雑記
カテゴリ「日記」に属する投稿[319件](2ページ目)
カクヨムだかアルファポリスだか、小説投稿サイトでAI生成の小説がランキング1位になったという。
これだけの見出しだとなかなか衝撃的だ。反射的に、AIはとうとう人間を凌駕し始めたのかとか、人間という中身がなくたってAIが良質の絵も文章も作れる、読み手がついてPV取れて、つまりマネタイズもできるぞ、人間の作家への脅威だ、いや創作物の民主化だ……みたいな言葉がすでにツイッターには沸き返っている。
ただ、今回の件詳しく見ると、投稿者は1日に30本を超えるAI生成作品を一度に投稿していて、そのうちのいくつかがそれなりの評価を得ているという話だそうだ。つまり数撃ちゃ当たる戦法。加えて、評価をつけた読者サイドにもbotが紛れてる可能性あり、とか。
おそらくpixivでいっとき問題になったように、人がこしらえる数十倍の量と速さでAI生成物が投稿されまくるようになると投稿サイトの場が荒れ、メディアとしての価値自体も減衰するので、おそらく小説投稿サイト側でも、AI生成作品の投稿や公開には、なんらかの規制やフィルタがかける対策を取るのではないかと思う。
しかし実際、なろうなりカクヨムなりのプラットフォームにおいて、読み手側は、書き手の個性を必ず求めているわけでもないかもしれない。
すごく面白いとかじゃなくても、なんとなくキャラがかっこよさげに書かれてるとか、なんか良い具合にチートやザマァが決まってなんとなく楽しい、それで満足だったりするかもしれない。ツボを押さえたテンプレが期待通りのタイミングで期待通りにキマる(水戸黄門の印籠のように)、それがあればいいや、という読み手も実は割といるかもしれず。人間が書いていようがAI生成であろうが、様式のツボさえ押さえてあるなら読む楽しさは満たされるから文句はない、そんな実態がもしかしたらあるかもしれない。
いちおう個人的には、今のAI生成物はまだ、魅力的な創作物、書き手の語りがしっかり乗った創作物、を生成することは得意ではないように思う。単にAIにプロンプト投げてやるだけでは、コミカライズやアニメ化に至るほどのヒット作までは吐き出されはしないだろう。マネタイズという点では、おそらくAIが生み出したそのままのものにはそんなに値段はつかない、おそらく、今はまだ。
ただ、現段階のAIは、すでにむちゃくちゃ文章は上手いというか、読みやすい、飲み込みやすい文章を綴っていく能力に長けている。人間がつるっと飲める文章というのはすごく楽で、引っかからない。その快適さを好ましいと思う人は結構いると思う。逆に言うと、これから何年かかけて、AIが吐き出す文章のスムーズさが標準になり、癖や個性の強い文章はめんどくさがられて忌避されるようになっていくかもしれない、なあと思う。
良し悪しどちらもあるが、人類が日々接するあらゆる情報、文章や画像や音楽といった創作物、つまりあらゆる伝達のための「ことば」「ものがたり」は、もはやAI生成物の存在とその影響を免れ得なくなっている。
すでに私は、物珍しい出来事が起こる動画を観るたびに、この世のものとは思えない美しい風景写真を観るたびに、そのいちいちについて、これはAIが生成した実在しないものなのか、それとも実際に起こったことなのか、と考えてしまう。今までやってきたような情報への対応では、もうままならなくなってきている。
こうした情報の氾濫に、小説ほどの長い物語文というジャンルも、とうとう参入しはじめてきたというだけのことだ。
なお書き手としては、私自身はそれで金を稼いでいるというわけでもない気楽な立場なので、特に焦るものはない。私は物語を自分の脳からひねり出した言葉で書き綴る行為そのものを楽しんでいるのであって、AIにそこの作業を代替してもらう必要はほとんど感じていない。これは絵もいっしょなのだが、自分の指先を動かしながら、線を引いたり消したり、文字を打ったり消したり、あーでもないこーでもないと試行錯誤する行為を繰り返すこと自体が楽しいのだ。面倒は面倒だけど、楽しいは楽しい。だからAI生成使わないと効率的じゃないとか、手作業でもたもたこしらえた悪文駄文なんざ誰も見たくねえ、とか言われたとしても、やっぱり自分で書くし描くだろう。
ああ、ただ、創作物こしらえるのにAI全然使いたくないとかいう話ではなくて、簡単な調べ物や翻訳といったことにAIを便利に利用させてもらってはいる。特に翻訳は、今までアクセスできなかった、まったく知識のない言語の情報にさえかなり気軽に接することができるようになったので、とても助かるなあと思っている。
これだけの見出しだとなかなか衝撃的だ。反射的に、AIはとうとう人間を凌駕し始めたのかとか、人間という中身がなくたってAIが良質の絵も文章も作れる、読み手がついてPV取れて、つまりマネタイズもできるぞ、人間の作家への脅威だ、いや創作物の民主化だ……みたいな言葉がすでにツイッターには沸き返っている。
ただ、今回の件詳しく見ると、投稿者は1日に30本を超えるAI生成作品を一度に投稿していて、そのうちのいくつかがそれなりの評価を得ているという話だそうだ。つまり数撃ちゃ当たる戦法。加えて、評価をつけた読者サイドにもbotが紛れてる可能性あり、とか。
おそらくpixivでいっとき問題になったように、人がこしらえる数十倍の量と速さでAI生成物が投稿されまくるようになると投稿サイトの場が荒れ、メディアとしての価値自体も減衰するので、おそらく小説投稿サイト側でも、AI生成作品の投稿や公開には、なんらかの規制やフィルタがかける対策を取るのではないかと思う。
しかし実際、なろうなりカクヨムなりのプラットフォームにおいて、読み手側は、書き手の個性を必ず求めているわけでもないかもしれない。
すごく面白いとかじゃなくても、なんとなくキャラがかっこよさげに書かれてるとか、なんか良い具合にチートやザマァが決まってなんとなく楽しい、それで満足だったりするかもしれない。ツボを押さえたテンプレが期待通りのタイミングで期待通りにキマる(水戸黄門の印籠のように)、それがあればいいや、という読み手も実は割といるかもしれず。人間が書いていようがAI生成であろうが、様式のツボさえ押さえてあるなら読む楽しさは満たされるから文句はない、そんな実態がもしかしたらあるかもしれない。
いちおう個人的には、今のAI生成物はまだ、魅力的な創作物、書き手の語りがしっかり乗った創作物、を生成することは得意ではないように思う。単にAIにプロンプト投げてやるだけでは、コミカライズやアニメ化に至るほどのヒット作までは吐き出されはしないだろう。マネタイズという点では、おそらくAIが生み出したそのままのものにはそんなに値段はつかない、おそらく、今はまだ。
ただ、現段階のAIは、すでにむちゃくちゃ文章は上手いというか、読みやすい、飲み込みやすい文章を綴っていく能力に長けている。人間がつるっと飲める文章というのはすごく楽で、引っかからない。その快適さを好ましいと思う人は結構いると思う。逆に言うと、これから何年かかけて、AIが吐き出す文章のスムーズさが標準になり、癖や個性の強い文章はめんどくさがられて忌避されるようになっていくかもしれない、なあと思う。
良し悪しどちらもあるが、人類が日々接するあらゆる情報、文章や画像や音楽といった創作物、つまりあらゆる伝達のための「ことば」「ものがたり」は、もはやAI生成物の存在とその影響を免れ得なくなっている。
すでに私は、物珍しい出来事が起こる動画を観るたびに、この世のものとは思えない美しい風景写真を観るたびに、そのいちいちについて、これはAIが生成した実在しないものなのか、それとも実際に起こったことなのか、と考えてしまう。今までやってきたような情報への対応では、もうままならなくなってきている。
こうした情報の氾濫に、小説ほどの長い物語文というジャンルも、とうとう参入しはじめてきたというだけのことだ。
なお書き手としては、私自身はそれで金を稼いでいるというわけでもない気楽な立場なので、特に焦るものはない。私は物語を自分の脳からひねり出した言葉で書き綴る行為そのものを楽しんでいるのであって、AIにそこの作業を代替してもらう必要はほとんど感じていない。これは絵もいっしょなのだが、自分の指先を動かしながら、線を引いたり消したり、文字を打ったり消したり、あーでもないこーでもないと試行錯誤する行為を繰り返すこと自体が楽しいのだ。面倒は面倒だけど、楽しいは楽しい。だからAI生成使わないと効率的じゃないとか、手作業でもたもたこしらえた悪文駄文なんざ誰も見たくねえ、とか言われたとしても、やっぱり自分で書くし描くだろう。
ああ、ただ、創作物こしらえるのにAI全然使いたくないとかいう話ではなくて、簡単な調べ物や翻訳といったことにAIを便利に利用させてもらってはいる。特に翻訳は、今までアクセスできなかった、まったく知識のない言語の情報にさえかなり気軽に接することができるようになったので、とても助かるなあと思っている。
天気ずっと雨曇り雨曇りくもりくもり雨曇り!て感じ。
来週もずっと天気悪。
ハァ? レモン彗星見に行く気満々でしたけど?!
まさかこんなにぐずつき天気がダラダラ続くとは思わなかった。
なんだよも〜なんで雲多いんだよも〜
熱帯雨林気候が目の前だからなんだけどさ〜(本島あたりは日本と同じ温暖湿潤気候の範囲だが、石垣島らへんは熱帯雨林気候に分類されている)
というわけで、関東よりは明らかに空気が澄んでいるのだが、天体観測には全然向いてない、そんな地域に住んでいる。
晴れた日で離島なら確実に天の川もバッチリ見える、なんなら本島の中部でさえ、場所選べば普通に天の川くらい見えたりするんだけど、とにかく空気に湿度が多い。あと島なので、水平線からすぐの高さになにかと雲が常駐しがちで、彗星のように高度が低い天体の観測はなかなか難しいのだった。天頂のあたりにはちっとも雲のない、さっぱりした快晴であってもも、水平線の上にはだいたい雲が湧いてるふよふよ流れてるっていう。
来週の後半、どうにか晴れてくれないかなあ。
来週もずっと天気悪。
ハァ? レモン彗星見に行く気満々でしたけど?!
まさかこんなにぐずつき天気がダラダラ続くとは思わなかった。
なんだよも〜なんで雲多いんだよも〜
熱帯雨林気候が目の前だからなんだけどさ〜(本島あたりは日本と同じ温暖湿潤気候の範囲だが、石垣島らへんは熱帯雨林気候に分類されている)
というわけで、関東よりは明らかに空気が澄んでいるのだが、天体観測には全然向いてない、そんな地域に住んでいる。
晴れた日で離島なら確実に天の川もバッチリ見える、なんなら本島の中部でさえ、場所選べば普通に天の川くらい見えたりするんだけど、とにかく空気に湿度が多い。あと島なので、水平線からすぐの高さになにかと雲が常駐しがちで、彗星のように高度が低い天体の観測はなかなか難しいのだった。天頂のあたりにはちっとも雲のない、さっぱりした快晴であってもも、水平線の上にはだいたい雲が湧いてるふよふよ流れてるっていう。
来週の後半、どうにか晴れてくれないかなあ。
絵をなあ、描いてる場合ではない……という躊躇いがあることについてここに書いたが、しかし絵を描くこと自体は、頭と手指が連動するタイプでそんなに金もかからない趣味なので、続けた方が良いなとも思う。たぶん年寄りになったときに効く。
一時中断してしまうかも考えたが、描くのを休止すると、意欲も手順もすぐ忘れて薄まってしまう。老後に絵を趣味にできる程度を維持するには、上達を目指さないにしてもなお、継続的に絵を描き続ける必要はあるように思う。じゃないと、たぶんだけど、鉛筆握って絵を描こう、という気待を維持できなくて、描けなくなる。
絵を描く行為は、わりと身体を使う行動だ。同時に、視覚中心に、脳に情報を延々と受け止め続ける行為であり、かつまた、一瞬一瞬、短く考え判断し続ける行為だ。頭使う、精神力も消費する。
身体のいろんな機能を使うので、年寄りの趣味にほんと悪くないとは思うが、わりとくたびれる趣味でもあるので、体を慣れさせ続けてないと、年取って急に、昔取った杵柄……と思っても、うまく取り組めない気がするのだ。続けてないと、手と脳を慣れさせ続けておかないと。
だから絵は、がんばって描く癖を捨てないどこ、と思った。年寄りになったときに健康に効きそうな趣味、他に持ってないし。(作文はねえ、考えなくてもずっと続けてるとは思うけど、絵描くほど身体のいろんな機能を使うタイプの手すさびじゃないからなあ)
一時中断してしまうかも考えたが、描くのを休止すると、意欲も手順もすぐ忘れて薄まってしまう。老後に絵を趣味にできる程度を維持するには、上達を目指さないにしてもなお、継続的に絵を描き続ける必要はあるように思う。じゃないと、たぶんだけど、鉛筆握って絵を描こう、という気待を維持できなくて、描けなくなる。
絵を描く行為は、わりと身体を使う行動だ。同時に、視覚中心に、脳に情報を延々と受け止め続ける行為であり、かつまた、一瞬一瞬、短く考え判断し続ける行為だ。頭使う、精神力も消費する。
身体のいろんな機能を使うので、年寄りの趣味にほんと悪くないとは思うが、わりとくたびれる趣味でもあるので、体を慣れさせ続けてないと、年取って急に、昔取った杵柄……と思っても、うまく取り組めない気がするのだ。続けてないと、手と脳を慣れさせ続けておかないと。
だから絵は、がんばって描く癖を捨てないどこ、と思った。年寄りになったときに健康に効きそうな趣味、他に持ってないし。(作文はねえ、考えなくてもずっと続けてるとは思うけど、絵描くほど身体のいろんな機能を使うタイプの手すさびじゃないからなあ)
絵を描くのはやめようかなあ、という考えは、わりといつもなんとなく持っているのだが、実際やめてしまうと決めてしまったらどうだろう、という気持ちが、ここ半年ほどかなり心にひっかかっている。
らくがきを描くのは楽しいし、どんな絵であれ描き上げたところまで届いたらそれなりの満足感もあるし、自分の絵はそう嫌いではない。
ただ、まあやはり、他人の目からすれば、喜んで見るような絵でもまるでないので……らくがきは、らくがきだから自分が楽しけりゃいいではある。しかし、たまに必死に自分なりの全力で絵を描いてみても、絵として魅力的なところが薄いものしか描けない。もちろん下手で絵の技術がないからだ。絵としての核がなんか欠けてる、というか華がない、ような気がする。といって、なんかそういう、絵であることの魅力がちゃんと出せるとこまで、コツが掴めるとこまで絵の練習を頑張れる気もしない。もちろん漫画を描く能力はほぼゼロで、特にストーリー漫画は描けない。(1枚のらくがきをするのと、ちゃんとした絵を仕上げるぞと臨むのと、そして漫画という媒体で物語を描きだすことは、それぞれまったく別の種類の作業だと考えている。もちろん文章を書くのはさらに違うかたちの作業だ)
とはいえ、描くこと自体は楽しいので下手でもいいから描くだけ描き、そして枯れ木も山ってやつでネットにも置くようにはしているのだが、本当にこれにどれだけ意味があるのやら……という疑念がどうもいつもちらちら揺れている気がする。
それに、らくがき描いて満足してると、なんか物語のかたちに仕上げなきゃなっていう衝動を中途半端に満足させてしまってる気がしているのだ。そんな物語っぽい半端ものであれコンテンツはコンテンツでしょ、とか、言うて文章よりはやっぱ絵のほうがキャッチーではあるんだよ一目見てぱっと全体が掴めるもの、というメリットも考えては来たが。
しかしなにせ絵を描くことに慣れてないので筆が遅く、らくがきのくせにうっすら時間をかけて描いてネットに転がしててる。しかしそんなことをして小手先ごまかしていやしないか、みたいな。私は推し作品のなにが好きかを深々考えたり、推し作品の世界にタッチできる物語を(自分のために)こしらえる手業からなんとなく逃避してる気もしてきたあーー!というのが、最近の私のなんとなくのひっかかりなのだ。
とはいえ、考えすぎな気もしてる……べつにネットの隅の数メガもないくらいのデータ量使ってて誰が困るわけでもないし。らくがきはらくがきで楽しいしなあ。でも人に見せる意味はなあ……考えてみればないんだよなあ、特には。まあしかし、文章よりは絵のほうがとっつきやすくてフレンドリーさある……それくらいしか理由がない……つまり推しを推す活動が他者に対してフレンドリーである必然をどれだけ重要視するか。いや、そりゃ重要だよな。そうだけど。
うーん。絵……うーん、どうしよう。まだなんとなく考え込んでる。しばらく(年単位になりそう、気が長い)考え込んでると思う。
追記:
考えたら液タブ買っちゃってるからな……液タブ壊れるまでは絵は描いとくがいいか。液タブがもったいないからな。絵を公開するものとして描くかどうかはまた悩むとして。(でも人に見せるとでも思わないと描き切る根性が実はなかったりする……怠け者だから……)
らくがきを描くのは楽しいし、どんな絵であれ描き上げたところまで届いたらそれなりの満足感もあるし、自分の絵はそう嫌いではない。
ただ、まあやはり、他人の目からすれば、喜んで見るような絵でもまるでないので……らくがきは、らくがきだから自分が楽しけりゃいいではある。しかし、たまに必死に自分なりの全力で絵を描いてみても、絵として魅力的なところが薄いものしか描けない。もちろん下手で絵の技術がないからだ。絵としての核がなんか欠けてる、というか華がない、ような気がする。といって、なんかそういう、絵であることの魅力がちゃんと出せるとこまで、コツが掴めるとこまで絵の練習を頑張れる気もしない。もちろん漫画を描く能力はほぼゼロで、特にストーリー漫画は描けない。(1枚のらくがきをするのと、ちゃんとした絵を仕上げるぞと臨むのと、そして漫画という媒体で物語を描きだすことは、それぞれまったく別の種類の作業だと考えている。もちろん文章を書くのはさらに違うかたちの作業だ)
とはいえ、描くこと自体は楽しいので下手でもいいから描くだけ描き、そして枯れ木も山ってやつでネットにも置くようにはしているのだが、本当にこれにどれだけ意味があるのやら……という疑念がどうもいつもちらちら揺れている気がする。
それに、らくがき描いて満足してると、なんか物語のかたちに仕上げなきゃなっていう衝動を中途半端に満足させてしまってる気がしているのだ。そんな物語っぽい半端ものであれコンテンツはコンテンツでしょ、とか、言うて文章よりはやっぱ絵のほうがキャッチーではあるんだよ一目見てぱっと全体が掴めるもの、というメリットも考えては来たが。
しかしなにせ絵を描くことに慣れてないので筆が遅く、らくがきのくせにうっすら時間をかけて描いてネットに転がしててる。しかしそんなことをして小手先ごまかしていやしないか、みたいな。私は推し作品のなにが好きかを深々考えたり、推し作品の世界にタッチできる物語を(自分のために)こしらえる手業からなんとなく逃避してる気もしてきたあーー!というのが、最近の私のなんとなくのひっかかりなのだ。
とはいえ、考えすぎな気もしてる……べつにネットの隅の数メガもないくらいのデータ量使ってて誰が困るわけでもないし。らくがきはらくがきで楽しいしなあ。でも人に見せる意味はなあ……考えてみればないんだよなあ、特には。まあしかし、文章よりは絵のほうがとっつきやすくてフレンドリーさある……それくらいしか理由がない……つまり推しを推す活動が他者に対してフレンドリーである必然をどれだけ重要視するか。いや、そりゃ重要だよな。そうだけど。
うーん。絵……うーん、どうしよう。まだなんとなく考え込んでる。しばらく(年単位になりそう、気が長い)考え込んでると思う。
追記:
考えたら液タブ買っちゃってるからな……液タブ壊れるまでは絵は描いとくがいいか。液タブがもったいないからな。絵を公開するものとして描くかどうかはまた悩むとして。(でも人に見せるとでも思わないと描き切る根性が実はなかったりする……怠け者だから……)
寝っ転がってスマホいじってるとき、手元を誤って枕元に落とした。たまたま落下した箇所にサブの、二世代前に使っていたスマホがあって、ガチンと思い切り当たる音がしていた。
現用スマホもサブも京セラのTORQUEシリーズで、現用は06、サブは03である。どっちも頑丈で、今まで散々ポケットから転がり落としてはアスファルトに叩きつけるうっかりなどにも耐えてきた連中なので、ぶつけてもあまり心配をしていなかった。ただ、なんとなく、最強の矛と最強の盾をぶつけると……みたいな故事成語をなんとなく連想した。ダイヤモンドを傷つけることができるのはダイヤモンドだけ……みたいな。なんか少年漫画にありそうな感じの。最強タフスマホと最強タフスマホ(ゴリラガラス)同士をぶつけるとどうなるのか……
とはいえ、現用スマホのほうは何の不具合も見当たらなかったのでそのまま忘れていたのだが、数時間経ってふとサブのスマホの画面を見たら、打撃でダメージを食らっていたことに気づいた。

サブの方はもうSIMも入ってないし、最近は動作も重いわ突然の再起動を繰り返すわで動きが怪しくなってきているので、サブとはいえほぼ時計代わりにしか使っていないから、画面にヒビが入ったとしても困ることはあまりない。ただ、不注意でこう目立つヒビを入れてしまったのは、なんだかかわいそうなことをしちゃったなと思う。というか、時間差でダメージに気づいたので、マジで少年漫画ぽいわという変な感慨もある。あるけど、やっぱ画面に不具合あるとしょんぼりではあるわ。ごめんな03。
現用スマホもサブも京セラのTORQUEシリーズで、現用は06、サブは03である。どっちも頑丈で、今まで散々ポケットから転がり落としてはアスファルトに叩きつけるうっかりなどにも耐えてきた連中なので、ぶつけてもあまり心配をしていなかった。ただ、なんとなく、最強の矛と最強の盾をぶつけると……みたいな故事成語をなんとなく連想した。ダイヤモンドを傷つけることができるのはダイヤモンドだけ……みたいな。なんか少年漫画にありそうな感じの。最強タフスマホと最強タフスマホ(ゴリラガラス)同士をぶつけるとどうなるのか……
とはいえ、現用スマホのほうは何の不具合も見当たらなかったのでそのまま忘れていたのだが、数時間経ってふとサブのスマホの画面を見たら、打撃でダメージを食らっていたことに気づいた。

サブの方はもうSIMも入ってないし、最近は動作も重いわ突然の再起動を繰り返すわで動きが怪しくなってきているので、サブとはいえほぼ時計代わりにしか使っていないから、画面にヒビが入ったとしても困ることはあまりない。ただ、不注意でこう目立つヒビを入れてしまったのは、なんだかかわいそうなことをしちゃったなと思う。というか、時間差でダメージに気づいたので、マジで少年漫画ぽいわという変な感慨もある。あるけど、やっぱ画面に不具合あるとしょんぼりではあるわ。ごめんな03。
パンさあ、食パン。
別に普段食べてる、変哲のないいつものパンなんだけど、なんか妙に美味いな~ってなるときある。
パン、美味いぜ、美味い、小麦の恵みだよ。
晩飯、適当に冷凍庫に余ってた野菜の切れっ端とか冷凍シーフードを炒めて、そんでスーパーで安売りしてたボンゴレビアンコのソース和えて、まあこれもすげー変哲のない味だし人にお出しできる飯じゃねえんだけど、私は貝類の味好きだから、まあ私にはだいぶ美味いわけ。そんで、具材炒めたフライパンにうっすらのこったソースがちょっともったいないなってんで、食パンのはじの、ほぼ耳だけの切り落とし部分あるやん、あれで拭って食べるっていうみみっちい食べ方したわけ。んでソースもいい感じに好みの味だし、パンもなんかしみじみ美味いしさ。はぁ、これは私、ただいま人生にだいぶ満足しちまってるな、て、なんかエモ感じちゃったってわけ。
あと、今日は同僚から、「コーグヮーシ要ります?」て聞かれてな。
まあ即答よ、「余ってるんだな、くれよ、くれよ、くれくれ、ぜひ!」

(文庫本とほぼ同じ高さ、幅はさらにもうちょっとある!
