《幕間》旅をする鳥
異人が訪れた晩に約束したように、異人を案内した少年が館にやってきた。祖父に言われて、穢れをはらうまじないを施してもらいにきたのだ。
内気な少年は、自分が何気なく大人たちにした話が想像をはるかに超えたおおごとになったので、そのことに動転して、今までになく不安そうな顔をしていた。異人におかしなことを言われたときよりもよほど怯え、びくついているのだった。
少年の動揺の大きさに比べるとまじないは、ほんの一言二言のまじない言葉と仕草でおわる、ごく簡単でささやかなものだった。そもそも少年には、魔や厄の気配はなにひとつ差していないのだ。異人を怖がる大人たちにさんざん脅されて、少年は自分がとんでもない魂の病にかかってしまったのではないかと感じているようだったが、心配はまったく不要なものだった。
そのことを説明してやりながら、甘草を加えた少し甘い茶と干し棗とを与えると、少年はだいぶ落ち着きを取り戻した。それでもどこか、座りがわるそうにもじもじして、なにかを言い出したそうにしている。
「心配なことがあるなら、どんなささいなことでも良い、おそれずに言うがいい」
私にそう促されても、少年はずいぶんためらっていた。その手が、胸元に置かれ、また膝に置かれる。なにかを服の中に隠しこんでいるようだった。
見つめていると、少年は意を決したように顔を上げた。服の袂に手をつっこみ、大事そうにぼろぎれにくるんだものを取り出した。
「あのう。これ、異人がくれたんです」
ぼろぎれが開かれてみると、そこにあるのは大きく、真っ白な鳥の羽だった。この近くでは見かけない種類の鳥のように見受けられた。
「字を書く道具なんだそうです。北から群れで渡ってくる、真っ白で、とても大きな鳥がいるのだって。うみのそばで羽を落としていったのを拾って、使おうと思って取っておいたけど、今使っている道具がまだ壊れてなくて、しばらく使うこともなさそうだからって」
うみ、と、少年は少し丁寧に唇を動かした。言い慣れない言葉だったからだろう。この少年にとって海とは、おとぎ話にしか出てこないものだった。
「おかしなまじないだったらどうしようと思ったけど、でも……」
見慣れない、真っ白に輝く大きな羽が、少年にはまたとない宝物に思えたことは想像に難くなかった。幸運にも手に入れたこの貴重品を、彼はそう簡単に手放したくはないのだった。
「見てみよう」
どこかうやうやしい手つきで差し出された羽を、丁重に受け取って眺めてみた。純白の羽は私の手のひらをわずかに余るほどの長さで、軸は硬くしっかりとしていた。その硬い軸先は丁寧に削られていて、ちいさく切れ込みが入っていた。
「心配はいらない。なんのまじないでもない、これはごく普通の筆だ。細かくものを書かねばならないときにこの軸先に墨をつけて書くのだ。大きな街の商人たちもたまに使っている」
ほっとしたような顔の少年に、羽を返してやった。
「取っておくといい。ここらでは珍しい鳥のものだから、お前も手元に持っておきたいだろう」
「字を書かなくても、持っていてもいいのかな?」
「筆として使わなくともよい。美しい羽だ。大事にとっておいたなら、いつかお前が大人になって自分の道具を持つときに、飾りにでも加えられるだろう」
少年は満足そうな顔で羽をそっと撫で、嬉しさのあまりくすくすと笑うのだった。
あの男が、この羽を駄賃代わりに少年に与えたのは、なんとなく意外だった。やるほうとしてはそう惜しくはなく、もらったほうにも深刻な欲や争いを生まない、ちょっとした珍しいもの。子供が秘密の宝物として持つのにちょうどよいようなもの。子供にきちんと案内の礼を与えるところにもなんとなく律儀さを感じた。
唐突に現れ、治癒を施してやったというのに傲岸不遜な態度で一方的にしゃべり倒して帰っていったあの様子からは、細やかな気遣いなど持ち合わせていないように見えたのだが。だが、商人たちのように、大きな街から人里離れた場所まであちこち旅をしているのなら、存外、旅慣れているのかもしれなかった。
無知で無礼で身勝手ではあるが、性悪な人間ではないようには思えた。とはいえ、一族に侮蔑的な言葉を吐いたことは間違いはなく、私自身が宣言したように、彼に再び会ったなら、あの愚かな言葉の数々は是非もなく正されねばならない。
少年は、私の心中は知らず、無邪気に言った。
「シャーマン様は、あの人に会いにおいでになるんでしょう。会ったときに、俺が羽をとても気に入って大事にしてるって、教えてあげてください」
それを聞かされて、あの男がどういう顔をするのかはまるで想像できなかったが、なんだかおかしみを感じて、思わず微笑みが口元に浮かぶのを覚えた。
「そう伝えておこう」
私が請け負うと、少年はにっこりして、羽をまた大事に布にくるみ、袂にしまいこんだ。