勝手の神さま

 なんだかシケた街ですねェ。
 バルボサは口の中でぼやきながら、通りを歩いている。
 街並みは雑然としていた。近隣に鉛鉱山があるせいか鉱夫らしい者の姿が多く見受けられたが、この街自体は周辺にいくつかある小さな鉱山町からの産出物を集積する交易の結節点だった。そのため、出稼ぎや交易でやってきてすぐに去っていく、流れ者の多い街だった。街の建物も、伝統や形式よりもときどきの流行や経済状況を優先して建ったり潰れたりする。結果、街の通りの風景は人びとの活動の痕跡が乱雑に積み重ねられた、混沌とした仕上がりになっていた。
 とはいえバルボサの目が見ているのは、街の歴史だとか文化だとかそんなことではない。金になりそうな話があるか、景気の良さそうな浮ついた感じがあるかどうか、である。そして、どうやらここのところ街の経済は下降の局面にあるらしかった。街並みは乱雑なだけではなく少し古びてもいて、壁や戸や窓がやや傾いだまま放置されていたり、色褪せた塗料が半端に禿げて看板や壁にまだらに張り付いているような家も目についた。
 そんな街でも酒場というのはもちろんある。そしてこの街の酒場も、よそと変わらず酒と食べ物とおしゃべりと酒飲み連中とがたっぷり用意されていた。
 バルボサが入っていくと、昼下がりなのに酒場はまあまあの人出だった。昼食後に居座ってぶらぶら酒を飲んでいる、そんな風情の客たちが大声で笑い合い、わめきあっていた。
「一等のお酒いっちょと、おいしーいごはんなんか、お願いしますね~」
 バルボサは酒場に入るなり店の親父に向かって叫んだ。
 年初に手に入れた年俸は荒使いして、すでに財布は振ってもペラペラはためくだけの軽さになっていたのだが、バルボサはそんなささいなことにいちいち心を煩わせない。金がなければ儲ければいいのだ。酒場にはなんかしら転がっているはずだ。お宝の噂、うまい儲け話、あるいは商会主が喜びそうな変わったモノや噂話。なんでもいい、とにかく金になる話なら。だが、金を呼ぶには使わなければならない。気前の良さをみせつけてこそ、話を持ちかけてくる連中が現れるものだ。バルボサの論理はこういう具合だったので、財布にビタ銭しか入ってなくたって、酒場で一等の酒をまずは頼むというのが定石だった。
 酒場の入り口近くの席で、安酒一杯をテーブルに置いて暇そうに爪をいじっていた男が片眉を上げた。
「船乗りさんかい。景気が良さそうだねえ」
「へっへっへー。どーでしょねェ。まあ、私、こう見えてもとある有名商会に雇われているやり手の提督なのでして。ゆえに名前に見合ったお酒を飲む、これトーゼン、でショ」
 別の席から、中年の女が声を上げた。
「あ、もしかしてリスボンから来たっていう船の人かい? いま、ポルトガルで一番儲かってる大商会の船だって聞いたんだけど」
 バルボサはふんぞり返り、鼻高々になって言った。
「ふふふのフ。わかっちゃいました~? 品位と品格って自然とにじみ出るものですね~」
 最初に声をかけてきた男が、へええ、と感心したように言う。
「俺もその商会の噂、聞いたことあるぜ。ポルトガルの海の英雄と王様にお褒めいただいた凄腕の船乗りがいるって。ゴメスとかそんな名前だったか。……もしかして、あんたが?」
 男の期待を込めた表情を見た一瞬、バルボサの頭の中でそろばんがパチパチと弾かれた。
 フンフン。いいですねェ、英雄という響き。
 うまいこと話に乗っていったら、これは奢られ放題なのでは?