なお、むき出しに見えるが、なんかピチっとパッキングされてるだけで、ちゃんと表面はフィルム張り。
最初出されたとき、エッむき出しかい!ってびっくりしたけどそんなはずはなかった)
コーグヮーシ、これは沖縄語の言い方で(たぶん漢字を当てるなら羹菓子かねえ)、日本語で言う、いわゆる落雁。お盆とか法事のときにお供えする、あの鯛とか蓮とかのかたちしててグラデ便箋みたいなレインボーで彩られてるやつ。和菓子屋で買えるような品が良くて干菓子とか呼ばれてるあの丁寧な食べ物じゃないやつね。
それのもっと色がついてないやつ。砂糖と米粉の味が延々する地味なやつ。あれ。
そう、地味な味が好きな私の、わりと好物のひとつなんだ。
好物ったって飛びつくほど好きってほどじゃないけど(葡萄とかベリー類ほどの好き枠ではない)、あったら嬉しくなって、ちまちま食べるんよね。
だけどあれ、地味な味なせいかそんなに喜ぶ人いないらしくて、コーグヮーシが余ったらだいたい私に声かけてもらえるんだ。私、気がつけばコーグヮーシ処理班という立ち位置をゲットしている。
個人的には、フチャギほど飽きる味でもないし、甘くて美味いし、湿気のこないとこにしまっておけばまあまあ日持ちもするから、口寂しいときにかけらに割って、一切れ二切れ、ちまちまかじるのはかなりいい感じなんだけどな。
とりあえず、世間ではそれほどもてはやされてないものを好きなときは、私はこれが好き!と隙あらばアピールしている。そうするとニッチな需要に滑り込めて、世間でそいつがもて余されたとき、ちゃんと私に回ってくるのだ。ライフハックとかいえばいくらか聞こえが良いが、まあぶっちゃけ、みみっちいというか、さもしい行動ではあるのだろう。しかし私は、私の好きなものがなんとなく持て余されてるの、なんかしょんぼりしちゃうわけよ……頼むよ邪険にしないでやってくれよ私が食べるからよこしてくれよ、その美味しいの。そんな感じ。
ちなみに他の人もたいがい好きなものでも、まあ積極的に好きを全露出してはいる。葡萄とか葡萄とか葡萄とかネオアトラスとか船とか馬のことだね(食べ物に限らない)……とりあえずこれが好き、をアピールしておくと、あんたの好きなあれに関連してこんな情報あったよ!ってすぐ人から新情報を教えてもらえるから、超ありがたいよ。
話がまとまんねえが、まあテーマのある話じゃない。思いつくままキーボードを打っている。私、地味めの味がけっこう好きって、なんとなくそんなことを言いたいのかもしれない。
というわけで、コーグヮーシをデザートにするために、コーヒーもわざわざ入れた。自分が好むものをおよそからもらいものしたとき、いつでもありがてえので、美味しく食べる支度はおさおさ怠らない。
それにしたって、まあ、よう食うわね。
どうあっても痩せたりしないわけだよ。
別に普段食べてる、変哲のないいつものパンなんだけど、なんか妙に美味いな~ってなるときある。
パン、美味いぜ、美味い、小麦の恵みだよ。
晩飯、適当に冷凍庫に余ってた野菜の切れっ端とか冷凍シーフードを炒めて、そんでスーパーで安売りしてたボンゴレビアンコのソース和えて、まあこれもすげー変哲のない味だし人にお出しできる飯じゃねえんだけど、私は貝類の味好きだから、まあ私にはだいぶ美味いわけ。そんで、具材炒めたフライパンにうっすらのこったソースがちょっともったいないなってんで、食パンのはじの、ほぼ耳だけの切り落とし部分あるやん、あれで拭って食べるっていうみみっちい食べ方したわけ。んでソースもいい感じに好みの味だし、パンもなんかしみじみ美味いしさ。はぁ、これは私、ただいま人生にだいぶ満足しちまってるな、て、なんかエモ感じちゃったってわけ。
あと、今日は同僚から、「コーグヮーシ要ります?」て聞かれてな。
まあ即答よ、「余ってるんだな、くれよ、くれよ、くれくれ、ぜひ!」

(文庫本とほぼ同じ高さ、幅はさらにもうちょっとある!
なお、むき出しに見えるが、なんかピチっとパッキングされてるだけで、ちゃんと表面はフィルム張り。
最初出されたとき、エッむき出しかい!ってびっくりしたけどそんなはずはなかった)
コーグヮーシ、これは沖縄語の言い方で(たぶん漢字を当てるなら羹菓子かねえ)、日本語で言う、いわゆる落雁。お盆とか法事のときにお供えする、あの鯛とか蓮とかのかたちしててグラデ便箋みたいなレインボーで彩られてるやつ。和菓子屋で買えるような品が良くて干菓子とか呼ばれてるあの丁寧な食べ物じゃないやつね。
それのもっと色がついてないやつ。砂糖と米粉の味が延々する地味なやつ。あれ。
そう、地味な味が好きな私の、わりと好物のひとつなんだ。
好物ったって飛びつくほど好きってほどじゃないけど(葡萄とかベリー類ほどの好き枠ではない)、あったら嬉しくなって、ちまちま食べるんよね。
だけどあれ、地味な味なせいかそんなに喜ぶ人いないらしくて、コーグヮーシが余ったらだいたい私に声かけてもらえるんだ。私、気がつけばコーグヮーシ処理班という立ち位置をゲットしている。
個人的には、フチャギほど飽きる味でもないし、甘くて美味いし、湿気のこないとこにしまっておけばまあまあ日持ちもするから、口寂しいときにかけらに割って、一切れ二切れ、ちまちまかじるのはかなりいい感じなんだけどな。
とりあえず、世間ではそれほどもてはやされてないものを好きなときは、私はこれが好き!と隙あらばアピールしている。そうするとニッチな需要に滑り込めて、世間でそいつがもて余されたとき、ちゃんと私に回ってくるのだ。ライフハックとかいえばいくらか聞こえが良いが、まあぶっちゃけ、みみっちいというか、さもしい行動ではあるのだろう。しかし私は、私の好きなものがなんとなく持て余されてるの、なんかしょんぼりしちゃうわけよ……頼むよ邪険にしないでやってくれよ私が食べるからよこしてくれよ、その美味しいの。そんな感じ。
ちなみに他の人もたいがい好きなものでも、まあ積極的に好きを全露出してはいる。葡萄とか葡萄とか葡萄とかネオアトラスとか船とか馬のことだね(食べ物に限らない)……とりあえずこれが好き、をアピールしておくと、あんたの好きなあれに関連してこんな情報あったよ!ってすぐ人から新情報を教えてもらえるから、超ありがたいよ。
話がまとまんねえが、まあテーマのある話じゃない。思いつくままキーボードを打っている。私、地味めの味がけっこう好きって、なんとなくそんなことを言いたいのかもしれない。
というわけで、コーグヮーシをデザートにするために、コーヒーもわざわざ入れた。自分が好むものをおよそからもらいものしたとき、いつでもありがてえので、美味しく食べる支度はおさおさ怠らない。
それにしたって、まあ、よう食うわね。
どうあっても痩せたりしないわけだよ。
電ファミで「記憶を消してもういちど遊びたいゲームは?」というアンケートをやっていて、アンケで名前が挙がったソフト名を全列挙という記事があったのだが
https://news.denfaminicogamer.jp/kikakut...
ネオアトラスがないじゃん!(大航海時代もないです)
まあネオアトラスも大航海時代も、記憶消してあの驚愕をもいっかい!というタイプのゲームではないからね。
世間一般にはね。
私にとっては。
私にとってはそうじゃない。
記憶消してもっかい、もっかい遊びたい!
もっかいアマゾネスイベントの驚きと萌え悶えを体験したいんですけどおお?!!
私は基本的に人生において後悔とか、「あのときに戻れたら」という考えを抱かないタイプの人間なのだが(やりきって満足とかそういうのではなく、味の悪い過去は都合良く忘却して生きていくタイプ)アマゾネスイベントについてだけは、20年ちょっと前、大学生のときにネオアトラス最初に遊んだときにどうしてゾネスイベスルーしちゃってたんだよぉお!!というのだけ、なんかとても悔しいのだった。
あのとき、ゾネスイベクリアしてたら、絶対、ペレスとアブトゥにどハマりしてたと思うんだよなあ。好みどまんなか男女なんだもん……。
近い時期にガンパレとかにハマったりしてうっかり二次創作小説とか二つ三つばかりは書いていたあの頃の自分が、ネオアト2に今のレベルでドはまりしてたらどうなってたかなあと。
そう、あの頃は自作ホームページを持ち、webringとやらにも参加し、コミケとかにも足を運ぶレベルでだいぶオタ活づいていた時期だったのだ。もしかしてあの頃、コミケで探してりゃ、うっかりネオアトの同人誌見つけられてたりしませんかねええ?!
まあ、そうはいっても、現実はそうじゃなかったのだ。
私は大学を出て仕事に就いて、二次創作もしなくなったし、ゲームもあまり遊ばなくなった。
自分の根っこがオタクであることの自覚はあったけれども、オタク的な活動からはだいぶ遠のいたし、次第にオタ活動の記憶も遠くなっていった。
令和に入る頃には、「萌え、二次創作、そういうものをいくらかたしなんだ過去もあったな……」くらいの距離感になっていた。山並みの向こうの黄金の残照を見つめるような気持ちとでもいえばいいのか。慕わしさはあれどもあれはだんだんに過ぎていく、真昼のきらめく日差しだったのだ。
……だったのに、なんだよ。
なんなんだよ、1469。おまえ。
そんな、そんな萌えをさあ、令和の世に私にたたき込んできてくれてさあ!
ていうかほんと、なんで平成のうちに私はアブトゥの正体に気づくことができなかったのか。
ぐやじいいい!!
もっと早いうちに萌えてたかったし、1469発売の知らせでウワァーーー!!!!2リメイクきちゃったよぉどうするどうするのどうなるの推したちーーーー!!!って、ソワッソワしたかったな……発売すぐのころのイベントとかにも参加しまくりたかった……。
あとネオアトラス3も遊べば良かったな……
ほんとここについてだけ後悔というか。後から悔しさかみしめてる。
後から悔しがる、その字面のまんまの後悔を、人生でここまで感じた記憶はない。
とはいえ、おそらくネオアトを一度遊んで、海運交易ゲーム楽しいね~の体験がなければ大航海時代オンラインを遊んではおらず、そして大航海時代シリーズにハマっていなければ、ネオアトラス1469を遊ぶということもなかった。そういう運命だったのだと納得するしかない。
あと、二次創作については、二十代前半にちょろっと手を染めて(これについては、ほんとにちょろっとで、ネットでサイト作って二次創作小説何本か置いてたくらいで、紙の同人誌は出したことがなかった)それ以降は一次にしろ二次にしろ小説やイラスト書くってことはほとんどなかったのだが、1469どハマりのおかげで今更紙の本は出すわコミケに出るわと、えらい勢いづいてしまった。
20代で遠ざかって以降、二十年ほど創作活動というものはほぼ空白だったので、正直技量も積まれてなきゃ深みも掘っておらず、この年齢になってこの稚拙な二次創作を世にさらすってのは正直だいぶ恥ずかしいのだが、そうは言っても多分、二十代だったら今サイトに上げているような二次小説は書けてなかったようにも思う。特に『四方の風』にまとめた短編とかは、自分がこういうタイプのものを書けるとはあまり思っていなかったのに、ふと思いつくまま書いてみたらなんとなしに当たり前みたいに書き出せてたので、自分でも意外だった。あのへんはほんとにネオアトラスという作品あってこその短編なので、なんかこういうの書かせてもらえる作品にめぐりあって良かったなあ、と思っている。
ま、それはそれとして、一週間くらいのあいだだけ記憶消せるなら記憶飛ばして、そしてもっかいゾネスイベ味わってみたいねえ。多分おんなじように萌え転がれると思うわ。萌え転がりたいわ。
いや今でも萌え転がれるんだけどさ。それはそれとして、あの衝撃をさ。うん、ほんと記憶消して遊べたら遊んでみたいなマジで。
https://news.denfaminicogamer.jp/kikakut...
ネオアトラスがないじゃん!(大航海時代もないです)
まあネオアトラスも大航海時代も、記憶消してあの驚愕をもいっかい!というタイプのゲームではないからね。
世間一般にはね。
私にとっては。
私にとってはそうじゃない。
記憶消してもっかい、もっかい遊びたい!
もっかいアマゾネスイベントの驚きと萌え悶えを体験したいんですけどおお?!!
私は基本的に人生において後悔とか、「あのときに戻れたら」という考えを抱かないタイプの人間なのだが(やりきって満足とかそういうのではなく、味の悪い過去は都合良く忘却して生きていくタイプ)アマゾネスイベントについてだけは、20年ちょっと前、大学生のときにネオアトラス最初に遊んだときにどうしてゾネスイベスルーしちゃってたんだよぉお!!というのだけ、なんかとても悔しいのだった。
あのとき、ゾネスイベクリアしてたら、絶対、ペレスとアブトゥにどハマりしてたと思うんだよなあ。好みどまんなか男女なんだもん……。
近い時期にガンパレとかにハマったりしてうっかり二次創作小説とか二つ三つばかりは書いていたあの頃の自分が、ネオアト2に今のレベルでドはまりしてたらどうなってたかなあと。
そう、あの頃は自作ホームページを持ち、webringとやらにも参加し、コミケとかにも足を運ぶレベルでだいぶオタ活づいていた時期だったのだ。もしかしてあの頃、コミケで探してりゃ、うっかりネオアトの同人誌見つけられてたりしませんかねええ?!
