日はロゼを一杯ひっかける。
開けたらすぐ飲まなきゃなので、多分、しばらくはちょいちょい飲む。
なんとなく今日も飲み物がらみの話。
私はいつも、Twiningsの5種類のティーバッグがはいったアソートのパックを買っている。紅茶に詳しくもないしこだわりもないが、飲もうと思ったときに気分や場面に合わせて選んだという気になれるとなんか嬉しいからだ。
紅茶に詳しくはないので、茶のちゃんとした入れ方は知らない。ありがたいことにティーバッグの個包装の裏面には、ティーバッグを湯に漬けてから待つべき時間がそれぞれの茶葉に応じて印刷してある。
たとえばついさきほども茶を淹れたとこだが、それは青色の包装のレディグレイというやつで、パッケージの裏には「1.5minutes」と書いてあった。これが紫の包装のダージリンだと2minutesで、ちゃんと葉の種類によって違う。
たいてい他のことをしながら茶を淹れているので、ここに書いてある時間をちゃんと守れないことのほうが多いが、いちおうは毎度キッチンタイマーをセットし、できるだけパッケージの指示に沿うようにと心がけている。
カレールーなんかも、あれこれ小細工を弄するよりもパッケージ裏に記載されている量と手順に従うのがいちばん美味いのだと聞いたことがある。その商品を開発し売っている人びとこそが、その商品の良さを最大限に引き出すやりかたを最も知っているはずだというわけで、これは物作りのプロや技術屋に対する信頼みたいなものだと思う。
そういうわけで私はハウスのバーモントカレーも、S&Bのゴールデンカレーも、それぞれの箱に従って作る。これらの会社はきっと物作りにプライドのある会社だとどこかで信じている。トワイニングスも、きっとそうだろうと信じて、ティーバッグに熱湯注いだらなんとなく袋に書かれた時間を待つ。
こういうのは、いまどき大企業であるメーカーの都合で出された情報に安易に盲従する愚かな消費者なのかもしれないとも思うが、一方で、これはいままで激戦の食品業界で鍛えられてきた物作りのプロに対する信頼なのだと思っている。これらの企業にはきっと、何十年と、安く美味く家庭の味をよくすることを目当てとし、律してきたところがあるはずだと。理念があるはずだと。
けども最近、というかここ十年、二十年の長いスパンで日本の経済が停滞し衰退していっているといわれるなかで、なんとなく自分の中の、大企業の物作りのプライドへの信頼は揺らぎつつあると、ふと思うこともある。
今のところ食べ物ではあんまりそう感じたことはないけど、日常用品、鍋とかトイレットペーパーとか急須とか、そういうモノを買い換えてしばらく使っていると、設計に甘さがあって使いにくかったり、造りが雑で部分的に破損したり、みたいなことがちょいちょいあるような気がしているのだ。
百均の商品なんかはその最たるモノだが、まあ百均てのはもともとそういうもので、安さ手軽さと引き換えに最低限の用途に足りるか足らんかみたいなモノを寄越してくる商売だからしょうがない。しかし、この百均的な安さ至上の感覚が市場を席巻した結果、小売りで買える日用品の全体、値段のなかでもしっかりを保持していた最低限の底が抜け、まあコスト的にこんな感じでいいっしょ、多少の不具合もまあスルーされるっしょ、みたいになってるような、ような。
まあ、なんとなくである。もちろんなんかの資料を確認をしたわけでもないし自分で統計を取ったわけでもない。だからこれはなんとなくのお気持ちだ。
ただ、造作がしっかりキマってて使い勝手の良い、長らく使えるような道具をそこらの小売りでぽんと買えるってことは実際、少なくなったなあと思う。そもそもまず選択肢が百均しかない、みたいなことが増えた。洗濯ネットとか、百均のやつはすぐ壊れるしラインナップがコロコロ変わって、前使ってたちょうど良いサイズのやつとかが手に入らなくなったりするんで好きじゃないんだけど、他の場所にあんまりこういうちょっとしたものって、売ってなくなっちゃったので、しょうがなく百均のものを買ってはすぐ壊して買い換えている。
そう。
ボーイングが作る飛行機がズタボロらしいって話を聞いていると、なんだろうなあ、ものづくりとは……みたいな気になる。飛行機という、絶対的な安全と信頼を求められる製品の業界ですらこういうことになるのだから、日用品の製造現場なんてもうとっくにズタボロなんだろう。