 あっという間に計算は完了していた。バルボサは腕組みをし、いかにも威厳がありそうな(と自分で思っている)姿勢を取った。
「イヤイヤ海の英雄だなどと、王サマもちょっと褒めすぎですね~。もったいないお言葉ですが、しかしまあ、ワタクシもお国のためにいろいろと働きましたんでネ?」
「やっぱりあんたがゴメスか! みんな来いよ、英雄と呼ばれた伝説の船乗りだぞ!」
 酒場中の人間がバルボサのテーブルに集まってくる。酒場の親父も酒がたっぷりはいった大きなジョッキを運んできて、丁重にバルボサの前に置いた。
「これは奢りだ。噂の英雄が来て飲んでくれたってんなら、名誉だからな」
 いいんですかァ、と言いながらバルボサは、縁までたぷたぷに注がれたジョッキに口を付け、酒をすすり込んだ。ウンウン。かーっときつくて、ぴりっときて、濁りのないお味。しびれるようないいお酒じゃないですか。しかもタダ。サイコーです。
 嬉しさでむせながら酒をすすり込んでいると、店の常連から質問が飛んできた。
「英雄さんは、この街にはなんの用事で来たんだい」
「そっですね~、探検、討伐、なんでもござれですけども。今は、まあ例えばですケド、ぴっかぴかのお宝ちゃんのお話とか、デッカい儲け話とか、そんなの探してますね~」
「儲け話なあ。あれば俺たち、こんなとこでシケっ面さらして酒飲んでねぇわ」
 ちぇっ、やっぱりシケた街なんですねェ。バルボサは心のなかで毒づいたが、今はなにせ英雄なのだ。ニコニコ営業スマイルを保って、バルボサは言った。
「うーん、だったら、うちの商会では世界中の不思議な噂やものごとなんかの情報も集めてるんですよ。世界でいちばんの大博物図鑑を堂々編纂中なのでーす! そういうわけで、ここらで噂になってる変わったものとか風習なんかあったら教えていただけますと、私もボーナスちゃんがいただけてウハウハってものなんですケド……」
 酒場の人びとは顔を見合わせた。
「変わったモノ、ねえ。なんかあったっけか」
「うちの猫、尻尾が短くて、ちょっとエビみたいな形してるけど」
「うちのじーさん、百歳越えて元気だぜ。あの歳で、今でも一人で馬乗って畑に行くんだ」
「隣んちの井戸の水がさ、よそよりいつもひんやりしてんだ。夏場は気持ちいいぜ」
 なんなんですか、そのただの世間話は。どれもこれもイマイチです。
「もうちょっとこう、バキっとした感じのオハナシ、ないですかネ」
「そうだな、街の風習っていや、うちの街はいろんな神様がいるぜ」
「神サマ? どんなのですか」
「なんでも、とにかくいろんなのさ。ここは昔、流れ者が集まって作った街で、あっちこっちから人が来てそれぞれの神様を拝んでたらしいんだけど、めんどくせえからまとめて全部、街の神様ってことになったんだ。いろいろいるぜ。川の神様とか、鉱山の神様とか、商売の神様とか。酒の神様もいるし、酒場の神様も別でいるし。それからな、嫌なこともみんな神様がいるんだ。盗人の神様とか火傷の神様とか、便秘の神様とかさ。あと、貧乏神とか」
「うへえ、なんですか、その後半のエントリーは。貧乏神なんてサイアクでーす!」
「まあさ、嫌なことの神様にゴマ擦って賄賂贈っときゃお目こぼししてくれるってわけさ。だから結構、嫌なことの神様の神殿にだってお布施が入ってたりするんだ」
 そんな神サマにはビタ一文だってお布施なんかしませんよ。バルボサはまた心の中で毒づいた。別の男が話を引き取って続ける。
「ちょっと特別なのもいるぜ。身勝手者の神様ってのが」
「身勝手者の神サマ?」