まあ、そうはいっても、現実はそうじゃなかったのだ。
私は大学を出て仕事に就いて、二次創作もしなくなったし、ゲームもあまり遊ばなくなった。
自分の根っこがオタクであることの自覚はあったけれども、オタク的な活動からはだいぶ遠のいたし、次第にオタ活動の記憶も遠くなっていった。
令和に入る頃には、「萌え、二次創作、そういうものをいくらかたしなんだ過去もあったな……」くらいの距離感になっていた。山並みの向こうの黄金の残照を見つめるような気持ちとでもいえばいいのか。慕わしさはあれどもあれはだんだんに過ぎていく、真昼のきらめく日差しだったのだ。
……だったのに、なんだよ。
なんなんだよ、1469。おまえ。
そんな、そんな萌えをさあ、令和の世に私にたたき込んできてくれてさあ!
ていうかほんと、なんで平成のうちに私はアブトゥの正体に気づくことができなかったのか。
ぐやじいいい!!
もっと早いうちに萌えてたかったし、1469発売の知らせでウワァーーー!!!!2リメイクきちゃったよぉどうするどうするのどうなるの推したちーーーー!!!って、ソワッソワしたかったな……発売すぐのころのイベントとかにも参加しまくりたかった……。
あとネオアトラス3も遊べば良かったな……
ほんとここについてだけ後悔というか。後から悔しさかみしめてる。
後から悔しがる、その字面のまんまの後悔を、人生でここまで感じた記憶はない。
とはいえ、おそらくネオアトを一度遊んで、海運交易ゲーム楽しいね~の体験がなければ大航海時代オンラインを遊んではおらず、そして大航海時代シリーズにハマっていなければ、ネオアトラス1469を遊ぶということもなかった。そういう運命だったのだと納得するしかない。
あと、二次創作については、二十代前半にちょろっと手を染めて(これについては、ほんとにちょろっとで、ネットでサイト作って二次創作小説何本か置いてたくらいで、紙の同人誌は出したことがなかった)それ以降は一次にしろ二次にしろ小説やイラスト書くってことはほとんどなかったのだが、1469どハマりのおかげで今更紙の本は出すわコミケに出るわと、えらい勢いづいてしまった。
20代で遠ざかって以降、二十年ほど創作活動というものはほぼ空白だったので、正直技量も積まれてなきゃ深みも掘っておらず、この年齢になってこの稚拙な二次創作を世にさらすってのは正直だいぶ恥ずかしいのだが、そうは言っても多分、二十代だったら今サイトに上げているような二次小説は書けてなかったようにも思う。特に『四方の風』にまとめた短編とかは、自分がこういうタイプのものを書けるとはあまり思っていなかったのに、ふと思いつくまま書いてみたらなんとなしに当たり前みたいに書き出せてたので、自分でも意外だった。あのへんはほんとにネオアトラスという作品あってこその短編なので、なんかこういうの書かせてもらえる作品にめぐりあって良かったなあ、と思っている。
ま、それはそれとして、一週間くらいのあいだだけ記憶消せるなら記憶飛ばして、そしてもっかいゾネスイベ味わってみたいねえ。多分おんなじように萌え転がれると思うわ。萌え転がりたいわ。
いや今でも萌え転がれるんだけどさ。それはそれとして、あの衝撃をさ。うん、ほんと記憶消して遊べたら遊んでみたいなマジで。
今日は十五夜だ。満月がきれいに見えている。
写真に撮りたいが、今持ってるスマホもコンデジも、月の撮影には不向きでまったくまともに撮れはしなかった。私の持ってるコンデジはTg-7で、頑丈なうえにマクロ撮影がやたらうまくいくので資料撮影向きだと思って買ったのだが(実際、資料をとりあえずなんでもかんでも撮っておくという使い方をするには非常に勝手が良い)、遠くのものはそれほどうまくない。
代わりというのもなんだが、沖縄の十五夜の行事食、フチャギを撮っておいた。
一番下にそのフチャギの写真を置いてあるが、粒の小豆が大量に白餅に群がっている、という見た目なので、集合体の見た目がダメな人にはアウトかもしれない。スクロールするときはご注意ください。
(ちょっと空白も空けておく)。
さて、見た目がだいぶアレだが、味は意外と……ということもなく、見た目から想像される通りの味だ。
というのは、味付けらしい味付けがほとんどないからだ。
餅粉を練って蒸した白餅、要は味付けのない白玉団子そのまま味、これがのぺっと長方形の塊になっていて、この「のぺっ」にうっすら塩煮しただけの甘くない小豆がまぶしてある、それだけである。
これがフチャギで、この材料や製法から想像するとおりの味である。とにかく地味。
強いて言えば、小豆そのまま、餅粉そのままの味を堪能できるとは思う。農作の恵みの味である。
私も、最初の一口、二口くらい、口いっぱいに広がる「豆だー!」の風味を楽しむ。そのためにわざわざ買っている。
が、きなこやはったい粉などの地味風味の穀物粉を好む私でさえ、フチャギは三口目あたりから早くも飽きる。漠然とした味、そしてぬぼっとした大きさ……とにかくアクセントのない味、そしてむやみと腹にたまる。
収穫の秋にふさわしき「穀」の味に満ちてはいるのだが、とにかく単調である。
こういう食べ物だけども、やっぱり沖縄の民は十五夜にはフチャギを食べたいものなのだろう。毎年、旧の八月十五夜の日だけ、このフチャギが大量にスーパーに並ぶ。いちおう平生でも惣菜コーナーにちょろっと置いてあることもあるが、普段わざわざフチャギを買う人というのもあまりいないので、平常は置いてないことのほうが多い。
私も毎年十五夜にはスーパーでフチャギの三個入りを買う。本当言うと一個で十分なのだが、最小ロットが三個からなのだ。
自分で好みの量を作ったらいいのだろうが、気が向かない。地味な味のくせに手間と時間はかかる。自分が食べたい一つ二つのふちゃぎをわざわざこしらえるのは、めちゃくちゃコスパが悪いのだ。といって、大量に作ったところで持て余すだけだ。喜んでフチャギを大量に平らげてくれる人なんてSSRの割合でしか世間に存在していない。職場や友人に持って行ったとしても特に喜ばれはしないので処理に困る。
なお、スーパーには、砂糖とか、紅いも、よもぎなどで味や風味を足したものも売っている。味が単調なのがダメってんなら味ついてるやつ買えばいいじゃんと思うかもしれないが、甘けりゃ甘いでやっぱり飽きるし腹にたまる速度は1.5倍くらいになる。味がついてもやっぱり単調なのだ。いっそ甘い味などない方が、小豆のまめまめしい風味を堪能できてまだ喜びがある。
そういうわけで、毎年十五夜には私はわざわざフチャギを買いにスーパーにいくし、買うなら絶対に味なしのもの、とこだわっている(夕方遅めにスーパーに行ってみたら甘い味のやつしか残ってなくて、その年のフチャギを断念したこともある)
いちおう餅ということで、おやつの位置づけの食べ物だが、正直、腹にたまりすぎるので、晩飯として食べている。今日の晩飯はうどんにしようかなと思っていたのだが、そうだフチャギ買わなきゃ!と思ったので、フチャギと、あと惣菜コーナーに並んでたなんかの野菜を買って、それで晩飯にした。
……たぶんフチャギも、冷たくした汁粉なんかにデカい白玉として沈めて食べればそれなりにうまいのではないかと思う。だが、わざわざそんなことはしない。そんなものはフチャギではない。私は十五夜の晩にフチャギをこそ食べたいのだ、甘くない、単調で漠然としたあの豊年満作を、味わって祝いたいのだ。
そう言って、毎年、今年も、ただただのっぺりと立ち塞がる小豆と米粉の味に溺れている。
というわけで、この下に、そのフチャギの写真貼っておくね。
写真に撮りたいが、今持ってるスマホもコンデジも、月の撮影には不向きでまったくまともに撮れはしなかった。私の持ってるコンデジはTg-7で、頑丈なうえにマクロ撮影がやたらうまくいくので資料撮影向きだと思って買ったのだが(実際、資料をとりあえずなんでもかんでも撮っておくという使い方をするには非常に勝手が良い)、遠くのものはそれほどうまくない。
代わりというのもなんだが、沖縄の十五夜の行事食、フチャギを撮っておいた。
一番下にそのフチャギの写真を置いてあるが、粒の小豆が大量に白餅に群がっている、という見た目なので、集合体の見た目がダメな人にはアウトかもしれない。スクロールするときはご注意ください。
(ちょっと空白も空けておく)。
さて、見た目がだいぶアレだが、味は意外と……ということもなく、見た目から想像される通りの味だ。
というのは、味付けらしい味付けがほとんどないからだ。
餅粉を練って蒸した白餅、要は味付けのない白玉団子そのまま味、これがのぺっと長方形の塊になっていて、この「のぺっ」にうっすら塩煮しただけの甘くない小豆がまぶしてある、それだけである。
これがフチャギで、この材料や製法から想像するとおりの味である。とにかく地味。
強いて言えば、小豆そのまま、餅粉そのままの味を堪能できるとは思う。農作の恵みの味である。
私も、最初の一口、二口くらい、口いっぱいに広がる「豆だー!」の風味を楽しむ。そのためにわざわざ買っている。
が、きなこやはったい粉などの地味風味の穀物粉を好む私でさえ、フチャギは三口目あたりから早くも飽きる。漠然とした味、そしてぬぼっとした大きさ……とにかくアクセントのない味、そしてむやみと腹にたまる。
収穫の秋にふさわしき「穀」の味に満ちてはいるのだが、とにかく単調である。
こういう食べ物だけども、やっぱり沖縄の民は十五夜にはフチャギを食べたいものなのだろう。毎年、旧の八月十五夜の日だけ、このフチャギが大量にスーパーに並ぶ。いちおう平生でも惣菜コーナーにちょろっと置いてあることもあるが、普段わざわざフチャギを買う人というのもあまりいないので、平常は置いてないことのほうが多い。
私も毎年十五夜にはスーパーでフチャギの三個入りを買う。本当言うと一個で十分なのだが、最小ロットが三個からなのだ。
自分で好みの量を作ったらいいのだろうが、気が向かない。地味な味のくせに手間と時間はかかる。自分が食べたい一つ二つのふちゃぎをわざわざこしらえるのは、めちゃくちゃコスパが悪いのだ。といって、大量に作ったところで持て余すだけだ。喜んでフチャギを大量に平らげてくれる人なんてSSRの割合でしか世間に存在していない。職場や友人に持って行ったとしても特に喜ばれはしないので処理に困る。
なお、スーパーには、砂糖とか、紅いも、よもぎなどで味や風味を足したものも売っている。味が単調なのがダメってんなら味ついてるやつ買えばいいじゃんと思うかもしれないが、甘けりゃ甘いでやっぱり飽きるし腹にたまる速度は1.5倍くらいになる。味がついてもやっぱり単調なのだ。いっそ甘い味などない方が、小豆のまめまめしい風味を堪能できてまだ喜びがある。
そういうわけで、毎年十五夜には私はわざわざフチャギを買いにスーパーにいくし、買うなら絶対に味なしのもの、とこだわっている(夕方遅めにスーパーに行ってみたら甘い味のやつしか残ってなくて、その年のフチャギを断念したこともある)
いちおう餅ということで、おやつの位置づけの食べ物だが、正直、腹にたまりすぎるので、晩飯として食べている。今日の晩飯はうどんにしようかなと思っていたのだが、そうだフチャギ買わなきゃ!と思ったので、フチャギと、あと惣菜コーナーに並んでたなんかの野菜を買って、それで晩飯にした。
……たぶんフチャギも、冷たくした汁粉なんかにデカい白玉として沈めて食べればそれなりにうまいのではないかと思う。だが、わざわざそんなことはしない。そんなものはフチャギではない。私は十五夜の晩にフチャギをこそ食べたいのだ、甘くない、単調で漠然としたあの豊年満作を、味わって祝いたいのだ。
そう言って、毎年、今年も、ただただのっぺりと立ち塞がる小豆と米粉の味に溺れている。
というわけで、この下に、そのフチャギの写真貼っておくね。
台風2025年22号、おっこれは久々に沖縄本島直撃コースか???と構えてたら、なんか本州に急旋回予報に。秋台風のコース取りだなあ。
https://www.jma.go.jp/bosai/map.html#5/3...
気候変動のせいか、ここ数年、今までだと沖縄付近で発生してたような台風の発生位置やコースが少し変わってきてる気がする。
特に今年の台風は、フィリピンあたりの緯度で台風になってそのままほぼ西進というのが多くて、沖縄にはあまり大きな影響がなかった。波や風が少し強くなったりはしたけどね。
そのフィリピンは、こないだ北の方が猛烈な台風に晒されたばかりなのに、先週にはセブ島でM6.9の地震もあって立て続けの災害はなんともかわいそうなことだ。地震では亡くなった人だけで数十名も出たそうで、痛ましい。ちょこっとしか出せないけど、せめて募金とかしよう……
https://www.jma.go.jp/bosai/map.html#5/3...
気候変動のせいか、ここ数年、今までだと沖縄付近で発生してたような台風の発生位置やコースが少し変わってきてる気がする。
特に今年の台風は、フィリピンあたりの緯度で台風になってそのままほぼ西進というのが多くて、沖縄にはあまり大きな影響がなかった。波や風が少し強くなったりはしたけどね。
そのフィリピンは、こないだ北の方が猛烈な台風に晒されたばかりなのに、先週にはセブ島でM6.9の地震もあって立て続けの災害はなんともかわいそうなことだ。地震では亡くなった人だけで数十名も出たそうで、痛ましい。ちょこっとしか出せないけど、せめて募金とかしよう……
コンビニでなんとなく買ってみたブルボンの「コメノチップス のり塩味」おいしかった。
味も食感もかなり好み。米粉とトウモロコシ粉でできてるのだが風味がまさに薄焼きおせんべいとタコスを足して二で割った感じ、小さめサイズの薄焼きおせんべいで堅くてパリッパリ。このパリパリ感にのり塩の味付けはベストチョイス。
さすがブルボン。
わたしはブルボンに厚い信頼を寄せている。
菓子皿に入ってると私のテンションが上がるお菓子、メーカー見たらだいたいブルボン。
アルフォートとエリーゼとシルベーヌを作った会社だよ。
ダイジェスティブビスケットもブルボンだ。
シルベーヌなんてさあ、あんなちゃんとしたケーキの見た目で味もちゃんとケーキしてるやつ、スーパーで売ってるお菓子の箱からひょいと出てきていいクオリティじゃねえな!といつも思ってるよ。シルベーヌを生んだブルボンがあるこの国に生まれ、子供の頃からシルベーヌに親しむ環境があった(いやまあ、シルベーヌは高級品だからめったに買ってもらえなかったが)……少なくともその1点だけでも、私はものすごい幸運の星の下に生まれたんじゃないかって思う。
ブルボンは、おせんべい系も地味に好き。おつまみに味サロン紛れてるとだいぶアゲだよね。というわけで、ブルボンを信じてコメノチップス買ってみて大正解だったし、ブルボンへの信頼がますます上昇したのですという報告です。
味も食感もかなり好み。米粉とトウモロコシ粉でできてるのだが風味がまさに薄焼きおせんべいとタコスを足して二で割った感じ、小さめサイズの薄焼きおせんべいで堅くてパリッパリ。このパリパリ感にのり塩の味付けはベストチョイス。
さすがブルボン。
わたしはブルボンに厚い信頼を寄せている。
菓子皿に入ってると私のテンションが上がるお菓子、メーカー見たらだいたいブルボン。
アルフォートとエリーゼとシルベーヌを作った会社だよ。
ダイジェスティブビスケットもブルボンだ。
シルベーヌなんてさあ、あんなちゃんとしたケーキの見た目で味もちゃんとケーキしてるやつ、スーパーで売ってるお菓子の箱からひょいと出てきていいクオリティじゃねえな!といつも思ってるよ。シルベーヌを生んだブルボンがあるこの国に生まれ、子供の頃からシルベーヌに親しむ環境があった(いやまあ、シルベーヌは高級品だからめったに買ってもらえなかったが)……少なくともその1点だけでも、私はものすごい幸運の星の下に生まれたんじゃないかって思う。
ブルボンは、おせんべい系も地味に好き。おつまみに味サロン紛れてるとだいぶアゲだよね。というわけで、ブルボンを信じてコメノチップス買ってみて大正解だったし、ブルボンへの信頼がますます上昇したのですという報告です。
国勢調査の用紙が届いてて、ネットで回答した。
ネット回答らくちんだな~。
そういえばだいぶ昔、まだ学生の頃だったかの国勢調査で、家の広さを床面積で書く欄に遭遇した記憶がある。そのときは、えっ!この部屋ってどんくらいの広さなんか?!とわたふたした。学生アパート住まいで、ただ1Kの部屋だという程度の認識で、床は畳でもなかったから、広さを数値で把握できてなかったのだ。結局どうやって回答したかはまるで覚えてないんだけど、契約書を引っ張り出してきたか、それともメジャーで部屋の2辺をざっくり測るかして回答したような気がする。
そういえば、今回の国勢調査では床面積とか聞かれてない。
そっか、質問項目も変わってるんだろうなと思って検索してみたら、やっぱり近年になるにつれ質問項目が減ってて、住居の床面積の質問は平成22年の調査が最後となっていた。
>国勢調査の調査事項の変遷(総務省統計局ホームページより)
https://www.stat.go.jp/info/kenkyu/kokus...