それでもなお、私は、食べ物のメーカーが市場に送り出してくる商品を、そこに書いてある最善手を、信じることにしている。まだそこに、ギリギリなのかもしれないが、なにがしかのプライドが、倫理観が、理念が、そういう金にならないコスパの悪いやっかいものが、生き残って顔を覗かせているような気がしている。それが正しいんだか、得なんだかはよくわからない。多分間違っているし、はき違えているんだろうという気持ちもあるが、せっかく、どこかで誰かが、わざわざ1.5minutesと、パッケージに書き置いてくれたのだから、その言葉を受け取りたいなあという気持ちがどうにも捨てられない。
追記:
なんかいい話っぽくまとめたし、正義面が匂ってきそうなので自分で補足しておくが、別にものづくりにプライドとか倫理とかがあるべきだということではない。ただ、そういうものがなかった時代の悲惨ないくつもの大事故を超えて、二十世紀後半には、ものというのは使いやすく、安全で、なおかつ安くて手に入れやすい、多数の幸福を満たす大量生産、というのを目指す世界だったような気がしているという話だ。これは企業のものづくり現場の人びとの意識や努力だけでもなく、暮しの手帖のようなかたちで市民の意識が(※2024-03-17 11:25修正。当初、主婦の友と書いてたが単純なミス。ここでは暮しの手帖の商品テスト企画のことを言いたかった。https://www.kurashi-no-techo.co.jp/blog/...)企業の作るモノを問い詰めた、そういう社会の払った手間も含めて成り立った世界だったが、資本主義の発展とグローバリズムの中で、その世界はたぶん変容し、瓦解していっているのかもしれないなあと思う。そしてそれは悪であるとはいえない。善であるともいえないが。ただ人類のものづくりのスタイルが、今までの数千年と同様、着々と変わっていっているということなのだろう。
その変化の隙間隙間で見える、より良くあれ、を望んでしまう、誰かの言葉の断片に、私が執着しているというだけだ。
私はいつも、Twiningsの5種類のティーバッグがはいったアソートのパックを買っている。紅茶に詳しくもないしこだわりもないが、飲もうと思ったときに気分や場面に合わせて選んだという気になれるとなんか嬉しいからだ。
紅茶に詳しくはないので、茶のちゃんとした入れ方は知らない。ありがたいことにティーバッグの個包装の裏面には、ティーバッグを湯に漬けてから待つべき時間がそれぞれの茶葉に応じて印刷してある。
たとえばついさきほども茶を淹れたとこだが、それは青色の包装のレディグレイというやつで、パッケージの裏には「1.5minutes」と書いてあった。これが紫の包装のダージリンだと2minutesで、ちゃんと葉の種類によって違う。
たいてい他のことをしながら茶を淹れているので、ここに書いてある時間をちゃんと守れないことのほうが多いが、いちおうは毎度キッチンタイマーをセットし、できるだけパッケージの指示に沿うようにと心がけている。
カレールーなんかも、あれこれ小細工を弄するよりもパッケージ裏に記載されている量と手順に従うのがいちばん美味いのだと聞いたことがある。その商品を開発し売っている人びとこそが、その商品の良さを最大限に引き出すやりかたを最も知っているはずだというわけで、これは物作りのプロや技術屋に対する信頼みたいなものだと思う。
そういうわけで私はハウスのバーモントカレーも、S&Bのゴールデンカレーも、それぞれの箱に従って作る。これらの会社はきっと物作りにプライドのある会社だとどこかで信じている。トワイニングスも、きっとそうだろうと信じて、ティーバッグに熱湯注いだらなんとなく袋に書かれた時間を待つ。
こういうのは、いまどき大企業であるメーカーの都合で出された情報に安易に盲従する愚かな消費者なのかもしれないとも思うが、一方で、これはいままで激戦の食品業界で鍛えられてきた物作りのプロに対する信頼なのだと思っている。これらの企業にはきっと、何十年と、安く美味く家庭の味をよくすることを目当てとし、律してきたところがあるはずだと。理念があるはずだと。
けども最近、というかここ十年、二十年の長いスパンで日本の経済が停滞し衰退していっているといわれるなかで、なんとなく自分の中の、大企業の物作りのプライドへの信頼は揺らぎつつあると、ふと思うこともある。
今のところ食べ物ではあんまりそう感じたことはないけど、日常用品、鍋とかトイレットペーパーとか急須とか、そういうモノを買い換えてしばらく使っていると、設計に甘さがあって使いにくかったり、造りが雑で部分的に破損したり、みたいなことがちょいちょいあるような気がしているのだ。