「街を建てた最初の連中、みんな流れ者なだけにまとまりが悪くてな。自分のやりたいようにてんでバラバラに仕事してたんだが、それじゃなかなかうまく行かんわな。しょっちゅう喧嘩だなんだ、いがみあってたけど、後からきた流れ者が輪をかけて身勝手なとんでもないヤツでな。さしもの流れ者たちもそいつに振り回されてるあいだに手を組んでやっていけるようになってな。それで街が発展し始めたってんだが、その身勝手野郎は気が付いたら街から姿を消していたんだと。借金で首が回んなくなって逃げ出しただけじゃねえかとか、そう思うんだけどもよ。不思議なことにそのあとも似たような身勝手野郎がひょいと街に現れることがあって、すると決まって景気が良くなるんだそうだ。ひょっとしたらあれは神様だったんじゃねえかって話になってな。勝手の神様、って呼ばれて結構人気があるんだ」
 中年の女が口をはさむ。
「うちも小さい頃から、人の身勝手に腹を立ててたりしたときゃ、勝手の神様に免じて大目に見てやれ、なんて、ばあちゃんなんかにはよく言われたわね」
「どうだい、これ。商会の大博物図鑑とやらには」
「どうだいって、こーんなヘンテコすってんてんな話じゃボーナスなんてもらえませんヨ!」
「どれもこれもダメなのかよ。英雄ってのは好みが難しいんだな」
 一同がちょっとしらけた顔になったところで、酒場の親父が口を開いた。
「ところでさ、英雄様にちょいと手伝ってほしいことがあるんだけどよ」
 不穏な展開に眉をしかめたバルボサにかまわず、親父は話し続ける。
「うちの葡萄畑が隣町との地境にあるんだが、境界の交渉がモメてな。あんたについてきてもらったら、大商会と英雄の名前でこう、ちょっと強めに出れるんじゃねえかなって」
 すると酒場の連中が口々に、自分も自分も、と一斉に切り出した。
「さっき話したエビしっぽの猫、おとといから姿が見えないのよ。うちの鼠捕りにいてくんないと困るんだけど、探すの手伝ってほしいんだ」
「うちのじーさんが、畑の横っちょのでけえ木を伐採したいから手を貸せっていうんだ、さすがに百歳に一人でそんな作業させらんねえが、ちょっと手が足りなくてな」
「井戸のつるべが壊れちまってよ。直してくれって隣のやつに頼まれたが、材料がないってんで、隣町まで買いに行かなきゃいけないのが面倒で」
 わあわあわあ。それぞれがてんでにバルボサに話しかけてくる。バルボサは押し寄せる人びとをはねのけるように、手を振り回してわめいた。
「ちょっとちょっと! 英雄は便利屋じゃありまセーン! なんなんですか、自分勝手に!」
 酒場の全員が、声を揃えて言う。
「そりゃあ、勝手の神様にあやかってさ」
 むきー、とバルボサは顔を真っ赤にして、地団駄を踏んだ。
「知りません、身勝手な神様なんて! だいたいワタシはゴメスさんじゃありませんからネ、みなさん勝手に勘違いされてますけどワタシは英雄のお仕事なんてしませんよ。ましてただ働きだなんて絶対にするもんですか。冗談もたいがいにしてくだサーイ!」
 えええ、と一同が声を上げる中、バルボサは椅子を蹴倒さんばかりにすばやく立ち上がり、ぴゅーっと走りだした。走りながらも大声を上げる。
「でも奢りは奢りですからね! お代はそっち持ちでオネガイしまーす!」
 あっという間にバルボサは酒場を飛び出し、街路を遠ざかっていって見えなくなった。
 酒場の親父と常連たちは数秒無言でいたが、我に返ってわっとしゃべり出した。
「なんだありゃあ。ゴメス提督じゃないって?」
「最初はいかにも自分が英雄でございって顔して座ってたよなあ」
「ちくしょう、サギ野郎にとっときのボトルを開けちまったじゃないか」
「逃げ足速かったなあ。あれは手慣れてやがる」
「ずいぶん身勝手な船乗りがいるもんだねえ」
 一人が、ん、と顎に手をやった。
「……待てよ、ありゃあひょっとして、勝手の神様なんじゃねえのか」
「言われてみりゃあ、見事なまでに身勝手だったな」
 そうかあ、あれが勝手の神様か。それじゃあしょうがねえわ。
 酒場の常連たちはうなずいて席につきなおした。皆で親父にたっぷり注文し、今のできごとを肴にわいわいと盛り上がりはじめたので、バルボサが飲み逃げしていった酒の代金も埋め合わされて、その日はいつもより少し売り上げが良かったという。