そもそも国勢調査には大規模調査と簡易調査というのがあって、交互に繰り返している。
今年の調査は簡易調査なので、設問が少し簡単だったのだ。そんなことも今さら知った。
設問が簡単、といってもそもそも大規模調査の設問自体がどんどんスリム化している。五年前の大規模調査と比べ、今回の調査で省かれた項目といっても、在学/卒業教育機関(学歴)と利用交通手段(通勤通学)の2つくらいだ。ていうか5年前の調査のときって学歴とか通勤手段とか書くところあったんだ……ぜんぜん覚えてない。なにもかも、すっかり忘れている。回答はしたはずなんだけど……なんも……おぼえてない……記憶力……
5年前の調査のときって、そういえばネオアトラスにまだハマってなかった頃だな。
私は2021年のゴールデンウィークに1469を遊び始めた。Covid-19に関連しての緊急事態宣言で家ごもりが求められていたのがきっかけの一つだった。
令和2年度の国勢調査はその前の年の10月にやってることになる。2020年のはじめから、すでに世の中は新型コロナ感染症の話題に席巻されていて、2020年の前半の段階で、アマビエブームだとかマスクが売ってないだとか2020年東京オリンピックは延期だ、とかとか、そんないろいろの大騒動がすでに起こっていた。そんな大騒ぎの中、国全体での大規模統計調査をなんとか実施してたってことか。同じ年、厚労省の「国民生活基礎調査」とかはその年の調査を断念しているのだが、国勢調査はどうにかふんばったのだ。ずいぶん頑張って調査したんだろうなあ。
(統計データって私はわりと好きなので、それを調査してくれる機関のがんばりを応援する気持ちが結構ある)
ネット回答らくちんだな~。
そういえばだいぶ昔、まだ学生の頃だったかの国勢調査で、家の広さを床面積で書く欄に遭遇した記憶がある。そのときは、えっ!この部屋ってどんくらいの広さなんか?!とわたふたした。学生アパート住まいで、ただ1Kの部屋だという程度の認識で、床は畳でもなかったから、広さを数値で把握できてなかったのだ。結局どうやって回答したかはまるで覚えてないんだけど、契約書を引っ張り出してきたか、それともメジャーで部屋の2辺をざっくり測るかして回答したような気がする。
そういえば、今回の国勢調査では床面積とか聞かれてない。
そっか、質問項目も変わってるんだろうなと思って検索してみたら、やっぱり近年になるにつれ質問項目が減ってて、住居の床面積の質問は平成22年の調査が最後となっていた。
>国勢調査の調査事項の変遷(総務省統計局ホームページより)
https://www.stat.go.jp/info/kenkyu/kokus...
そもそも国勢調査には大規模調査と簡易調査というのがあって、交互に繰り返している。
今年の調査は簡易調査なので、設問が少し簡単だったのだ。そんなことも今さら知った。
設問が簡単、といってもそもそも大規模調査の設問自体がどんどんスリム化している。五年前の大規模調査と比べ、今回の調査で省かれた項目といっても、在学/卒業教育機関(学歴)と利用交通手段(通勤通学)の2つくらいだ。ていうか5年前の調査のときって学歴とか通勤手段とか書くところあったんだ……ぜんぜん覚えてない。なにもかも、すっかり忘れている。回答はしたはずなんだけど……なんも……おぼえてない……記憶力……
5年前の調査のときって、そういえばネオアトラスにまだハマってなかった頃だな。
私は2021年のゴールデンウィークに1469を遊び始めた。Covid-19に関連しての緊急事態宣言で家ごもりが求められていたのがきっかけの一つだった。
令和2年度の国勢調査はその前の年の10月にやってることになる。2020年のはじめから、すでに世の中は新型コロナ感染症の話題に席巻されていて、2020年の前半の段階で、アマビエブームだとかマスクが売ってないだとか2020年東京オリンピックは延期だ、とかとか、そんないろいろの大騒動がすでに起こっていた。そんな大騒ぎの中、国全体での大規模統計調査をなんとか実施してたってことか。同じ年、厚労省の「国民生活基礎調査」とかはその年の調査を断念しているのだが、国勢調査はどうにかふんばったのだ。ずいぶん頑張って調査したんだろうなあ。
(統計データって私はわりと好きなので、それを調査してくれる機関のがんばりを応援する気持ちが結構ある)
なんでだったか、急に「アンジェラ」って名前を検索したら、最初に「英語の人名」みたいな説明が出て、えっ、アンジェラって英語圏だけの読み方だっけ?!ってビビった。
アンジェラがイギリス人の可能性、全然考えてなかったけど、ありえなくはないよなあ。赤毛の人はどっちかいえば北寄りの地域、特にアイルランドに多いと聞くし……。
しかし以前に合同誌を作ったとき、私はアンジェラを南イタリア方面のわりと格の高い貴族の家出身とかいう設定をしてしまったのだ。うへえ、もしかしてアンジェラって、イタリア語だと発音違ってる?て思って確認したら、同じくアンジェラだったので、救われた。イタリア半島出身としても間違いではない。
でも、イギリス出身とかでもおもしろかったかもね、なんとなく。
現在だと、英語圏(というかアメリカかな?)ではやや古風な名前という印象はあるみたい。redditとかで「今、赤ちゃんにアンジェラって名前つけるのダサいですか?」とか「アンジェラって名前どう思う?」みたいな質問がちょこちょこある。その回答を見ていると、上の世代では多かったし人気の名前だったんだよ、とドイツのメルケル首相の名前が挙げられてたりしていた(そいえばアンゲラって名前だったね)。現在で年齢が5,60歳代くらいになる世代の女性にありそうな名前、という印象が結構あるみたい。日本語だと昭恵とか光子くらいなイメージ? どの言語であれ、名前の流行りすたりってけっこうくっきりとあるもんだね、面白い。
あと、「angel」というところで宗教的ニュアンスが強めと感じて、それがなんとなくひっかかる人もいるみたいだった。やっぱ音の響きもだけど、語源とかも気になる人はなるよねえ。
なお音の響きそのものについて、あんまりいい響きじゃないかな、という意見が散見された。日本人の感覚としては、有声音多くて深く音が響くし、なんか優雅じゃんという印象あるんだけど、どういう調音や音の組み合わせが美しいと感じるかって言語でほんとそれぞれなもんだ。
そういえばラグナール、Ragnarという名前は、今でも北欧で一般的に使われる男性名だそうだけど、おそらく由来はラグナル・ロズブロークという伝説的なヴァイキングの英雄にある。
ラグナルは9世紀頃にイギリスとフランスを荒らしまくったというヴァイキングの長だという。「ラグナル・ロズブロークのサガ」ではシグルドとブリュンヒルドの娘を娶り、その娘との間に生まれた子孫からノルウェーを統一したハーラル一世が出た、と語られている(ハーラル一世はラグナルから見ると孫娘の子で、ひ孫にあたる)。このへん、古い時代のことで史実かどうかは疑わしいが、しかしラグナルといえば確かに後世にも名を轟かす英雄というのは間違いないようだ。
ネオアトラスでのラグナールは、この伝説のヴァイキングと比べるとまただいぶギャップがあるキャラなとこ、そういうのなんか好きだな。
アンジェラがイギリス人の可能性、全然考えてなかったけど、ありえなくはないよなあ。赤毛の人はどっちかいえば北寄りの地域、特にアイルランドに多いと聞くし……。
しかし以前に合同誌を作ったとき、私はアンジェラを南イタリア方面のわりと格の高い貴族の家出身とかいう設定をしてしまったのだ。うへえ、もしかしてアンジェラって、イタリア語だと発音違ってる?て思って確認したら、同じくアンジェラだったので、救われた。イタリア半島出身としても間違いではない。
でも、イギリス出身とかでもおもしろかったかもね、なんとなく。
現在だと、英語圏(というかアメリカかな?)ではやや古風な名前という印象はあるみたい。redditとかで「今、赤ちゃんにアンジェラって名前つけるのダサいですか?」とか「アンジェラって名前どう思う?」みたいな質問がちょこちょこある。その回答を見ていると、上の世代では多かったし人気の名前だったんだよ、とドイツのメルケル首相の名前が挙げられてたりしていた(そいえばアンゲラって名前だったね)。現在で年齢が5,60歳代くらいになる世代の女性にありそうな名前、という印象が結構あるみたい。日本語だと昭恵とか光子くらいなイメージ? どの言語であれ、名前の流行りすたりってけっこうくっきりとあるもんだね、面白い。
あと、「angel」というところで宗教的ニュアンスが強めと感じて、それがなんとなくひっかかる人もいるみたいだった。やっぱ音の響きもだけど、語源とかも気になる人はなるよねえ。
なお音の響きそのものについて、あんまりいい響きじゃないかな、という意見が散見された。日本人の感覚としては、有声音多くて深く音が響くし、なんか優雅じゃんという印象あるんだけど、どういう調音や音の組み合わせが美しいと感じるかって言語でほんとそれぞれなもんだ。
そういえばラグナール、Ragnarという名前は、今でも北欧で一般的に使われる男性名だそうだけど、おそらく由来はラグナル・ロズブロークという伝説的なヴァイキングの英雄にある。
ラグナルは9世紀頃にイギリスとフランスを荒らしまくったというヴァイキングの長だという。「ラグナル・ロズブロークのサガ」ではシグルドとブリュンヒルドの娘を娶り、その娘との間に生まれた子孫からノルウェーを統一したハーラル一世が出た、と語られている(ハーラル一世はラグナルから見ると孫娘の子で、ひ孫にあたる)。このへん、古い時代のことで史実かどうかは疑わしいが、しかしラグナルといえば確かに後世にも名を轟かす英雄というのは間違いないようだ。
ネオアトラスでのラグナールは、この伝説のヴァイキングと比べるとまただいぶギャップがあるキャラなとこ、そういうのなんか好きだな。
どうでもいい最近のこと。
今週末に後輩の披露宴に招かれており、久々にフォーマル服などがちゃんと装着できるのかとか確かめたりなどの準備を進めている。
で、普段の私は白髪を染めておらず、今やかなり白髪交じりの頭になっているのだが、さすがに白髪いっぱいじゃ美容室の人もセットに困るだろうと思って、久々に白髪を染めた。ちなみに前回染めたのも、結婚式にお呼ばれしたときであった。そういうことでもない限り、白髪を染めない人間なのである。
染めがちょっと足りてないとこあったけど、まあこんなもんでしょという感じにはなった。
わー、久々、髪が黒ばっかりだ!と感心する。普段どんだけ白髪生えてんだ。
ただ、こうなってみて気づいたけど、白髪がないとものさみしい。
寝床に転がったとき、ぼんやりと髪にまじる白髪を見つめるクセがあった(と気づいた)のだが、今や見つめても見つめてもなかなか白髪が見えないのが、なんか釈然としない。あんなにいっぱいあったのに。
あとたまに(一週間にいっぺんくらい?)白髪抜きゲームとかしてた。なんとなく3本抜いたらゲームセットという自分のなかでのルールがあった。ゲームとか言うが別に勝ち負けとかタイムトライアルとかでもない。白髪をぷちっと抜く感触を楽しんで満足してただけだ。でもいまは、思い立っても白髪抜きゲームできないのだ……染めそびれの逃亡白髪がいるのでできなくはないが白髪見つける難度が段違いに上がっているので実質これは私の白髪抜きゲームではない。なんとなし落ち着かない。
私は白髪がいっぱいまじっている自分の頭にわりと親しんで生きていたのだなと変なところで気づかされた。
今週末に後輩の披露宴に招かれており、久々にフォーマル服などがちゃんと装着できるのかとか確かめたりなどの準備を進めている。
で、普段の私は白髪を染めておらず、今やかなり白髪交じりの頭になっているのだが、さすがに白髪いっぱいじゃ美容室の人もセットに困るだろうと思って、久々に白髪を染めた。ちなみに前回染めたのも、結婚式にお呼ばれしたときであった。そういうことでもない限り、白髪を染めない人間なのである。
染めがちょっと足りてないとこあったけど、まあこんなもんでしょという感じにはなった。
わー、久々、髪が黒ばっかりだ!と感心する。普段どんだけ白髪生えてんだ。
ただ、こうなってみて気づいたけど、白髪がないとものさみしい。
寝床に転がったとき、ぼんやりと髪にまじる白髪を見つめるクセがあった(と気づいた)のだが、今や見つめても見つめてもなかなか白髪が見えないのが、なんか釈然としない。あんなにいっぱいあったのに。
あとたまに(一週間にいっぺんくらい?)白髪抜きゲームとかしてた。なんとなく3本抜いたらゲームセットという自分のなかでのルールがあった。ゲームとか言うが別に勝ち負けとかタイムトライアルとかでもない。白髪をぷちっと抜く感触を楽しんで満足してただけだ。でもいまは、思い立っても白髪抜きゲームできないのだ……染めそびれの逃亡白髪がいるのでできなくはないが白髪見つける難度が段違いに上がっているので実質これは私の白髪抜きゲームではない。なんとなし落ち着かない。
私は白髪がいっぱいまじっている自分の頭にわりと親しんで生きていたのだなと変なところで気づかされた。
たまにブラッドベリの『死ぬときはひとりぼっち』を読み返したくなるときがあるんだけど、持ってないんだよなあ。買おうかな。
タイトルすごいけど、原題めちゃくちゃかっこいい。
"Death Is a Lonely Business"である。
タイトルにいきなりDEATHと来るのだが、わりと作品全体を通すと明るいほうの話。とはいえブラッドベリなので、奇妙と退廃とノスタルジーが、あらゆる場面にぎっちり詰めではある。
主人公は、ブラッドベリ自身の青年期をモデルにしたとおぼしき貧乏物書きの「僕」。ということはブラッドベリの少年期をモデルにした『たんぽぽのお酒』の十年後のお話なのかもしれないが、『たんぽぽのお酒』に比べるとより筋書きがある。
過日の栄光はとっくに過ぎて寂れて活気のない街、安普請のボロアパートに錆びた観覧車、暗い澱んだ水が退屈にちゃぷちゃぷしてるだけの運河、そういう街を舞台に、「僕」はどこかで挫折し世間から弾かれてしまった少し奇妙な隣人たちに翻弄されながら、彼らが突然飛び込んでしまう「死」の謎に迫る。
ブラッドベリは献辞にチャンドラーの名を挙げていて、この作品はハードボイルドとして書いたということだけど、それにしては主人公がおとなしくて気弱な青年で、そしてヘマも多くて不器用ゆえに、なんだか愛嬌のある存在なので、あまりハードボイルドな感じはしないのだった。
文体まいつものブラッドベリで、ミステリとか探偵小説というにはあまりに幻想みが強い。『何かが道をやってくる』の読み味と似てる感じがあるが、『何かが道をやってくる』ほど非現実な設定ではなく、いちおう現実の理屈のうえで話は展開してる、いちおう(だからって現実的なお話かというとそういうわけではない)。
なにかとうろたえがちな主人公に、なんだかんだ味方して力づけてくれる大人たちが何人もいてくれて、わりとほっこりなとこが好き。年齢不詳美魔女?コンスタンスの家で古い映画を夜通し見たり、クラムリー刑事の秘密の植物園で水撒きして虹を見る場面とか、なんかそういうひと場面の味わいやきらめきがなんかすごく良い。
でも終盤は、その彼らにも謎の孤独や「死」の気配がうっすらと差して、主人公のほうが彼らを心配したり、なにかしなきゃと駆け回る。この主人公の駆け回りぷりもなんか良い。どちらかというとハードボイルドというよりはホラーやスリラーが近いのかも。あと主人公が、成人とは言えまだまだ若くて世間知らずなキャラクタなので、ジュブナイル、成長譚の気配もある。
タイトルすごいけど、原題めちゃくちゃかっこいい。
"Death Is a Lonely Business"である。
タイトルにいきなりDEATHと来るのだが、わりと作品全体を通すと明るいほうの話。とはいえブラッドベリなので、奇妙と退廃とノスタルジーが、あらゆる場面にぎっちり詰めではある。
主人公は、ブラッドベリ自身の青年期をモデルにしたとおぼしき貧乏物書きの「僕」。ということはブラッドベリの少年期をモデルにした『たんぽぽのお酒』の十年後のお話なのかもしれないが、『たんぽぽのお酒』に比べるとより筋書きがある。
過日の栄光はとっくに過ぎて寂れて活気のない街、安普請のボロアパートに錆びた観覧車、暗い澱んだ水が退屈にちゃぷちゃぷしてるだけの運河、そういう街を舞台に、「僕」はどこかで挫折し世間から弾かれてしまった少し奇妙な隣人たちに翻弄されながら、彼らが突然飛び込んでしまう「死」の謎に迫る。
ブラッドベリは献辞にチャンドラーの名を挙げていて、この作品はハードボイルドとして書いたということだけど、それにしては主人公がおとなしくて気弱な青年で、そしてヘマも多くて不器用ゆえに、なんだか愛嬌のある存在なので、あまりハードボイルドな感じはしないのだった。
文体まいつものブラッドベリで、ミステリとか探偵小説というにはあまりに幻想みが強い。『何かが道をやってくる』の読み味と似てる感じがあるが、『何かが道をやってくる』ほど非現実な設定ではなく、いちおう現実の理屈のうえで話は展開してる、いちおう(だからって現実的なお話かというとそういうわけではない)。
なにかとうろたえがちな主人公に、なんだかんだ味方して力づけてくれる大人たちが何人もいてくれて、わりとほっこりなとこが好き。年齢不詳美魔女?コンスタンスの家で古い映画を夜通し見たり、クラムリー刑事の秘密の植物園で水撒きして虹を見る場面とか、なんかそういうひと場面の味わいやきらめきがなんかすごく良い。
でも終盤は、その彼らにも謎の孤独や「死」の気配がうっすらと差して、主人公のほうが彼らを心配したり、なにかしなきゃと駆け回る。この主人公の駆け回りぷりもなんか良い。どちらかというとハードボイルドというよりはホラーやスリラーが近いのかも。あと主人公が、成人とは言えまだまだ若くて世間知らずなキャラクタなので、ジュブナイル、成長譚の気配もある。
今年に入ってからか、変な時間に非通知で0秒だけコール、という着信が記録されてる時が2、3回あって、最近、たまたまその瞬間を見かけたんだけど、ワン切りどころか着信音もならないくらい一瞬なのな。
非通知だからかけ直しようがない。フィッシングではない。
どういう電話だろ、なんか名簿業者とか、業者から名簿を手に入れた輩とかがリストにある番号生きてるかの確認入れてんのかな……と思いつつググったら、どうもだいたいそのとおりらしい。
てことは、もしかしたらそのうち、詐欺電話かかってくるかもしんねえ。気をつけとこ。
もう一つの可能性としては嫌がらせというのがありはする。するんだけど、多分それはない、ないと思いたい……私もあまり人に好かれないタイプの人間ではあるけど、非通知イタ電食らうほどの恨みを買ったことはない、はず、と思う、たぶん。……たぶん……(マジで思い当たることはなにもないんだけど、考え出すときりがねえな、まあこういうのはあんま考えんどこうね!)
非通知だからかけ直しようがない。フィッシングではない。
どういう電話だろ、なんか名簿業者とか、業者から名簿を手に入れた輩とかがリストにある番号生きてるかの確認入れてんのかな……と思いつつググったら、どうもだいたいそのとおりらしい。
てことは、もしかしたらそのうち、詐欺電話かかってくるかもしんねえ。気をつけとこ。
もう一つの可能性としては嫌がらせというのがありはする。するんだけど、多分それはない、ないと思いたい……私もあまり人に好かれないタイプの人間ではあるけど、非通知イタ電食らうほどの恨みを買ったことはない、はず、と思う、たぶん。……たぶん……(マジで思い当たることはなにもないんだけど、考え出すときりがねえな、まあこういうのはあんま考えんどこうね!)