百均の商品なんかはその最たるモノだが、まあ百均てのはもともとそういうもので、安さ手軽さと引き換えに最低限の用途に足りるか足らんかみたいなモノを寄越してくる商売だからしょうがない。しかし、この百均的な安さ至上の感覚が市場を席巻した結果、小売りで買える日用品の全体、値段のなかでもしっかりを保持していた最低限の底が抜け、まあコスト的にこんな感じでいいっしょ、多少の不具合もまあスルーされるっしょ、みたいになってるような、ような。
まあ、なんとなくである。もちろんなんかの資料を確認をしたわけでもないし自分で統計を取ったわけでもない。だからこれはなんとなくのお気持ちだ。
ただ、造作がしっかりキマってて使い勝手の良い、長らく使えるような道具をそこらの小売りでぽんと買えるってことは実際、少なくなったなあと思う。そもそもまず選択肢が百均しかない、みたいなことが増えた。洗濯ネットとか、百均のやつはすぐ壊れるしラインナップがコロコロ変わって、前使ってたちょうど良いサイズのやつとかが手に入らなくなったりするんで好きじゃないんだけど、他の場所にあんまりこういうちょっとしたものって、売ってなくなっちゃったので、しょうがなく百均のものを買ってはすぐ壊して買い換えている。
そう。
ボーイングが作る飛行機がズタボロらしいって話を聞いていると、なんだろうなあ、ものづくりとは……みたいな気になる。飛行機という、絶対的な安全と信頼を求められる製品の業界ですらこういうことになるのだから、日用品の製造現場なんてもうとっくにズタボロなんだろう。
それでもなお、私は、食べ物のメーカーが市場に送り出してくる商品を、そこに書いてある最善手を、信じることにしている。まだそこに、ギリギリなのかもしれないが、なにがしかのプライドが、倫理観が、理念が、そういう金にならないコスパの悪いやっかいものが、生き残って顔を覗かせているような気がしている。それが正しいんだか、得なんだかはよくわからない。多分間違っているし、はき違えているんだろうという気持ちもあるが、せっかく、どこかで誰かが、わざわざ1.5minutesと、パッケージに書き置いてくれたのだから、その言葉を受け取りたいなあという気持ちがどうにも捨てられない。
追記:
なんかいい話っぽくまとめたし、正義面が匂ってきそうなので自分で補足しておくが、別にものづくりにプライドとか倫理とかがあるべきだということではない。ただ、そういうものがなかった時代の悲惨ないくつもの大事故を超えて、二十世紀後半には、ものというのは使いやすく、安全で、なおかつ安くて手に入れやすい、多数の幸福を満たす大量生産、というのを目指す世界だったような気がしているという話だ。これは企業のものづくり現場の人びとの意識や努力だけでもなく、暮しの手帖のようなかたちで市民の意識が(※2024-03-17 11:25修正。当初、主婦の友と書いてたが単純なミス。ここでは暮しの手帖の商品テスト企画のことを言いたかった。https://www.kurashi-no-techo.co.jp/blog/...)企業の作るモノを問い詰めた、そういう社会の払った手間も含めて成り立った世界だったが、資本主義の発展とグローバリズムの中で、その世界はたぶん変容し、瓦解していっているのかもしれないなあと思う。そしてそれは悪であるとはいえない。善であるともいえないが。ただ人類のものづくりのスタイルが、今までの数千年と同様、着々と変わっていっているということなのだろう。
その変化の隙間隙間で見える、より良くあれ、を望んでしまう、誰かの言葉の断片に、私が執着しているというだけだ。
仕事の繁忙極大期には日々呻くようにカラオケに行きたいと言っていたのだが、繁忙が過ぎるとそうでもなくなった。
何時間も作業するとわかってるときはBGMかけてることが多くて、いろいろ歌いたいなあの気持ちが高まっていたというのもあるが、なにより、とにかく仕事の作業とはかけはなれたことをしたい、という気持ちだったのだろう。
まあカラオケは行きたいんだけど、とりあえず今は、家でオタ趣味の絵の色塗りを存分に取り組めてることになかなか満たされている。無駄に時間かけてるなと思うけど、締切も他の作業との並行も工程組みも考えずに黙々とペンを動かしていればいいことは、深く癒やしと楽しみがあるわね(仕事には仕事のやりがいもあるけどもさ、やっぱ好きに推しの絵とか文書いてるときの満足感たらね)
何時間も作業するとわかってるときはBGMかけてることが多くて、いろいろ歌いたいなあの気持ちが高まっていたというのもあるが、なにより、とにかく仕事の作業とはかけはなれたことをしたい、という気持ちだったのだろう。
まあカラオケは行きたいんだけど、とりあえず今は、家でオタ趣味の絵の色塗りを存分に取り組めてることになかなか満たされている。無駄に時間かけてるなと思うけど、締切も他の作業との並行も工程組みも考えずに黙々とペンを動かしていればいいことは、深く癒やしと楽しみがあるわね(仕事には仕事のやりがいもあるけどもさ、やっぱ好きに推しの絵とか文書いてるときの満足感たらね)
土日、そして今日も、色塗りをしている。
冬コミで出した『四方の風』の頭に、人物紹介の絵を入れてたんだけど、これに色をつけたいのだ。
しかし、ペン画が本当に気に食わなすぎて、やっぱ鉛筆で主線弾き直そうというわけで、主線トレースから作業が始まっている。これがまた全然進まない。実は1月初めくらいに手をつけてたんだけど、そのあと主線直しが終わらないまま仕事のほうでデスマーチが始まり、趣味のお絵描きは中途半端な段階でしばらく放置してたのだ。この土日でやっと主線あらあら終わらせたというところ。でも、今日はまだ色のイメージつかむためのラフのさらにラフみたいな色つけしただけで、全然塗りの作業に入れてない。し、ラフに色つけてとっくりみてたら、いやちょっと表情というか目線少し直したいとか、マリアちゃんの身長ちょっと高すぎたし位置も微妙だな少し直したいなとか、主線段階の修正をしたいとこがわらわら出てしまった。
こんなに時間掛けてこの絵に色を塗ることにもはやたいして意味がない気もしてきたけど、これは意地だ。なんかとりあえずこの絵に色着けた状態を見たい。見たかったら自分で塗る以外にない。とりあえずがんばってみる。途中で心折れて諦めるかもしれんけど、できるだけ折れないようにがんばる。
冬コミで出した『四方の風』の頭に、人物紹介の絵を入れてたんだけど、これに色をつけたいのだ。
しかし、ペン画が本当に気に食わなすぎて、やっぱ鉛筆で主線弾き直そうというわけで、主線トレースから作業が始まっている。これがまた全然進まない。実は1月初めくらいに手をつけてたんだけど、そのあと主線直しが終わらないまま仕事のほうでデスマーチが始まり、趣味のお絵描きは中途半端な段階でしばらく放置してたのだ。この土日でやっと主線あらあら終わらせたというところ。でも、今日はまだ色のイメージつかむためのラフのさらにラフみたいな色つけしただけで、全然塗りの作業に入れてない。し、ラフに色つけてとっくりみてたら、いやちょっと表情というか目線少し直したいとか、マリアちゃんの身長ちょっと高すぎたし位置も微妙だな少し直したいなとか、主線段階の修正をしたいとこがわらわら出てしまった。
こんなに時間掛けてこの絵に色を塗ることにもはやたいして意味がない気もしてきたけど、これは意地だ。なんかとりあえずこの絵に色着けた状態を見たい。見たかったら自分で塗る以外にない。とりあえずがんばってみる。途中で心折れて諦めるかもしれんけど、できるだけ折れないようにがんばる。

仕事、ひとだんらく!!
やったーー!! 今年ものりきったーー!!
いやまだ完了ではないんだけど、自分の責任でやる作業範囲はだいたい終わったので。
今年は前年や前々年にくらべるとだいぶ楽だったが、それでも2月後半からの2週間はずーーーっとこの作業やってないと終わらなかった。いろいろ事情があり持ち帰りで作業してたので、家でもずっと仕事してる状態。そして結局、締め切りギリギリまであくせくするっていう。
まあでもとにかく無事に次工程に送り出せたからね、私はがんばった。えらい。
昨日は安心してよく寝た。そして今日は、仕事をしないでも良く、家で好きなだけ好きなことをしてて良い休日だ。ああ、なんて開放感。
やったーー!! 今年ものりきったーー!!
いやまだ完了ではないんだけど、自分の責任でやる作業範囲はだいたい終わったので。
今年は前年や前々年にくらべるとだいぶ楽だったが、それでも2月後半からの2週間はずーーーっとこの作業やってないと終わらなかった。いろいろ事情があり持ち帰りで作業してたので、家でもずっと仕事してる状態。そして結局、締め切りギリギリまであくせくするっていう。
まあでもとにかく無事に次工程に送り出せたからね、私はがんばった。えらい。
昨日は安心してよく寝た。そして今日は、仕事をしないでも良く、家で好きなだけ好きなことをしてて良い休日だ。ああ、なんて開放感。
Powered by てがろぐ Ver 3.9.0.
晩飯食べた後、ううん気持ち悪ぅ、と思って横になった途端にぐるぐるめまいを起こして、うわあ久々にめまいなったな〜、てなった。
昨日も調子は悪かったが、言うて休むほどではないので意気の上がらんまま仕事してきた。なんせ寝転がったとき、あるいは寝ながら頭を一定の方に向けたときにめまいを起こすので、休んで寝っころがっててもめまい起こすだけだし、それなら起きて動いている方が楽なのだ。
どうせ1日、2日ほど経てば治るとわかっている。