二次小説はともかく、雑記は、しかしなんで書いているのだろう。
改めて考え出すと、なんだか不思議な気持ちもする。いいかげん誰にも読まれていないだろうと思いつつ、他人が読む前提で今もこの記事を書いているのだ。なんでだ、マジで。
自分用のメモではある。
ただ、メモのわりには、他人が読んだときというのを一応想定して書くことにはしている。読んでる人がいる保証はないのに、それでもだ(多分本当にこの雑記は、もはや私以外には読まれていない)。
一個前の記事に書いたように、職場の小説書きの人に私の二次小説を読んでもらった。話が面白いかどうかはともかく、文章はそれなりにこなれてて、他人が読むことを想定した体裁の文章になってる、という評をもらった。
自認としては、私はろくにフィクションを摂取しない人間なので小説書く基礎力にまるで自信がないのだが……という事を言うと、しかし人が読むことを常に脳裏において書いているタイプの文章ではあるよ、と指摘をもらった。そういえば私は説明文とか報告書とかは仕事でちょこちょこ書いているもんなあ、という話になった。(同部署なので、彼女は私が扱う業務内容を把握している)
そして、物語文ではないが書きものをしているのはこの仕事でたまに書く文章類以外にもあって、それがこの雑記、ブログ的なものなのだ。こういうどうでもいいことをつらつら書く場所を、断続的にだがずっと書いてはきた。なんとなく人に読まれるものとしての文章を書き続けてはいることにはなる(しかし本当に、読者がいたことがほとんどないまま書き続けているのが常態で、それなのに虚空の読み手に向かって書き続けてるのだから考えてみると地味に狂気めいている)。
雑記については、文章書きにとっての業務前のラジオ体操くらいのストレッチ機能はあるのかもしれないなと思う。筋トレというほどの強度ではないにせよ。たから誰に読まれなくとも、間がひどく空くときもあるけども、たまにでも、なんかしらは書くようにしたほうが良さそうかなと思っている。
改めて考え出すと、なんだか不思議な気持ちもする。いいかげん誰にも読まれていないだろうと思いつつ、他人が読む前提で今もこの記事を書いているのだ。なんでだ、マジで。
自分用のメモではある。
ただ、メモのわりには、他人が読んだときというのを一応想定して書くことにはしている。読んでる人がいる保証はないのに、それでもだ(多分本当にこの雑記は、もはや私以外には読まれていない)。
一個前の記事に書いたように、職場の小説書きの人に私の二次小説を読んでもらった。話が面白いかどうかはともかく、文章はそれなりにこなれてて、他人が読むことを想定した体裁の文章になってる、という評をもらった。
自認としては、私はろくにフィクションを摂取しない人間なので小説書く基礎力にまるで自信がないのだが……という事を言うと、しかし人が読むことを常に脳裏において書いているタイプの文章ではあるよ、と指摘をもらった。そういえば私は説明文とか報告書とかは仕事でちょこちょこ書いているもんなあ、という話になった。(同部署なので、彼女は私が扱う業務内容を把握している)
そして、物語文ではないが書きものをしているのはこの仕事でたまに書く文章類以外にもあって、それがこの雑記、ブログ的なものなのだ。こういうどうでもいいことをつらつら書く場所を、断続的にだがずっと書いてはきた。なんとなく人に読まれるものとしての文章を書き続けてはいることにはなる(しかし本当に、読者がいたことがほとんどないまま書き続けているのが常態で、それなのに虚空の読み手に向かって書き続けてるのだから考えてみると地味に狂気めいている)。
雑記については、文章書きにとっての業務前のラジオ体操くらいのストレッチ機能はあるのかもしれないなと思う。筋トレというほどの強度ではないにせよ。たから誰に読まれなくとも、間がひどく空くときもあるけども、たまにでも、なんかしらは書くようにしたほうが良さそうかなと思っている。
そういえばちょっと前に、職場の同人趣味持ちに、自分の本(プラニスフェーリオ)を貸して読んでもらった。同人趣味持ちで小説書きの人ではあるが、その人の趣味とは全然別ジャンルなうえにそれなりのページ数がある本を渡してしまったので、全部読んでもらったのは実にありがたいのと、なんか申し訳ないのと。いや、ともかく、ありがてえ、マジでありがてえ!
話の中身についての感想は聞きようがないなと思ってろくに聞いてないのだが(なにせ原作ミリ知らなのだし)、前から気になってた、文体の癖とか強くないかなあ?というのと、冗長で読みにくくないか、というのを聞いてみたかったのだ。
そしたら、あっさりめの文章と感じた、という返事が帰ってきて、そこはわりと意外だった。
文章くどくどで説明ぽくない?ていうのがいつも気になってたけど、あんまり引っかからないで読める、とのこと。朗報ーー!!
あと、わりと映像的だとも。これは自分でも意識的にそう書いてたし、今まで頂いた感想でもそのようにコメント頂いたことが幾度かあったので、やっぱりそう感じるんだということで、これもなんかほっとした。
前にもこの雑記で書いたことがあるが、自分の文章がどう人から見えるものか、読まれるものか、その風合いみたいなものがあまりよくわかっていない。私の書くものに文体と言えるほど個性があるかはちょっと自信ないし、もし私なりの文体らしきものがあったとしても、それが客観的にどういう味わいのものかがほとんど掴めてない。
そもそも、私は自分の書いたものが、読んでいる人にそれなりに伝わる文章として成立しているのか、どこか自信がない。服を着たつもりなのに実はパンツ一丁で往来に踊り出てて、普通に喋ってるつもりなのに周囲からは意味不明の言動をわめいているような、そんな奇怪な光景を生み出しているのではなかろうか、なんかそんな気分がずっと抜けない。
とりあえず、職場の人によれば、場面はちゃんと思い描けるし、話の筋も理解できるし、読み物として読むことはできるということだったので、あまり心配しなくてもいいのかもしれない。
とはいえやっぱりこれからも、なにか一つ短編でも書くたびに、「ねえ、これほんとに合ってるのかなぁ!? 日本語として理解可能なやつです!?」て気分は抜けないで文章書き続けることになるんだろうな、とは思うけども。
話の中身についての感想は聞きようがないなと思ってろくに聞いてないのだが(なにせ原作ミリ知らなのだし)、前から気になってた、文体の癖とか強くないかなあ?というのと、冗長で読みにくくないか、というのを聞いてみたかったのだ。
そしたら、あっさりめの文章と感じた、という返事が帰ってきて、そこはわりと意外だった。
文章くどくどで説明ぽくない?ていうのがいつも気になってたけど、あんまり引っかからないで読める、とのこと。朗報ーー!!
あと、わりと映像的だとも。これは自分でも意識的にそう書いてたし、今まで頂いた感想でもそのようにコメント頂いたことが幾度かあったので、やっぱりそう感じるんだということで、これもなんかほっとした。
前にもこの雑記で書いたことがあるが、自分の文章がどう人から見えるものか、読まれるものか、その風合いみたいなものがあまりよくわかっていない。私の書くものに文体と言えるほど個性があるかはちょっと自信ないし、もし私なりの文体らしきものがあったとしても、それが客観的にどういう味わいのものかがほとんど掴めてない。
そもそも、私は自分の書いたものが、読んでいる人にそれなりに伝わる文章として成立しているのか、どこか自信がない。服を着たつもりなのに実はパンツ一丁で往来に踊り出てて、普通に喋ってるつもりなのに周囲からは意味不明の言動をわめいているような、そんな奇怪な光景を生み出しているのではなかろうか、なんかそんな気分がずっと抜けない。
とりあえず、職場の人によれば、場面はちゃんと思い描けるし、話の筋も理解できるし、読み物として読むことはできるということだったので、あまり心配しなくてもいいのかもしれない。
とはいえやっぱりこれからも、なにか一つ短編でも書くたびに、「ねえ、これほんとに合ってるのかなぁ!? 日本語として理解可能なやつです!?」て気分は抜けないで文章書き続けることになるんだろうな、とは思うけども。
スーパーマン2025年版、最初から好きィ!と思ってはいたけど、後からじわじわ高まってくる~!
と思ってツイッタとか検索してたら、公式からの供給が多すぎて暴風雨の屋外のヤシの木に縛り付けられて一晩放置されたような気持ちになった。
どういう風速ですか、耐久保ちません、ムリです!!!!
なにがって公式がクラーク・ケントのツイッタアカウント運営してくれてる……
思わずフォローしちゃったよ。そしたら毎日、朝イチ(といってもアメリカの朝イチなので日本では夕方だが)にめっちゃポジティブで優しい前向きはげましツイートしてくれる……他の人に言われたら鼻白むようなことでもクラークだと思うと、thnksクラーク!今日もがんばるね!ってなっちゃうな……私がちょろい、ちょろすぎる。
あとスーパーマンにインタビューした記事をスレッドでツイートしてたりする、そしてリプでファンたちが、まるであなた自身がスーパーマンみたいな詳しい記事ですね?みたいなツッコミを入れている。
そしてクラーク垢、ロイスとの自撮り画像とかめっちゃ気軽にうpってくれる……ヒィ……好き……
男女厨だから、とりあえず今めちゃくちゃクラーク×ロイスのカプ推しになってるのでめちゃくちゃ嬉しい、けど嬉しすぎて嘘だろ! こんなに私に都合のよい公式供給が山盛あるとか、夢とかじゃないの、ねえ、これ、なに💢💢💢💢!!ってなってる。
なにせ普段の推し界隈、公式からの供給はもうだいぶ無風なので……なんかもう胃がびっくりするような気持ち。
でもアメコミの沼はやべーサイズと深度なの知ってるから、追いませんよ。
ところでクラーク、キャラクタといい筋肉たっぷりデカ男であるところといい、K2の一也みてーなやつだ……などと考えてて今更気づいたけど、私、気は優しくで力持ちな純朴誠実男性キャラ、めちゃくちゃ好みっぽいね? いや今更だけど。
別に筋肉なくてもいいけど、素直で真面目で裏表のない男性キャラは好きだな、ジークアクスでもエグザベくんなんだかんだいって気に入ってるし。そこに筋肉の厚みが加わるとだいぶ好み指数が上がるような。
でも、カップルであってこそだったりもするので。
一也は宮坂さん、クラークはロイスがいることにより指数関数的に爆上げ大好き!という感じもある。安定、信頼、絆がド深いカップル好き~。しかも女性キャラが自立してる強い女だと最高に良い~。
メイン推しカプは、というかペレスは……
(アブトゥはもう私が好きなタイプの女性キャラど真ん中なので、まあなにも言うことはないとして)
知識先行すぎてちょっと変人だし、純朴かっていうとそういうのとはちょっと違うし、筋肉はたぶん全然ナイナイだけど……まあ真面目ではあるね、多分。裏表はない。学問一直線ゆえに。それを誠実と読み替えて勝手に萌えている気もしなくはない。
もしもペレスが、気は優しくて力持ちで筋肉分厚くてボイン胸筋で、そのうえ田舎者で朴訥で、ひとに優しい好青年とかだったらますますヤバかったのか……?
いや、ペレスはあのキャラ、頭でっかちテック系だからいいんだよな~(たぶん外見設定としてはややひょろなんだろう。ただし1469の立ち絵がゴツめなため、1469ペについてはまあまあ体格良さそうなイメージにはなっている)。
ていうか筋肉の厚みがすごくて温厚篤実で他人からの信頼度はんぱないペレスってなんだよ。
ペレスは友好度初期値4なところがいいんだよ。人間社会でいまいちスマートにやってけそうにないところがいいんだよ。あれ、不器用要素、ここにあったね……ていうか褒めてないな、これ。
こんなん言うてますけど、だいぶ好きなんだよ、ペレスのことも。
と思ってツイッタとか検索してたら、公式からの供給が多すぎて暴風雨の屋外のヤシの木に縛り付けられて一晩放置されたような気持ちになった。
どういう風速ですか、耐久保ちません、ムリです!!!!
なにがって公式がクラーク・ケントのツイッタアカウント運営してくれてる……
思わずフォローしちゃったよ。そしたら毎日、朝イチ(といってもアメリカの朝イチなので日本では夕方だが)にめっちゃポジティブで優しい前向きはげましツイートしてくれる……他の人に言われたら鼻白むようなことでもクラークだと思うと、thnksクラーク!今日もがんばるね!ってなっちゃうな……私がちょろい、ちょろすぎる。
あとスーパーマンにインタビューした記事をスレッドでツイートしてたりする、そしてリプでファンたちが、まるであなた自身がスーパーマンみたいな詳しい記事ですね?みたいなツッコミを入れている。
そしてクラーク垢、ロイスとの自撮り画像とかめっちゃ気軽にうpってくれる……ヒィ……好き……
男女厨だから、とりあえず今めちゃくちゃクラーク×ロイスのカプ推しになってるのでめちゃくちゃ嬉しい、けど嬉しすぎて嘘だろ! こんなに私に都合のよい公式供給が山盛あるとか、夢とかじゃないの、ねえ、これ、なに💢💢💢💢!!ってなってる。
なにせ普段の推し界隈、公式からの供給はもうだいぶ無風なので……なんかもう胃がびっくりするような気持ち。
でもアメコミの沼はやべーサイズと深度なの知ってるから、追いませんよ。
ところでクラーク、キャラクタといい筋肉たっぷりデカ男であるところといい、K2の一也みてーなやつだ……などと考えてて今更気づいたけど、私、気は優しくで力持ちな純朴誠実男性キャラ、めちゃくちゃ好みっぽいね? いや今更だけど。
別に筋肉なくてもいいけど、素直で真面目で裏表のない男性キャラは好きだな、ジークアクスでもエグザベくんなんだかんだいって気に入ってるし。そこに筋肉の厚みが加わるとだいぶ好み指数が上がるような。
でも、カップルであってこそだったりもするので。
一也は宮坂さん、クラークはロイスがいることにより指数関数的に爆上げ大好き!という感じもある。安定、信頼、絆がド深いカップル好き~。しかも女性キャラが自立してる強い女だと最高に良い~。
メイン推しカプは、というかペレスは……
(アブトゥはもう私が好きなタイプの女性キャラど真ん中なので、まあなにも言うことはないとして)
知識先行すぎてちょっと変人だし、純朴かっていうとそういうのとはちょっと違うし、筋肉はたぶん全然ナイナイだけど……まあ真面目ではあるね、多分。裏表はない。学問一直線ゆえに。それを誠実と読み替えて勝手に萌えている気もしなくはない。
もしもペレスが、気は優しくて力持ちで筋肉分厚くてボイン胸筋で、そのうえ田舎者で朴訥で、ひとに優しい好青年とかだったらますますヤバかったのか……?
いや、ペレスはあのキャラ、頭でっかちテック系だからいいんだよな~(たぶん外見設定としてはややひょろなんだろう。ただし1469の立ち絵がゴツめなため、1469ペについてはまあまあ体格良さそうなイメージにはなっている)。
ていうか筋肉の厚みがすごくて温厚篤実で他人からの信頼度はんぱないペレスってなんだよ。
ペレスは友好度初期値4なところがいいんだよ。人間社会でいまいちスマートにやってけそうにないところがいいんだよ。あれ、不器用要素、ここにあったね……ていうか褒めてないな、これ。
こんなん言うてますけど、だいぶ好きなんだよ、ペレスのことも。
ちょっと前に書いた100歳越えて逝去した大叔父さんだが、今日、母と電話して聞いたら、なんか去年まで工場で働いていたらしい。100歳過ぎても働いてたの!? とんでもねえ現役おじいちゃんだった……。すごいなあ。なんていうか、かくあれたら、と思っても真似とかできる気がしないけど、しかし尊敬というか、なんだ、すごいなあ。
施設に入ったのはやはり今年に入ってからのことで、本人の状態に問題があったのではなく、同居して生活の面倒を見ていた息子のおじさん(父の従弟)が怪我で長期入院になったため、一時的に大叔父さんに施設で暮らしてもらっていたという経緯らしい。
いやあ……なんと強靱な人生だったことか。そして、本人は病気とかで苦しんだというのはほとんどなく、安らかな顔をしていたというので良かった。お葬式も身内でまったりで、いいお葬式だったよと母は言っていた。大叔父さんがもういないのかってのはやっぱり寂しいけど、ほんと元気な長寿で最期まで貫いた人生だったの、なんか良かったな。
施設に入ったのはやはり今年に入ってからのことで、本人の状態に問題があったのではなく、同居して生活の面倒を見ていた息子のおじさん(父の従弟)が怪我で長期入院になったため、一時的に大叔父さんに施設で暮らしてもらっていたという経緯らしい。
いやあ……なんと強靱な人生だったことか。そして、本人は病気とかで苦しんだというのはほとんどなく、安らかな顔をしていたというので良かった。お葬式も身内でまったりで、いいお葬式だったよと母は言っていた。大叔父さんがもういないのかってのはやっぱり寂しいけど、ほんと元気な長寿で最期まで貫いた人生だったの、なんか良かったな。
スーパーマンの感想、今日もまとまって書けそうにはないけど、思いついたあたりで、分断についてとか、分断の向こうに手を伸ばす心意気についてとか、言葉が、対話が、その手立てなんだということとか、なんかそういう……あと、対話と対極にある、野生と粗暴もなんかそれはそれで居場所がある感じとか……
でも、この作品の良さにについて、一生懸命に言葉をえらんで説明する必要があるかというとそういう作品ではない。
単純明快に、見たら分かる。
見る価値のある良い作品だ。
見たら楽しい、すきっと晴れた気持ちになる。じんとする。ちょっと泣ける。だいぶ笑える。少し(だいぶ?)苦い。純朴マッチョの筋肉が良い。その筋肉がぼっさりスーツとダサ眼鏡に覆われてるのもまた良い。女子が軒並みキュートで良し。ツンデレインテリも良し、口悪ツンデレおっさんもまた良し。ヤンデレ(デレ?)悪役も良し、讃えよニコラス・ホルトの演技力。そして犬。とにかく犬。まあ犬が良い。片耳折れのジャック・ラッセル・テリアっぽくて雑種ぽい、赤マントつけたバカ犬、ごく普通のちょっとやんちゃなスーパードッグ、おもちゃで遊んでたら世界を救ってる暴れわんこ、愛してる。
まあとにかく画面の情報量が多い作品でもあるので、場面の一つ一つが楽しかったり、愛おしかったりするので、私もひたすら、この場面好きィ!ここも好きィ!!見て!!この夏の推し映画だよ!!って場面を羅列すればそれでよろしかろうとも思うんだけど、しかし作品全体を通してこの作品から強く受ける印象というものを私なりに言葉でまとまったかたちで記述しておきたい気持ちもある。それで、いくらかちょっと時間を掛けて考えつつ、書いてみたいなあという感じ。
でも、この作品の良さにについて、一生懸命に言葉をえらんで説明する必要があるかというとそういう作品ではない。
単純明快に、見たら分かる。
見る価値のある良い作品だ。
見たら楽しい、すきっと晴れた気持ちになる。じんとする。ちょっと泣ける。だいぶ笑える。少し(だいぶ?)苦い。純朴マッチョの筋肉が良い。その筋肉がぼっさりスーツとダサ眼鏡に覆われてるのもまた良い。女子が軒並みキュートで良し。ツンデレインテリも良し、口悪ツンデレおっさんもまた良し。ヤンデレ(デレ?)悪役も良し、讃えよニコラス・ホルトの演技力。そして犬。とにかく犬。まあ犬が良い。片耳折れのジャック・ラッセル・テリアっぽくて雑種ぽい、赤マントつけたバカ犬、ごく普通のちょっとやんちゃなスーパードッグ、おもちゃで遊んでたら世界を救ってる暴れわんこ、愛してる。
まあとにかく画面の情報量が多い作品でもあるので、場面の一つ一つが楽しかったり、愛おしかったりするので、私もひたすら、この場面好きィ!ここも好きィ!!見て!!この夏の推し映画だよ!!って場面を羅列すればそれでよろしかろうとも思うんだけど、しかし作品全体を通してこの作品から強く受ける印象というものを私なりに言葉でまとまったかたちで記述しておきたい気持ちもある。それで、いくらかちょっと時間を掛けて考えつつ、書いてみたいなあという感じ。
スーパーマンを見てきて、だいぶ気に入ったので吹き替え版もおかわりしてきたので感想書きたいけど、明らかに長文になるのでまた今度、気が向いたら。
今日は、母から、父方の大叔父さんが亡くなったと連絡があったので、大叔父さんのことを書いておこう。
不幸の知らせではあるが、なにせ100歳を越えてのことなので大往生であり、おじさん立派に生きたなあという感慨がある。
大叔父さんは父方祖母の三つほど年下の弟で、父の叔父にあたる。祖母は六人兄弟だったと聞いているが、五番目が祖母、六番目の末っ子がこの叔父さんである。祖母の旧姓は鈴木(仮名)といい、大叔父さんは鈴木という名字だったので、私や私の実家の面々からは「鈴木のおじさん」と呼ばれていた。
小柄で痩せていて、線の細い見た目の人だったが、非常に頑健で、確かほとんど病気らしい病気はしたことはなかったんじゃないだろうか。祖母の兄弟は、祖母もおじさんも含めてみな長寿で、だいたい90歳を越えてからしか亡くなっていない。昔、祖母が元気だった頃に、兄弟の長男にあたる大伯父も100歳越えても矍鑠としているという話を聞いた。鈴木のおじさんも同じように長生きをしたことになる。
しかし祖母には細身で温厚な鈴木のおじさんはか弱く見えていたのか、よく「しょうちゃんは優しい子だからねえ、体も小さいからねえ、よくいじめられてねえ、昔は泣きべそでねえ……」みたいなことを言ってた記憶がある。ただし祖母はなにごともやや大げさに言う人だったので、鈴木のおじさんが、祖母が言うようなひ弱ないじめられキャラだったかはわからない。確かにおじさんはごく温厚な人ではあったが、なにせ自営業者であり、職人であり、黙々と働き続けた人なので、根性は座ってるタイプじゃなかったかと思う。
なお、大叔父の名前を今は正確に思い出せないが、たしか「しょう」がついていたんじゃなかったろうか、それで祖母は大叔父をしょうちゃんと呼んでいた気がするが、間違っているかもしれない。
ともかく鈴木のおじさんは、戦前に、長野に生まれ、小学校を出た後で東京に出て、工場で働いたようだ。のちに金属加工の零細町工場を持って自立したらしい。
私が生まれた頃にはすでにおじさんは東京郊外の宅地の一隅に、1階が工場で2階が住居、という町工場兼自宅を構えていて、妻であるおばさん(数年前に亡くなったが、この人も長寿であった)と、私の父からはいとこにあたる息子と住んで、三人で工場を運営していた。もしかしたら一人、二人くらいは雇っている人がいたような気もするが、私はごく幼かったので細かいことはわからないし、覚えていない。工場が稼働している平日にはほとんどここを訪れたことがなかったのだ。
以前にも書いたが私と父母の三人は小さな賃貸アパートに住んでいたが、鈴木のおじさんの工場兼自宅はそこからほんの50mほどのところにあった。それでときどき鈴木のおじさんとこに飲みに行く親に連れられてお邪魔したのである。おじさんの住まいは、1階にある工場の入り口をくぐり、よこっちょの狭い階段をとんとん上って辿りつく2階だった。建物の広さは普通の一軒家程度の間口しかないから、ちょっと狭い感じもあったようには思うが、私は自分の体が小さかったこともあり、むしろそのちょっと手狭な居心地の良さは好きだった。ただ、1階の工場部分は、訪問がいつも休日か夜なのでなにも動いておらず、しんとした暗がりに鉄の重々しい機械がでんと沈黙しているだけで、それがどう動き、なにをどういうふうにするものなのか、子供にはなにもわからなかった。ただ階段をのぼるとき、工場の暗がりからは、油と鉄の匂いと静けさがひんやり流れてきて、子供の私には薄気味悪くて怖くて未知の、でも同時にたいそう秘密のこもった魅力的な異空間だった。
私が三歳の頃、我々一家はアパートを引き払ってよそに移ったが、それでも引っ越し先は隣町くらいの場所だったので、親はちょくちょく鈴木のおじさんのところに飲みに行き(サザエさんでいう、ノリスケおじさん一家の立ち位置である)、そのときは私も連れて行かれて、おばさんの出してくれるごはんやら酒のおつまみやらのご相伴をいただいたものだった。
平成の初め頃、鈴木のおじさんは工場ごと別の場所に引っ越した。これまた私の実家があるのと同じ県内ではあったが、路線の都合などで行きにくい場所だったのと、私が大学以降は沖縄に移ってしまったため、私は鈴木のおじさんの新しい家&工場には行ったことがない。
しかし鈴木のおじさんはその工場でずっとがんばっていたと聞く。かなり高齢になるまで工場の経営を自ら担い、さすがに平成の後半には息子である父のいとこのおじさんに経営を譲ったのだがその後も毎日工場に出勤し、旋盤や清掃などの作業をしていたらしい。それはほんの数年前……つまりおじさんが90代半ばを超えたあたりのことで、「こないだお中元のお礼で電話したら、鈴木のおじさんまだ工場に立ってるんだって!」と母から聞いたのだった。なにかの折々に鈴木のおじさんがあいかわらず元気であるという話はちょくちょく聞いたが、それにしてもこの歳まであまりに頑健ご長寿の行動ばかりなので、身内ながら毎度びっくりしていた。
去年も、おじさんの100歳のお祝いということで父母は鈴木のおじさんちにお祝いに行ってきたのだそうだが、そのときはまったく元気だったという。ボケてもいないし、ほとんど介護もなしで自分でおおかたの生活を自立してできていたそうだ。
訃報と同時に得た情報では、施設に入っていてそこで亡くなった、と母は聞いたらしいが、施設に入っていたことは父も母も聞き及んでいなかったというから、今年くらいに施設に移ったばかりだったのだろうか。施設ではどういう状態だったかはまだくわしく聞いていないが、長患いをしたようでもないので、ほんとに最後まで元気だったんだろうなあ、と思うとなんとなくほっとする。
考えたら、おじさん、ギリギリ大正末の生まれだったかなと思う。祖母が確か大正10年くらいの生まれだったので……。私も若い頃、沖縄で聞き取りとかやっていて、高齢の人に方言や生活誌を聞くことがたくさんあったが、考えたらこのときの聞き取りに協力してくれた世代の人はだいたい大正生まれで、おじさんと同世代か、少しだけ上くらいの世代だ。最近はその年代の人びとに聞き取りできることはほとんどなくなっていた。そのことに気付く度、自然の時間の流れとは言え、少し、いやだいぶ、寂しいところはあった。だからおじさんがついに亡くなったとなったとき、大正の生まれの人が本当にもういなくなってっちゃうんだなあという意味でもだいぶ寂しい気持ちがある。
しかし鈴木のおじさんの生涯についていえば、その長い生をほぼずっと現役で過ごし、黙々働き続けた。このおじさんの存在は、なんとなく私にとっては心に灯となる感じがある。私自身にはあまり長生きをしようという意識がなく、60そこそこであんまり苦しまずに死ねたらいいんだけど~、なんてことを無責任にお気楽に考えたりもするが、しかしおじさんのように毎日ちゃんとちゃんと日々の仕事を続けて、生き続ける、暮らし続けることって大事だなとも思う。いつ死ぬかなんてわからないけど、まあ病気になったり障害を負ったりもありえるんだけど、生きてる限りはまあ日々を黙々やっていきましょう、という気持ちも湧いている。
戦前から高度経済成長まで、そして現在にいたるまでも、おじさんのような人びとが日本の産業を支えてきた。おじさんはそういう無名の働き者のひとりだった。生涯通して働き者だった。彼の成した仕事は、おそらく今どきらしいスマートさとか高い生産性とかコスパとかいう言葉とはかけはなれているのだが、百年に近い黙々とした活動の日々を、無駄で非効率だなどと蔑むのは愚か者の弁にすぎないと思う。とても立派な年月を成し遂げて、おじさんは去っていった。ただ深く敬意が向かうばかりだ。
今日は、母から、父方の大叔父さんが亡くなったと連絡があったので、大叔父さんのことを書いておこう。
不幸の知らせではあるが、なにせ100歳を越えてのことなので大往生であり、おじさん立派に生きたなあという感慨がある。
大叔父さんは父方祖母の三つほど年下の弟で、父の叔父にあたる。祖母は六人兄弟だったと聞いているが、五番目が祖母、六番目の末っ子がこの叔父さんである。祖母の旧姓は鈴木(仮名)といい、大叔父さんは鈴木という名字だったので、私や私の実家の面々からは「鈴木のおじさん」と呼ばれていた。
小柄で痩せていて、線の細い見た目の人だったが、非常に頑健で、確かほとんど病気らしい病気はしたことはなかったんじゃないだろうか。祖母の兄弟は、祖母もおじさんも含めてみな長寿で、だいたい90歳を越えてからしか亡くなっていない。昔、祖母が元気だった頃に、兄弟の長男にあたる大伯父も100歳越えても矍鑠としているという話を聞いた。鈴木のおじさんも同じように長生きをしたことになる。
しかし祖母には細身で温厚な鈴木のおじさんはか弱く見えていたのか、よく「しょうちゃんは優しい子だからねえ、体も小さいからねえ、よくいじめられてねえ、昔は泣きべそでねえ……」みたいなことを言ってた記憶がある。ただし祖母はなにごともやや大げさに言う人だったので、鈴木のおじさんが、祖母が言うようなひ弱ないじめられキャラだったかはわからない。確かにおじさんはごく温厚な人ではあったが、なにせ自営業者であり、職人であり、黙々と働き続けた人なので、根性は座ってるタイプじゃなかったかと思う。
なお、大叔父の名前を今は正確に思い出せないが、たしか「しょう」がついていたんじゃなかったろうか、それで祖母は大叔父をしょうちゃんと呼んでいた気がするが、間違っているかもしれない。
ともかく鈴木のおじさんは、戦前に、長野に生まれ、小学校を出た後で東京に出て、工場で働いたようだ。のちに金属加工の零細町工場を持って自立したらしい。
私が生まれた頃にはすでにおじさんは東京郊外の宅地の一隅に、1階が工場で2階が住居、という町工場兼自宅を構えていて、妻であるおばさん(数年前に亡くなったが、この人も長寿であった)と、私の父からはいとこにあたる息子と住んで、三人で工場を運営していた。もしかしたら一人、二人くらいは雇っている人がいたような気もするが、私はごく幼かったので細かいことはわからないし、覚えていない。工場が稼働している平日にはほとんどここを訪れたことがなかったのだ。
以前にも書いたが私と父母の三人は小さな賃貸アパートに住んでいたが、鈴木のおじさんの工場兼自宅はそこからほんの50mほどのところにあった。それでときどき鈴木のおじさんとこに飲みに行く親に連れられてお邪魔したのである。おじさんの住まいは、1階にある工場の入り口をくぐり、よこっちょの狭い階段をとんとん上って辿りつく2階だった。建物の広さは普通の一軒家程度の間口しかないから、ちょっと狭い感じもあったようには思うが、私は自分の体が小さかったこともあり、むしろそのちょっと手狭な居心地の良さは好きだった。ただ、1階の工場部分は、訪問がいつも休日か夜なのでなにも動いておらず、しんとした暗がりに鉄の重々しい機械がでんと沈黙しているだけで、それがどう動き、なにをどういうふうにするものなのか、子供にはなにもわからなかった。ただ階段をのぼるとき、工場の暗がりからは、油と鉄の匂いと静けさがひんやり流れてきて、子供の私には薄気味悪くて怖くて未知の、でも同時にたいそう秘密のこもった魅力的な異空間だった。
私が三歳の頃、我々一家はアパートを引き払ってよそに移ったが、それでも引っ越し先は隣町くらいの場所だったので、親はちょくちょく鈴木のおじさんのところに飲みに行き(サザエさんでいう、ノリスケおじさん一家の立ち位置である)、そのときは私も連れて行かれて、おばさんの出してくれるごはんやら酒のおつまみやらのご相伴をいただいたものだった。
平成の初め頃、鈴木のおじさんは工場ごと別の場所に引っ越した。これまた私の実家があるのと同じ県内ではあったが、路線の都合などで行きにくい場所だったのと、私が大学以降は沖縄に移ってしまったため、私は鈴木のおじさんの新しい家&工場には行ったことがない。
しかし鈴木のおじさんはその工場でずっとがんばっていたと聞く。かなり高齢になるまで工場の経営を自ら担い、さすがに平成の後半には息子である父のいとこのおじさんに経営を譲ったのだがその後も毎日工場に出勤し、旋盤や清掃などの作業をしていたらしい。それはほんの数年前……つまりおじさんが90代半ばを超えたあたりのことで、「こないだお中元のお礼で電話したら、鈴木のおじさんまだ工場に立ってるんだって!」と母から聞いたのだった。なにかの折々に鈴木のおじさんがあいかわらず元気であるという話はちょくちょく聞いたが、それにしてもこの歳まであまりに頑健ご長寿の行動ばかりなので、身内ながら毎度びっくりしていた。
去年も、おじさんの100歳のお祝いということで父母は鈴木のおじさんちにお祝いに行ってきたのだそうだが、そのときはまったく元気だったという。ボケてもいないし、ほとんど介護もなしで自分でおおかたの生活を自立してできていたそうだ。
訃報と同時に得た情報では、施設に入っていてそこで亡くなった、と母は聞いたらしいが、施設に入っていたことは父も母も聞き及んでいなかったというから、今年くらいに施設に移ったばかりだったのだろうか。施設ではどういう状態だったかはまだくわしく聞いていないが、長患いをしたようでもないので、ほんとに最後まで元気だったんだろうなあ、と思うとなんとなくほっとする。
考えたら、おじさん、ギリギリ大正末の生まれだったかなと思う。祖母が確か大正10年くらいの生まれだったので……。私も若い頃、沖縄で聞き取りとかやっていて、高齢の人に方言や生活誌を聞くことがたくさんあったが、考えたらこのときの聞き取りに協力してくれた世代の人はだいたい大正生まれで、おじさんと同世代か、少しだけ上くらいの世代だ。最近はその年代の人びとに聞き取りできることはほとんどなくなっていた。そのことに気付く度、自然の時間の流れとは言え、少し、いやだいぶ、寂しいところはあった。だからおじさんがついに亡くなったとなったとき、大正の生まれの人が本当にもういなくなってっちゃうんだなあという意味でもだいぶ寂しい気持ちがある。
しかし鈴木のおじさんの生涯についていえば、その長い生をほぼずっと現役で過ごし、黙々働き続けた。このおじさんの存在は、なんとなく私にとっては心に灯となる感じがある。私自身にはあまり長生きをしようという意識がなく、60そこそこであんまり苦しまずに死ねたらいいんだけど~、なんてことを無責任にお気楽に考えたりもするが、しかしおじさんのように毎日ちゃんとちゃんと日々の仕事を続けて、生き続ける、暮らし続けることって大事だなとも思う。いつ死ぬかなんてわからないけど、まあ病気になったり障害を負ったりもありえるんだけど、生きてる限りはまあ日々を黙々やっていきましょう、という気持ちも湧いている。
戦前から高度経済成長まで、そして現在にいたるまでも、おじさんのような人びとが日本の産業を支えてきた。おじさんはそういう無名の働き者のひとりだった。生涯通して働き者だった。彼の成した仕事は、おそらく今どきらしいスマートさとか高い生産性とかコスパとかいう言葉とはかけはなれているのだが、百年に近い黙々とした活動の日々を、無駄で非効率だなどと蔑むのは愚か者の弁にすぎないと思う。とても立派な年月を成し遂げて、おじさんは去っていった。ただ深く敬意が向かうばかりだ。
推しイメソンプレイリスト、挫けそうになりながらやっとアルバム1個分弱くらいの分数(40分くらい、曲数でいうと13曲)にまとまってきた。
多分私は、推しイメソンの探し方をなんかすごく間違っていたのだと思う。
ぜんぜん、推しイメージだ!と思う曲を思いつけない。
今日になって今更、「そうかネットには推しイメソンを選ぶヒントや指南があるに違いない!」と気付いて検索したら、ちゃんとそういうページがいっぱいあったわ。
そんで、もちろん私は、ぜんぜん推奨されるやり方に沿ってなかった。めちゃくちゃ効率悪かった。
そもそも半分くらい日本語でないし英語ですらない歌を選んでいた。
その歌詞の内容を確認するための翻訳とか情報探しでめちゃくちゃ時間取られてたのだ。
でもおかげで、15世紀のイベリア半島の音楽について少しだけ勉強できたし、世俗曲は特にしっかり聞いてみたいと思う曲がいろいろあったから、アルバムごといくつか買っちゃった。
こういうきっかけになったのはとても良かった。
なお歌詞の翻訳では、今月だけ無料でお試しで使えてるGeminiにすごく世話になった。
ありがとうGemini。課金更新はしないけど、本当にとても助かったわ。
逐語訳出してもらったり、ニュアンスや文化的背景について質問できるのほんと便利だね。
しかし月額が1500円なら課金してもよかったけど、3000円は趣味に使うにはちょっと高いので継続課金は厳しいな……。仕事で使うんだったらアリだけど、仕事場では使いどころがあんまりない(しセキュリティ上も制約がある)。
そして、探してるうちに出会ったこの曲が!
すごく気に入ったので!! youtubeのアドレス貼っとくね!
シリアとレバノン出身のデュオによるアラビアンハウスだよ!
Kazdoura - Khayal خيال アルバム"Ghoyoum" 2024年
https://youtu.be/xA1TJrx5ZI8?si=SKtQxPRg...
めっちゃくちゃ良い……。好き……。
MVがちょっと妙なんだけどそこも含めて愛せる……。
とりいそぎ自PCのiTuneでいっぱい聞けるようにこの1曲だけ買ったけど、もうアルバムごと買っちゃおうかな。
推しイメソンリスト作りの顛末は、のぐちさんとこのアンソロ向け原稿としてまとめてみようかなと思っている。
イメソンリストとその説明自体はネットに置くのがいいと思ってるけど(リンクですぐ曲聞いてもらえるからね)、私が推したちに抱くイメージをいかにソングスセレクトに落とし込んでいくかの一連の苦闘は、オタ活ド下手人間がやりそうなバカバカしい迷走に満ちていて、わりと読み物にしてもおもしろそうかもと思っている。
多分私は、推しイメソンの探し方をなんかすごく間違っていたのだと思う。
ぜんぜん、推しイメージだ!と思う曲を思いつけない。
今日になって今更、「そうかネットには推しイメソンを選ぶヒントや指南があるに違いない!」と気付いて検索したら、ちゃんとそういうページがいっぱいあったわ。
そんで、もちろん私は、ぜんぜん推奨されるやり方に沿ってなかった。めちゃくちゃ効率悪かった。
そもそも半分くらい日本語でないし英語ですらない歌を選んでいた。
その歌詞の内容を確認するための翻訳とか情報探しでめちゃくちゃ時間取られてたのだ。
でもおかげで、15世紀のイベリア半島の音楽について少しだけ勉強できたし、世俗曲は特にしっかり聞いてみたいと思う曲がいろいろあったから、アルバムごといくつか買っちゃった。
こういうきっかけになったのはとても良かった。
なお歌詞の翻訳では、今月だけ無料でお試しで使えてるGeminiにすごく世話になった。
ありがとうGemini。課金更新はしないけど、本当にとても助かったわ。
逐語訳出してもらったり、ニュアンスや文化的背景について質問できるのほんと便利だね。
しかし月額が1500円なら課金してもよかったけど、3000円は趣味に使うにはちょっと高いので継続課金は厳しいな……。仕事で使うんだったらアリだけど、仕事場では使いどころがあんまりない(しセキュリティ上も制約がある)。
そして、探してるうちに出会ったこの曲が!
すごく気に入ったので!! youtubeのアドレス貼っとくね!
シリアとレバノン出身のデュオによるアラビアンハウスだよ!
Kazdoura - Khayal خيال アルバム"Ghoyoum" 2024年
https://youtu.be/xA1TJrx5ZI8?si=SKtQxPRg...
めっちゃくちゃ良い……。好き……。
MVがちょっと妙なんだけどそこも含めて愛せる……。
とりいそぎ自PCのiTuneでいっぱい聞けるようにこの1曲だけ買ったけど、もうアルバムごと買っちゃおうかな。
推しイメソンリスト作りの顛末は、のぐちさんとこのアンソロ向け原稿としてまとめてみようかなと思っている。
イメソンリストとその説明自体はネットに置くのがいいと思ってるけど(リンクですぐ曲聞いてもらえるからね)、私が推したちに抱くイメージをいかにソングスセレクトに落とし込んでいくかの一連の苦闘は、オタ活ド下手人間がやりそうなバカバカしい迷走に満ちていて、わりと読み物にしてもおもしろそうかもと思っている。
以前、職場のオタの人に推し活のヒントを求めたとき、「推しのイメソンプレイリストを作って、それで短い話とか書いてyoutubeのURL付きでページ数少なめの軽い本を一冊作るってのはどうか」とアイデアをもらっていた。
本作るかはともかく、推しのイメージにあう音楽を集めてリストにするってのは面白そうだなと思ったのだが、いかんせん、私は音楽に疎いしセンスもない。推しの人格や、背負う物語を表現するのに良さげな音楽を見つけ出すことが全然できない。
ので、なんとなく頓挫している。
そもそも、私はそれほど音楽に熱心じゃない。気に入って耳に馴染んでる曲をなんぼでも回し続けるので、新しい曲を全然開拓できない……。なんか未だにTMとか坂本眞綾とかの、学生時代に聞いてたものを延々、聞いてたりするし……。作業用に聞く曲、半分くらい古楽だし……。
古楽についてもべつに詳しいわけでもない。NHKのラジオ番組の「古楽の楽しみ」の配信をPCで録音しながら聞いて、いいなと思った曲を後で切り取って、mp3ファイルにしてプレイリストに入れるという、なんていうかみみっちいことをしているだけだ。体系的な、音楽や古楽ジャンルについての知識と理解はほとんど持っていないのだ。
しかし職場のオタの人も、先週なんとなしに気になっていたのか、「そういえば推しソングプレイリスト、やらないんですか」と水を向けてくれたが、しょせん私が音楽わからんの民なのでぜんぜん選曲できない……という話をしたら、「まあ、推しイメソン作るの、才能とセンス要りますよね……」と優しく言ってくれた。
推しイメソン作成の道は果てしない……深い沼が、ここにあるぜ……。
本作るかはともかく、推しのイメージにあう音楽を集めてリストにするってのは面白そうだなと思ったのだが、いかんせん、私は音楽に疎いしセンスもない。推しの人格や、背負う物語を表現するのに良さげな音楽を見つけ出すことが全然できない。
ので、なんとなく頓挫している。
そもそも、私はそれほど音楽に熱心じゃない。気に入って耳に馴染んでる曲をなんぼでも回し続けるので、新しい曲を全然開拓できない……。なんか未だにTMとか坂本眞綾とかの、学生時代に聞いてたものを延々、聞いてたりするし……。作業用に聞く曲、半分くらい古楽だし……。
古楽についてもべつに詳しいわけでもない。NHKのラジオ番組の「古楽の楽しみ」の配信をPCで録音しながら聞いて、いいなと思った曲を後で切り取って、mp3ファイルにしてプレイリストに入れるという、なんていうかみみっちいことをしているだけだ。体系的な、音楽や古楽ジャンルについての知識と理解はほとんど持っていないのだ。
しかし職場のオタの人も、先週なんとなしに気になっていたのか、「そういえば推しソングプレイリスト、やらないんですか」と水を向けてくれたが、しょせん私が音楽わからんの民なのでぜんぜん選曲できない……という話をしたら、「まあ、推しイメソン作るの、才能とセンス要りますよね……」と優しく言ってくれた。
推しイメソン作成の道は果てしない……深い沼が、ここにあるぜ……。
ジークアクス語り。
多分ジークアクス語りはこれで最後になると思うが(感想は書いたし、二次創作的な妄想はそれほどいっぱいするつもりがないので)なにせミハルの名前が出てきたので……。
劇場版再上映の舞台挨拶で、鶴巻監督や脚本の榎戸さんからいろいろ制作段階の話が出たらしく。
そこで、地球でマチュがカイとミハルに出会う案もあったという話が!!
マジでーーー??!! しかも夫婦!!!
竹カイ見れる可能性があった……どころか竹ミハル登場の可能性すら……あったんか……!
とはいえこれは、プロットの初期案にすぎない。
設定はされているけど物語に出てこなかったエピソードではない。
なので今も、ジークアクス世界でのカイとミハルがどこでどうしていいるのかはやっぱりわからない。
個人的に、カイやミハルではなくララァが登場することになった今のジークアクスの物語のほうがより良いものになっているのではないか、と思う。
でも、カイとミハルが登場するかもしれなかった、しかも出会ってて結婚までしてる仲っていう可能性が示されたのは単純に嬉しかったなあ。
ガンダムほぼミリしらの私だが、ミハルには思い入れがある。私が人生において記憶する最初期の推しカプがカイとミハルだからだ。
保育園の夕方、たまにテレビで夕方の再放送アニメを流してたのだが、私はそこで飛び飛びにファーストガンダム(再放送)を見ていた。見ていたとはいえこの状況なので全体の話の筋はほとんどろくに頭に入っていないのだが、ミハルのエピソードだけはすごく強烈に印象に残っていて、この部分だけわりとしっかり物語を把握していた。ちょっとひねくれてていじわるっぽい(と幼児はそう認識していた)カイのキャラクタをあまり好きではなかったのだが、ここで一気にギャップ萌えと言える気持ちも味わった。なにより、ミハルがけなげながら明るく、普通の女の子で、でもなんか幸薄い感じで……そんなミハルが、ちょっと斜に構えてるけど根が優しいカイと戦場の片隅で密やかに惹かれ合い、ミハルはスパイ行為をやめてカイと共闘するところまでいくのに、結局あっけなく死んでしまう。そんな物語に飲み込まれたのだった。幼児心に、ミハルはなんとか助かれなかったのかなあ、戦争終わったあとにカイと仲良くできる物語にはならないのかなあ、と何度も悲しく思い返したものだった。オタクの魂は三歳にして成り、死ぬまで変わらないのだ。
さて、ジークアクス世界では、最終回までセイラさん以外の正史ホワイトベースクルーメンバーの去就は出てこなかったから、彼らの運命も不明なままだった。つまりこれは好きに考えろってことだな!と受け取って、私もここぞとばかり、カイもミハルも民間人として戦争を生き延び、どこかで出会ってるかも!いや出会ってる!出会ってることにしよ!そんで、つきあってるんじゃないかな!そう思うことにするわ!……という二次創作オタ思考を当たり前のようにしていた。
ただ、上記で話の出たプロット案ではミハルはジオン軍においてスパイとして出世しており、シャリア・ブルと連絡を取り合っている立場ということだった。うわあミハルたち出てこなくて良かった、その設定が確定しなくてよかったなあ~、と思ったのが正直なところだ。
もしミハル生存世界線だとしても、戦争や軍隊やスパイなんてものとはあまり関係を持たずに、民間人として生きのびていてほしい。幼児の記憶だから間違っているかもしれないが、正史でのミハルは、なにせ当座しのぎの生活資金を手にするためにやってたスパイ行為なので素人臭くて、危なっかしかったような記憶がある。その危なっかしさの帰結が最期に繋がっているように認識もしていたので、もし熟練のスパイ夫婦としてのミハルとカイが登場してたら「そんな、ミハルがスパイ行為に熟達してるだなんて、そんなの解釈違いだよ!」って気持ちになっていた可能性が高い。
まあ、そうは言っても、話が面白かったら、これはこれでアリだな!とか言い出してる可能性もあったけど。
というわけで、カイとミハル夫婦設定の可能性に滾ったけど、それはさておき、プロットの変遷の話としてすごく興味深い話だった。そしてなにより、ジークアクスは女の子であるマチュを主人公とした成長の物語というのが最初から軸にあった、その物語を作っていく過程での変遷だったというのがコメントされていたみたいなので、それはすごく嬉しかった。マチュが物語の軸なんだねえ、やっぱり。
多分ジークアクス語りはこれで最後になると思うが(感想は書いたし、二次創作的な妄想はそれほどいっぱいするつもりがないので)なにせミハルの名前が出てきたので……。
劇場版再上映の舞台挨拶で、鶴巻監督や脚本の榎戸さんからいろいろ制作段階の話が出たらしく。
そこで、地球でマチュがカイとミハルに出会う案もあったという話が!!
マジでーーー??!! しかも夫婦!!!
竹カイ見れる可能性があった……どころか竹ミハル登場の可能性すら……あったんか……!
とはいえこれは、プロットの初期案にすぎない。
設定はされているけど物語に出てこなかったエピソードではない。
なので今も、ジークアクス世界でのカイとミハルがどこでどうしていいるのかはやっぱりわからない。
個人的に、カイやミハルではなくララァが登場することになった今のジークアクスの物語のほうがより良いものになっているのではないか、と思う。
でも、カイとミハルが登場するかもしれなかった、しかも出会ってて結婚までしてる仲っていう可能性が示されたのは単純に嬉しかったなあ。
ガンダムほぼミリしらの私だが、ミハルには思い入れがある。私が人生において記憶する最初期の推しカプがカイとミハルだからだ。
保育園の夕方、たまにテレビで夕方の再放送アニメを流してたのだが、私はそこで飛び飛びにファーストガンダム(再放送)を見ていた。見ていたとはいえこの状況なので全体の話の筋はほとんどろくに頭に入っていないのだが、ミハルのエピソードだけはすごく強烈に印象に残っていて、この部分だけわりとしっかり物語を把握していた。ちょっとひねくれてていじわるっぽい(と幼児はそう認識していた)カイのキャラクタをあまり好きではなかったのだが、ここで一気にギャップ萌えと言える気持ちも味わった。なにより、ミハルがけなげながら明るく、普通の女の子で、でもなんか幸薄い感じで……そんなミハルが、ちょっと斜に構えてるけど根が優しいカイと戦場の片隅で密やかに惹かれ合い、ミハルはスパイ行為をやめてカイと共闘するところまでいくのに、結局あっけなく死んでしまう。そんな物語に飲み込まれたのだった。幼児心に、ミハルはなんとか助かれなかったのかなあ、戦争終わったあとにカイと仲良くできる物語にはならないのかなあ、と何度も悲しく思い返したものだった。オタクの魂は三歳にして成り、死ぬまで変わらないのだ。
さて、ジークアクス世界では、最終回までセイラさん以外の正史ホワイトベースクルーメンバーの去就は出てこなかったから、彼らの運命も不明なままだった。つまりこれは好きに考えろってことだな!と受け取って、私もここぞとばかり、カイもミハルも民間人として戦争を生き延び、どこかで出会ってるかも!いや出会ってる!出会ってることにしよ!そんで、つきあってるんじゃないかな!そう思うことにするわ!……という二次創作オタ思考を当たり前のようにしていた。
ただ、上記で話の出たプロット案ではミハルはジオン軍においてスパイとして出世しており、シャリア・ブルと連絡を取り合っている立場ということだった。うわあミハルたち出てこなくて良かった、その設定が確定しなくてよかったなあ~、と思ったのが正直なところだ。
もしミハル生存世界線だとしても、戦争や軍隊やスパイなんてものとはあまり関係を持たずに、民間人として生きのびていてほしい。幼児の記憶だから間違っているかもしれないが、正史でのミハルは、なにせ当座しのぎの生活資金を手にするためにやってたスパイ行為なので素人臭くて、危なっかしかったような記憶がある。その危なっかしさの帰結が最期に繋がっているように認識もしていたので、もし熟練のスパイ夫婦としてのミハルとカイが登場してたら「そんな、ミハルがスパイ行為に熟達してるだなんて、そんなの解釈違いだよ!」って気持ちになっていた可能性が高い。
まあ、そうは言っても、話が面白かったら、これはこれでアリだな!とか言い出してる可能性もあったけど。
というわけで、カイとミハル夫婦設定の可能性に滾ったけど、それはさておき、プロットの変遷の話としてすごく興味深い話だった。そしてなにより、ジークアクスは女の子であるマチュを主人公とした成長の物語というのが最初から軸にあった、その物語を作っていく過程での変遷だったというのがコメントされていたみたいなので、それはすごく嬉しかった。マチュが物語の軸なんだねえ、やっぱり。
ファミマで売ってるしろくまメロンソーダがうまいのよ。
しろくま特有の混じっている大きめ氷片が炭酸氷で、がりがり噛んでるとなかなかパチパチシュワチュワ来る。うまい。
しろくまなのでだいぶ甘め味でちょっと量が多いのだが、まあパチチュワを楽しんでると食べきっちゃう感じ。
キウイソースとかも入ってて、甘酸っぱテイストでとても夏向けの味。
カンカン照りの暑い日の帰りにこれ食ったらめちゃくちゃ美味いと思う。
多分、ICEBOXグレープフルーツ味にキンキンに冷えたコーラぶち込んで飲むのと同じくらい美味い(最大限の賛辞)。
10月くらいまでこれ売っててほしいな! 沖縄ファミマだけ10月まで売り続けてくれないだろうか。沖縄だとその頃までずっと暑いからさあ。
しろくま特有の混じっている大きめ氷片が炭酸氷で、がりがり噛んでるとなかなかパチパチシュワチュワ来る。うまい。
しろくまなのでだいぶ甘め味でちょっと量が多いのだが、まあパチチュワを楽しんでると食べきっちゃう感じ。
キウイソースとかも入ってて、甘酸っぱテイストでとても夏向けの味。
カンカン照りの暑い日の帰りにこれ食ったらめちゃくちゃ美味いと思う。
多分、ICEBOXグレープフルーツ味にキンキンに冷えたコーラぶち込んで飲むのと同じくらい美味い(最大限の賛辞)。
10月くらいまでこれ売っててほしいな! 沖縄ファミマだけ10月まで売り続けてくれないだろうか。沖縄だとその頃までずっと暑いからさあ。
ジークアクス、もうちょっと長々しく感想書くか……ネタバレまくりで……と思ったので、fusetterに書いといた。
>ジークアクス最終回まで見ての感想まとめとこ、と思ったらすげえ長文になった。自サイトのブログに置いておきたかったが、ネタバレも全開なので、伏せったーに書いておく。 https://fse.tw/fbXnBb0i
>ジークアクス最終回まで見ての感想まとめとこ、と思ったらすげえ長文になった。自サイトのブログに置いておきたかったが、ネタバレも全開なので、伏せったーに書いておく。 https://fse.tw/fbXnBb0i
最終回見たよ!
見ながらずっとほろほろ泣けてた、なんだろう……こう……
子供であること、大人になること、大人であること、生きること、生き延びること
……みたいな物語が、ニュータイプと名付けられた人びとを通して、交錯して、触れあって炸裂し続ける、ような最終回だった。
あとは、不透明で、悲惨しかないかもしれない世の中に、世界に、それでも、と言い続けるような……
これはぼんやりとしたものだけど、今現在の現実の世界が、物語のずっとうっすら後ろにあるなと言う感じを……これは私の気のせいではなくそうであってくれるといいなと思っていたのだけど、たぶん、そのうっすらとした影は確かにあるだろうと思えた。今の世界に生きていくことから、まったく遊離した物語ではないと。(まあ、とはいえ、現実の社会や世界の問題に深く切り込んでいる物語とは言えないのだけど。でも、物語にとっては現実などはまるで無関係でどうでもいいものだとして作られた作品ではないと思えただけで、少し救われたような気持ちがある。)
マチュはやっぱり主人公だったな。
そうだ、すべてお前が、お前こそがその手のひらでつかみ取るもの。
この物語は、自由を自分をみずから選んでつかみ取る、娘の物語だった。
(そう、自分の足で新しい地へ進んでいく女たちの物語ということで、やっぱちょっとウテナだよねこれさ!)
最終回、不満な人もけっこういそうな気がするけど、私は、とてもなんていうか、良かったなあとしみじみしている。ジークアクスは大人になることとか生きることの物語だといいなと思ってて、そのうえ、性的なニュアンスなしで女の子が大人になっていくには、っていうジュブナイルだったらいいなと思ってた。最終回で、やっぱそういう物語だなと思えたので良かったよ。(9話の、シャリア・ブルの木星での顛末あたりからずっとそう思ってたんだよね。あのシャリア・ブルの述懐は、私にとってはゲド戦記3巻の最後のほうで、生と死の境、絶望の先に到達したレバンネンが苦しみの山の小石を握りしめて、ぱっとしない勝利に泣き笑ったあの瞬間と重なっていた。あのときシャリア・ブルがマチュに語り伝えたのは、生きると言うことは自分の命を自分がたった一人で抱えて生きていくということ、誰かに何かに守られる者じゃなくて自分の足で歩き、進んでいき、その歩みで以てときには他の誰かを助ける責を負う、そうして一人の人間として熟するということだったと思っているので……マチュは最終回で、本当はこうだろ!こうじゃないといけないだろ!ってのを世界に突きつけることで、そういう歩みをひとつ成し遂げたと思うんだ)
追記:あっ、性的なニュアンスなしで、って言い切っちゃったけど、これは単純に「女の子がオトナになる」みたいなフレーズ使うと、性愛的な経験(それが恋愛感情を抱くだけのことだとしても)を経由してこそ女として成熟する、みたいに聞こえちゃうので、いやそういうポンコツなハナシはしてねーんだわ、っていう意味で言ってる。ただ、マチュがシュウジに恋愛的な意味で惹かれているのは事実だし、その点は物語でも重要な要素だったので、そういう意味では正確には性愛の側面はゼロではない。ただ、やはりジークアクスはマチュの恋心だけで駆動している物語ではなくて、マチュがいろいろな人の心に触れて、少しづつ知り、わかっていって、少しづつ大人に、強く生きる人になっていくってのがジークアクスの物語のコアにあるのだと思っている。
見ながらずっとほろほろ泣けてた、なんだろう……こう……
子供であること、大人になること、大人であること、生きること、生き延びること
……みたいな物語が、ニュータイプと名付けられた人びとを通して、交錯して、触れあって炸裂し続ける、ような最終回だった。
あとは、不透明で、悲惨しかないかもしれない世の中に、世界に、それでも、と言い続けるような……
これはぼんやりとしたものだけど、今現在の現実の世界が、物語のずっとうっすら後ろにあるなと言う感じを……これは私の気のせいではなくそうであってくれるといいなと思っていたのだけど、たぶん、そのうっすらとした影は確かにあるだろうと思えた。今の世界に生きていくことから、まったく遊離した物語ではないと。(まあ、とはいえ、現実の社会や世界の問題に深く切り込んでいる物語とは言えないのだけど。でも、物語にとっては現実などはまるで無関係でどうでもいいものだとして作られた作品ではないと思えただけで、少し救われたような気持ちがある。)
マチュはやっぱり主人公だったな。
そうだ、すべてお前が、お前こそがその手のひらでつかみ取るもの。
この物語は、自由を自分をみずから選んでつかみ取る、娘の物語だった。
(そう、自分の足で新しい地へ進んでいく女たちの物語ということで、やっぱちょっとウテナだよねこれさ!)
最終回、不満な人もけっこういそうな気がするけど、私は、とてもなんていうか、良かったなあとしみじみしている。ジークアクスは大人になることとか生きることの物語だといいなと思ってて、そのうえ、性的なニュアンスなしで女の子が大人になっていくには、っていうジュブナイルだったらいいなと思ってた。最終回で、やっぱそういう物語だなと思えたので良かったよ。(9話の、シャリア・ブルの木星での顛末あたりからずっとそう思ってたんだよね。あのシャリア・ブルの述懐は、私にとってはゲド戦記3巻の最後のほうで、生と死の境、絶望の先に到達したレバンネンが苦しみの山の小石を握りしめて、ぱっとしない勝利に泣き笑ったあの瞬間と重なっていた。あのときシャリア・ブルがマチュに語り伝えたのは、生きると言うことは自分の命を自分がたった一人で抱えて生きていくということ、誰かに何かに守られる者じゃなくて自分の足で歩き、進んでいき、その歩みで以てときには他の誰かを助ける責を負う、そうして一人の人間として熟するということだったと思っているので……マチュは最終回で、本当はこうだろ!こうじゃないといけないだろ!ってのを世界に突きつけることで、そういう歩みをひとつ成し遂げたと思うんだ)
追記:あっ、性的なニュアンスなしで、って言い切っちゃったけど、これは単純に「女の子がオトナになる」みたいなフレーズ使うと、性愛的な経験(それが恋愛感情を抱くだけのことだとしても)を経由してこそ女として成熟する、みたいに聞こえちゃうので、いやそういうポンコツなハナシはしてねーんだわ、っていう意味で言ってる。ただ、マチュがシュウジに恋愛的な意味で惹かれているのは事実だし、その点は物語でも重要な要素だったので、そういう意味では正確には性愛の側面はゼロではない。ただ、やはりジークアクスはマチュの恋心だけで駆動している物語ではなくて、マチュがいろいろな人の心に触れて、少しづつ知り、わかっていって、少しづつ大人に、強く生きる人になっていくってのがジークアクスの物語のコアにあるのだと思っている。
ジークアクス最終話直前なんだけど、先週のアニポケ100話を(父母たちの運転手をしていた関係で)見逃していたので見た。
オリオ~!!
うわああんオリオ~~~!!!
歩き出してくれて、ありがとう……!
リコロイドットに、新しい翼を、新しいライジングボルテッカーズを与えてくれてありがとう……!!
泣かし、かつ熱い展開だった……。
前回、リコロイドットたちがオリオに再会したときの拒絶感を見れば、立ち止まっちゃった大人たちの中でもオリオがいちばん傷が深かっただろう、ってのは確かに思ったけど、今回の話でオリオがどれだけフリードのことで挫けていたか、深く傷を抱いていたのかがさらにわかったし、なおそれでもフリードのこともあの旅のことも、心の底で信じていたし希望を捨ててなかったこともわかって、オ、オリオ~~……!!って涙目にならざるを得ない。
フリードの願いに応えて彼に翼をもたらしたのはオリオで、でもその希望の翼でもって旅した果てにフリードは、オリオが仕立てた翼からこぼれ落ちていった。レックウザライジング編のラスト「冒険の先で見た最後の景色」とリコが言う場面、そのとき大人組のなかではオリオだけがリコロイドットたちの後ろに、一緒に、その場にいた。フリードが落ちていくのを、冒険の夢が崩れ落ちていくのを見ながら、叫ぶことしかできず。
けれども「最後の景色」に続く場面は1年後のリコに移ったので、あの景色の直後のオリオの感情はリコロイドットたちと再会するまでは描かれていなかった、それだけに。
再び冒険の夢への希望が生まれたときに、オリオがあんなに泣いているのが……。
フリードのことを、やっぱり立ち止まらないヤツだって言うオリオ……。
っていうかフリードはほんとに!!
戻ってきたらマジでオリオに一発ぶたれたって文句は言えないんじゃないかな!
あとは泣かせた責任を取って、オリオとずっと一緒に居てやれよ!って思った。つまり結婚しろ。
っていっても、オリオとフリードのあいだにあるのは恋愛っていうよりも、友情というか、幼なじみで同志の絆というかなので、別に恋愛で発展しなくてもいいっちゃいいんだけど……でもオリオ、あんだけフリードにいろいろ差し出してくれてんだから、フリードもいろいろ差し出せや、ってなるし、そうなるとまあやっぱ先の人生ずっと一緒にいる約束くらいはしてやってもいいんじゃねえのって気にはなる。
少なくともオリオはフリードのこともフリードの夢のことも、たいへん大事にしてくれている。だからブレイブアサギ号を作ったし、船を動かし続けるためにエンジニアとしてフリードの旅に同行し続けていた。
なのでフリードも、オリオが愛する船と技術を、エンジニア魂を、理解して大事にしてやってほしいなあという気がする。もちろん、フリードはブレイブアサギ号に愛着や信頼を持っているし、それを運用してくれているオリオにも強い信頼や敬意を抱いているとは思うけど、それをさらに上回って、オリオ自身の熱さ、エンジニア魂、彼女の望みや夢をちゃんと大事にしてやれよっていうね。
だってオリオはフリード自身とその夢とをわかっていて、めちゃくちゃ尊重してくれて、腕を振るいつづけて、その結果が挫折に至ったことで深く自責に苦しんだのだから。そういう絆や道筋を作ったのはフリードなのだから、フリードもオリオに相応の、特別という尊重を向けてしかるべきじゃないか。オリオはフリードにとって、幼なじみで親友で頼れる仲間で……だからこそ、オリオの腕前やフリードに向ける信頼と尊重を、一方的に利用している関係性じゃないなら、オリオにちゃんとありがとうしてくれよなって思った。
アニポケリコロイ編は、こういう細やかな心の機微を、さらっとながらわりとしっかり描く作品だと思っているので、いつかフリードはオリオの差し出したものに相応のものを返すことがありそうな気はしている。そうであってほしいなあ。別に結婚とか愛の告白とかじゃ無くてもぜんぜんいいから。ただオリオのがんばりとか熱さとか誠実とか、そのためにこそ受けた苦しさに対する報いの言葉を、フリードが言わなきゃ誰もそこに報いることはできないからね。
そして、オリオが復帰してくれて、よし、こっから来週はマードックやモリーを拾いに行くのかな!と思ったら、手際よくオリオ自身が連絡しててくれて、速攻みんな集まってくれた。そしてスマホロトム持ってないから連絡できないってのになぜか集合してここにいる、ランドウのじっちゃんとヌオーとシャリタチーズ。エンジニアは仕事が早い、おかげで話の進みも早い、じっちゃんは永遠に謎の存在。良い(脚本の整理の良さよ)
来週はいったんパルデアに戻って、ボタンや校長やオモダカさんも再登場するみたいなので嬉しい。
それにしてもやっぱライジングボルテッカーズは、大人組もいてこそなんだよなあ。ここにフリードが戻ってきてくれたら完璧。
あとアメジオどこいったんだ。絶対出てくるとは思うけど、早くこう、気配をね、匂わせでもいいから……。アメジオもたいへん良いキャラなので、早く復活してほしいな。
オリオ~!!
うわああんオリオ~~~!!!
歩き出してくれて、ありがとう……!
リコロイドットに、新しい翼を、新しいライジングボルテッカーズを与えてくれてありがとう……!!
泣かし、かつ熱い展開だった……。
前回、リコロイドットたちがオリオに再会したときの拒絶感を見れば、立ち止まっちゃった大人たちの中でもオリオがいちばん傷が深かっただろう、ってのは確かに思ったけど、今回の話でオリオがどれだけフリードのことで挫けていたか、深く傷を抱いていたのかがさらにわかったし、なおそれでもフリードのこともあの旅のことも、心の底で信じていたし希望を捨ててなかったこともわかって、オ、オリオ~~……!!って涙目にならざるを得ない。
フリードの願いに応えて彼に翼をもたらしたのはオリオで、でもその希望の翼でもって旅した果てにフリードは、オリオが仕立てた翼からこぼれ落ちていった。レックウザライジング編のラスト「冒険の先で見た最後の景色」とリコが言う場面、そのとき大人組のなかではオリオだけがリコロイドットたちの後ろに、一緒に、その場にいた。フリードが落ちていくのを、冒険の夢が崩れ落ちていくのを見ながら、叫ぶことしかできず。
けれども「最後の景色」に続く場面は1年後のリコに移ったので、あの景色の直後のオリオの感情はリコロイドットたちと再会するまでは描かれていなかった、それだけに。
再び冒険の夢への希望が生まれたときに、オリオがあんなに泣いているのが……。
フリードのことを、やっぱり立ち止まらないヤツだって言うオリオ……。
っていうかフリードはほんとに!!
戻ってきたらマジでオリオに一発ぶたれたって文句は言えないんじゃないかな!
あとは泣かせた責任を取って、オリオとずっと一緒に居てやれよ!って思った。つまり結婚しろ。
っていっても、オリオとフリードのあいだにあるのは恋愛っていうよりも、友情というか、幼なじみで同志の絆というかなので、別に恋愛で発展しなくてもいいっちゃいいんだけど……でもオリオ、あんだけフリードにいろいろ差し出してくれてんだから、フリードもいろいろ差し出せや、ってなるし、そうなるとまあやっぱ先の人生ずっと一緒にいる約束くらいはしてやってもいいんじゃねえのって気にはなる。
少なくともオリオはフリードのこともフリードの夢のことも、たいへん大事にしてくれている。だからブレイブアサギ号を作ったし、船を動かし続けるためにエンジニアとしてフリードの旅に同行し続けていた。
なのでフリードも、オリオが愛する船と技術を、エンジニア魂を、理解して大事にしてやってほしいなあという気がする。もちろん、フリードはブレイブアサギ号に愛着や信頼を持っているし、それを運用してくれているオリオにも強い信頼や敬意を抱いているとは思うけど、それをさらに上回って、オリオ自身の熱さ、エンジニア魂、彼女の望みや夢をちゃんと大事にしてやれよっていうね。
だってオリオはフリード自身とその夢とをわかっていて、めちゃくちゃ尊重してくれて、腕を振るいつづけて、その結果が挫折に至ったことで深く自責に苦しんだのだから。そういう絆や道筋を作ったのはフリードなのだから、フリードもオリオに相応の、特別という尊重を向けてしかるべきじゃないか。オリオはフリードにとって、幼なじみで親友で頼れる仲間で……だからこそ、オリオの腕前やフリードに向ける信頼と尊重を、一方的に利用している関係性じゃないなら、オリオにちゃんとありがとうしてくれよなって思った。
アニポケリコロイ編は、こういう細やかな心の機微を、さらっとながらわりとしっかり描く作品だと思っているので、いつかフリードはオリオの差し出したものに相応のものを返すことがありそうな気はしている。そうであってほしいなあ。別に結婚とか愛の告白とかじゃ無くてもぜんぜんいいから。ただオリオのがんばりとか熱さとか誠実とか、そのためにこそ受けた苦しさに対する報いの言葉を、フリードが言わなきゃ誰もそこに報いることはできないからね。
そして、オリオが復帰してくれて、よし、こっから来週はマードックやモリーを拾いに行くのかな!と思ったら、手際よくオリオ自身が連絡しててくれて、速攻みんな集まってくれた。そしてスマホロトム持ってないから連絡できないってのになぜか集合してここにいる、ランドウのじっちゃんとヌオーとシャリタチーズ。エンジニアは仕事が早い、おかげで話の進みも早い、じっちゃんは永遠に謎の存在。良い(脚本の整理の良さよ)
来週はいったんパルデアに戻って、ボタンや校長やオモダカさんも再登場するみたいなので嬉しい。
それにしてもやっぱライジングボルテッカーズは、大人組もいてこそなんだよなあ。ここにフリードが戻ってきてくれたら完璧。
あとアメジオどこいったんだ。絶対出てくるとは思うけど、早くこう、気配をね、匂わせでもいいから……。アメジオもたいへん良いキャラなので、早く復活してほしいな。
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おととしに亡くなった親戚のおばばが、たまに、「これは味があるよ」という言い回しを使っていたような気がする。
日本語で言うなら「滋味がある」が近い気はする。単に出汁が効いてるとか、旨味が強いとかというわけではなく、旨いと思わせる何がしかの要素が濃厚に詰まっておる、というニュアンス。
魚にも肉にも野菜にも使う。煮しめたゴボウに、「このごぼうは味があるよ」みたいに言う。だが、単に出汁がうまく沁みてるということではなく、素材のごぼうが良い味で、というニュアンスがあったように思う。といって、素材そのものの味の良さだけに言及してるわけではなく、必ず仕上がった状態での「味がある」という言い回しだったように思う。素材のごぼうの方を指して「味がある」とは言わなかったと思う。自分でこしらえたごぼうの煮付けを食べながら「このごぼうは味があるね、〇〇ちゃん。食べてごらん、味があるよ」などと言うのだ。
沖縄かまぼこの味わいがおばばの好みであったときにも確か「味がある」と言っていた。おばばは、行事のときの重箱に入れるかまぼこは、わざわざ市場まで出かけて、ここの店のがいちばん味があるよ、と言いながら、いきつけの店で買う。たまに支度に手が回らず、取り急ぎスーパーで買ってきた沖縄かまぼこを使わざるを得なかったときは、たいてい「スーパーのは味がないよ、おいしくない」と文句をぶつくさ言っていた。ちなみにデパ地下で売られているような、江戸前高級かまぼこ(もちろん美味)をいただいたとき、おばばは「内地のかまぼこは、あふぁい(淡い、薄い)ね」と言っていた。高級な贈り物であることはわかっていて、ありがたく美味しく頂いてはいたものの、おばばの言う「味がある」からは、本土のかまぼこの味は少しズレていたようだ。
餅の風味が良いときにも使っていたと思う。餅についてはおばばは、沖縄のもち粉で作る白餅よりも、内地風の搗き餅のほうが評価が高く、「奄美の餅はとても味があるよ、おいしい」とは、奄美に住むおばばの娘から送られてきた搗き餅(輸送で数日経っているがわりと搗き立て)に対しての絶賛コメントだった。そういえば、大福のあんこがなかなか重量のある甘さだがそれゆえに旨いというときも、おばばは「味があるねえ」と喜んでいた気がする。
美味い、とだいたい同義なように思うが、なんかそれとも少し違くて、とにかくあれは「味がある」なのだ。
正直ちょっと記憶が定かでなく、用法や語彙の範囲が合っているのかはわからない。
おばばは、キャラはまったく高濃度のうちなーんちゅだったが、故郷を離れて他県で暮らしていた期間も長かったため、少し独特の言語表現をすることがあった。彼女の発するフレーズのなかには耳慣れないものが混じることがあったが、それが方言なのか、沖縄なまりの日本語なのか、それとも彼女独自の創作語彙(方言の語感を彼女の感覚で独自に日本語化させたと思われるもの)だったのか、はっきりしないものが多数あった。
「味がある」も、おばば独自の語だったかもしれない。
しかし私も、このおばばの言い回しがなんとなく脳に染みついていて、ときどき(これは味があるね)などと思いながらものを食べているときがある。使い方が合ってるかは、いまだによく分からないけど。